有権者が政党や政治家のやる気を引き出すことも大事

 馬場 トップダウンで降りてきた政策だとしても、社会の側のニーズを汲んだものになることは可能だと想像します。けれども、往々にしてそうはなっていない。「このタイミングでなぜこの政策なのか?」と疑問に感じるようなことが多々あるわけです。今日のインターネット社会においては、マニフェストがどのくらい実行されたのか、あるいは政権が打ち出した政策がどの程度の成果を上げたのかを過去に遡って検証できる状況になっています。そうした情報を駆使することで、政治を評価するようなスタンスが有権者にも根付くことは難しいのでしょうか。

 大川 その辺りはこの10年ほど充実が叫ばれてきた「主権者教育」とも関係することで、いわゆる政治リテラシーの問題になってくるのだと思うんです。確かに、最近ではボートマッチと言って、選挙の際にはアンケートに答えることで自分の考え方が、どの候補者に近いのかを数値で示すプラットフォームなども出てきています。あるいは研究機関が過去に遡って、マニフェストや政策の成果を検証できるようなかたちで公表したりもしています。しかし残念ながら、それが広く行き渡っているわけではなく、活かし切れていないですよね。

 逆に今は、選挙で政党や政治家の側が主導して有権者の意欲をいかに引き出すのかといった競争になっています。それだけではなくて、有権者の側からどう政党や政治家のやる気を引き出すのかといった働きかけも重要ですよね。何だかんだ言っても、政府や政治家にとっては市民が何か声を上げたときには、それを聞かざるを得ないところがあります。自らのキャリアを左右しかねない、非常に重要な存在ですからね。冒頭でメキシコでのプロテストが実際に政治を動かした事例をお話しいただきましたが、その辺りの力は日本ではまだ弱いですよね。改善するための一つの手段が主権者教育ということになるのかなと思っています。いずれにせよ、日本では政治リテラシーの抜本的な向上に向けた課題は少なくありません。

 馬場 私が気になっているのはラテンアメリカ諸国でも先進国でも、選挙プロフェッショナル化の帰結的として、極右あるいは逆に極左的な政党や政治家が支持を集める現象が起きていることです。日本でもそうした兆候は見られますが、あまり大きな支持を集めていないことは特徴的だと見ています。

 

日本人のお行儀の良さと議院内閣制であることは関係している?

 大川 日本の場合は議院内閣制をとっているので、一回の選挙だけで大きく躍進して、既存の政党を脅かすことがむずかしい仕組みになっています。それに、仮に極端な主張を掲げる政党が伸びてくることがあったとしても、自民党は彼らが掲げる政策やその支持層を部分的に取り入れるような危機管理を行っているのも特徴だと思います。

 馬場 確かに大統領選挙の場合は、議会に基盤がなくてもいきなり当選することが可能です。ブラジルのジャイール・ボルソナーロ元大統領もそうですし、先ほどお話ししたエルサルバドルのナジブ・ブケレ大統領は、大統領になってから彼がつくった政党が議会で多数派を占めるという順番でした。そうしたことが可能なのが大統領制の大きな特徴だろうと思います。

 日本ではプロテストが大きくならないことと、議院内閣制であることには何らかの関係がある気がしています。ざっくりと言えば、日本の政治文化と言えるような要素についてもきちんと検証すべきではないかと私は考えています。外国では広場に人々が集まって、デモを繰り広げる光景をよく見かけますが、日本では抗議活動自体があまり良いこととはされていませんよね。このあたりの政治に対する日本人の意識は、諸外国とはずいぶん異なっている印象があります。

 大川 日本人はお行儀がいいですよね。確かに、選挙など公式に認められた制度を通して意思表示することについての信頼度は高いのだけれども、デモや署名などへの参加度は国際的に見ても低いとされています。そもそも、自分たちが声を上げることで政治や社会を変えられるという意識が低いんです。逆に、ラテンアメリカをはじめ海外では声を上げてプロテストしようという意識がしっかりとあり、私などは映像や写真でその様子を見て「すごいな」と感じて眺めているのですが、何が彼らを活動に駆り立てているのか気になっています。

 馬場 ラテンアメリカの若い世代を見ていて感じるのは、やはり学生運動が盛んだということです。いま日本でも大学の学費が高いことが問題になっていますが、チリでは学生運動に端を発した抗議活動が全世代的なうねりにつながったことがありました。2011年のことですが、大学の無償化を求めた学生運動が盛り上がり、それだけで終わらずに労働組合や年金受給者団体などの他の世代、他のイシューと組み合わさってどんどん大きな流れになっていきました。

 チリの政党システムはとても安定していました。しかし実際は、その安定は制度によるところが大きくて、第3の政党が勢力を拡大させにくい選挙制度だったことが背景にはありました。ですからフォーマルな政党政治のなかで声を聞いてもらえていないと感じている世代の人たちやセクターは、街に出て声を上げることになるわけです。

 チリは実際にその後選挙制度が変わり、そしてガブリエル・ボリッチという若い大統領が誕生します。彼は、元々は学生運動のリーダーだった人でした。そういった社会運動とフォーマルな政党政治との行き来がとても活発というかスムーズなところは、日本との大きな違いだと感じています。ある一つの世代の運動に留まらずに、他の世代も巻き込んでより大きな社会全体の問題にしていくことは、実は大事なのかなとも思うんです。

 大川 日本は中間団体が弱いとよく指摘されていますよね。もちろん、野党の主な支持基盤は労働組合ですし、公明党は宗教団体が支持母体である。いろいろなかたちがありますが、今日では中間団体自体が政党を立ち上げるぐらいの勢いを持って活動をすることはあまりないわけです。労組も年々組織率が下がってきていて、各種団体加入者の高齢化が指摘されるなど、むしろ衰退していく方向にあります。中間団体と政党を取り巻く環境を考えると、この辺りのことが大きな違いになっていると思います。

 

就職氷河期世代はなぜ自分たちを代表する政党をつくらないのか?

 大川 今日は編集部から、「就職氷河期世代はなぜ自分たちを代表する政党をつくらないのか」というテーマについても考えてほしいというリクエストがありましたので、少し考えてみたいと思います。馬場先生はどのような印象を持たれていますか?

 馬場 政党をつくる具体的な制度は国よって違うわけですが、おそらくことさら日本がむずかしいわけではないのだと思います。日本では私的に困っていることを公的なものとして捉える発想が弱いですよね。就職氷河期世代の問題がこれだけ大きくクローズアップされるようになったのは、2010年代後半くらいからですよね。自己責任論とか言われますが、それまでは気づかないうちに自分自身の責任として内面化してしまっていたのだと思います。

 自分は仕事を得るのに苦労したけど、みんな苦労しているしうまくいった人もいる。だから、そこを公の問題として捉える発想が弱くなっている。構造的な問題があるのにもかかわらずです。ラテンアメリカを見ていると、私的な問題も必ず公的なものにつながっている、あるいはつながろうとする動きやダイナミズムがあります。ここは日本とは大きく違う面なのかなと見ていました。

 大川 日本の社会は公私を明確に峻別しようとする傾向が強くありますよね。また、自助という概念もそれなりに力を持っている。けれども極端なことを言えば、身近で起きていることのすべては、政治につなげようと思えばつなげられるわけです。政治(学)的な考え方やノウハウで解決できることは、たくさんあるわけですが、日本では「え?それがつながるんだ」と思っている人が多いという印象を私も持っています。

 加えて、自分が抱えている問題を政治的に解決しようとする自発性に乏しいところがあります。それが日本の政治文化になっているところがありますから、政党をつくるなどということはずいぶんハードルが高いことのように感じられてしまう。逆に政党も、有権者が置かれた状況に根ざしたかたちで政党をつくってこなかったということがあります。自民党は「国民政党」を標榜してきましたが、元来幹部政党という性格を持っています。つまり、地方の有力者(幹部)とそれを囲む人々の緩やかな集まりとしてできあがっていったわけです。

 野党第一党も戦後で言うと、社会党や民主党、今の立憲民主党を含めて、結局は自前の組織はそんなにしっかりとしていなくて、理論的な活動家や労組に頼ってきたところがある。共産党は日本における大衆政党の一つと言われますが、昨今少し話題になったように、民主集中制というかたちをとっていて組織の論理が構成員の自由な考え方より優先するところがありますよね。

 いずれにしても、自分たちで何らかの目的を立てて自発的に政党をつくるという経験にそもそも乏しいわけです。政党の成り立ちの側面で、ボトムアップが十分なくてトップダウン的なあり方が長く続いたことで、どんどん政治と有権者との距離が広がっていきました。そして先に指摘した利益分配型の政治が経済成長の鈍化で限界を迎えて終焉するなかで、人々はいっそう脱政治化していきました。

 また、就職氷河期世代も結局自民党政権を少なからず支持していたという見方もあります。本来であれば、就職などで苦しんでいる人たちは、2000年代前半の小泉首相のような新自由主義的な改革路線には否定的であってもおかしくないわけです。けれども小泉さんの「自民党をぶっ壊す」といったキャッチフレーズに現状の打破を一定程度期待した層があったということです。こうして、自分たちで何か行動を起こすのではなくて、結果的には既存の政党の枠組みのなかでの課題解決を選び、就職氷河期世代が直面していた問題意識も吸収されていったという背景があったのではないかと考えました。やはり日本の現代政治を見たときに、何か新しいものをつくっていくことのむずかしさは感じざるを得ないですね。

 馬場 おっしゃる通りだなと思います。日本のこれまでの政党政治の性格を考えると、就職氷河期世代に限らず下からの動きや要求に根差した大衆政党のような存在はほとんど見られなかった。そのため特定の世代が困っていたとしても、政党がそれを汲み上げて解決に向けて政策が打ち出されることもなく放置される結果になった。

 これからは、すでに社会に存在している私的と思われていることが、実は公的な問題になり得るような課題を政党の側が開拓していく必要があるはずです。しかし、実際にはボトムアップ型の政党を新たにつくることがむずかしいとなると、既存の政党がそうした課題をすくい上げていく流れを模索することが望ましいのかなと思います。日本でそうした道筋ができることに期待を寄せることは可能なのでしょうか?

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