タイガース日本一達成の舞台裏

──1985年、阪神タイガースは21年ぶりにセ・リーグを制覇して、日本シリーズでも勝利して38年ぶりの日本一に輝きます。川藤さんはベテランとして、選手と首脳陣をつなぐ役割をされていたと言われていますが、どういったことをされていたのでしょうか?

川藤 あのシーズンの6月ぐらいだったかな、守備走塁コーチの一枝修平さんに練習前に呼び出されて、「チームの結束を高めるために力を貸してほしい。優勝するためや」とお願いされたんです。あの年のタイガースは、個性が豊かで才能に溢れる選手が揃っておった。それは、それだけ我が強い選手の集まりということや。チームとして結束するためには、そういう連中をまとめる存在が必要になる。それはわかるが、ワシはその申し出は断った。

 「ワシの仕事じゃありません。それは首脳陣の役割じゃないですか。ワシはこのバットでゲームに勝つためにいるんです」と。そうしたら今度は、ヘッドコーチの土井淳さんからも「頼むから引き受けてくれ。優勝したいじゃないか」と話があった。さすがにチームのためにも一肌脱がねばならん場面や。ただし、その役割を引き受ける代わりに、ワシからは一つだけ条件を出させてもらった。「ゲームで監督がおかしな采配や選手交代をやったらベンチのなかで文句を言いますよ。それでもいいんやったら引き受けます」と。

 実際にヘンなタイミングでバントのサインが出ると、ベンチ内で「何でバントなんじゃあ」と文句を言う。平田(勝男)なんかは心配して。「川さん、監督が決めたことじゃないですか」と耳打ちするけど、ワシは「やかましわー。こんなもん、違うから言うとんやろ」とさらに声を荒げるわけや。

──ベンチ内の様子が目に浮かぶようです(笑)。

川藤 もちろん、采配に文句ばかり付けていたわけやない。ワシが特にこだわったのは、代打に若手を起用するときには前もって準備させてやってくれということ。代打というのは、いつ出番が回ってくるかわからんもんや。けれども、このケースではお前、こっちのケースではお前といった事前の想定くらいは、選手には伝えておいてほしいと、それは監督やコーチにもお願いさせてもらった。経験のない選手にいきなり「行け!」と命じても、実力を発揮できるわけがない。「事前に少しでも準備させておくのが、コーチの仕事でしょう」と、これだけは強く訴えさせてもらった。ところが、しばらくしたら吉田(義男)監督がまったく想定にない場面で「おい、カワ! 行け!」といきなり代打を命じてきた。ワシがお願いしたことなど、すっかり忘れとる。

 頭にきたワシは、どんな球がきても初球を打ち上げてアウトになったろうと思って、打席に向かった。ヒットを打ちに行くのがワシの役目だと思っていたから、アウトになりに行くのは初めてやった。アウトになってベンチに帰ってきて、扇風機をブン殴ってそのまま帰ったった。

 あくる朝、「クビにしたらええ」という気持ちで練習に行ったら、吉田監督のほうから謝ってこられた。「カワ、すまん。カーッとなってお前が日頃から言うてること忘れてしまった」「ワシは監督に謝ってもらおうなんて思ってません。勝つために提言したまでのことです」「これから本当に気を付けるから。今日からまた同じようにやってくれ」と。

 本職のバットそっちのけで、こんなことばかりやっていたから、あのシーズンの終盤は優勝が決まるまで結局、一度も打席に立てんかった(笑)。でも、ワシもタイガースの優勝にいくらかは貢献できたと思ってる。

 

「プロ野球に代打という地位が築かれた」

──翌年の1986年は前半戦から打撃好調で、入団時に目標にされていたオールスター出場を果たされます。それ以前の年よりも好成績だったにもかからず、この年で現役を引退されています。

川藤 若い頃に可愛がってくれた遠井五郎さんは生え抜き選手で一番長い、20年間在籍した球団記録を持っていました。個人成績では何一つ勝てるものはないんやけど、ワシも19年現役を続けていたので最後の目標は21年現役を続けて尊敬する先輩を抜くことやった。

 最後のシーズンは数字にも手応えがあったから、よっしゃ、これで20年目も行けるなと思っていた。ところが、球団からは任意引退というかたちで「若手に道を譲ってほしい。今なら2軍コーチのポストも用意できる」といった言い方をされた。

 プロ野球選手がクビになるときは、自由契約と任意引退のどちらかがある。自由契約はお前は要らんという意味やからこれはもう仕方がない。任意引退は、仮に現役に復帰するときは所属していた球団にしか戻れないという縛りがある。引退するフリをして他球団に選手を奪われることを防ぐためにある仕組みやけど、お前を尊重するという意味合いもあって、実績のある選手の花向けでもある。だったら、レギュラーも取ったことがない選手にそんな気を遣ってもらう必要はない。

 若い選手は、ベテランを追い越して初めて自分の道が拓けるんです。現実にワシかて、先輩を追い抜いてきた自負がある。だから今があるんやから。後輩たちもワシなんか抜いたらいい。道を譲るなんていうのは、ワシの生き様には反することです。球団がワシを要らんのやったら、任意引退じゃなくて自由契約にしてくれというのがワシの考え方やった。

 ワシは引退するまでに球団から2回クビ宣告されているんですよ。それをひっくり返して、現役を続けてきた。ただ3回ひっくり返すのも、世間から見たらどんなものかなと。いずれ辞めるときは来るんだから、だったらもうええかと。ワシみたいな三流のやつでも、やればやるほどまだやりたくなるのがこの世界だと思う。だから好き好んで辞めていく奴は、誰1人としていない。もがいて、もがいて「お前みたいなもんはいらん」と言われて、クビになっていく。それがワシのすべてやったと思った。

 引退してから、長嶋茂雄さんとテレビ番組で共演する機会があって、そのときに、「川藤、ありがとうな。お前のおかげでプロ野球に代打という地位が築かれた」と言ってくれたんです。まさかあの長嶋さんがワシのことをそんなふうに見てくれていたとは思わなかった。これはもう本当にありがたかった。

──ありがとうございました。

聞き手 本誌:橋本淳一

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