なぜバイデン政権はイスラエルを止められないのか?

 立山 バイデン政権のイスラエル抑制方針の影響は極めて限られたものとなっています。かつて、2014年のガザとイスラエルの軍事衝突の際には、オバマ大統領がネタニヤフ首相に、停戦するように電話で相当強く求めたところ、イスラエルが軍事行動を1カ月で停止させたという話があります。アメリカの抑制圧力がきちんと働いていたのです。一方、今回の戦争においてバイデン政権は、ブリンケン国務長官やサリバン大統領補佐官をたびたびイスラエルに派遣して休戦を求めるなど、様々なチャネルを通じてイスラエルに圧力をかけていますが、イスラエル側はそれを一蹴しています。

 この要因の一つに、武器提供の停止がほとんど実行されなかったことが考えられます。今年3月、アメリカは「イスラエルがガザ南部ラファへの全面侵攻を命じるのなら武器の提供を停止する」と警告を出します。加えて、今年2月に出された国家安全保障覚書(NSM20)は「アメリカが提供した武器を国際人道法に違反して使った場合、武器の提供を停止する」と規定しています。しかし、結果的に、アメリカ国務省が作成した報告書では、「国際人道法に違反している状況は否定できないが、明確な証拠はない」とし、武器の提供を続けることになります。実行に移せたものは、大型爆弾提供の一時停止のみです。

 このようなアメリカの対応から二つの疑問が生じます。一つは、なぜバイデン政権のイスラエルへの影響力は、極めて限定的となったのか。二つ目は、なぜバイデン政権が最も影響力を行使できる武器の輸出提供というツールを使わなかったのかです。

 この背景にはアメリカ議会の動きが大きく影響しているのでしょう。共和党のほとんどの議員は、どのような状況でもイスラエルへの武器提供を止めないという考えを持っています。そのため、多数の民主党議員が反対をしても、一部の民主党議員が共和党議員に同調すれば議会の過半数を制することが可能なのです。したがって、どうしても行政府の影響力が弱まってしまうということです。

 小野沢 そうですね。世論調査に現れる以上に、議会ではイスラエルを支持する声が強く出ています。ここには、いわゆる「イスラエルロビー」の影響もあると推測されます。「イスラエルロビー」が持つ議員への影響力は、行政府に対する影響力より大きいと考えられています。実際に、親イスラエル団体は、反イスラエル的な立場をとった議員に対して、資金提供を拒み、落選させるような運動を展開することがありました。特にアメリカの下院は2年ごとに全員が改選されるため、現職議員としては任期中に反イスラエルのレッテルを貼られることが相当怖いわけです。

 しかしながら、いくら「イスラエルロビー」の影響力が議会で強くとも、行政府には対外政策を遂行する裁量権があります。それにもかかわらず、バイデン政権が裁量権をフルに活用して、民間人への攻撃を阻止し、人道援助の迅速な提供を促すための十分な圧力をかけているかというと、そうは言えません。

 

ガザ紛争の地域的拡大防止は成功?

 小野沢 バイデン政権の停戦に向けた影響力は限定的でしたが、中東地域への紛争拡大(エスカレーション)を抑制するという点では、これまでのところアメリカからの圧力が一定の効果をあげていると思われます。アメリカは、ガザ以外へ戦争を拡大せぬよう、イスラエルに自制を求め続けています。例えば、ヒズボラへの攻撃などを見ると、ネタニヤフ政権としても紛争の拡大を抑制するという点では、アメリカの意に大きく反するような行動はとっていません。バイデン政権がガザ戦争への対応で最も重視しているのは、戦争の地域的拡大を阻止することなのかもしれません。

 立山 アメリカはハマスの襲撃が始まった直後、東地中海に空母を2隻送り、親イラン組織がイスラエルでの戦争に加わらないように抑止力を発揮しました。アメリカがネタニヤフ政権に紛争の拡大阻止を働きかけたことは間違いありません。

 他方で、中東の各国や他のアクターは誰も紛争の拡大を望んでいないのも事実です。ヒズボラ書記長のハサン・ナスルッラーは、「ガザ戦争が停戦すれば、我々もイスラエルへの攻撃を止める」と繰り返し述べています。イランも攻撃を止める理由を探していると言えますよね。

 ヒズボラが紛争の拡大を避ける背景には、悪化の一途を辿るレバノンの経済問題があります。仮にイスラエルと全面対立に陥るのなら、レバノン経済が大きな打撃を受けることは目に見えているからです。同様のことはイランにも言えます。今年の4月1日、イスラエルがダマスカスのイラン大使館に攻撃をしかけましたが、イランはイスラエルへの報復攻撃を実行する前に何度も警告を出していました。イランはイスラエルとの正面衝突を望んでいないのです。

 小野沢 そうですね。事前にイランの革命防衛隊からアメリカへ、報復攻撃に関する情報提供があったとも言われています。

 他方で、イスラエル側には、イランとの対立を自国の利益のために利用したいという意図があった可能性もあるのではないでしょうか。結果的に、イランが報復を行ったことによって、アメリカからイスラエルへの軍事援助が促進されたという側面がありますよね。

 立山 そういう面もあるかもしれませんが、イスラエルも相当苦しい状況に置かれていますし、イランと対立する余力は残っていないのではないでしょうか。イスラエルは、対ハマスに限らず、ヒズボラやイエメンのフーシ派などと、多正面的な戦争に直面しています。イスラエル軍の発表によると、10月7日以降の戦死者は600人以上、負傷者は4000人以上と言われています。イスラエルのガラント国防大臣は兵士不足を国会で訴え、7月中旬には男性兵士の徴兵期間を4カ月間延長しました。こうした逼迫する状況の中で、イスラエルがヒズボラとの対立の激化を望んでいるとは、到底思えません。

 

 現在の中東は「小ナセルの乱立状態」

 立山 以上のように、ガザ戦争は中東全域に決して小さくない影響を及ぼしているわけですが、改めてこの複雑に絡み合う現在の中東情勢を小野沢先生はどう捉えていますでしょうか?

 小野沢 アメリカでも日本でもそうなのですが、現在の中東の国際関係を俯瞰するときに、イランを中心とする「抵抗の枢軸」vs親米諸国を中心とする穏健派諸国という、二項対立的な説明がしばしばなされます。しかし、現在の中東はこのような二項対立で整理できるほど単純な構図で動いているわけではありません。むしろこのような二項対立では整理しきれないところにこそ、現在の中東を理解するための重要なカギがあると考えています。

 現在、中東のほとんどの国は、特定の域外大国に依存したり、あるいは域内諸国の固定的なブロックで動いたりするのではなく、自国の利益を最大化するために自律的かつ柔軟に動く傾向を強めています。多極的な域内環境で国益を追求する中東諸国は、グローバルな多極構造も最大限に利用しようとしています。いわば、多極構造の入れ子構造の中で、中東諸国が域内・域外で柔軟に合従連衡を繰り広げているというのが、現在の中東の状況だと理解しています。

 私はこの中東諸国の状況を、「小ナセルの乱立状態」と呼んだことがあります。冷戦期の1950年代から60年代にかけてエジプト大統領であったナセルは、東側陣営と西側陣営を競わせることで自国の利益を最大化しようとしましたが、アメリカや西側陣営がナセルを見捨てたため、ナセルの思惑は外れました。それに対して現在のグローバルな国際関係は冷戦期の東西陣営のような強い縛りがないこともあって、中東諸国はある意味でナセル以上に上手くグローバルな多極構造を利用しているのです。

 いわゆる「抵抗の枢軸」の中心国であるイランにとって最も重要な目標は、自国のイスラム共和国体制の存続です。イランは、域外関係では、ロシアや中国との関係を発展させることで、アメリカを中心とする国際社会の経済制裁の影響を緩和しています。域内では、自らの体制に直接的な危険が及ばないように、ヒズボラ、ハマス、シリアのアサド政権、フーシ派、イラクのシーア派諸組織などの親イラン勢力を支援することで防波堤を築き、脅威がイラン本体に及ばぬようにしています。ただし、これらの親イラン勢力もそれぞれの利害計算に従って動いているのであって、イランからの指示に従って一枚岩的に動いているわけではありません。今回のハマスの攻撃がイランの指示によるものではないことはアメリカも認めていますし、フーシ派の艦船攻撃などもイランの意図によるものとは考え難いと思います。

 中東が「小ナセルの乱立状態」となったことに伴う最大の変化は、アメリカ一辺倒の国がほぼなくなった点です。サウジアラビアやエジプトなど、かつて親米一辺倒であった諸国は、アラブの春、イラン核合意、2010年代のロシアの中東外交の活発化、そして中国の経済的影響の拡大などが相まって、アメリカを無条件で支持する、あるいはアメリカに全面的に依存するわけではなくなっています。

 この変化はロシアとの関係に顕著に表れています。例えば、ウクライナ戦争における対ロシア制裁の一環として、G7はロシアの海外資産を凍結してウクライナ支援に活用しようとしていました。しかし、これに対してサウジアラビアが待ったをかけます。「実行するなら欧州の国債を売却する」とG7諸国を牽制したのです。サウジアラビアにとって、ロシアは重要な外交カードであり、ロシアを弱体化させることは自国の利益に合致しません。サウジアラビアはOPECプラスの枠組みでもロシアとパートナー関係にあります。

 実のところ、イスラエルも含めて、中東には対ロシア制裁に全面的に協力している国はありませんよね。重要なポイントは、中東諸国が「アメリカかロシアか」というゼロサム的な選択を迫られることなく対外関係を多角化することに成功していることで、これは冷戦期との大きな違いです。これをアメリカなど域外大国の側から見ると、中東諸国に対する圧力が効きにくくなっていることを意味します。

 

ここ5年で高まる中東諸国間の協力姿勢

 立山 まさに、90年代はパクスアメリカーナ(アメリカによる平和)が中東に出現したように見えましたが、そのような時代は短期間で終わりを迎えます。アメリカが膨大な軍事力を持って仕掛けたイラク戦争によって、国際社会が複雑化、多極化の一途を辿り、結果として中国、ロシア、BRICSというようなアメリカ以外の勢力が台頭し始めます。アメリカは自らの手によって一極体制を壊してしまったということです。

 同時に、中東地域に限って考えても、2010年のアラブの春前後から2020年頃までは、中東諸国の間で激しい対立が生じていました。しかし、この5年ほどの間に中東諸国の間で互いに協調する姿勢が強まっています。この背景には、対立を続けるコストに耐え切れなくなったことや、限りがある石油資源だけでなく新たな経済構造を確立したいという各国の思惑があります。国際社会が多極化する中で、自国の利益のために様々な極に接近するという中東諸国の行動様式がここ5年ほどで定着しつつあるのです。

 小野沢 中東諸国間で協力する姿勢が生まれていることは、大きな変化ですよね。印象的だったのが、2023年のイランとサウジアラビアの関係正常化です。2016年から国交を断絶していた両国は、中国の仲介によって外交関係を正常化させました。ここには、立山先生がおっしゃるように、産業の多様化を進めたいという考えがあるのだと思います。特にサウジアラビアに顕著ですが、脱石油に世の中が進む中で、石油収入があるうちに新たな経済基盤を彼らは構築したい。そのために、中国資本など使えるものは使いますし、安全保障を確保するためにもイランとの緊張は緩和したほうが自国の利益にとって好都合だと判断したのだと思います。

 立山 このような中東諸国間の協調が進む流れの中で起きたガザ戦争に関して言うと、中東諸国は「国際規範に基づいた行動をすべきだ」とは述べていますが、具体的な行動には移さず、紛争から少し距離を置いているような印象を持ちます。そういう意味で小野沢先生がおっしゃる、「小ナセルの乱立状態」は、非常に言い得て妙だなと感じました。考えてみると、ヨルダン国王だったフセイン1世も国際情勢を読み、独自の外交政策を展開したことから「風見鶏」と言われていました。アメリカとアラブ諸国の間に挟まれる中東の国々は、ある意味ではそういう立ち回りが上手いのかもしれません。

 小野沢 現在の中東諸国の風見鶏的とも言える曖昧な態度は、穏健派アラブ諸国のハマスへの複雑な眼差しが大いに関係していると考えます。実際のところ、エジプトなどにとってハマスは危険な存在でもあるのです。

 ハマスは1928年にエジプトで結成されたイスラム主義組織である「ムスリム同胞団」の流れをくんでいます。1952年革命で成立した共和政エジプトにとって、潜在的に強力な動員力を保持しているムスリム同胞団は体制の脅威です。現在のエジプトのスィースィー政権は、アラブの春の後に選挙で勝利して成立したムスリム同胞団のモルシ政権をクーデタで排除して成立した政権です。このような背景から、同じくムスリム同胞団を起源とするハマスを、できれば抑制したいという考えがエジプトにはあるのです。

 しかしながら、ハマスを否定することは、アラブ世界で幅広く支持されているパレスチナの大義を否定することになりますし、反シオニズムを長年掲げてきたサウジアラビアなどにとっては自らの権力の正当性を否定することにもつながりかねません。こういった様々な計算が働いた上で、多くのアラブ諸国は、一方でパレスチナの大義を掲げながらも、ハマスを利することになる停戦に向けた具体的な行動には移さないという曖昧な態度をとっているのではないでしょうか。

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