なぜ清水寺の「清い水」が必要だったのか
松井 私はこういうことをあまり言ってこなかったのですけど、先生と話しをするうちに自分のなかの理解がしっくり来るところがあります(笑)。
きたやま どの町にだって歴史はあって土地の記憶があるのだろうけど、みんな舗装してしまうから忘れてしまうじゃない。でも京都に来ると土地の記憶が感じられるし、それが見える。僕が生まれ育った場所のことを語るときには、非常にearthyな場所であったと、そこの部分を忘れないで京都を語り継ぎたいなと思う。
松井 「京都をどんな町にしたいのか」と聞かれたときに私がいつも言っているのは、「ぬか床のような町」と答えているんです。様々な具材をそこで混ぜて育むのが京都の町です。だから「これはいらん。あれはいらん」ではなくて、いろいろなものを混ぜ合わせてみる。そして、その化学反応を見ながら、新しい味わいを創り出すような町にしなければならないと思っています。
きたやま 泥臭さや人間臭いところも、ぬか床には入るわけですね?
松井 もちろんそうです。きれいなものだけでは発酵しないですからね。
京都にはunearthlyな、つまり高貴な場所がありますが、そこだけを守るという考え方には違和感があるんです。もちろん貴重な文化財や歴史的な町並みは守らなければなりません。けれどもこのまちの生活文化を、純粋に日本の文化として屹立するようなかたちで守っていくという発想には私はやや馴染めないところがあります。
きたやま 排除されやすいものや周辺に置かれるものがあってこその中心ですからね。
松井 周辺や辺境というものを受け入れてきたからこそ、京都の文化があるのだと私は思っています。
きたやま なぜ清水寺の「清い水」が必要だったのか、なぜ清水の舞台から飛び降りる必要があったのか。その背景を考えると、京都の文化の成り立ちがわかって、京都が本当に生き生きとしてくるんですよね。あそこは屍が累々と並んでいるところであって、その穢れを清めるために水が必要だったわけです。
松井 京都の人は、焼き場のことを「お山」と言うんですね。「お山に行かないかんし」は、東山・花山や北山の蓮華谷の火葬場に行くことを意味してきました。清らかな京都の水を生んでいるのは、周辺部にあたる三山(東山、北山、西山)ですが、同時にそこにお清めを必要とするものを置いた歴史があるわけです。
京都の文化は低徊するのにふさわしい
きたやま 土地の記憶や思いと共に京都を味わうことですよね。それが楽しい。
僕は日本人論が好きなんだけど、今までは外国の人たちは日本のことなど理解できないという諦めがあった気がしています。確かに外国人に日本のことをわかってもらうのは、本当にたいへんですよ。けれども清水寺や大文字の送り火、祇園祭、そして下京のことを話すだけで、日本人のメンタリティの大半がわかると思う。
これからはもっと、海外の人たちに日本人の心をこれまで以上に理解してもらう必要がありますよね。その際には京都のことを語るのが一番わかりやすいと僕は思っています。
今日僕がぜひ話したかったのは、京都の町はものすごく高いところに上がれないということなんです。高いところと言えば、せいぜい比叡山や大文字山、東山トレイルくらいですよね。
「低徊」という言葉があります。低いところをゆっくり舐めるようにして歩くといった意味ですが、京都の文化は低徊するのにふさわしいと思っています。土の匂いや地面の感触、正直に言えば、道の一つひとつに血が染み込んでいるような町なのだから、目線を低くして歩くととても味わい深い町だね。遠く離れて鳥瞰しないほうがいいかなと思っています。俯瞰すると、抽象化されてしまうからね。
松井 そうかもしれません。最近「五山送り火」のときにヘリコプターが飛んでいるんです。これに対する市民感情は非常に厳しいんですよ。
きたやま あれは観光用ですか?
松井 そうです。昨年久しぶりに五山送り火を見て、ものすごく気になりました。市民の方々からも問い合わせがすごく多いんです。送り火のときは、静謐な気持ちで御霊を送るためにできるだけ明かりを消すことを呼びかけています。けれども、そのときに上空でヘリコプターがバタバタうるさい音をさせている。山際から送り火を見上げている人たちからすれば、ご先祖に対して失礼じゃないかという反発もあります。いま先生がおっしゃった低徊する感覚や低い目線とも違いますよね。
きたやま 鳥瞰の視点ですよね。
松井 そうなんです。京都の町は上から見下ろすような町ではないのかもしれません。
きたやま 下から見上げる町ですよね。
松井 京都タワーができたときもずいぶん論争になりましたよね。市民もいまや親しみを持つ方々が圧倒的に多いとは思いますが。
きたやま 人間の目の高さで味わっていないわけですよね。つい最近、同世代の友人と一緒に清水から大文字までずっと歩いたことがあるんです。老人だから遭難しそうになりながらも歩きましたが、東山トレイルはなかなかいいルートだと思う。トレッキングだけど、高過ぎるところから京都の町を見下ろすという感じではなくて、なかなかの低徊ですよね。
松井 最近好む方が多いですよね。特に西洋系の人たちは、山際を歩いて山に囲まれている盆地を楽しまれるのが好きですね。
日本人の「心の楽屋」
松井 今日は思いつくままにあれこれお話ししてきましたが、最後に先生がご著作で紹介されていた「心の楽屋論」についてお伺いできればと思います。
楽屋というのは、舞台に立つ前に準備するところですよね。先生のようなミュージシャンであれば、舞台に上がってパフォーマンスする前や終えた後に過ごす場所です。私の場合は、市役所や議会などの職場は舞台みたいなものです。
舞台以外に当然、家・家庭もあります。舞台があって私生活がある。先生のおっしゃる楽屋というのは、家でも舞台でもないところなのですかね?
きたやま ものすごく大事なポイントだと思います。今や家にいても格好つけなければならなかったり、家に帰っても娘や息子も冷たかったりして自分の居場所がない人が増えていますよね。昔は家ではシミーズやステテコでウロウロできたのに、それもできずにお父さんもお母さんもそれぞれの役割を果たさなければならない。
そうすると心を開ける、魂が何かに触れることのできるもう一つの居場所が必要になります。今の人たちはそういう場所を探していて、僕はそれを「心の楽屋」と呼んでいるんです。
日本人というのは、やはり表と裏がありますよね。私は精神科医だから心の裏を扱っているわけですよね。人前で恥をかいてボロクソに言われたり、仕事がうまくいかなったりして、行き詰まってしまうと表舞台から姿を消してしまったりする。最悪の場合は、自死を選ぶ人もいます。
そういう時に、痛みを感じたりのたうちまわったりしている自分の心の裏を預かってくれる「心の楽屋」があれば、状況はだいぶ緩和されると思うんです。
精神科は「心の楽屋」なのだと思うし、もっと具体的に言えば祇園や先斗町は人々の裏も預かっていたところですからね。それでビジネスや政治が成り立っていたわけでしょ? けれども、この頃はそういう「心の楽屋」を持てない人が増えているから、皆さんどこに行ったらいいのかわからない。
松井 京都はひょっとしたら日本人の「心の楽屋」のような町になれるのかもしれませんね。
きたやま そういうことです。京都へ来たら心が裸になれる。そして穢れを流していく。
松井 そういう穢れを引き取ってきたのが、京都の歴史かもしれませんね。魂の穢れや魂の迷いを引き取ってきたこの地のエネルギーは、それに耐えるものだし、それが京都の存在価値の大切なひとつだと思いますね。
きたやま いま京都はそこら中が、レンタル着物屋さんになってしまっていますよね。せっかくいいお店だったのがレンタル着物屋さんになってしまって残念に感じたこともありました。でもね、外国人が皆さんあのなかで着替えているわけです。それがどんな着替えなのか、想像してみたらメチャクチャおもろいと思うけどね。町中にステージがあって、あちこちに楽屋が散在する。京都はそういう町になるよ。(終)