『公研』2020年2月号「めいん・すとりいと」

白戸 圭一

 9年前、ワシントンDCに赴任した新聞記者がいた。この新聞社では、社員にドルで給与を払い、 同時に社員が日本国内に保有する口座にも円で給与を振り込んでいた。

 2012年のある日、記者は上司の口から衝撃的な言葉を聞いた。「ウチの会社はドル払いの給与については米国税務当局に申告してきたが、円払い給与については長年、日米どちらの当局にも未申告だった。私は最近そのことを知り、是正すべきだと上層部に進言した」──。

 組織的な過少申告、脱税じゃないか、と記者は思い、この上司は立派な人だとも思った。だが、 数日後、本社の決定を伝える上司の説明を聞き、言葉を失った。「会社は以後、正直に全額を申告する。だが、それに伴い納税額が増えるため、税に関する社内ルールを一部変更し、君たちの手取りを削減するという。私は抗議したが、力及ばず申し訳ない」──。

 まもなく会社は「正直な申告」を開始し、米国駐在の社員全員の手取りを減らした。この記者は年収換算で約40万円減り、翌年は約70 万円減った。

 3年後には約135万円減る見通しだという。記者は「過ちを公表せず、社員に尻拭いさせている。報道機関がこれでよいのか」と思ったが、本人も含めて誰も声を上げなかった。結局、記者は組織の考え方との違いに耐えられなくなり、新しい仕事が見つかった約1年半後に新聞社を去った。

 以上は実話。「記者」は私、「新聞社」は私が1995~2014年まで勤めた毎日新聞社である。 退職の経緯を友人らに私的に語ったことはあった が、公の場で明らかにしたのは今回が初めてである。手元には「今後は正直申告するが、みなさんの手取りは減る」などと明記された当時の本社幹部の手紙が残っている。

 自らの恥ずべき過去を記したのは、当時の幹部たちが退職し、現幹部たちに直接の責任がなくなったという事情もあるが、「桜を見る会」をめぐる数々の疑惑に関する政府の説明を聞きながら、組織と個人の関係について改めて考えたからである。

 野党の追及に官僚たちが様々な説明を試みているが、不自然な答弁が多々あり、世論調査では「政府の説明に納得していない」が7割を超える。「官僚たちは首相を守るために嘘をついている」というのが国民の一般的な認識だろう。

 組織を方向付ける思考と個人のそれが一致する場合、組織内の個人は悩まなくて済む。「政権が倒れれば国益を損ねる。政権を維持するためには当座の嘘も隠蔽もやむなし」と自らに言い聞かせ、組織と個人の論理の一致に腐心している官僚もいるのでは、と想像する。

 こうした自らに言い聞かせるような心の動きは、私にもあった。新聞社がまともに税金を払ってこなかった事実を公にすれば、社の信頼は失墜し、経営にも影響を与えるだろう。一方、日本が多様な意見が尊重される国であり続けるためには、朝日、毎日、読売、産経、日経と様々な新聞社があったほうが良い。怒りに任せて勤め先を窮地に追い込む暴露に走るのは、日本のためにならないのではないか。そういう考えが私の中にもあった。

 どうしても組織に同調できない場合、「我慢して組織に留まる」と「組織を離れる」の二つの道がある。私は最初前者を選び、途中から後者をめざした。現実には家族のため、自らの老後資金のために、前者を選択せざるを得ないことが多い。官僚たたきに地道を挙げている人も、それぐらいは分かるだろう。

 ただし、一般に正義や道義は組織の論理ではなく、個人の良心に宿る。官僚機構が国民を騙した事例は多いが、自分自身を騙し続けることができない官僚はいるだろう。「秘密を墓場まで持っていくこと」を吏道の美徳と信じる人もいるだろうが、当座は我慢して組織に留まり、退職後に自らの信じるところを社会に訴える方法もある。組織と個人を峻別できるエリートが増えていくと、日本はさらに良い国になると思う。 立命館大学教授

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