政党と有権者のつながりに注目する

 馬場 今の政党政治の問題点を考えるうえでは、政党と人々とのつながりにあらためて注目するのは重要だと思います。自民党は今までは総裁を変えることで、低迷した支持率がまた上昇することを繰り返してきました。ある種ごまかしてきたわけですが、さすがにそれだけでは難しくなっているのかもしれません。根本的な変化を求めるのであれば、有権者と政党の新たなつながり方を模索する必要がありますよね。派閥が元々持っていた機能は、業界団体など様々な中間団体を通じて有権者と党とのつながりを明確化するところにもあったのだと思います。ただ今ではそうした結び付きはだいぶ失われてしまっている。

 大川 今度の自民党総裁選は、告示前から10人以上の出馬が取り沙汰されるという過去に例を見ない状況が生じました。派閥の連合体として成り立ってきた自民党ですが、今回、これまでの安倍派(清和会)や岸田派(宏池会)など伝統ある派閥が解散を表明したことで、ある種フタが外れて、党内が流動化しているのを反映しているのでしょう。

 そもそもなぜ政党ができるのかと言えば、議会運営や民意の調達に際して一定のグループをつくらないと効率的に政治が回らないからです。そして派閥は、様々なところから民意を吸収しつつ、政党内にある多様な意見をある一定の方向に集約する単位としての役割を担ってきました。ですから、派閥には大政党のなかにできる政党という側面があるわけですよね。そこが流動化している今、新総裁はもちろん首相として国の舵取りに相当な労力を注がなければならないわけですが、その前に党内統治に苦労することになるのかもしれません。

 新しいリーダーによって支持が上がることはプラスではあるのでしょうが、党としてまとまるための要でもあった派閥のない自民党を統治するという経験を初めてすることになる。短期的には風が吹いたとしても、中長期的に安定したリーダーシップを発揮するのはそう簡単ではない可能性があります。

 派閥は裏金事件の舞台となったこともあり、大多数の国民から厳しい目で見られています。なので、そこは是正をしなければいけない。ただ、政党の運営や統治のあり方を考えたときには、意外と重大な問題を孕んでいるように思います。これまでも自民党では派閥解消が何度も謳われながら復活してきた歴史があるわけですが、総裁選でどのような議論が展開されるのか興味深く思っているところなんですね。

 ラテンアメリカ諸国の政治を見たときに、政党と派閥の関係あるいは党内統治を考えるうえで参考になるような事例はありますか?

 馬場 ウルグアイの例は、参考になるかもしれません。今のラテンアメリカで唯一、政党政治が活発に機能していて支持されているのはウルグアイです。ウルグアイには左派の「拡大戦線」という政党連合があって、その中に政党や派閥を抱えています。労組や年金受給者団体などのいろいろな団体も活発に参与していて、それぞれが自立的に存在しています。これらの諸団体は政党内の派閥ともつながっています。加えて、草の根の地方のコミッティーがあって政策論議が活発に行われています。活発な草の根の党員がいることも大きな特徴です。

 緩やかな集合のようでありながら帰属意識が強くて、システムとして安定した政党連合になっている。この事例では、派閥は各集団の利益を集積して調整する役割を担っています。政策をつくるうえでは、そうした派閥からの要望を反映させるかたちになっている。この機能がきちんと果たされていれば、派閥自体は悪い存在ではないですよね。先ほども指摘しましたが、おそらく過去の日本でも派閥はそうした機能があったのかなと想像します。

 

自民党は政策を軸に成り立ってきた政党なのか

 大川 確かにそういう面はあったとは思います。派閥が政党政治において果たす役割が大きく、だからこそ派閥の領袖同士がそれぞれ自分たちを支持してくれる集団の代表として、総理大臣の座をめぐって激しく競い合った。派閥が多様な利害を調整するという、ある意味では健全な機能を果たしてきた面もあると思うんですね。しかし、往々にしてそこにお金が絡んでいたことで腐敗の温床にもなっていたわけです。

 その反省から1990年代以降、政治改革や行政改革が断行されることになりました。一連の改革を経て、首相や官邸の権限が強化されることになります。つまりボトムアップ型からトップダウン型へと政策形成のあり方が大きく変わったわけですが、それによって派閥の政策形成の機能が弱体化した側面もあったのだろうと思います。

 ただ、そもそも自民党という政党は政策を軸に成り立ってきた政党なのかという根本的な疑問があります。結党当初は冷戦という状況もありましたし、社会党の政策的な対立軸となることが期待されていた面があったのですが、高度成長のなかで自民党はいわゆる包括政党化していきました。自民党を成長させ、その政権が長期政権化する源泉となったのは、利益の誘導です。イデオロギーを超えて高度成長の果実としての利益を分配して、その見返りとして支持を調達していきました。自民党は利益に媒介されたかたちで、政党政治を優位に展開していったわけです。

 言ってみれば、自民党はアメーバのように日本社会の中に基盤を広げていきました。ウルグアイでは草の根コミッティーで様々な政策の検討がなされているとご紹介いただきましたが、どうも日本はそうした側面が弱いですよね。結局、利益分配も高度成長が終わると難しくなっていきました。しかし日本の場合は、自民党が一度築いたネットワークを脅かすような野党は存在しなかった。そのルートが今も残っていて、惰性的にそれが続いてしまっているのが現状だろうと思います。地方のコミッティーから有権者の意見を草の根的に吸い上げる流れがあるウルグアイは、確かに理想的だと感じました。ただ利益配分にまつわる汚職などに有権者が反発することは、ラテンアメリカの政治でもあるのではないかと思います。

 

政党政治が機能不全に陥ったエルサルバドル

 馬場 ウルグアイの事例は例外中の例外で、あとの国はほぼすべてうまくいっていないですね(笑)。例えばエルサルバドルは、政党政治が機能不全に陥った国です。今ナジブ・ブケレという若い大統領が2期目を務めています。ブケレは憲法で禁止されている大統領の連続再選を、自身に近い判事を任命した最高裁による判断によって可能にするなど、権威主義的な傾向があるとされています。彼が頭角を表してきた背景にも、既存の政党政治に対する若い世代からの反発がありました。エルサルバドルは内戦の当事者同士の二大政党制でしたが、内戦を知らない若い世代のボリュームが増えてくると、政権が治安や雇用などの問題を改善する政策ができていないことに不満を募らせるようになり、そこに政治家の汚職問題が重なりました。

 自民党のようにアメーバー状に政策スタイルを変えることで課題に対処できれば良いのですが、それができなければ政治システム自体が行き詰まってしまいます。そうしたタイミングでブケレのような既存の政治を強く批難するリーダーが出てくると、一気に支持を集めるという現象がラテンアメリカでは見られます。

 けれども日本の場合は、比較的若い世代が現状の政策に不満があっても、それが政権与党への批判には向かわないという不思議な特徴がありますよね。前回の衆議院選挙でも若い世代は、自民党に投票した割合が高いことが報道されていました。若い人たちは雇用、経済、ジェンダー平等、子育てなどのイシューに関心がありますが、おそらく若い世代の意見にすべて合致する政党は今のところないわけです。ですから日本はそうした状況のなかで、ねじれのようなかたちで投票先が決まっていくことが起きている。世代ごとの関心や利害が変わってきているなかで、政党の側はどのように対応していくべきなのか。政党政治のシステムが今後うまくつながっていくためにも、ここはとても重要ではないかと見ているんです。

 大川 確かに、2012年の自民党の政権奪還以後は、若い世代はより自民党に投票する傾向があると言われてきました。ジェンダー平等などはどちらかと言えば、立憲民主党や共産党が強く主張しているのでイシューを重視するのであれば、それらの野党に投票するはずです。しかし、立憲や共産党投票者は高齢層が厚いという現実があって、若い層からの票は十分獲得できていません。

 それでは若い人たちはなぜ自民党に入れるのか。それは結局のところ、自民以外の政党はあまり知られていないという現実があるのだと思います。報道も基本的には与党を中心になされますからね。この9月の立憲民主党代表選挙では、現職の泉健太さんが再選出馬をめざしていますが、巷で彼の知名度がどのくらいあるのかと言えば、心もとないところがあります。そもそも野党の存在が知られていないのです。

 自民党は今日、選挙プロフェッショナル政党、すなわち選挙至上主義的な政党としての性格を強め、いかに選挙で票をとるかに常に力点を置いています。最近は特に憲法改正などを通して保守的な価値観を重視する姿勢を示してはいますが、選挙のときにそれを前面に押し出すのかと言えばそうではない。党内の議員の政策的志向も多様であって、景気の低迷がそのときの課題になっていれば、構造改革や財政規律を先送りしてでも経済や雇用を回復させる政策を優先させるというある意味では現実的な判断をしていて、それが功を奏しています。時代とともに政党のかたちを変えながら、それなりに有権者の要求に敏感であろうとはしてきたのでしょう。

 ただし、選挙至上主義的な性格はかつての民主党にも言えることです。民主党の場合はマニフェストを主導して有権者に耳触りの良い政策を打ち出しましたが、それを実行できなかったこともあり、その後の大きな失望につながりました。最終的には「政権担当能力を持った政党ではない」という評価につながっていきました。政党政治の充実を考えるなら、日ごろの政党と有権者とのつながりをもとにしたボトムアップ型の政策形成が理想的です。政党は多様な声を拾い上げ、それを踏まえて政策を打ち出す。

 ところが今は、選挙で政党の側がバーゲンセールのように政策を陳列して消費者である有権者をいかに惹きつけるか、といった発想になってしまっている。折々にトップダウンで政策が降りてきて有権者がそれを選ぶという構図は、政党政治の根っこを不安定なものとし、その持続可能性を毀損しているとも言えます。これは、今の自民党にも同じような側面を指摘することができます。政党は、様々な声を反映するかたちで政策を打ち出すべきですが、十分耳を傾けることができていない現状があるのではないかと最近考えています。

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