東京都知事選挙の結果をどう見るか?

 大川 それでは政党政治の仕組みや政党と有権者の関係について考えていきたいと思います。日本では従来から、主権者である国民からの政治システムへのインプットが弱いと指摘されてきました。政党は選挙などの機会に有権者の要望を取り入れて(インプット)、それを受けて政策を打ち出すわけです(アウトプット)。提示された政策を受け止めるという意味での有権者の応答性は一定程度ありますが、さらに一歩進んで政治に対して要望を伝えるという点では弱いのです。この日本の特徴は根強く、伝統的とも言えるところがあります。そして今日に至るまで経路依存を伴って、大なり小なり続いてきてしまっている。

 代表制民主政治を謳う以上は、政党政治の善し悪しを規定する要素として、有権者によるインプットが極めて重要です。もちろん、政党あるいは政治家の側にも問題があることは否めません。しかし、このインプットのプロセスがうまく機能していないことは、現状の日本政治の限界を端的に物語っているのかなと思っています。

 先ほど馬場先生からメキシコシティの元市長(現大統領)への政権からの弾圧と、それに対する市民のプロテスト行動をご紹介いただきました。この事例は、国政と地方政治の関係性という観点から見ても重要な示唆があると思います。国政と地方では文脈が異なることもあるし、国政政党の影響力がどの程度地方まで及ぶのかといった点には留意が必要でしょうが、今回の東京都知事選に関して言えば、国政政党が存在感を示せなかったことは明らかだろうと思います。

 馬場 政党が民意をインプットできていないというご指摘がありましたが、まさに今の政党政治が抱えている問題の根幹なのかもしれません。日本は国政では議院内閣制ですが、地方自治体においては直接選挙で首長を選ぶことができることも大きな特徴になっています。そこを踏まえたうえで、都知事選ではインプットのあり方に関して、これまでの国政選挙とは違ったところは感じられましたか?

 大川 今回は前回と比べて投票率が伸びました。国政レベルで派閥の裏金事件、すなわち政治とカネをめぐる問題で自民党への批判が高まり、岸田政権の支持率が下がっていましたから、有権者としても何らかの声を上げる機会を欲していたタイミングだったのでしょう。首都のリーダーを決める都知事選は国政にも一定の影響を与え得る位置付けにありますからね。ただし、繰り返しになりますが、だからと言って選挙を通じて各政党の存在感が示され、活性化したということではありませんでした。

 当選した小池都知事は自民党の支援を受けましたが、政権の支持が低迷していたこともあって、ステルス的支援に留まり、党派性はあまり表には出さずに選挙戦を戦いました。一方の野党は、蓮舫さんが出馬して立憲民主党や共産党の支持をかなり前に示しながら戦ったわけですが、うまくいかなかった。

 その中で石丸伸二さんが2位に入る躍進を見せた。彼はそれまでに安芸高田市長を務めており、地方政治の経験がある方でした。つまり既成政党が十分な役割を果たせていないなかで、地方から既存の政治への「待った」をかけたという文脈で捉えることもできる。もちろん石丸さんがSNSを駆使する戦略をとった点などは、注目すべき新しいポイントではあります。

 ただ構図としては、90年代半ばに既成政党への不信感から東京で青島幸男さん、大阪で横山ノックさんが知事に当選したことや、その後も改革派の首長が登場したことと流れとしてはよく似ていますよね。このように政党政治が機能不全に陥るなかで、地方から異議申し立てをする構図はこの30年を振り返ってみても何度か起きています。今回の都知事選でもそうした異議申し立ての票が、既成政党に行かずに石丸さんに向かったのだと思います。

 

石丸現象の背景には既存政党への不信感がある

 馬場 有権者のなかに、既成政党や政治システム全体に対する拒否感が広がっている印象があります。石丸さんはいわゆる「政治屋」を強く批判しましたが、今の社会の空気感にそれがうまくマッチしたのだと思います。彼は安芸高田市での首長の経験がありますが、日本の場合は既存の政治に「ノー」を突き付ける政党や新しい動きが地方から起きてくるパターンがあることはおもしろいと思いました。

 それに加えて、石丸さんを30代以下の若年層が特に支持した点も大事なポイントだと思います。彼の躍進が、既成政党に反対することで支持を伸ばすポピュリスト──この表現を使うのが適切なのかどうかは難しいところがありますが──的な側面があるのかどうかも関心があるところです。

 大川 私が教えている大学でも、選挙の最中に石丸現象を取り上げている学生がいました。もちろん今の若者と言っても、どういう政治意識を持っているのか、その傾向を一概に判断するのはむずかしいところがあります。ただ学生たちと話をしていても、既存の政党に対する見方はかなり厳しいものがあると感じています。現状に不満があるのであれば、政権与党ではなく野党に期待が集まっても良さそうなものですが、野党の中でも、立憲民主党や共産党といった政党には「改革への意欲を見出せない」という捉え方をする若者が多い印象があります。自民党もイヤだけれども、旧来型の野党もイヤなわけです。

 維新の会が出てきたときに第3極的な立ち位置から支持を広げていきましたが、今回の石丸さんの躍進も同じような背景があるのでしょう。それに加えて、SNSなどを用いた戦術が今の若者たちの関心を掴むことに成功したのは間違いないと思います。石丸さんは、安芸高田市の市長時代に地方議会の現場のやり取りを、SNSなどを通じて発信し、それが大きな注目を集めることになりました。そもそも若者たちが地方の政治そのものに関心を寄せているのかと言えば、大いに疑問です。2019年に私が『神奈川新聞』と共同で実施した高校生調査の結果を分析しても、若者たちの地方政治への関心は国政に対する関心と比べて明らかに低いわけです。

 地方政治においては、政治家はより有権者の近くにあってやり取りをし、政策を訴えかける民主主義の実践の場、「民主主義の学校」であることが期待されています。しかし、現状そうしたつながりを持てているのかと言えば、決して褒められたものではないですよね。そんな中で、発信力を通して地方政治の現実の一側面に注目させることに成功した石丸さんの戦略は、注目すべきところがあるのだと思います。

 効率的に自身の政策や考え方、その優位性を訴えかけようと思えば、SNSのほうが訴求力はあるのかもしれません。さらに、国政よりもむしろ地方政治のほうが距離の近さを反映してSNSが大きな影響力を持ち得る可能性があります。石丸さんは、そうした特徴をうまく突いたところがありました。まったく地盤のない東京においてもあれだけの票を獲得したことには国政を主たる研究対象としてきた一人として非常に驚きましたが、以上のような要因が重なったことが背景にはあったのかなと今は考えています。

 

無党派層が8割に達したメキシコで起きたこと

 馬場 メキシコも数年前から既存政党への不信感が政治のシステム自体を大きく動かすことが起きています。ただし、それは必ずしも地方からの動きではなくて、国政のド真ん中から変化が生じました。現職の大統領はいわゆるマーベリック(異端者)と呼ばれる、元々は既存政党のなかにいた人物です。彼はそこを離れて新興左派政党を立ち上げます。この政党は、与党も野党も同じように拒否すべき既存政党と見做すことを徹底しました。このスタンスが有権者に支持されて大きく票を動かした結果、大統領選挙に勝利して政権を獲得して議会でも多数派を維持しています。今年6月に大統領選では、与党候補のクラウディア・シェインバウムがメキシコ初の女性大統領に選出されたのに加えて、同日実施された上院、下院の議員選挙でも与党連合は圧勝しています。

 必ずしも若い世代の経済的な不満だけではなくて、メキシコの場合は全世代的な不満があります。それが治安や政治の腐敗の問題などが引き金になって、既存の政治システムへの不満として一気に噴出することになりました。メキシコでこうした政変が起きた前提には、既存政党への評価がどんどん下がっていたことがあります。ラテンアメリカのなかでもメキシコは比較的政党への帰属意識が高かったのですが、この15年ぐらいのあいだに無党派層がどんどん拡大していき、約8割に達していました。こうした状況で何か引き金を引くような事件が起きると、そこに出てきたアウトサイダー的な人物や新たな政党に票がワーっと流れる現象が顕著に見られるわけです。

 このあたりは、今回の自民党の裏金問題に端を発した政治不信にも似たところがあると感じています。日本にもすでに似た状態にあって、同じような事態が起こる準備は整っているのかもしれません。

 大川 今年前半までの世論調査結果によれば、地方を中心に長年基盤を築いてきた自民党の支持率が大きく下がりました。だからと言って、野党側も伸びていない。無党派層がかなり増えていますから、メキシコの状況と似ていると言えますね。

 ただ、自民党は非常にしぶとい政党ですよね。派閥という党内の非公式な組織の連合体でもあるし、個々の政治家が緩やかに集うかたちで成り立ってきたところがあります。ですから政党としての組織や結束はもともと強力なわけではありませんが逆に言うと柔軟性があり、長年与党であり続けたあいだに築き上げた地方でのネットワークは今も生きています。いわゆる「地盤」が自民党にとって他党を凌駕する資産になっています。その強みも最近では弱体化が指摘されていますが、そんなに簡単に崩れることはないでしょう。

 一方で、昨年末から今年にかけて露見した政治とカネをめぐる一連の騒動で腐敗したイメージが拡がっています。政治倫理に関わる問題に関して様々な不正が露呈したことは、政権や自民党政治の正統性に関わる事態であり、有権者の不満や怒りが大きくなっている。冒頭で触れた30年前の政治改革のときから、積み残してきた課題が今になって現れているとも言えるわけです。こうした状況もあって春の衆議院の補欠選挙では、自民党不戦敗も含めて野党が勝利しました。自民党にとっては憂慮すべき事態が見え始めている。

 そういうなかでまもなく自民党は総裁選挙を迎え、野党側も立憲民主党の代表選挙があります。自民党は相変わらず「党の表紙を変えればいい」という発想の議員が少なくないようですが、これまでの成功体験だけにすがっていては足元をすくわれるのかもしれません。もう少し根本的な見直しが求められる局面にきているように感じています。

 自民党の基盤や正統性が一気に流動化して、メキシコで起きたようなことが日本でも起き得るのかと言えば、今の段階ではもう少し様子を見る必要があるでしょう。ただ、背景を考えるとやはりメキシコと共通している点はたくさんありますね。

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