『公研』2021年9月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

日本政府はCO2排出量を2050年までにゼロにすることを宣言した。この目標は実現可能なのか?

なぜ世界各国が脱炭素に向けて突き進むのか? 「カーボンニュートラル」を徹底的に議論する。

本気でやるのですか?

山形 菅義偉首相は、昨年の所信表明演説で国内の温暖化ガスの排出量を2050年までに実質ゼロをめざすカーボンニュートラル宣言を表明しました。今日はエネルギーの専門家であるお二人に、私が素人の立場からカーボンニュートラルに関する疑問を投げ掛けていこうと思います。

 最初にお二人にお聞きしたいのは、「本当にできるの?」「そもそも本気でやるのですか?」ということです。エネルギーのことを知っている人に言わせると「ムリに決まっている」とか「よほど原子力をたくさん入れないと実現は不可能だ」という話をよく聞きます。一方で、環境派の人に聞くと、「やらなければならないのだ」と精神論が始まるわけです。

 この話はそもそも実現可能なのでしょうか。あるいは、完全なカーボンニュートラルは掛け声に過ぎなくて、2、3割程度の削減で決着するのが妥当なのか。現場感覚としての意見を聞かせていただければと思います。

大場 山形さんがおっしゃった通り、今は両論が二分されている状況です。今までの先進国のコンセンサスは、「2050年までに80%減」と言われていて、エネルギー業界ではこの数字がギリギリ実現可能のラインとされてきました。電力は極限まで再生可能エネルギーや原子力の割合を高めることで対応できても、鉄鋼業や材料系などの分野では完全な脱炭素は難しいところがあります。そうした分野のために20%の余地を残しておく発想から出てきた数字でした。けれども今回は、そこもゼロにしてしまうわけですから専門家からは不可能論が続出しました。

 完全なカーボンニュートラルに向けて、再生可能エネルギーからつくられる「グリーン水素」というアプローチもありますが、どうしても残る20%分の大半はCCS(Carbon dioxide Capture and Storage:二酸化炭素回収・貯留)を使って、CO2を回収して地中に埋め込むしかないという考え方が支配的になりつつあります。ただし、膨大な費用が掛かりますから、経済的にはとても採算が合いません。その課題を解決する手段としていま盛んに議論されているのが、カーボンプライシング(炭素価格付け)です。排出量1トン当たり150ドルなり200ドルなりの値段を設定して、製品の価格にそれを織り込むことができれば、CO2を地中に埋めても経済的にも採算がとれるという計算が一応は成り立つ。

 人類がCO2の排出に1万円や2万円といった価格を商品に織り込む経済設計を、全地球の経済圏でコンセンサスがとれれば、理論的には可能です。ですから不可能かどうかで言えば、計算上は可能というのが回答になります。

穴山 私はもともと東京電力に長く勤めていましたが、現在は電力会社を離れて大学にいますので、肌感覚としての現場感覚はすでに持ち合わせていないことを最初にお断りしておきます。

 2050年カーボンニュートラルについては、不確実な要素が大き過ぎるというのが率直な印象です。2015年のCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)で合意されたパリ協定で目標とされた「世界的な平均気温上昇を産業革命以前に比べて2より十分低く保つ」という2目標であれば、何とか頑張って皆で立ち向かえる可能性もあるだろうという印象がありました。

 ところがその後、2018年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)から「1・5特別報告書」が出てからは、1・5以内の上昇に抑えることを目標にする議論が増えてきました。

 IPCCはこの目標を実現するためのシナリをいくつか提示していますが、注目すべきはいずれのシナリオでも需要を大幅に削減できなければ、CCSやCCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage:二酸化炭素回収・有効利用・貯留)に負荷がかかる構図になっていることです。IPCCも最終的にはCCSで帳尻を合わせるシナリオを描いているわけです。

 あたかも最終的な解決の手段であるかのように頼りにされていますが、CCSは実際には多くの課題があります。大場さんのご指摘にあった経済性の問題をクリアしたとしても、地下に貯留する適地を相当数見つけることは実際には難しいと思います。技術的にもまだ完全に確立されたとは言えませんし、実務・実装ベースで実現するとなるといずれも課題が残っています。

 もちろん計算上はできますから、必ずしも不可能だと断言はできませんが、やはり不確実性が高すぎる。私は実際に2050年カーボンニュートラルを本気でめざすのであれば、世界的に需要をどこまで減らすことができるかが最大の鍵になると考えています。

CCSは実現可能な技術なのか

山形 僕は翻訳家を生業にしていますが、半分くらいは金融の人間なので、炭素であっても値段さえ付ければ何とかなるという発想をする人たちがいることは理解できます。ただし、どうしても危うさを感じますね。リスクは値段をつけて売り飛ばせばいいという発想がいきすぎて、リーマンショックのような金融危機が引き起こされた側面もあります。市場の原理だけで解決できるかどうかは、やはり未知数なところがあると思います。

 製品に炭素を地中に埋める費用を盛り込むことは価格上昇を意味しますから、需要を減らすことでもある。泣く泣く需要を減らすことでCO2削減が期待される側面もあるけど、社会活動を維持していくには、どうしても残る部分がある。お金をもらっても、息は止められませんからね。今のお話では帳尻を合わせるために、残る部分はCO2を地面に埋め込むと。

大場 それが今のシナリオです。必要になる炭素価格がどのくらいなのかという想定をマッキンゼーなどのコンサルティング会社が盛んにやっていて、バックキャスティング的に2030年や2050年の炭素価格を算出しています。彼らは「カーボンプライシングが導入されれば、高コストなCO2削減技術でもいずれは既存の技術より価格競争力を持つようになる」といった言い方をして、グリーン水素やCCSに期待を込めています。カーボンプライシングには需要削減の効果はもちろんありますが、必要になる理由はそれだけではないんです。

山形 つまりCCSの費用を捻出するほうがより重要であると。

大場 そうです。炭素価格は「市場に委ねるべきだ」と考える人もいれば、「政治的に値段を決めないとダメだ」と主張する人もいます。また、規制をかけることでCO2排出量の上限を極端に減らせば、「炭素価格は事実上CCSを行っても採算が合うラインまで上がるはずだ」という考え方をする人もいます。

山形 市場をつくってあとは任せておけばいいわけではないのですね。そう単純ではない。

穴山 炭素の排出を伴う事業を行っている企業は、金融からは「持続可能性についてリスクがある」と評価されるようになっています。ですから、自分自身がカーボンプライスを意識した事業活動を行うことが推奨されるし、利益減を許容してでも、あえて炭素削減に向けて取り組もうという企業も出ています。脱炭素への取り組みを、要素価格の一つとして捉える動きがすでに始まっているのだと思います。

山形 そうすると、きちんと価格が設定される仕組みができあがるのであれば、電力会社をはじめとした事業者はCCSをやってもそんなに困らないという話になるのでしょうか? それ以前の段階として、CCSは技術的にどこまで完成していましたか? たまに実証試験を行ったといったニュースを聞くこともありますが、実現可能な技術なのですか?

大場 私が知っている限りでは、純粋に商業的な施設として成り立っているCCSは存在しません。実験施設がほとんどですが、既存の天然ガス田で長期稼働しているものもあります。天然ガスを燃焼して排出されたCO2を回収して、天然ガスを掘った箇所の近くの別の地層に送り戻して埋めるプロジェクトは長く続けられています。技術的な実証は存在しているので、実際にCO2を埋められることは一応確認されています。

穴山 もうずいぶん前になりますが、私が電力会社にいた頃の印象では、CCSはまだ調査会社があるくらいの段階でした。もちろん経済性は見込めないし、将来性についても当時は必ずしも積極的な雰囲気ではなかったと記憶しています。最近では苫小牧で実証実績があると見聞きしていますが、すぐに実装して商業ベースに乗せられる状況ではないでしょう。費用の問題は依然として大きな課題になるでしょうし、最初にも言いましたが、安定してCO2を貯蔵し続けられる場所が日本中にどれだけの適地があるのかという問題もある。

大場 苫小牧市は、経産省との間で将来的に埋める場所としては利用しないという契約を交わしているので、実験以上のことはやらないことになっています。経産省としては、将来的にここを使わせてほしいという色気もおそらくあったのだと思います。しかし、建前上はやらない前提で受け入れたのですから、恒久的な施設にするのであれば「出ていけ」という話になりかねない。ここはいま揉めていますね。

山形 CCSを行うと将来的にまずいことが起きる可能性があるのですか?

大場 微弱な地震が起きる可能性は指摘されています。

穴山 地元としてもあまり歓迎される施設ではなさそうではありますね。CO2を溜め込むというイメージもあまりよくないので

CO2の有効利用は埋めるよりハードルが高い

山形 CCUSという方法も検討されていますね。これはどういうものなのですか?

大場 CCUSは、二酸化炭素から製品を作って売るという発想です。CO2を埋めずに、それを利用してプラスチックやコンクリートを製造して商品のなかにCO2を固定して、また売るわけです。

山形 先日コンクリートにCO2を混ぜるという記事を読んでいて、このぐらいじゃないと長いこと固定できないかもしれないな、と思っていたところでした。CCUSもまだ実験段階の技術なのですか?

大場紀章・エネルギーアナリスト

大場 そうですね。セメントの材料として炭酸カルシウムを分解する際にCO2が出るわけですが、それでコンクリートをつくるときに再びCO2を吹き込むので、コンクリートの質が変化します。本来アルカリ性のコンクリートが酸性に傾くため、鉄筋コンクリートでは鉄が錆びやすく問題があったり、劣化の懸念があります。CO2を戻す分コストがかさむ上に、使われる場所は限定されるのではないかと思います。

 また、CO2からプラスチックを作って売る場合、それが燃えるゴミとして燃やされることも想定しなければなりません。プラスチックの場合は、減らしたというカウントにならないかもしれません。

山形 厳密に考えればそういうことになりますね。これは厄介ですね。

大場 基本的には、CCUSは埋めるよりずっとたいへんだと私は見ています。こう考えていくと、こんなたいへんなことをなぜやらなければならないのかという話にもなってくる。

山形 まったくそうですね。

21世紀は「カーボンの世紀」

山形 脱炭素を進めても残ってしまうであろう2割をどうするのかを話題にしてきましたが、そもそも8割減らすこと自体かなりたいへんですよね。いま世界のCO2排出量は増え続けていますが、気温自体はそんなに上がっていませんから、いずれはCO2の排出量削減に一生懸命になること自体が見直されることもあり得るのではないか。これは甘い期待ですが、業界的にはそうした見方はほとんどないのでしょうか?

穴山 地球温暖化への危機意識は世界で共有されていますから、日本だけが「やめた」と言える状況ではないですね。この問題はもう長く議論されていますし、いろいろな思惑が絡みながらもここまで定着してきました。今さら元に戻ることはないような気がします。

 もちろん、たとえば中国とアメリカが戦争を始めて世界中の関心がそこに集中すれば、CO2どころの騒ぎではなくなるかもしれません。そうした歴史的な大事件が起きれば別ですが、このまま行けば、むしろ脱炭素を軸に外交も展開されるようになり、さらには各国の競争力を測る際にも脱炭素は重要な要素になる気がしています。20世紀が「石油の世紀」と呼ばれたのと同様に、21世紀は「カーボンの世紀」と言ってもいいのではないでしょうか。

山形 ヨーロッパ各国は温暖化をめぐる議論をリードしてきましたが、その一方でCO2の排出削減目標をつくっては、うやむやにすることを続けてきた気もします。そう考えると、カーボンニュートラルも本気でやろうとはしていなくて、掛け声に過ぎないのではないかとも勘繰るわけです。

 ヨーロッパがこの調子で推し進めると、アメリカも付いていくことが厳しいと感じるようになるのではないか。日本は環境先進国として先に行っているとも言われていましたが、最近ではむしろ遅れているとも指摘されていますよね。各地域を比較すると、この問題への関心の度合いや関与の仕方に差がある。

大場 国同士の戦いなのではないかという印象を持ってしまうのは大きな誤解だと私は思っています。ここは、ほとんどの日本人が未だに誤解しているところです。確かに国ごとに目標を持って、そこに向かっているように見えます。実際そういう側面はありますが、すでに京都議定書のときのように、国ごとの目標でギチギチ戦っているわけではありません。パリ協定以降は各国が自主目標を設定して、他国の目標値については基本的には文句を言わないというルールがあります。基本的には「お前のところがもっと減らせ」といった議論はCOPの場ではしないことになっています。

 もう一つ重要なことは、国ごとの目標は義務ではないことです。つまり達成しなくても何のペナルティーもない。ここもパリ協定で京都議定書から大きく変わった点です。各国は、自分の都合で「適当に」──と言うと語弊がありますが──決めた数値目標を国際社会で宣言して、それを実現できなくても「すみません」で済むんです。

山形 国家として達成すべき義務ではなくなったのに、脱炭素をめぐる動きは世界中でより加速しているように見えるのはなぜなのでしょうか?

民間側が国にCO2規制強化を求めている

大場 私の観点では、この分野で金融業界の存在がますます大きくなっていることが背景にあります。まず金融業界は、産業界に対して「炭素をより削減したほうがお金を付けますよ」と強く働き掛けるようになりました。まずはこれが先にあって、金融業界は次に「サプライチェーン全体でCO2を減らせ」と圧力を掛けるようになりました。私はこちらのほうがより重要だと考えています。取引先もCO2を減らしてくれないと、自分が減らしたことにはなりませんからね。

 そうなると、各国の産業界は「自分だけが減らしてもダメだと言われている」という理由から、政府に対して「国全体でCO2の排出を減らす政策を打ってくれ」と要求します。そして、国がそれを受け入れて規制をしたり財政出動をする。そういう順番になっています。

 昔は国同士で約束をして、国が電力業界や産業界に対して「これだけ減らせ」と命じるかたちで規制的に政策をやっていましたが、今は逆のことが起き始めています。民間側から政府にCO2の排出の規制や削減支援をお願いする圧力が強くなっているんです。そこが従来の温暖化政策の枠組み、考え方とはまったく違うところです。

山形 それは非常に意外に感じました。一般の人は、環境大臣がカッコつけるために無茶な約束をしてきて、業界がムリな圧力を掛けられていると受け止めていると思うんですが、そういうわけではない。

大場 そういう側面はまだ残っていますが、それ以外の要素がどんどん強くなっているのは確かです。

山形 金融業界からの圧力は、どういったかたちでなされるのでしょうか? 例えば、アクティビスト投資家、いわゆるモノ言う株主が株価引き下げに動くといった世界の話なのか、それとも他にも何か具体的な関与の仕方があるのですか。

大場 アクティビスト投資家、欧米系の金融機関、あとは年金ファンド等々が主体になって、「炭素削減に努力する企業でなければ投資や融資をしない」といったコミットメントをどんどん広げてきています。投資や融資を受けられなければ、産業界は商売ができなくなりますからね。金融側の意向は、考慮せざるを得ない。それで、特に西側のモノ作り産業や関連会社等が続々と脱炭素宣言をするようになりました。

 そのタイミングに注目するとわかるのですが、まずは金融業界が脱炭素宣言します。次に製造業が宣言をして、その次に政府が宣言をしている。各国どこも大体その順番です。なので、必ずしも政府から言われてやっているわけではないんです。

企業に情報公開を求める強い圧力

山形 こちらもかなり認識が違っていて、驚きました。穴山先生もそういう見方でいらっしゃるのでしょうか?

穴山 そうですね。私の実感としては、やはり先ほど申し上げたIPCCの1・5特別報告書への賛意が強まったあたりがターニングポイントだったと見ています。それ以降、金融業界が主導して脱炭素を求める動きが一気に強まりました。

 ただ、こうした流れはそれ以前からもあって、2000代初頭には企業活動の一環としてCO2排出量に関する情報開示は当然必要だという考え方が出てきました。企業や都市による環境への影響の開示を求めるNPO団体CDP(Carbon Disclosure Project)の活動が始まったのもこの時期でした。この活動の主な資金源になっていたのがWWF(World Wide Fund for Nature:世界自然保護基金)でした。要は世界全体を環境も含めて良くしていこうという活動をやっている複数の団体が資金源になって、企業に対する情報公開を求める活動を展開したわけです。

 当初からこの活動に賛同している企業もありましたが、それが増えてきたのは、やはり金融の世界がより積極的に関与してきたことが大きいのだと思います。つまり、企業の持続可能性を評価する上でも企業情報は重要な指標だから、それをきちんと計測して開示しなければならない。それが企業のリーダーシップの責務でもあると謳ったわけです。

 この動きはCDPが元になっていますが、それ以外についても民間で自主的に開示の基準が次々とできてきて、科学的なデータをきちんと示すことが求められるようになった。企業がそれらに賛同していることを示せば、少なくともその開示の項目については、「この部分での評価は何点をあげます」といった感じでそれを金融機関が評価するようになっていきました。工場のISO認証を皆が取ろうした動きと同じですよね。「これをとっておけば、まずは安心だ」ということで賛同する企業が増えていきました。

 コミットする以上は、排出量をどれだけ削減するのか具体的な数字によって評価されなければなりません。この削減対象は、次の三つの範囲に分かれています。①自らの事業活動の生産自体から排出するCO2。②電力や熱など自分が調達してきて使うCO2。③上流・下流を含めたサプライチェーン全体のCO2。つまり、上流から下流までの自社の事業活動に関わるところのすべてを評価するわけです。この評価に賛同している日本企業はかなり多いですよね。

大場 世界一です。いま穴山先生がおっしゃった三つの範囲のうち、普通の日本人は範囲①しか理解できていないと思うんです。つまり、排出ガスは排出したところに責任があると。これは従来の考え方です。けれども②、③になると、会社が使う電気をつくる電力会社が出す排ガス、自社に通勤している社員が乗っている車が出す排ガス、自分たちが売った車をお客さんが走ったときに出る排ガスもカウントします。つまり、自分たちが排出したわけではないCO2も含めて金融機関からチェックされます。「どこまで計算しなければならないんだ!」という感じですよね。

脱炭素を外交の道具に使う中国

穴山 それでも日本の経営者は、真面目に反応して動いている方が多いですね。大場さんからは、金融、企業サイドによる脱炭素へ向けた推進力の大きさをご指摘いただきましたが、政治的な側面も強いのだと私は考えています。脱炭素を政治的に利用しようという国もあって、それらの国の指導者の思惑も大きい要素になっている。例えば中国にしてもロシアにしても、内政の問題とCO2を外交手段として絡めて展開しています。中国ならアジアにおいて、環境分野でもどこまで自分の力を及ぼせるのかを考えています。今のワクチンもそうですが、外交の道具として使えるものは使おうという発想でしょう。

山形 中国が脱炭素を外交の道具に使うというのは、具体的にはどういうことなのでしょうか?

穴山 中国は、インフラ整備においても環境外交を展開しています。中国を中心とする地域経済圏構想の中で、資金援助を必要とする国々に融資してインフラ整備を進めています。いわゆる一帯一路ですが、インフラの建設にあたっては低炭素を意識した建材や施工法でなければ認めないと条件を付けることが可能です。「技術や資金は我々が供与するから、先端的なものを入れなさい」と。

 中国は、エネルギー面では再生可能エネルギーに強みがあります。自国内では実需的な生産能力をカバーするためにも石炭発電をしばらく続けていますが、ポートフォリオ的に低炭素・脱炭素を実現する発電手段も強化してカードとして持つというしたたかさがある。そこは戦略的に、脱炭素を一つのカードとして活かすのだと思います。

大場 中国は太陽光発電パネルの生産量は、世界の約7割を占めています。電気自動車も世界の生産量の半分以上は中国で、関連する部材も7、8割のシェアを持っています。世界中で脱炭素が進めば進むほど中国の商売としては助かります。

穴山 蓄電池やリチウムイオンを続ける限りは、資源を押さえる中国に有利に働きます。それで今リチウムイオンに代わる次世代の電池の開発を急ぐべきだという問題意識が持たれているわけです。レアアースもまさに中国の得意分野ですからね。

金融業界はなぜ温暖化問題に一生懸命なのか?

──金融業界、特にモノ言う株主たちがエネルギー産業に対しても大きな影響を持っていることがよくわかりました。しかし彼らはなぜここまで温暖化問題に一生懸命になるのでしょうか? 

大場 もちろん、純粋に地球環境に危機感を抱いている活動家もいれば、グリーンとつけば儲かると思っている人たちもいます。経済学者のジョセフ・スティグリッツはそうした倫理的なダブルスタンダードを「天に唾を吐いている」という言い方で喩えていました。おそらく彼らは自分たちが非人道的な投資で儲けすぎていることに後ろめたさを持っているので、罪滅ぼしのためにも少しでもいいことに投資したいという思いがあるのでしょう。そこにうまく付けこんでいると指摘する人もいますね。エシカル(Ethical:倫理的な)投資と言われたりもしている。

山形 全体の5%くらいそういう人がいるのはわかるのですが、産業の真ん中にまで入ってくるほどの強い影響力を持つようになったことには、ちょっと驚く面がありますね。

穴山 一概に議論することは難しいですが、エリック・ホッファー(アメリカの社会哲学者)が、大衆運動について語っていた箇所を思い出しました。皆なぜそうした運動に参加するのかと言えば、責任から逃れたいから参画するのだ、と語っていた書籍がありました。それに近い人が、幾ばくかはいるのではないかと思います。

 もう一つはやはり気候変動を脅威と感じている人が増えていることです。最近ドイツやアメリカでも今までにない熱波を記録したり、激しい豪雨や洪水が発生したりしています。こうした事象と地球温暖化の科学的な因果関係はさておいても、これらが連動していると人々が感じてしまうのも自然なことだろうと思います。

 他方で、やはりBCP(Business Contingency Plan:緊急時対応計画)的に考えれば、気候変動に対応するために何らかのアクションをとることは社会的な責務の一つであるという考え方もわからなくはない。

 それ以上に、中長期的に見て気候変動がもたらすリスクを前提にして、各国の規制や制度が整備されるようになっています。今はそうした文脈で世の中が動いているので、企業もそのリスクに対して何らかのアクションを起こすことは当然だと見なされます。さらに言えば、「ある日突然規制が強まったり禁止項目が増えたりするリスクへの対応を考えていない企業は、経営が危ない」という考え方が浸透しつつあります。

 金融業界からすれば、リスク評価もできていない経営者に投資や融資をするのは危険だと判断するのは合理的です。企業にとってはたいへんですが、国の規制や制度の変更もリスクと考えて備えることが求められるようになっているわけです。

電力自由化によって曖昧になった責任の所在

山形浩生・翻訳家

山形 今までは脱炭素の問題と言えば、電力業界のエネルギーミックスの構成割合を考えることが主なテーマでした。「原子力をもっと動かすべきだ」とか「再生可能エネルギーに期待する」とか。けれども世界の今の枠組みで考えると、ベストミックスの議論はおまけのようにも思えてくる。そういう理解でいいのでしょうか? それともそれはまた別の問題で、重要性は変わらないとお考えでしょうか?

穴山 今の問い掛けを考えるには、近年の電力業界の変化を踏まえる必要があります。かつての電力業界、つまり旧一般電気事業者が中心であった時代といま現在とでは市場構造がだいぶ異なっています。昔であれば、エネルギー基本計画の「長期エネルギー需給見通し」に記載されたエネルギーミックスについては、電気事業者が責任を持ってその完遂をめざしてきました。

 けれども、今はその目標の達成に向けて、一体誰がどのような役割を果たすべきかを担保する保証がないわけです。そもそも責任感を持って、そこまで考えている人がどれだけいるのか。それは自由化の結果でもあります。もちろんいま原子力を抱えている事業者たちは、再稼働の速やかで円滑な実現に向けて尽力しています。必要なリプレースについても最重要課題として考えています。けれども、それ以外の人たちは、原子力について真剣に考えているわけではないのが実態だと思います。

大場 私も同意見です。2050年のカーボンニュートラルや2030年46%削減といった目標については、既存のエネルギー政策に詳しい方であればあるほど、「現実的ではない。けしからん」と怒っていますが、必ず達成しようと必死になる主体がすでに存在していません。

 かつてならガチガチの規制産業である電力会社は、国が掲げた目標に向けて努力する緊張感がありました。けれども電力自由化によって、国が掲げた発電比率に責任を持つ強い理由が存在しなくなってきています。数値目標を達成できなくとも恥をかくのは、ある意味では経産省であって、電気事業者には義務がない。なので、過去のエネルギーミックスの議論とは質的に異なっていて、必達目標に見える数字も実際には経産省自身が言っているように、「野心的でめざすべきもの」でしかない。

穴山 確かに2030年の目標についても「需給両面における様々な課題の克服を野心的に想定した場合にどのような見通しになるかを示すもの」としか書いていませんね。そういう意味では、「現実的ではない。具体的にはどうすべきなのか」と批難しても、事務局としては「野心的に取り組んでください。それ以上のことを言われても困ります」ということになる。

原子力の維持は旧一般電力の矜持に依存するしかない?

大場 原子力についても同じことが言えますね。エネルギーミックスには数字が掲げられていますが、具体的にどうするのかについては誰も言及しない。ここもやはり野心的でめざすべき目標という感じになっている。

穴山 まったくその通りです。仮に自動車が100%EV(電気自動車)になったとしても、使われる電気が炭素を排出していては脱炭素にはなりません。日本のCO2の約4割を発電所が排出していますから、電力をいかに低炭素・脱炭素にするのかは国の問題として極めて大きいわけです。今後は運輸を含めてほとんどあらゆる分野で電化にシフトしていかなければ、カーボンニュートラルの実現が難しいことは間違いないでしょう。

 そうするとやはり、原子力発電に頼らざるを得ないんです。再稼働を早急に進めて、リプレースが必要なものは検討し、長期間の運転をどう実現するかについても道筋を付けなければならない。日本が本気で脱炭素をめざすのであれば、絶対に避けては通れない問題です。ただし、今回のエネルギー基本計画もそうですが、やはり選挙のことを考えて大概はっきりとは書かずに先送りされてしまう。

 河野太郎・規制改革相のように「再生可能エネルギー等に関する規制等の総点検タスクフォース」を組織して脱原発を探る動きもあります。原子力に対してはどうしても好き嫌いが大きく分かれてくるので、進展しないために困っているのが実態で、本当に悩ましい問題です。有識者は皆口を揃えて言いますが、産業界が競争力を保ち、脱炭素をめざすには原子力を抜きにして語れないことは、強調しておきたいです。

大場 政治的な思惑で、原発についてきちんとした言及がなされない現実に対して、我々はどう考えればいいのか悩ましい問題ですね。業界や専門家は時の政権がバシッと言ってくれればいいと期待しているのだと思いますが、現政権は河野大臣や小泉環境相を重用している。国民的な人気もありますから、彼らの意見は強い影響力を持っている。また、昨年の東京電力、柏崎刈羽原発での不祥事は大きな痛手となっていますよね。あれがなかったら、状況はもう少し変わっていたかもしれない。そうした不運な事件も重なってうまくいっていない。

 一方で関西電力は、政府が新設リプレースを宣言する前に中期経営計画に文言を入れているんですよね。つまり、政府が言わないのなら自分でやるのだという、ある種の宣言だったと思います。政府は別につくってはいけないとは言っていませんからね。政治がリーダーシップを示していないだけなので、民間主導で推し進める部分はそうせざるを得ないところがある。そうすると原子力の維持は、旧一般電力の矜持に依存するしかない。

穴山 昔であれば、そうした意思表明一つにしても業界が勝手にできるわけもなく、行政や政治を意識しつつ、タイミングを計って発表する阿吽の呼吸がありました。選挙前の発言はやはり難しかった。

 けれども、今のように政府が何もしてくれないのであれば、電力会社側が積極的に意思を示してもかまわないだろうと思います。関西電力をはじめとする各原子力事業者にとって震災事故後の原子力についての対外的な主張は難しい状況にありましたが、そろそろ転機なのかもしれません。

山形 今のお話しを聞いていて思ったのですが、何となく我々一般人のイメージからすると、電力会社は発電所をたくさん持っているから、これからかなり厳しいCO2削減に取り組まなければならなくなって、「たいへんだろうな、可哀そうだな」と思っていました。けれども、自由化された今は、CCSやCCUSについても、別に既存の電力会社が主体になって行う必要はないと考えることもできますね。ひたすら補助金や何やらをもらい続けて、CCSだけをやる事業者が出てくる状況もあり得るのかもしれません。

大場 少なくとも強制ではないですね。

穴山 そうです。

国民負担の増加は避けられない

山形 CO2排出量を減らすのに再エネや原子力の割合を高めるのはわかりますが、他にはどんな手段がありますかね。

穴山 課税や規制によって脱炭素の方向に誘導することも可能だと思います。今でも石油・石炭税や環境税のミニタイプのような様々な種類の税や負担が課されています。それらに加えて、さらに新たなカーボンプライシングを乗せるのかあるいは整理統合して、然るべき課税をするとすれば、ある程度は効くでしょう。

 ただし、電力会社のように装置型産業の場合は、仮にそこに炭素税が課せられたとしても効果は限定的だと思います。すでに設備の減価償却が進んでいる設備であれば、新たに課せられる負担を加味してもなお施設を稼働させたほうがいいと判断するかもしれない。そうなると、そんな急に減ることはないのかもしれません。

 それから供給構造高度化法や省エネ法といった規制的措置があって、例えば「非化石燃料の比率を何%にしなさい」ということを発電事業者ではなくて小売事業者に課していたりもします。テクニカルに見れば、これがどこまで効くかどうかは議論がありますが、そうした方法もある。

 どの方法をとるにしても、固定価格買い取り制度のときと同じように国民負担がかなり増えることになります。今回はそれ以上になる可能性がある。それでも環境省は「やる」と言うかもしれませんが、経産省は責任ある立場としてさすがに慎重になると思います。エネルギー基本計画についても、安定供給に支障が出ることのないよう施策の強度や実施のタイミングは十分に考慮する必要があると釘を刺しています。「石炭火力はすぐに全廃せよ」のような極端なことは言っているわけではありません。

グリーン成長戦略は絵空事ばかり?

山形 最終的には国民負担が増えることは避けられそうもないと。産業界の脱炭素への意識には濃淡があるでしょうね。面倒臭さが先行してしまうところもあるだろうし、積極的になる企業も出てくる。

穴山 産業界とひと口に言っても、分野によってかなり違いますね。たとえば鉄鋼や化学などの分野は現実的にはかなり厳しいところがありますよね。水素を利用した技術を使って製鉄ができるのか、あるいは電炉に変えて十分な品質を保つことができるのか、それで採算は合うのか。どれをとっても難しいでしょう。それでも製鉄業界は、今の世界の動きを踏まえて脱炭素社会を実現するためにできる限りの可能性を探るのだと思います。それが技術的に本当にできるようになっても、日本の鉄鋼が産業として残るかどうかは別問題です。ですから、本気でそれをやるのかと積極的な意味を見出せないと考えているのが、本音ではないでしょうか。

 他方で、より消費者に近い流通小売系などの業界は前向きになり得ます。スーパーマーケットのように消費者に接しているところは、環境保全やSDGs(持続可能な開発目標)を意識した経営にしっかりと根を張っている企業であることを顧客に向けて宣言しています。流通・小売り業界は、それこそ生産過程や流通など上流・下流の動向まで含めて消費者が関心を持ちますから、そういう産業は積極的にやるのだと思います。

 それから、脱炭素を一生懸命やっても実害が少ないと思える業界も前向きな印象ですね。一連の活動に賛同している企業の一覧を見ると、金融、小売、それから建設業界も多いです。建設業界は、環境配慮型の建材の使用やCO2排出量の少ない建築方法の確立、断熱性や気密性を高めることでエネルギー消費を減らすなど、新たなビジネスのチャンスにもなるでしょう。

大場 CO2を大量に排出している事業者は、基本的には金融業界からの圧力を受けて脱炭素をやらざるを得なくなっているだけで、別にそれ自体を歓迎しているわけではないですよね。政府による財政支援はウエルカムでしょうが……。製鉄業界であれば水素製鉄に関する実証事業の補助金が付くことは歓迎するでしょうが、積極的にやりたいわけではない。

穴山 国が補助金などで、企業の脱炭素への取り組みを財政的に支援した結果として、低炭素化に繋がるのであればそれを成果と見ることもできます。けれどもそれは、炭素のネガティブな価値を緩和できる意味合いにしかなりません。経済成長につなげるのであれば、新たな需要を産まなければなりません。

 経産省もこの辺を意識して「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を打ち出していて、ここには14分野が明記されています。これらが果たして新しい事業を創出するかどうかが問われることになりますが、過去の成長戦略を思い出せばすぐにわかりますが、そう簡単にいくとは限りません。固定価格買い取り制度が導入されるときも、「太陽光のパネルを増やすことで雇用も増えます」と最初は謳っていました。

山形 確かに聞きました。

穴山 2008、9年頃の麻生首相から鳩山首相へと政権交代があった頃の話です。当時は日本のメーカーがいくつか残っていましたが、どう考えたってコストの安い中国製などの太陽光パネルに太刀打ちできるわけがない。そんなに複雑なものでもないので、安いほうにシフトするのは目に見えていました。しかし当時は、中国製パネルは意識の片隅にもないような主張が多かったのです。

 政府が掲げる産業政策は、「獲らぬ狸の皮算用」的なものが多いように思えます。確立された環境技術をショーケースにしてアジア諸国に展開していくとも書いていますが、はたして本当にアジア諸国で商売として成り立つのかと言えば、心許ない。

 日本はただでさえ少子高齢化が進展するなかで、財政を悪化させています。インフラも老朽化していますから、国の予算を使う場合は現実的に検討すべきです。絵空事ばかりをならべて財政を悪化させるのは、次世代に向けて責任のある態度とは言えませんよね。

2030年代にはガソリン車が売れなくなる

大場 私からはもう一つ重要だと思っている自動車についても触れておきます。2050年カーボンニュートラルは、2030年代にはガソリン車が売れなくなることを意味しています。35年に売った車は、10年以上寿命がありますから50年ぐらいまで走ることになる。発電所であればCO2排出量の多い石炭火力であっても2050年までに停止すれば、ギリギリまで稼働できる。理論上は今後30年間「2050年になったらCCSをフル稼働させる」と言い続けることも成り立ちます。同じことは、鉄鋼業界などでも言えます。

 けれども、車は民間の消費財なので30年代に販売したものを「2050年より先は使用できません」とは言えないでしょう。なので、自動車メーカーはかなり早い段階でガソリン車の販売を停止しないと、2050年に排出ゼロにはできない。発電事業者は50年までに粛々と計画を立てればいいのですが、自動車業界はそういうわけにはいきません。向こう10年の間に、100%電気自動車に切り替えて販売しなければいけないというロジックになる。実際イギリスは昨年、2030年にガソリン車の販売を禁止すると宣言しました。先進国は概ね30年から40年の間にガソリン車の販売禁止を決めています。

山形 自動車業界は、カーボンニュートラルに対応するための期間が他の産業より短い。

大場 そうなんです。私の観点では、ガソリン車の販売停止に追い込もうとする背景にはヨーロッパ諸国の思惑があると見ています。脱炭素を宣言したヨーロッパ諸国を順番に見ていくと、まずはEUから離脱する直前のイギリスが最初で、すぐにフランスが続きます。その半年後にはドイツが宣言して、そこからバタバタとEU諸国が賛成することになります。自動車産業が斜陽になったイギリスやフランスは、かつての基幹産業を放棄する覚悟ができているわけです。2017年の段階で2040年ガソリン車販売禁止を訴えたのも、その2カ国でした。

 もう一つの背景は、北海油田の生産量の減少があります。北海油田が発見されたことで、80年代のヨーロッパ域内の石油生産量はかなり増えましたが、2000代以降どんどん減っていきました。中東は「アラブの春」で混乱に陥り、ロシアとの関係もさらに悪化しています。こういう状況では、エネルギー安全保障上から考えても石油頼みの運輸を継続することは危ないと判断したのでしょう。

 そして、ドイツは2016年のフォルクスワーゲンのディーゼル不正で、ガソリン車よりもCO2排出量の少ないディーゼル車で環境対応をするという戦略が崩れてしまいました。その結果、3カ国でもうEVでいくしかないというコンセンサスが偶然にできたことが、ヨーロッパ諸国が次々と2050年脱炭素を宣言できた条件だったと思っています。

 彼らが次に打った戦略は、ガソリン車の販売禁止を世界中に強制することです。世界中が2050年の脱炭素を宣言すれば、自動的に2030年代までにガソリン車販売禁止を世界中に強制することができるので、同じルールで戦えるようになる。

山形 その場合、英独仏は、今の中国に対してEVで勝ち目があると思っているとも聞こえるのですが

大場 勝ち目はないので、国境炭素調整によって中国から輸入するEVに関しては高課税をかけることで、自国からは排除するアイデアでいけると考えているのではないか。最初の思いつきとしては、そうした戦略だったのだろうと思います。それがうまくいくかどうかはまた別問題ですが……

穴山 欧州諸国は、自分たちが規制や定義のイニシアチブをとることに長けていますよね。ここは、規格・標準化をめぐる争いに結びつきますから、グローバルな争いの一つになってくると思います。

山形 今のご説明でいろいろな要素や各国の思惑が繋がった気がしました。ここはとても面白いところですね。

大場 穿った見方をすれば、京都議定書は日本から排出権クレジットで金をふんだくる仕組みとも言える側面がありました。今の脱炭素は欧州の脱石油政策における中国対策と言える側面があります。日本もターゲットにされていますが、どちらかと言えば中国を中心として、日中の自動車産業のEUへの過度な進出を防ぐことが重要なポイントになっています。

 同様の動きとして、電気自動車の超高速充電規格は、日本と中国が共同で作った規格が世界標準になる勢いがありましたが、それをヨーロッパとアメリカが外しにかかっています。EVを充電するステーションは、今まではほとんど日本の方式のものも併設される形で世界中に建っていますが、今後はそれを建設しない方針を打ち立てている国が欧米で最近増えています。

ポイントは水素

山形 2050年にはどうなっているのでしょうね? 30年後の話ですから予想でしかありませんが、最後に見通しを語っていこうと思います。僕はなんだかんだ言いつつ、結局はどこかの時点でカーボンニュートラルの実現を諦める局面がやってくると見ています。産業界が「ムリだ!」と言い出して、目標が先送りされるか、違うものにすげ替えられて現状とあまり変わらない状態になるのではないか。IPCCの1・5目標が到達できる限界だろうと判断を改めて削減目標をグーンと下げるのではないか。

穴山 マット・リドレーの著書によれば、スタンフォード大学未来研究所の所長を務めたロイ・アマラにちなんだ「法則」として、「人は新しいテクノロジーの影響を短期的には過大評価して、長期的には過小評価する」傾向があるそうです。AI(人工知能)などの例が挙げられていましたが、同じことはエネルギー分野でも言えるのかもしれません。

 2018年7月に公表された第5次エネルギー基本計画のときは、「水素社会の到来」が高らかに謳われました。予算が付いた関係者は大喜びでしたが、当事者によくよく話を聞くと、「お金がつくのは嬉しいけど、本当に実現するとは思えない」と言う人も多かった。

 ところがその後になって、グローバルに水素に本気で取り組む動きも見られてきた。日本はかなり早いタイミングで水素に注目していましたから、見込みとしては意外と適正な評価をしていたわけです。水素は、むこう10年ぐらいは「やはり難しいのではないか」と言われ続けるでしょうが、私は2050年ぐらいには水素が意外に広く使われている気もするんです。もちろん根拠のある話ではありませんが、未来を大胆に予測すると水素は一つのキーワードになると思います。そういう意味では、いま供給サイドで出ているアイデアは、いくつかはダメになるでしょうし、いくつかは芽が開くものもある。私は、完全にゼロまではいかないにしても、2050年にはやはり低炭素・脱炭素の方向に進んでいることは間違いないと考えています。

 ただし、供給側・需要側の両面で削減を徹底しなければ、到底実現できるものではない。社会のすべての層が意識して協力しなければなりませんが、現状では本気で対応を検討し始めたのは一部の大手企業に限られています。例えば、運送業界では大手のヤマト運輸は車両をEV化するなど脱炭素に向けていろいろな取り組みができても、9割以上を占める中小の運送事業者がすぐに対応することは難しい。小泉進次郎環境大臣は、一般家庭も含めてすべての新築に太陽光パネルを設置すべきだと言っていますが、そのための100万円から200万もの費用をどのように負担するのか。結局ここがポイントになりますよね。

 需要側もどこまで劇的に削減できるのか。もう自動車の個人保有はやめて、カーシェアリングをとことん進めるというアイデアはよく聞きますよね。将来的には、それは自動運転で呼べばすぐにやってくるタクシーのような車がいたるところに走っているとか。さらには、空飛ぶタクシーが一般化することで、道路をそんなに必要としなくなるといったSF的な将来を描く方もいます。そうしたアイデアが実現するほどのイノベーションが実現しなければ、カーボンニュートラルを実現することは難しいでしょうね。

脱炭素をめぐる国家間対立が第3次世界大戦の引き金に!?

大場 私はどちらかと言えば、山形さんの見立てに近くて、おそらく2040年ぐらいになって、「ちょっとムリなのではないか」と思い始めて、いろいろ理由をつけて軌道修正するのではないかなと思っています。

 折角の機会なので、一つぶっ飛んだ2050年の姿を紹介しようと思います。昨年末のニューヨーク・タイムズの「ロシアが気候変動危機で勝つ方法」という記事で紹介されていたのですが、ある研究によれば、歴史的にGDPの最も高いエリアは平均気温が13度くらいの地域に集中し、それより高くなると大幅に減少するそうです。その実証研究をあてはめると、温暖化によって気温が上昇すると経済的に豊かなエリアがどんどん北上し、今豊かなエリアは暖かくなり過ぎて没落します。そうすると、カナダ、ロシア、北欧諸国が経済的に最も得をするのではないかと。

 アメリカは、カナダを属国的に見ているところがありますから、自分たちより穀物の生産力が高くなったり、人が移住したりすることで、カナダのほうが有利になることは許しがたいわけです。もちろんロシアが台頭することを歓迎するわけはありません。プーチンは「温暖化すると耕作地が増えるからロシアにとって有利だ」とよく言っています。「土壌に栄養が足りないから見込み通りにはいかない」との批判もありますが、長い目で見れば耕作地は増えていくという研究もあります。

 いずれにせよ温暖化は、世界の覇権を北上させることに繋がり得るので、それを防ぐためにも絶対に温度を上げてはならないのだと。国家の威信をかけた戦いが、脱炭素をめぐって始まっていると思わせる記事でした。政権の中枢が本気でそんなことを考えているかどうかはわかりませんが、なんとなく怖いですよね。

山形 それはすごい話ですね。脱炭素をめぐる動きは、覇権争いにまで関係していると。

大場 私が一番心配しているのは、脱炭素を端緒にした国家間の争いが激化することです。いまアメリカでは気候変動を理由にした通商政策がバンバン出ています。民主党が上院に提出したものは、3・5兆ドルものインフラ投資の政策パッケージになっていて、そこに付帯するかたちで国境炭素税を導入するという提案が入っています。

 これがとても危険な内容で、アメリカの胸先三寸で、国ごとに好きなだけ炭素税をかけられる。中国は1トンあたりいくらみたいな感じですね。WTO(世界貿易機関)違反になることは間違いありませんが、ゴリ押しで通してしまう可能性がある。そうすると経済戦争に突入するとも懸念されていて、事態が悪化すれば第3次世界大戦の引き金にもなりかねないと指摘する人もいます。バイデン大統領自身は、これが選挙公約だったのにも関わらず慎重姿勢なのですが、民主党内の勢力関係は、五分五分の状況になっています。カマラ・ハリスの一票で通るのではないか、とまことしやかに言われたりもしています。

石炭火力が生き延びる道

──CO2排出量の多い石炭火力発電は今後厳しくなるのでしょうか? 発電効率を改善させていった日本の取り組みは地道ではありますが、真っ当な発想だとも思えます。現在でも世界中で使用されているわけですから、最先端の石炭火力発電を普及させることで全体のCO2排出量の削減に貢献することは現実的な方法にも思えるのですが

穴山 石炭の高効率化を進めてきた歴史は、高温に耐え得る材質を開発するところに特徴があったわけで、ある意味ではイノベーションの連続でまさに日本の技術力の現れだったわけです。今でも石炭を必要とする国や地域は、やはりあって、IEA(国際エネルギー機関)の将来見通し等でも、石炭の割合はゼロではありません。ゼロではない以上はどこかでは使うわけですから、どうせ使うなら高効率で使うほうが望ましいと考えるのは一般論としては言えます。

 他方で、石炭に頼っている国は高いお金を払って高効率の発電所を導入しようとは考えないのが実情です。私が電力会社にいた頃によく聞いたのは、アジア諸国に進出しようにも値段を伝えると「高すぎる。話にならん」ということになるわけです。彼らが欲しいのは電気であって、よりよく石炭を利用して発電するとか、環境への負荷を減らすといった要素は二の次であったと。やはり、受け入れ側が何を求めているのかを理解しなければ、世界で売っていくことはむずかしい。カーボンプライシングがグローバルレベルで同等にかかれば、性能の高い石炭火力発電を使ってもらえる可能性が出てくるかもしれませんが、それがなければ使われることは少ない気はします。

 ただし、やはり日本が誇る技術であるし良いものであることは間違いないですから、国も業界の立場としてもお勧めしたいという立場でいることは一貫しています。ただし、受け入れ国側の経済的な事情を考えると難しいだろうなと思うのが個人的な所感ですね。

大場 石炭火力を海外で展開するとなると、融資の問題がネックになってかなりハードルが高いですから、今はもう事実上不可能な状態になってしまっています。一方で日本の石炭火力については、JERAや電源開発がアンモニア混焼という新しい方式を検討しています。この発電方法は戦略的によく考えられた案だと思います。

 つまり、「将来的には100%アンモニアを使う」と言っておけばギリギリまで石炭火力を温存できる。例えば、2040年までは何割かの割合で混焼で炊いておいて、2050年から100%にするわけです。選択肢を残しておける技術ですから、石炭火力の設備を温存しておくためには有効な手段だと思います。それを横目で見た石炭を使っている国々が関心を持てば、同様のアプローチをとる可能性もあります。そうなれば、日本が貢献できる余地が出てくるかもしれません。 (終)

穴山悌三・長野県立大学グローバルマネジメント学部教授
あなやま ていぞう:1963年生まれ。東京大学経済学部卒業後、東京電力に入社。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。経済学博士(東洋大学)。東京電力企画部、電気事業連合会企画部、学習院大学特別客員教授等を経て、2019年より現職。専攻は公益事業論、産業組織論。著書に『電力産業の経済学』など。
大場紀章・エネルギーアナリスト、ポスト石油戦略研究所代表
おおば のりあき:1979年生まれ。京都大学理学研究科修士課程修了。民間シンクタンク勤務を歴て現職。株式会社JDSCフェロー。専門は、化石燃料供給、エネルギー安全保障、次世代自動車技術。著書に『シェール革命─経済動向から開発・生産・石油化学』(共著、エヌ・ティー・エス)など。
山形浩生・翻訳家
やまがた ひろお:1964年生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程、マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。科学、文化、経済など幅広い分野で翻訳・執筆活動を行っている。著書に『経済のトリセツ』、訳書に『21世紀の資本(トマ・ピケティ)』『貧乏人の経済学(バナジー&デュフロ)』など多数。
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