『公研』2023年2月号「めいん・すとりいと」

 

 パンデミックの影響からようやくほぼ解放され、3年ぶりに海外に出向いた。まだ若干の制限や特別な事前準備が必要であり、空港ビル内の店舗の閉店状況からは影響の大きさが窺われるが、人の行き来はだいぶ回復しているように見える。事実、国際線の利用客数も半分程度まで戻っているようだ。

 しかし、このままパンデミック前のようになるというのは、あまりに楽観的であろう。もちろんその主因はロシア・ウクライナ戦争やそれに伴う原油高に影響を受けた航空運賃の高騰にあり、パンデミック以降強まっている現地物価の著しい上昇、さらに日本の場合には円安の影響も受ける。

 これら比較的短期の要因に加えて、人の行き来への関心がパンデミックによって低下した可能性があることも、中長期的には無視できない影響を及ぼすかもしれない。

 日本のように2022年後半まで続けた例は珍しいにしても、多くの主要国では2年以上にわたって国際的な人の往来を最小限に止めようとしてきた。感染症の性質上やむを得なかったことは確かだが、その間に外国への関心を高める年代の若者が足止めされたことも間違いない。

 たとえば、現在の日本の状況を考えてみればわかりやすいだろう。筆者自身を含め、いわゆる現役世代である年齢層の人々は、おおむね20代までに日本の国際化やグローバル化の必要が頻繁に語られるようになり、また実際にも円高や冷戦終結の恩恵を受けて、若いときに海外に旅行あるいは長期滞在した経験を持つ場合が多い。

 このような経験は、国家としての貿易依存度や国際政治秩序のあり方といったマクロな要因とは別個に、個々人にとってグローバル化を当然の方向性だと認識させる作用を持ったと考えられる。発想や行動様式におけるミクロなグローバル化と言ってもよいだろう。

 パンデミックや戦争によって、これから社会に出る、あるいは出たばかりの年齢層の人々は、外国を経験する機会を失った。1年や1年半なら埋め合わせることは可能だったであろうが、3年前に始まった動きはまだ反転しそうにない。その間、AIの能力向上に伴う自動翻訳技術の急激な進展や、同時双方向を含めた動画の撮影・送信・視聴などが極めて容易になったことは、外国に出向く意味をかなりの程度まで低下させた。

 こうした変化の結果として、外国に行くこと、さらに暮らすことに伴う独特の苦労や楽しさは、もはや「コスパ」や「タイパ」が悪いと見なされてしまうかもしれない。

 遠くない将来に、外国に出る機会がないまま中高年になったという人が多い年代層が登場するであろう。それがミクロなグローバル化に負の影響を与えることには疑問の余地がなさそうだが、個人の発想や行動の域を超えて何をもたらすのだろうか。

 日本について言えば、社会や経済を開放的にするような政策を求める動きは、今後弱まることも考えられる。「行きたがるときに行かせなかった」ツケを払うわけだが、そのことを意識した議論は低調である。

 グローバル化への対応は社会に負荷をかける部分がある。高齢化によってその負荷に躊躇する傾向がもともと存在するところに、若者や将来世代もグローバル化に背を向けるようになるとすれば、日本の内向き傾向はいっそう強まってしまいかねない。

 だが、若いときの経験が長期的な立場を規定するのだとすれば、過去30年にわたってグローバル化を受け入れ、そこからの利益を享受してきた世代は、高齢化してもそれを好ましいと考える可能性もある。だとすれば、高齢者ほどグローバル化に積極的だという意外な展開となり、彼(女)らの支持を得て当面はパンデミック前と同じ方向性が追求されるのかもしれない。しかし、先細りの印象は禁じ得ず、何とも居心地の悪い構図ではある。

京都大学教授

 

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