サウジアラビア・イスラエル 関係正常化への道

 立山 ここ5年で見られる中東諸国間の変化の一つに、10月7日以前の中東世界で進められていた、サウジアラビアとイスラエルの関係正常化に向けた水面下の交渉も挙げられます。この協調姿勢の背景には、先ほど挙げた新たな経済構造の構築以外にも、中東地域に限らない安全保障上の脅威の多様化が理由として考えられます。非国家主体が長距離ミサイルや軍事用ドローンを持てる時代になってしまった今、どこから脅威が来るかわかりませんよね。こういう状況で、サウジアラビアとイスラエルは経済的にも、安全保障面でも協力関係を築くことは、決して損ではないと結論付けたのだと思います。そこにパレスチナ問題の風化が相まって、少なくとも10月7日以前は、アラブ諸国ではイスラエルとの関係正常化の機運が高まっていたのです。ガザ戦争がこうした流れに待ったをかけたので、スピードは遅くなるかもしれませんが、イスラエルとアラブ諸国の関係正常化への歩みは変わらず進んでいくのだろうと考えます。

 小野沢 サウジアラビアとイスラエルの関係正常化は、アメリカにとっての大きな関心事でした。2020年のアブラハム合意の前から、アメリカはアラブ諸国とイスラエルの関係正常化の本丸をサウジアラビアと見定めていました。一方、サウジアラビアは、他のアラブ諸国の関係正常化が進展するまでは動かぬ構えを決め込み、非常に慎重な姿勢をとっていたのです。

 バイデン政権とサウジアラビアの関係は複雑な展開を辿ってきました。トランプ政権がサウジアラビアの行動に白紙委任を与えるがごとき寛容な態度をとっていたのとは対照的に、バイデン政権は発足後しばらくサウジアラビアに厳しい姿勢をとっていました。バイデン政権は、サウジ政府に批判的だったジャマル・カショギ氏(サウジアラビア人ジャーナリスト)が殺害された2018年の事件にサウジ当局が関与したとみなし、同国の人権状況などを問題視する姿勢を示していました。さらに、2022年に石油価格が上昇した際、サウジアラビアはOPECプラスの立場を尊重してアメリカが求めていた大幅増産に応じなかったため、バイデン政権は強い不快感を示しました。このような経緯があったため、2023年にアメリカが大きく関与するかたちでサウジ・イスラエル間の関係正常化の話が出てきたのは驚きでした。

 このサウジ・イスラエル関係正常化は、アメリカも深く関係する三つの合意をセットで実現することをめざして準備が進められていたようです。一つ目は、サウジアラビアとイスラエルの和平合意で、おそらくここにパレスチナ問題の解決に関係する内容が盛り込まれるでしょう。二つ目は、アメリカとサウジアラビア間の安全保障協定です。これには、アメリカのサウジアラビアの安全保障へのコミットメントが盛り込まれると報道されていて、もしその通りになればサウジアラビアはアメリカの「正式な」同盟国となります。三つ目は、アメリカ・サウジ間の民間の原子力プログラムに関する協定です。これらの交渉は、ガザ戦争で一時ストップしていますが、アメリカとしては状況が変わればすぐにでも着手したい課題であることは間違いないと思われます。

 

アメリカがハブとなる中東地域ネットワーク

 立山 もう一つ、複雑化する中東地域で注目すべき重要な点は、4月13日から14日にかけて行われたイランによるイスラエルへの報復攻撃で、アメリカが中東地域で進めている防空システムのネットワークが初めて効果を発揮したことです。これには非常に驚きました。イスラエル側の発表によると、イランが発射したドローン、巡航ミサイル、弾道ミサイルのうち99%は途中で迎撃されたと言われています。

 注目すべきなのが、すべての攻撃をイスラエルが防御したのではなく、アメリカ、イギリス、ヨルダンなどが協力して迎撃行動をとったことです。また、報道によるとサウジアラビアやUAEも情報提供に加わったと言われています。これが事実だとするとアメリカが築いた地域的な対ミサイル防空システムが、初めて機能したということになります。

 小野沢 確かに多国間の防衛システムが機能したことは画期的でした。この防衛システムにおいて、アメリカはネットワークのハブのような役割を担ったと考えられます。そして、ここからはアメリカが中東に実現しようとしている枠組みが垣間見えたように思います。

 この枠組みは、アメリカのアジア政策とのアナロジーで捉えることができます。冷戦期にアメリカは、日本、韓国、フィリピンなどのアジアの国々と二国間の同盟関係を築きました。このようなアジアの同盟システムは、アメリカをハブとする「ハブ・アンド・スポーク」構造と呼ばれます。21世紀に入ってから、アメリカは、日本、オーストラリア、インド、さらには韓国など同盟国の間の横のつながりを強化する政策を進めています。いわばスポーク同士の関係を強化することで、「ハブ・アンド・スポーク」構造を網の目のようなネットワークに再編しようとしているのです。このような動きは、ブッシュ・ジュニア政権第二期に始まりましたが、オバマ政権が「リバランス」と呼んだアジア重視の政策を経て、今日も継続していると考えられます。

 今回、姿を現すことになった中東における多国間防空システムは、アジアにおける同盟ネットワークのような枠組みが中東でも構築されつつあることを示唆しているように思います。アブラハム合意、そしてバイデン政権がめざしていたサウジアラビア・イスラエル間の関係正常化に伴う一連の合意も、そのような文脈で理解できるのではないでしょうか。

 バイデン政権は、発足当初は、2021年のアフガニスタンからの米軍撤退に見られるように、もっと徹底的に中東から手を引こうとしていたと考えられるのですが、2022年頃には中東への関与を維持する必要があるという姿勢に変化しました。それがどういうかたちでの関与かは明示されていませんでしたが、アメリカがアジアで展開しているような同盟国・パートナー国のネットワーク化をめざしていると考えれば辻褄が合います。

 このような同盟のネットワーク化は、中東におけるアメリカ軍のプレゼンス拡大を意味するわけではありません。アメリカ軍の恒常的なプレゼンスは減らしながらも、いわゆる軍事革命(RMA)の成果なども駆使しつつ、いざという時は対応できる体制を整えることで、アメリカをハブとする中東諸国のネットワークによって安全保障を図るというアプローチです。仮にこれが実現したとしても「小ナセルの乱立状態」が変わるわけではないでしょうが、アメリカの影響力を維持する新たな梃子にはなるかもしれません。

 アメリカ軍のプレゼンスを前面に出さないやり方は、アメリカでも中東諸国でも反発を招きにくい方法でもあります。前方に大量の兵力を常駐させるのはおそらく時代遅れですし、アメリカの世論が受け付けません。さらに、湾岸戦争を機にアメリカの中東における軍事プレゼンスが飛躍的に高まったことで、中東における反米意識が高まったという過去もありますから、できるだけ小さなプレゼンスのまま、中東における何らかの影響力を維持するというかたちをアメリカはめざしているのではないかと見ています。

 

「民主主義国家」イスラエルによる入植活動

 立山 もう一度ガザの問題に話を戻します。私は長年イスラエルを見てきましたが、正直なところイスラエル・パレスチナの関係は、「一国家二民族」という状況が固定化してきていると感じています。イスラエルによる入植活動は当然のごとく続いていて、国際司法裁判所(ICJ)も7月19日に出した勧告的意見で、イスラエルの57年にわたる占領行為を国際法違反と認定し、入植者全員を撤去させるべきだとの見解を示しました。

 なぜ、イスラエルは民主主義の原則を無視するように占領を続け、入植活動を拡大するのか。これには二つの理由が考えられます。

 一つ目は、シオニズムがユダヤ人離散状態へのアンチテーゼとして打ち出されたからです。つまり定住地を持たない離散状態ではなく、ある土地に定着をすることが、シオニズムにとって最も重要な価値観となっています。ですから、左派も含めてイスラエルのどの政治政党も、入植活動を非難しません。二つ目は、宗教的な心情です。シオニズムでも宗教シオニズムと呼ばれる流れは、「約束の地にユダヤ人が定着し、その支配を拡大強化することがメシアの到来を早める」と考えています。この考えによって入植活動がさらに正当化されているという側面があります。

 だからと言って、占領と入植活動を続けることは、非ユダヤ人、つまり占領地住民であるパレスチナ人を差別的に扱っていることを意味します。ICJの勧告的意見も占領地での差別待遇を指摘しています。このような状況が続くのなら、イスラエルにおいて民主主義が成り立つのでしょうか。アメリカはイスラエルを「中東で唯一の民主主義国家」と言っていますが、現在の状況を考えると、私は強い疑念を持っています。

 小野沢 まず、イスラエルの入植活動問題に関して言うと、アメリカはほぼ一貫して批判的な姿勢をとってきました。バイデン政権も、入植活動は国際法に違反するとの立場をとっています。しかし、ガザ問題への対応と同じように、違法行為を止めるために最大限の措置をとっているかというと、そうとは言えません。また、長期的な視点で見ると、入植活動に反対するアメリカの圧力は、少しずつ弱まってきているように感じます。結果的にアメリカの姿勢は、占領状態の固定化を助長していると言えるでしょう。

 アメリカがイスラエルを民主主義国家として認めているかどうかですが、これは少し複雑な問題をはらんでいると思います。一般国民レベルでは、アメリカ人の多くがイスラエルを民主主義国家と認めていると思います。ただ、これと同時に、歴代のアメリカの政権が駆使してきた、対外政策を正当化するためにイデオロギー的なレトリックに訴える戦術という側面も存在していると思われます。

 例えば、冷戦期、日本で言うところの「西側陣営」をアメリカは「自由世界」と呼んでいました。その結果、ソ連と戦っている勢力であれば、その内実にかかわらず「自由」の側に立つ者と位置づけて、これを支援しました。アフガニスタンに侵攻したソ連軍と戦っていたイスラム主義者のことも、「自由の戦士」と呼んでいたほどです。しかし、状況が変われば、ソ連軍と戦っていたイスラム主義者と同じような思想を持つ人々が、テロ組織として扱われることになります。

 つまり、アメリカは民主主義を理由にイスラエルを支持しているのではなく、中東で「真の友」と言える存在をイスラエル以外に持ち得ていないから支持をしているというほうが実態に近いのではないでしょうか。この特別な関係を正当化するために、「イスラエルは中東で唯一の民主主義国家である」という説明を後付け的に使用している側面があると思います。

 アメリカも結果的に黙認するようなかたちで入植活動が常態化していることから見ても、イスラエル側が二国家解決を認めない状況は固定化する方向に向かっているということでしょうか?

 

パレスチナ問題解決へ向けた新たな芽

 立山 そうですね。右派だけではなく、イスラエル政治勢力おける3分の2~4分の3が、パレスチナを独立国家として認めないという立場をとっています。7月18日にイスラエル国会でパレスチナ国家樹立反対決議案が提出され、賛成68票、反対9票の賛成多数で可決されました。与党の64議席と、ネタニヤフ首相と対立するガンツ前国防相が率いる国家統一党が賛成をしました。

 そういう意味でも、仮にネタニヤフが首相を辞めたとしても、パレスチナ政策は変わらないだろうし、変えようがないわけです。ネタニヤフだけに問題があるのではなくて、先ほど申し上げたように、シオニズムそのものが定住、つまり入植を是とする思想を内包している上に、57年に及ぶ占領が生み出してきている民主主義の劣化と偏狭な民族主義の拡大という傾向は今度も強まっていくのであろうと考えます。

 小野沢 入植地を完全に撤去するのは現実的には極めて困難ですので、オスロ合意で想定されていたような、二民族にそれぞれの領土を割り振るような二国家解決は実現が難しいわけですね。

 立山 しかし、二国家解決の行き詰まりが進む一方で、別の流れが出始めているのも確かです。1993年のオスロ合意では、ノルウェーの仲介によってイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が初めて交渉に合意し、ようやく和平へのスタート地点に立ちました。これは、両当事者が和平交渉での同意に基づいてパレスチナ独立国家を樹立し、それを国際社会が認めるという流れを想定していました。しかし、パレスチナ独立国家は誕生せず、この流れが失敗したことは今となっては明らかです。

 オスロ合意のまとめ役だったノルウェーは、5月にパレスチナ国家を承認した際、オスロ合意の想定、つまり交渉による合意を経て国家承認に至るというプロセスは失敗したため、新しい取り組みが必要だと述べています。先にパレスチナを国家として承認することが二国家解決につながるという、これまでとは逆の流れによって解決を期待しているのかもしれません。

 正直なところノルウェーなどのように国家承認を先行させることが、どのような動きに続くのか具体案は見えていませんが、別の取り組みが必要だという認識は確実に強まっています。

 小野沢 別の取り組みとの関連で言いますと、私が最も懸念するのは、かたちばかりのパレスチナへの譲歩が行われた後に、それが有耶無耶にされて、結果的に現状が固定されていくというパターンです。例えば、サウジアラビアとイスラエルが関係を正常化するというときに、かたちばかりのパレスチナ問題の解決への約束が盛り込まれて、その後、実際には何のアクションも起こされない、というような事態です。

 1979年のキャンプ・デーヴィッド合意、2020年のアブラハム合意など、何度もこのパターンが繰り返されてきました。結果的に、なし崩し的に現状が固定化されるばかりでなく、入植地が拡大し、根本的解決はむしろ遠のくことになります。これでは、暴力の連鎖は止まりません。やはり立山先生もおっしゃるように何らかの新しい考え方を導入しないと、これからもパレスチナで悲惨な状況が続くのだろうと私は危惧しています。

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