『公研』2021年5月号「めいん・すとりいと」
我が家は山手にある訳でもないのだが、いつも今頃になるとどこからか鶯がやってきて梅や、枝垂れ桜の枝の中からいい声が聞こえてくる。オスが縄張りを主張しているのか、次から次へと声が途切れないところを見れば、少なく見ても3匹以上は居るだろう。有難いことだ。
もう30年以上むかしの話だが、もしかしたら山手のドライブインだった気もするが定かでない、見事な「蓋つきの山ぶどうの硯箱」を目にしたことがあった。目にした途端、あまりの素晴らしさに見とれてしまった。長年やってきたアケビつる細工に多少の自信があったのだが、とてもとても雲泥の差を感じた。その場で自分もいつか山ぶどうの篭を編んでみたいと思ったが、どっこい山ぶどうの篭を編むには難しい課題がいくつも立ちはだかっていた。
まず材料は売っていないので自分で山に入って取ってくるほかない。蔓から皮が剥げるのは6月から7月初めにかけてのわずか2週間ほどで、その前も後もだめ、くねくねと曲がったしかもパキパキに硬い材料をどうすれば編めるのだろう、思いつくだけでも難題は山ほどあった。
熱い思いは実現できぬままに、20年、30年と時が過ぎて75才の春、とうとう50年近く勤めた小さな水族館人生に終わりを告げる時が来た。
そして隠居生活と有り余る自由な時間を手に入れ、好きなことを実現できる身分になった。さて山ぶどうの篭だが太い蔓は山に入ったからどこにでもある訳でもない、どこの山に入れば直径が、7、8センチメートルもある太い良いつるがあるのか知っていないとなかなか採取するのが難しい。しかしそこはこれまでイワナ釣りに明け暮れした経験が役に立った。
覚えのある山に入って木に登り高い枝に絡みついたぶどうの蔓を、長柄ののこぎりで切断して倒し皮をはぐ、時期が合っていれば見事に気持ちいいくらいするすると剥げてくる。
もう3年ぐらいになるが長年いた古巣に行く用があった。クラゲで有名になった小さな水族館は、ちょっとした山を越えてトンネルを下った先にある。現役の時には気が付かなかったが、トンネルの近くに車窓から見ても50年は経ったと思われる見事な山ぶどうの蔓が見えた。
もう78才にもなっていたし、家内には木に登るのは固く禁じられていたのだが、しかし7月の4日だった。水族館に用があることにしてその蔓取りに向かった、暑い盛りで気温は34度にも達していた。午後の2時ごろに現場に到着して4メートルのはしごを掛けてさらに5、6メートルも登って絡んだ蔓を切っているうちに、なんだか気分がおかしくなってきた。
目が回って吐き気がして木の上で船酔いしたかのようになって、あまりの気持ちの悪さに作業着代わりに着ていた雨合羽を脱いで裸になって、胃の物はすべて吐き出した。しばらく木の幹にしがみついていたが、この高さから落ちたらおそらく命はない、そろりそろりと用心しながら梯子までたどり着いて、1メートルか2メートルも下ったところで転落してしまった。
ドンと地面に落ちて、急な斜面を転げ落ち起き上がって腰を下ろしたところで気を失ってしまった。何分後かわからないが気が付いたら、めまいと船酔いは収まっていた、傷だらけの体にYシャツを着て帰り「今日の暑さには参ったなー」なんて家内をごまかしていたが隠し通せるわけもなく大目玉を食らってしまった。「一人では山に入るな。木に登ってはいけない」と約束させられた。
以後は近くに住む孫と二人仲良く山に入って、何とか材料は確保している、数えてみるとこれまで編んだ篭は40か50はあるだろう、みな娘や孫たちにくれてしまった。気に入ったのをショルダーバックに一つと、講演で使うプロジェクターを持ち運ぶのに使っている。鶴岡市立加茂水族館名誉館長