訳語が向こうからやってきて、登場人物が動き始める。
──翻訳家としての日常やルーティーンをお聞かせください。
木村 朝ご飯を食べると、車でカミさんを買い物に連れていきます。お昼を食べると、そのまま喫茶店に向かって1、2時間翻訳をするのが日課です。このときは下訳をつけることが多いです。その後にパチンコに行っていましたが、これはもうやめました。負けてばかりですからね。帰宅後、夕飯を食べてから、さらに1、2時間仕事をすることもあります。お昼に下訳を付けたものに直しを入れることが多いですね。ただ、最近はとみに体力が落ちて仕事がちっともはかどらないので、そろそろ引退する潮時かなと考えていますね。
ぼくにとって翻訳の一番むずかしいところは、テキストを訳していくときに、原書から伝わってくる雰囲気をどう日本語にするかということなんです。気分が乗らないときは仕事がちっとも進まないので、無理をせずにテキストに心身ともに馴染んでゆくのを待ちます。乗ってくると、それがどこから来るのかわからないけれど、訳語が向こうからやってくる。そうなると、登場人物が動き始めるんです。そこまで来たら、あとはもう大丈夫です。
──今日も翻訳作業をされたのですか?
木村 さっき喫茶店に行って原稿を睨んでみたんですが、疲れているのか気分が乗らなかったですね。先ほどお話ししたマルケスの『物語の作り方:ガルシア=マルケスのシナリオ教室』の翻訳が終わったので、次はリャマ・サーレスの短編集に取り掛かろうと思っているのですが、作品を切り替えるときはきついんです。特に作家が変わると意識をそちらにスライドさせるのがむずかしいんです。
──マルケスの後期の傑作『コレラの時代の愛』は500ページにもなる大作ですから、長い期間、作品の世界のなかにいることになりますね。
木村 『コレラの時代の愛』は新潮社の塙陽子さんという名編集者からの依頼でした。ぼくも若かったから100ページくらい翻訳した段階で焦って原稿を送ったんですよ。そうしたら、すぐに電話が来て、「木村さん、まさかあれをあのまま出すつもりじゃないでしょうね」と言われて、縮み上がりました。「いや、実は100ページばかり進んだってことをお伝えしたかっただけです」としどろもどろになって返事をしたんですが、半泣きになっていました(笑)。塙さんは「それならいいんです」と言われましたが、あれは怖かった。
完成した原稿を送ったら「これで結構です。いい訳ですよ」と褒めてもらいました。『コレラの時代の愛』の翻訳は、ぼくにとって思い入れの深い大事な仕事ですね。
──木村さんの翻訳は読んでいてリズムが良くて読みやすいと感じます。
木村 そう言ってくださる方がおられるというのは、翻訳者冥利に尽きますね。ただ若い頃は翻訳しようとすると、妙に肩に力がはいってテキストをひねくり回したおかしな訳になってしまうんです。本当にひどい出来でした。袋小路に入り込んで抜け出せなくなり、困り果ててカミさんに自分の訳を読んで聞かせるようにしたんです。「どう思う?」と訊くと、最初は「私にわかるわけがないでしょう」と取り合ってくれませんでしたが、次第に批評家に変身して、「聞きづらい」「読みにくい」「その列挙した形容詞の並びがおかしい」と指摘するようになったんです。カミさんの指摘を取り入れながら自分の訳を手直ししてゆくうちに、日本語に翻訳するコツのようなものをつかんだんでしょうね。
それからは、翻訳に関してあれこれ言われなくなりましたね。やはり、言葉はリズムなんです。それも自分の内部にひっそり身をひそめているリズムなんでしょうね。目がかすみ、足、腰が弱っているので、この先あと何年翻訳ができるかわからないんですが、もう少し続けられたらなあ、と思っています。
神戸市外大の博士課程創設に尽力
──神戸市外大の博士課程の創設にも尽力されていますね。
木村 お世話になった先輩の庄垣内しょうがいと正弘先生が、ぼくを博士課程設置委員会の委員に推してくれて関わるようになったんです。庄垣内先生は、ウイグル語を中心に西域の言語を研究しておられました。頭の回転が速く、それでいて細かな気配りのできる人でした。ちょっと怖かったんですが、ぼくとはウマが合って可愛がってもらいましたね。
博士課程設置委員会は中でゴタゴタが続いていたんですが、庄垣内先生が前任者を追い出すかたちで、ぼくを委員長に祭り上げたんです。ぼくは4年制の神戸市外国語大学の卒業ですから、博士号など持っていません。だから、いくらなんでも委員長はだめだろうと言ったんですが、「切った張ったができるのは、お前しかおらん」と押し切られて仕方なく引き受けたんです。
それからがたいへんでした。神戸市とわたりあい、文科省には頭を下げて何度も足を運ぶ。それ以上にたいへんだったのが、マル号教授──大学院で論文指導のできる教員──を3名集めることでした。この難題を解決してくれたのが事務局長なんです。彼に「日本のあちこちの国公立大学と事務局長レベルの会合に出ているんやから、人脈はあるやろう。あんたは押しが強いから、何とか博士課程で教鞭をとれるレベルの先生を、3人探してきてくれ」と言ったんです。
──無理難題に近いようにも思えます(笑)。
木村 そうしたらその事務局長も只者ではなくて、アメリカまで手を伸ばして本当に3人を引っ張ってきた。あれには感心しました。
ところが、これで何とかうまく行きそうだというときに、予想もしなかった阪神・淡路大震災が起こったんです。神戸市役所は避難民で溢れていましたから、大学の事務局は、「博士課程なんかつくれませんよ」と言って来る。ぼくは「無理やろな。しかし、ここで博士課程設置の旗を降ろしたら、今でもかなり気分的に落ち込んでいる先生方がもっと意気阻喪するかもしれんやろ」って。
──ここまでの努力が水の泡になってしまう。
木村 事務の担当者には、「神戸市の置かれている状況はよくわかった。しかし、せめて大学の中だけでも、だめもと覚悟で、しばらくのあいだつくるフリをさせてもらえませんか」と言って、しばらく時間稼ぎをして震災の混乱が収まるのを待ったわけです。震災の混乱もいくらか収まってきたタイミングで、先ほどの事務局長に博士課程設置を諦めていないことを伝えて、彼に神戸市のお偉いさんにつなぎをつけてもらいました。
当時の神戸市には「影の市長」と呼ばれるような助役がいました。恐ろしく怖い人でね。その人と面談して直接、博士課程の設置をお願いすることになったんです。このときは殺し文句を一晩考えました。「神戸は復興するまでに、長い年月がかかりますよね。その時に市が博士課程のある大学を持っているというのは、復興なった神戸市に一段と大きな花を添えることになりませんか?」と言ったんです。
その思いが伝わったのか、前向きに話を進めることになったんです。この時に、われわれのまったくあずかり知らないところで、国会議員の後藤田正晴さんが動いてくれたんですね。後藤田さんが各省庁に乗り込んで、「神戸市、兵庫県のために尽力してやってくれ」と頼んでくださったんです。こうして、神戸市外国語大学に博士課程が設置されることが決まったんです。
──阪神・淡路大震災がプラスに作用した面もありましたね。
木村 文科省へ御礼に行ったら課長代理が出てきて、「お礼を言うなら、うちの若い子に言ってやって下さい。審議会と身体を張って渡り合って通してくれたんですよ」って。それを聞いて「ああ、やっぱり、後藤田さんが効いたのだな」と思いました。
大学の独立を守るためには
──その後、神戸市外国語大学の学長も務められます。少子化が著しい時代ですから、国公立の大学も統廃合が進むのではという見方もあります。
木村 外国語大学は時代遅れという扱いを受けがちですから、今後どこかと合併させられる圧力が掛かる可能性は大いにあり得ると思っています。現に神戸市外大も神戸高専と兄弟校というかたちで統合されています。伝統のあった大阪外国語大学も大阪大学と合併しましたが、吸収されたようなものですよね。
子どもの数は確実に減っていますから、大学の予算を圧縮するために統廃合が進むのは仕方がないところもあります。けれども、各大学にはそれぞれ特徴や固有の伝統があります。大学の独立を守りたいのであれば、合併話が出てきたときには学長のところで切らなければいかんのです。この手の話は、行政側は、最初、事務局サイドからアプローチしてくるものです。それが学長のところに話が上がってきたときに、隙を見せたらあっという間に飲み込まれてしまいます。
そうは言っても、学長も任期はあるし、研究者でもあるわけです。もっとも、学長になると、いろいろな意味で研究者ではなくなりますね。研究者である自分を捨てて、官僚やお役人を相手にさまざまな要請にこたえてゆく必要がある。これはなかなかつらくてしんどい仕事です。神戸市という国際的な港町が外国語大学を持ち続けることは、イメージとしてもすごくいいことは言うまでもありません。
最後の仕事は『ドン・キホーテ』?
──以前にいつかはスペイン文学の金字塔とも言えるミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』を翻訳したいとおっしゃっていましたが…。
木村 最後の仕事として『ドン・キホーテ』を考えていたころもありましたが、まだ手を付けていません。と言うのも、自分がこんなに長生きするとは思わなかったんですよ。『ドン・キホーテ』に取り掛かる前に、まだ仕事ができそうだなと思って、今はスペインのリャマ・サーレスという作家の短編集に取り組んでいます。
これを終えてまだ命とスタミナが続いていれば、あとは一切仕事を引き受けずに『ドン・キホーテ』に取り組んでもいいでしょうね。ただし、頭で考えるほどたやすい仕事ではありませんね。気力、体力、知力、この三つがそろっていれば、ひょっとしてできるかもしれませんが……。
──ありがとうございます。
聞き手 本誌:橋本淳一