『公研』2024年1月号「issues of the day」
ロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス軍事衝突に世界の目が集まる陰で、30年以上続く一つの紛争がある種の「解決」に達した。アゼルバイジャン領内でアルメニア人が多数派となっていたナゴルノ・カラバフをめぐる両国の争いである。2023年9月、アゼルバイジャンが始めた攻撃を前に、この地域を実効支配してきたアルメニア人勢力はあっけなく敗北した。彼らがつくる非承認国家「ナゴルノ・カラバフ共和国」(アルツァフ共和国)も、32年の歴史の幕を閉じた。
相反する二つの動き
アゼルバイジャンの行為は、軍事的優位を背景に武力で領土を確保しようとした点で、侵略戦争を「特別軍事作戦」と言い換えたロシアのウクライナ侵攻と重なる。異なるのは、それに成功してしまったことである。
この地方ではソ連末期の1980年代から、両民族間で対立が激化し、虐殺が相次いだ。1990年代の第1次紛争ではアルメニアが勝利を収め、ナゴルノ・カラバフとその周辺を実効支配した。その後、石油や天然ガスの輸出で潤ったアゼルバイジャンが軍事力を蓄え、2020年の第2次紛争では占領地の相当部分を奪還した。
筆者は、2020年にアルメニア側を、2022年にアゼルバイジャン側を取材し、対立の根深さを実感した。両政府は互いに「相手が100%悪い」との立場を崩さず、対話の余地がない。民間有識者の交流もなく、首脳同士の交渉以外に緊張緩和の枠組みがほとんど存在しない。一方で、両者が共存していた時代の記憶を保つ住民も多く、必ずしも和解が不可能とは思えなかった。
2022年の時点で、両国の間では二つの相反する動きが進んでいた。一つは、第2次紛争以来両国首脳が続けてきた和平交渉で、合意が近いとの観測が広がっていた。もう一つは紛争再燃への道で、アゼルバイジャンが勢いに乗って再度攻撃を仕掛けるのでは、との説も根強かった。前者が望ましいのは当然だが、バクーでアゼル政府関係者の話を聞いた限りでは、後者も大いにあり得そうに思えた。
不幸なことに、現実のものとなったのは後者だった。筆者訪問の翌月にあたる2022年12月、アゼルバイジャンは、アルメニアからナゴルノ・カラバフに入る唯一の街道を封鎖した。ロシア軍が侵攻前に兵力をウクライナ国境に集めた態度と同様に、明らかな挑発であり、脅しだった。9カ月後、兵糧攻めを受けて疲弊したナゴルノ・カラバフに、アゼルバイジャンは進軍した。アルメニア側は1日で降伏し、十数万人の住民のほぼ全員が難民となってアルメニア本国に流出した。
目先の損得ばかりが視野に
本来なら、アゼルバイジャンの振る舞いに対し、人権や法の支配を重視する欧州連合(EU)が騒ぎだすはずである。しかし、実際には介入も制裁もなかった。アルメニアはもともとロシアの同盟国だが、2018年の民主化運動の結果、欧米と価値観を共有するパシニャン政権が誕生し、EUは支援を強めていた。一方で、ロシアと対立するEU各国にとって、エネルギーの代替供給国であるアゼルバイジャンとの関係をこじらすわけにはいかない。安全保障問題に詳しいEU専門ニュースサイト「ユーラクティヴ」のオレリー・ピュネ記者(27)は「アゼルバイジャンの行為は正当化できないものの、EUが繰り出せる手も限られる。経済制裁には決して踏み切れない」と語る。攻撃に走ったアゼルバイジャンは恐らく、EUのこうした限界を見越していただろう。
ロシアの侵攻は本来、「武力に訴えてもろくな結果を招かない」との教訓を国際社会に与えたはずだった。大義もなく力に任せて戦争を起こしても、勝利を収められないばかりか、国際社会の信頼も失う。その姿を見て、中国も台湾侵攻を思いとどまるだろうと期待された。しかし、アゼルバイジャンのアリエフ政権はそんな戒めを歯牙にもかけず、ロシアと同じ道を平気で歩んだのである。
最近の出来事を振り返ると、パレスチナのイスラム組織ハマスとの紛争に陥ったイスラエルのネタニヤフ政権も、きっかけをハマス側がつくったとはいえ、過剰な反撃でガザを廃虚に導いてしまった。2023年11月には、南米ベネズエラのマドゥロ政権が、隣国ガイアナへの侵攻の構えを見せた(その後トーンダウン)。ロシアほど大々的ではないものの、することは同じ。プチ「特別軍事作戦」が症候群として拡散しているのである。
このような行為は、長期的に見ると国際社会を蝕むだけでなく、自国の評判を落とし、国益にも反することになる。問題は、これらの国の政治指導者が、そのような展望を持ち得ないことだろう。目の前の損得しか視野に入っていないのである。
東京大学先端科学技術研究センター
特任教授 国末憲人