2023年6月号「issues of the day」

 

 2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵略により、世界各国は外交戦略の練り直しを迫られた。なかでも、アメリカ・バイデン政権は、発足当初から「脱・中東」「対中国シフト」を鮮明にしてきたが、ロシアのウクライナ侵略により、ロシア・欧州フロントに重点を置かざるを得なくなった一方、原油価格高騰によるエネルギー安全保障の観点からは、豊富な石油資源を有する中東、特に湾岸産油国の重要性を再認識させる結果となった。22年7月のバイデン大統領のサウジアラビア訪問はその証左である。現下の中東には、この米国と湾岸産油国との民主主義、人権の価値観をめぐる冷却化した関係、イランの核合意の再建の行方、イラク、アフガニスタン、イエメンにおける「テロとの闘い」、イランとイスラエルの核開発をめぐる攻防等様々な地政学的リスク要因が存在する一方、20年8月のイスラエルとUAE、バーレーンの国交正常化(アブラハム合意)に基づく中東経済圏の拡大や、23年3月10日の中国の仲介によるサウジアラビアとイランの外交関係正常化合意、また、サウジアラビアをはじめ湾岸諸国における「脱炭素社会の実現」(サウジビジョン2030など)の加速化、UAEによる本年の国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第28回締約国会議(COP28)のホストなど、新たなビジネスチャンスがダイナミックに訪れている。

 ロシアのウクライナ侵略により、世界は多極化の時代に進行する中、地政学、エネルギー安全保障の観点で、中東各国、特にサウジアラビア、UAE、トルコ(23年5月28日エルドアン大統領が再選され、ウクライナ戦争の仲介役が期待される)の影響力が現在拡大しており、中東が国際秩序、グローバル経済の行方のカギを握っていると言っても過言ではないだろう。

 本稿では、その中で、特に直近のサウジアラビアとイランの和解に象徴される中東の地殻構造の変化と、サウジアラビア・ムハンマド皇太子が邁進するビジョン2030実現に向けた現状などを踏まえた湾岸産油国における日本企業のビジネス機会、に焦点をあてて解説する。

 

中東における覇権、米国から中国へ?
まず、23年3月10日に発表されたサウジアラビアとイランの外交関係正常化合意の意義、背景としては、以下があげられる。

 近年の中東における政治的難問の一つであったサウジとイランの外交関係正常化を、今回、中国が仲介したことは、中国が中東で一帯一路構想の実現のための「経済的」影響力のみならず、「政治的」影響力も有したことの証左であろう。中東における事実上の覇権交代を意味し、歴史の転換点とも言える。

 一方で、バイデン政権にとっては、ロシアのウクライナ侵略以降、世界の多極化が進む中、これまで圧倒的な軍事的・政治的影響力を有してきた中東を中国に明け渡すことは、アメリカの中東政策、ひいては外交政策全体に汚点を残すことになる。北京で発表された中国、サウジアラビア、イランの共同声明では、「主権の尊重と互いの内政への不干渉」が強調されたことから、今回の合意の背景に、「人権」がキーワードとなったことが読み取れる。サウジアラビアは、反政府のサウジアラビア人ジャーナリスト、カショギ氏暗殺事件、イランはヒジャブ・デモによる体制への抵抗、中国はウイグル自治区・香港における人権問題で、それぞれ米国バイデン政権から民主主義、人権の価値につき批判されており、声明はそれに反発したもの。反米で3者の思惑が一致したと言える。

 

イラン包囲網の解除・サウジアラビアの安全保障最優先
 2001年の米国同時多発テロ後のアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争で、米国は中東で大きな負の外交遺産を背負うことになり、アメリカ国民の厭戦ムードが高まる中、中東におけるアメリカの軍事的、政治的関与はオバマ政権以降低減してきた。このような経緯から、近年、アラブ諸国は、アメリカに依存しない自国の安全保障を真剣に模索していた。イスラエルとアラブ諸国でイラン包囲網を形成する動きがある一方、本音では、核開発を進めるイランを警戒していたサウジアラビアにとっては、イランとの緊張緩和を図ることで、イエメン内戦をはじめ地域情勢の安定化、自国の安全保障の強化につなげたい思惑があった。今回の決定は、サウジアラビアにとっては、域内に「敵」をつくらないことを最優先した結果である。

 一方、イランにとっては、昨秋のアメリカ中間選挙の結果、下院で、イランの核合意に反対の共和党が勝利したことで、イランの核合意の再建、制裁解除の見通しが遠のく中、核合意を通じたアメリカとの関係改善より、中国に手柄を持たせ、中国との経済関係強化による自国経済の回復を選択した結果と言える。また、ウクライナを侵略するロシアへの無人機(ドローン)支援や国内のデモ弾圧で米欧などの非難を受ける中、サウジアラビアとの関係修復によって孤立を回避し、域内での自国の安全保障を強化する狙いもあった。

 2020年のイスラエルとアラブ諸国(UAE、バーレーン)のアブラハム合意は、アメリカ・トランプ政権が仲介したが、今回のサウジアラビアとイランの合意を中国が仲介したことで、次の中東地政学における最大の関心であるイスラエルとサウジアラビアの国交正常化を、アメリカと中国のどちらが仲介に成功するかが注目される。イスラエルとサウジアラビアは、すでにビジネス面では交流が活発化しており、国交正常化はタイミングの問題と見られているが、アメリカ・バイデン政権がレガシーづくりのため、22年7月のイスラエル、サウジアラビア訪問などを通じ仲介を試みるも、現在まで成功していない。一方で、イスラエル・ネタニヤフ政権もサウジ・ムハンマド皇太子もバイデン政権との関係がぎくしゃくしている中、中国はサウジと関係強化(22年12月の習近平国家主席のサウジ訪問)し、イスラエル・ネタニヤフ政権とも良好な関係にあるため、この手柄も中国が取る可能性もあるだろう。この点、バイデン政権は中国の中東における政治的意思、能力を過少評価している傾向にあり、この乖離が続けば、中国の中東への影響力がさらに増すことになるだろう。

 

中東情勢は緊張緩和へ
 7年ぶりのサウジアラビアとイランの関係正常化により、イランの核開発の進行にサウジアラビア、UAEが呼応する、いわゆる中東における「核ドミノ」の可能性は低下したと思われる。中東においては、イスラエルとパレスチナ、イスラエルとイランの対立は依然残るも、前者は2022年12月に復活したネタニヤフ政権の強硬な政策もあり、最近も衝突が発生しているが、もはや中東の他国に波及しない局所的な問題となっている。後者もイスラエルとサウジアラビアの関係が実質的に進んでいることから、サウジアラビアが、イスラエルとイランの対立のパイプ役になれる可能性もあり、イスラエルとイランの対立リスクは軽減され、中東情勢は緩和の方向に向かうだろう。また、中東地域で残る課題として、シリアの扱いがあった(11年のアラブの春で、シリアのアサド政権が同国のアラブ人を弾圧したことから、アラブ連盟から参加資格を停止されていた)が、23年5月19日に、サウジアラビアのジッダで開催されたアラブ連盟首脳会議で、そのシリアのアサド大統領が参加し、アラブ連盟に復帰したことは、中東の和解の象徴と言えるだろう。

 以上のように、最近の中東は「対立」の時代から「和解」の時代に向かっていると言えよう。

 近年、中東産油国は、「脱石油依存」、「脱炭素」社会実現に向けて産業を多角化してきている。特にサウジアラビアは、ビジョン2030実現に邁進中であり、21年10月の「サウジ・グリーン・イニシアチブ」で、60年までのカーボンニュートラルの目標を明らかにした。また、UAEは、50年のカーボンニュートラル達成目標を表明し、今年11月に国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第28回締約国会議(COP28)を開催する予定である。中東産油国は、ロシアのウクライナ侵略によるエネルギー価格高騰で得られる利益を、国内経済の活性化に循環させたい思惑である。一方、中東のもう一つの経済大国イスラエルは、AI、サイバーセキュリティ等ハイテクの集積地であり、20年夏以降のイスラエルとアラブ諸国(UAE、バーレーン等)の国交正常化(アブラハム合意)の加速により、中東経済圏は、ヒト、モノの移動が活発になり、拡大している。22年6月には、イスラエルとUAEの間でFTAが締結された。日本企業は、イスラエルとアラブ諸国の国交正常化の加速化による「中東経済圏の拡大」を活かすべきである。

 また、これまで述べたように、中東のいくつかの政治問題とは乖離して、域内のビジネス、投資は加速している。22年10月にリヤドで開催された未来投資会議では、アメリカの金融、ビジネス業界も多数が参加した。また、22年7月のバイデン大統領のイスラエル訪問時におけるI2U2構想(イスラエル、インド、UAE、アメリカの経済枠組み)の発表など、中東で新たな経済圏を形成する動きが加速化している。

 

日本と中東でwin-winの関係構築を
 ロシアのウクライナ侵略により、日本の原油輸入、中東依存度は95%を超えた。2050年カーボンニュートラルを掲げる我が国にとって、中東地域は、脱炭素実現に向けても、また、エネルギー安全保障上の面でも重要なパートナーである。太陽光、風力等の再生可能エネルギーのポテンシャルが高い中東地域は、グリーン水素などのカーボンニュートラル社会に資するエネルギー供給源としての期待が大きい。中東情勢の安定の傾向と併せ、日本企業にとってのチャンス到来と言える所以である。今後は、エネルギー分野以外でも中東諸国との関係を強化し、産油国の脱石油依存の成長戦略と日本の成長戦略とをシナジーさせ、日本と中東がお互いに「脱炭素」ビジネスでウィン・ウィンの関係を築くことが重要となる。

 中東諸国からは、日本に対し、①欧米とは異なった東洋の経験・知見の獲得、②欧米と一線を画した中東現場の視点での、中東の持続可能な社会経済の発展への献身的な貢献への期待が聞こえてくる。日本企業が、この時機を逃さず、中東の現場に足を運び彼らの思いに応えられるかがビジネスの勝利のカギとなろう。

 そのためには、日本国内における中東への感度を継続的に高める仕掛けも必要であり、中東ビジネス進展のためのプラットフォームの設立(政府、企業、学者、スタートアップ、メディア等)や中東ビジネス専門家の人財育成(学者、学生、スタートアップ、アラビア語人財等)が喫緊の課題であろう。これまでのように、大企業の目をアジアから中東に向けようとする方策だけでは対応できない可能性がある。また、強く求められるのはトップセールス外交である。20年1月に安倍総理がサウジアラビア、UAE、オマーンを訪問したのが最後の首脳による中東外交になっている。アメリカ・バイデン大統領(22年7月、イスラエル、パレスチナ、サウジアラビア訪問)、中国・習近平国家主席(22年12月、サウジアラビア)、韓国・尹大統領(23年1月、UAE)が中東を訪問している中、日本の中東首脳外交には長い空白期間が生じていることに、官民挙げて危機意識を持つべきであろう。

三菱総合研究所主席研究員 中川浩一

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