『公研』2018年10月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

中尾武彦・アジア開発銀行総裁×大庭三枝・東京理科大学工学部教授 

変貌著しい多様性の地域「アジア」。米トランプ政権の出現。そして、中国の超大国化はアジアをどのように変えていくのだろうか。

今アジアを語る意義はどこにあるか?

大庭 今日は、トランプ大統領登場以降のアジア地域の国際秩序の変化について考えていきたいと思います。「アジア」と言っても、中東、中央アジア、南アジアさらには太平洋の島嶼国まで及びますから、その範囲は非常に広いわけです。この広大な地域をアジアという言葉で表現しても、そこに暮らしている人たちの間で共通項を見出すことは難しいでしょう。そもそも、アジアという言葉自体がヨーロッパの人たちによって外から付けられた名前です。けれどもアジア各国は、そうした西洋から貼られたレッテルを内面化して、「われわれはアジアだ」と自分たちのことを語るようになって久しいわけです。

 アジアは、東南アジアや北東アジアなどいくつかのサブ地域にわけられて語られてきました。けれども、これだけグローバリゼーションが進むと、閉じたまとまりとして地域を語ることが難しくなっています。ですから、一応日本がアジアに位置しているにしても、我々があえてアジアを語り、この地域の可能性や課題を探ることの意味はどこにあるのか。今日は、このあたりについても意見を交わすことができればと思います。

中尾武彦・アジア開発銀行総裁

中尾 アジアのほとんどの国は、欧米諸国から植民地化された経験があります。1955年にバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議に象徴されるように、独立を求めていくアジアという要素がありました。1966年に発足したアジア開発銀行(ADB)は、アジアの人々の願いと努力で創設された国際機関です。創設当初は日本、オーストラリア、ニュージーランドを含めた19の域内加盟国と12の域外加盟国からなりました。現在はそれが67カ国まで増えて、その内の48カ国・地域がアジア域内です。世界でも最も貧しい地域だったアジアは、その間に大きな発展を遂げ、今でも年率6・5%程度の高い成長を維持しています。

 私は2013年4月の総裁就任以来、太平洋の島嶼国のいくつかを除いたすべての域内加盟国を訪問し、首脳や大臣にも会ってきました。東アジアからコーカサスのジョージアまでカバーしているわけですが、顔立ちも暮らしの習慣も同じアジアとは言ってもそれぞれ異なります。大きな文明で見ても、中国圏とインド圏とではまったく異なりますから、アジアを何か一つの共通項で規定することはとてもできない。その一方で20世紀後半以降アジアが全体として存在感を増してきたことは事実だし、そのなかでいろいろな枠組みをつくる動きがありました。ADBもそのなかの重要な一つなのだと思います。

大庭 「東南アジア」という言葉も実は外から貼られたレッテルなんです。一般的には、第二次世界大戦中に連合国軍が対日戦略を展開する拠点としてセイロン(今のスリランカ)に「東南アジア司令部」を設置したことが、初めてこの地域を「東南アジア」と称した例であるとされることが多いんです。しかしながら、清水元氏によると、それ以前に戦前の小学校、中学校の地理の教科書に日本の経済的後背地として「東南アジヤ」という言葉が使われたことを明らかにしています。

 いずれにしても「東南アジア」ないし「東南アジヤ」は外から付けられた呼称であって、この地域に住んでいる人々にとってはあずかり知らぬ話だったわけです。というのも、当時の東南アジアは、独立を維持したシャム(タイ)を除き、イギリス、フランス、オランダ、アメリカと複数の宗主国によって植民地化されてきましたから、決して一体感のある地域ではなかったのです。しかしながら、3年ほど日本の勢力下に置かれたのち、第二次世界大戦後になると、アメリカが冷戦期における反共戦略を展開すべきアリーナの一つとして、東南アジアを捉えたわけです。

 1967年には東南アジア諸国連合(ASEAN)が設立されますが、これは「自分たちは東南アジアでまとまる」という内在的な動きの表れでした。そうした自らのアイデンティティとしての「東南アジア」という観念は、ASEANのもとでの相互の意思疎通の制度化や協力深化の過程で育っていったものです。彼らは、今では自分たちがASEANの一員であることを堂々と主張していますが、それは外から貼られたレッテルだった「東南アジア」を自分たちのなかにアイデンティティとして取り込んでいった過程を経てのことです。

中尾 それは良い話ですね。本部がフィリピンのマニラに置かれているように、ASEAN諸国は当初からADBにとって重要なメンバーです。今は全体として人口は中国の半分程度、GDPも日本の半分以上で、大きなポテンシャルを持っています。また、ASEANプラス3やプラス6の基盤になっていて国際政治でのプレゼンスも大きい。しかし、ASEANが創設されたときには、共産主義への対抗のほかに何か共通項があったのでしょうか?

大庭 属性としての共通項を見出すのは難しかったと思いますね。ただしASEANは、植民地主義のもとで嫌な体験もしているので自立性を希求する志向性は共有していたと思います。ASEANの原加盟国はインドネシア、タイ、フィリピン、シンガポール、マレーシアの5カ国ですが、この5カ国が互いに紛争を抱えていました。60年代半ばくらいまでは、いがみ合いの歴史でした。インドネシアとマレーシアは軍事紛争まで起こしています。インドシナ半島で共産主義の脅威が深刻化しているのに、共産主義に抗する国々がこれではいかんという問題意識はなんとか共有できたのでしょう。

 つまり、ASEANの設立の主目的の一つは、原加盟国間の相互の関係の改善と安定化だったのです。さらに設立当初から、当時はもちろん絵に描いた餅だったわけですけど、インドシナ半島の国々も加えた東南アジア全体の共同体を志向するという方向性も示していました。よって、ASEANは単なる反共同盟では終わらずに、冷戦終結後も持続することができたのだと思います。もちろん、ASEANは現在にいたるまで様々な問題を抱えています。けれども、加盟国すべてが平等な立場で参加しているという建前もうまい具合に作用して、ASEANというまとまりが東南アジアを体現するものになったのです。

第一次世界大戦がアジアの民族意識を高めた

中尾 東南アジア諸国は、自分たちで自立してやっていきたいんだ、という気持ちが強かったのだと思います。インドネシアのスラバヤには「勇者の塔」というモニュメントがあります。1945年に日本が降伏して武装解除して出て行ったあと、イギリスが戻ってきて日本軍が置いていった武器を供出するように求めました。けれども、それにインドネシアの人たちが怒って立ち上がり、衝突が起きて数千人が亡くなりました。1945年10月のことです。勇者の塔は、その際に犠牲になった人たちを慰霊するために建てられたものです。イギリスとは一旦は休戦することになるのですが、その後にオランダが戻ってきた時には今度は独立戦争になって1949年まで続き、これがまた多くの犠牲を生むことになります。インドネシアの人たちにとって日本軍による侵攻も嫌だったでしょうが、再びオランダの植民地に絶対戻りたくなかった。そういう気持ちを切々と感じました。

 インドネシアにしても、フィリピン、マレーシア、ベトナムにしても、自分たちの国のことは自分たちでやりたいという思いは強くあります。「民族自決」ですね。

大庭 第二次世界大戦が東南アジア地域に与えた影響は非常に大きいわけですが、その前の第一次世界大戦も忘れてはならないと思います。第一次世界大戦のインパクトは、日本ではあまり論じられてこなかったところがありました。本土への戦争被害はなかったですし、むしろ大戦中は軍需景気で潤いましたから、日本人にとってはヨーロッパと異なり、それほど大きな出来事として認識されていないですよね。しかしながら、アジアにおける民族主義の展開には第一次世界大戦は明らかに大きなインパクトを与えたと思います。いまの中尾さんのお話にあった「民族自決」という考え方は、第一次世界大戦を契機に、国際社会における政治的原則として、表に出て来るようになったんです。

中尾 民族自決は、第一次世界大戦後に東ヨーロッパの国々が独立していく文脈でよく使われていますが、アジアにも大きな影響はあったということですか。大戦中の1915年に日本が出した「対華21カ条要求」が中国の民族意識を高めたことはよく知られていますが。

大庭 アジアの民族主義の盛り上がりに大きな影響があったと思いますね。例えば、ベトナムのホーチミンが本格的に活動を始めるのもこの時期です。こうした気運が第一次世界大戦後に東南アジアの個々の植民地において盛り上がっていきました。第二次大戦中に日本が東南アジアにおける欧米列強を追い払ったという現実は、そうした流れにさらにインパクトを与えることになりました。日本の統治は、結局欧米と変わらぬ帝国主義的なものでしたが

中尾 民族自決を唱えたのは、アメリカのウィルソン大統領ですね。

大庭 実はウィルソンよりも先にレーニンが言っているんです。ロシア革命後の1917年11月にレーニンが出した「平和についての布告」のなかで、無賠償・無併合とともに民族自決を原則とした即時平和を提唱しています。興味深いのは、この布告では「秘密外交の廃棄」にも触れているんですね。

中尾 その後のソ連を考えると、まるで逆のことを言っているような……(笑)。でも、とてもいいことを言っていますね。

大庭三枝・東京理科大学教授

大庭 そうなんです。いいことを言っているんです(笑)。これに対してアメリカ側はウィルソン大統領が「14カ条の原則」を出していますが、ここでは民族自決という用語は直接には使っていません。14カ条の中には、民族自決に相当する箇所がいくつかあります。一つは、オーストリア=ハンガリー帝国に対する扱いですが、ここでも民族「自治」とあって、「自決」ではありません。さらにバルカン諸国の「独立の保証」、トルコ支配下の民族の「自治の保証」です。だから、必ずしも「独立させろ」とはこの時点では言っていません。ただ、ポーランドは「独立させる」と言っています。

 そして、「植民地問題の公正な調整」という言い方で、当時の列強のアジア・アフリカ領域の植民地においてすでに見られた民族自決への動きに起因する紛争の解決を示唆するのですが、「独立させる」とか「自決」という用語は使っていません。ここには、少なくとも独立や自決が認められるのはヨーロッパのみ、その他の領域には認めないという二重基準が見られます。しかしながら、ウィルソンの14カ条は、ウィルソンやその周りの欧米エリートたちの意図を超えて、独立や自立を求めるアジアの人々に将来への大きな期待と希望を与えることになったようです。

中尾 第一次世界大戦後の覇権国になったアメリカの「14カ条の原則」では独立は唱えられていないが、結果的には多くの国が独立することになったと。

大庭 レーニンが先に民族自決を打ち出しましたから、ウィルソンもそれに相当することを言って対抗しないと、民族自決を求める人々が共産主義のほうに行ってしまうと恐れたのでしょう。その一方で、アメリカの国是は民族自決という考え方と馴染むところもあります。こういった様々な背景があって、第一次世界大戦後は民族自決を求める動きを無視することができなくなりました。しかし、アジアやアフリカには実際には民族自決が付与されていませんから、これらの地域の植民地ではフラストレーションが貯まっていくことになりました。こうした国際情勢のなかで、日本は太平洋戦争の口火を切ったわけです。

経済発展に民主化は必要なのか?

大庭 今のアジア情勢、特に経済面について見ていきます。ぜひ考えてみたいのは、経済発展と民主主義との関係というテーマです。民主主義と経済発展は今までは正の相関があって、「発展のためにはまずは民主化させる必要がある」という考え方が前提とされていた時代が続いてきたように思います。こうした考え方は、リベラル経済秩序の正統性を支える重要な柱の一つでした。ところが最近では、「民主化をしなくても経済発展は可能である」という認識が強まってきていると感じます。言うまでもなく、今の中国の強烈な存在感がそれに影響しています。

 さらに、東南アジアのいくつかの国においても、自分の支配体制を維持するために民主化はひとまず置いておいて経済成長を優先させようとする指導者が現れてきている。東南アジアで言えば、カンボジアが典型的な例ですね。今のタイの軍政もそれに近いところがあります。ミャンマーも民政移管はしましたが、まだ軍部の力がかなり強い政体を維持しながら、中国に投資してもらって経済成長を維持しているという意味では同じカテゴリーに入れることができます。これらの動きは、「中国の働きかけだ」とか言うわけでは必ずしもなく、あくまでもそれぞれの国内政治の文脈から生じている現象だと考えるべきです。

 確かに今のアジアは経済成長を続けていますが、その恩恵にあずかることができるのは、都市部の中間層に限られているところがあります。ですから、成長の裾野をどうやって広げていくのかが問われているわけですが、実際は成長優先で格差は広がっています。成長の果実を広く国民に分配するという方向での施策が不十分です。さらに、そういう人たちもきちんと政治に参加することで、国民国家の真の一員として統合していくような方向性が一層求められています。もちろん経済成長は大事ですが、それを支える政治制度のあり方については、いびつな構造があると思います。今アジアの国々では、そうした点への不満が噴出しようとしている気がしています。

中尾 今のご指摘は非常に重要で、世界的に大きな議論になっていますね。戦後の一つの理想的なかたちとされてきたのが、やはり民主主義と市場主義なのだと思います。それから大事なのが、政府の機能としての公共財の提供や再分配です。市場主義経済ではあるが、金持ちにしっかり課税して、教育、医療、年金などに関しては国が支えるという社会民主的な考え方は、各国が広い基盤に立った持続的な経済発展をするためには重要だとされてきました。一方で政治面での民主主義は、公平な選挙制度に加えて、表現や報道、学問の自由、分権的な権力体制、私的所有権の保護や公正な裁判制度を含む法の支配などからなります。それらもまた自由な市場経済を支えたわけです。日本の高度成長は、その典型的な成功例だと思います。

 アジアはもともと独立後の発展の過程で、開発独裁的な要素の強い国が多かった。社会主義や反植民地主義も、国有企業や輸入代替による国主導の産業化に影響を与えました。インドネシアやフィリピンがそうで、あるところまでは成長に貢献しましたが、長い間に非効率性を招き、抑圧的な政治が不満の蓄積につながりました。私は開発独裁の一つのモデルである朴正煕政権は、韓国の近代化や経済成長に大きな役割を果たしたと見ていますが、韓国のなかでは彼のことを厳しく評価する人が多いのです。

 確かに、選挙をやっていたら必ずうまくいくというわけではない。選挙による民主主義は、多数派による支配ということになります。エスニシティや宗教などが分断されているような国では、多数派による少数派の支配が抑圧につながることがあります。それから民主主義のもう一つの欠点は、物事がなかなか進まないことです。インドは世界最大の民主主義国と言われていますが、州ごとの分権が強く、また、あまりにも選挙による指導者の交代が多い。それから裁判手続きにしても非常に煩瑣です。そのため、道路や電気を通すにしても、政治や司法のいろいろな要因で完成が大幅に遅れがちです。まずはインフラを整えなければ、国は発展していかないし誰も豊かにはなれません。

 ですから、国の状況と無関係に選挙による民主主義さえあればすべてよい方向に行くというわけではありません。ただし、私自身はそれでも民主的な方向に進んでいくべきだと考えています。今はすこし揺り戻しが来ている時期なのかもしれませんが、市民的権利は人々の尊厳の基本であり、公平で持続的な成長のためにも民主主義は大事です。

ジグザクの道を辿りながら民主化が進展していく

大庭 冷戦以後を振り返って見ると、1997年に始まったアジア通貨危機は、開発を主目的とした権威主義体制の正統性を大きく揺さぶる結果となったと思います。その結果として、少なくとも表面上は、ASEANのいくつかの国の政治体制はかなり民主主義に寄る方向に行きました。インドネシアが典型例ですね。それ以前にはASEANでは民主主義や民主化の話はタブー視されていました。ASEAN諸国は内政不干渉が原則で、彼らはそれを強調することで協力関係が成り立っていました。民主主義や民主化というのは、国内政治体制の話なので内政干渉に当たるというわけです。

 それでも、ミャンマーが1997年にASEANに加盟する時には外からかなりの批判があって、その受け入れについてはASEAN内でも議論がありました。その頃は、この地域での民主主義のチャンピオンとされていたタイが「柔軟的関与」という言葉を使って、ミャンマーに対してごく間接的に緩やかに民主化を促すという方向を提示しました。そのくらい民主化や人権の問題は、センシティブなトピックとして扱われていました。

 しかしながら、2003年あたりからは、民主化や民主主義をASEANでも議論するようになります。2008年に発効した「ASEAN憲章」には人権保障の推進とともに民主主義の推進という項目が入りました。もちろん人権の専門家から見れば、ASEAN諸国は国によって人権の保障状況も民主化の程度も、かなりのバラツキがあります。「ASEAN政府間人権委員会」という組織にしても、各国の民主化や人権保護を進めるには不十分という批判が人権団体、NGOから盛んになされています。けれども、「少なくとも民主化の話をしてはいけない」という時代と比べれば、民主化や人権保護がASEANの目標の一部として掲げられるようになったのは、前向きな変化であったと評価しています。

 それが2000年代の動きだとすると、最近は一部の国で、非民主主義的な方向に揺り戻しが起こっている印象を受けます。ただし、長期的に見れば私はそんなに心配することではないと思っています。ASEAN地域では、そうしたジグザクの道を辿りながら民主化が進展していくのではないかと見ています。

中尾 ミャンマーの民主化や経済改革については、日本が大きく関与した経緯がありました。民政移管したのは2011年で、2012年には制裁解除が進みます。私がADBの総裁に就任したのは2013年でしたが、この年にミャンマーへの貸し付けを再開したんですね。世界銀行や日本の円借款も同じタイミングで融資を再開しています。日本は政策対話や債務の延滞解消への支援などを通じて、このようなミャンマーの国際社会への復帰を支援しました。私が財務官だった2012年秋に、東京で国際機関や援助国を集めて、城島光力財務大臣議長の下でミャンマー支援国会議を開催したことをよく覚えています。選挙でアウン・サン・スーチーさんが勝利したのは、2016年のことです。

 2010年以降スリランカでも内戦が終息して、インドネシアのウィドド政権、インドのモディ政権への移行も選挙により円滑に行われました。アジアは、全体としては民主的で平和な方向に少しずつ向かっているという印象を私は持ってきました。ぜひそのようなモーメンタムを維持し、強めていってほしいと思います。タイなどは典型的ですが、教育水準が高くて資産もある都市のエリート層とそうではないほとんどの国民との間に、大きな分断ができてしまっています。それをどうまとめればいいのか。タイは新憲法に基づいてまた選挙も行われ、民政に戻ると言っていますが、このような亀裂をどのように埋めるのかは多くの国にとってとても難しい問題です。

大庭 民主主義と経済成長の関係を考えるうえでは、やはり中国の現状と将来像を見極めることが重要なのだと思います。中国は、もともと我々と同じ多元的民主主義の国ではないし、いわゆる選挙もありません。今では世界で五つしか残っていない共産主義政権の国の一つです。

中尾 残り四つは北朝鮮、ベトナム、ラオス。もう一つは……

大庭 キューバです。今や共産主義国はこの5カ国のみですが、中国の存在感がとてつもなく大きい。世界2位の経済大国で、国連の分担金も日本を抜いて2位になるというニュースが先日流れたばかりです。それから「一帯一路」は中国の存在感を目に見えるかたちで示しています。

 中国は既存の国際秩序を正面から否定して、独自の新しい秩序を打ち出すことを今のところは考えていないと思っています。その一方で、戦後一貫して前提とされてきたリベラル秩序とは、違った方向性を打ち出してくるのではないかとも言われています。中国が新しい秩序を打ち立てるとして、「いったい何をしたいのか」「どのような価値観や規範に依拠した秩序を打ち立てたいのか」──。我々国際政治学者による議論もここに関心が集まっていますが、そのビジョンは未だに極めて不透明です。

 アジア諸国や近隣諸国に与えているものも経済的な利益であって、価値や規範ではありません。他方で各国に中国に対しての「リスペクト」を求めるという姿勢も垣間見えます。この中国に対して、どのように対応するべきか。近隣諸国や関係する国々にとって、重要なテーマになっています。

 中尾さんは、ADBの総裁として中国とは様々なかたちで関係構築をなされています。特に中国が2015年に発足させたアジアインフラ投資銀行(AIIB)との関係については、日本でも多くの議論がされてきましたが、今の中国をどのように見ていらっしゃいますか。

ADBを通じて間接的にAIIBと関与している

中尾 中国政府は1970年代後半に改革開放に舵を切ってから、一貫して成長と貧困削減を目標に掲げてやってきました。今でも都市と農村にだいぶ差があることは間違いありませんが、全体としては予想をはるかに超えて成功していると言えます。

 この40年間に経済は順調に発展して、GDPは今では日本の2・5倍にもなって、1人当たりのGDPも日本の4分の1程度にまで来ています。鄧小平の改革開放路線の初期から1990年代までは、日本の資金及び技術による協力も非常に重要だったと思います。ADBも中国が1986年に加盟してから、融資を続けてきました。当初はインフラを整備して、市場経済を強化することが大きな目的でしたが、最近では気候変動対策や水質・大気汚染など周りの国にもよい影響がある分野に焦点を移しています。

 中国は、ADBの融資とナレッジを組み合わせた貢献を高く評価しています。私自身も年に数度は中国に行き、そのたびに財務大臣、中央銀行総裁、発展改革委員会の大臣といった要人に会い、中国の地域格差や財政改革、マクロ経済政策など幅広い議論をしています。李克強首相や劉鶴副首相などと会う機会もあります。中国は、国際社会あるいは日本とのエンゲージメントという観点からも、ADBを大事にしているのだと思います。6人の副総裁のうちの1人は中国人ですし、理事もいます。当然、中国人の職員もたくさんいます。

 ADBは、AIIBとの関係も良好です。私自身、総裁の金立群さんとは今まで10回近く会っていますし、すでにインドやバングラデッシュなど4件で協調融資を実施しました。北京に本部のあるAIIBのスタッフはまだ150人程度で、それも中国人が中心です。ADBの3100人に比べて人手が足りませんから、我々の組成した案件に相乗りすることになります。それでAIIBの協調融資部分については、一定のフィーを払ってもらっています。日本とアメリカはAIIBには入っていませんが、ADBを通じて間接的にAIIBと関与していると言えます。

大庭 見落とされがちですが、重要なポイントですね。

中尾 中国の経済面では、輸出から消費へ需要のシフトが起こり、サービスセクターも拡大するとともに技術力が強くなってきていることに注目しています。新幹線などの高速鉄道もめざましい発展を遂げていますよね。日本やドイツからずいぶん技術を取り入れましたが、今では車両にしても鉄路にしても、国内でもどんどんつくっている。東京大学におられた末廣昭先生が書いているように、ものすごい量をやっているからどんどん習熟していっている。

 それに、これは中国の大臣が言っていたことですが、中国は共産党・政府主導の国でありながら割と規制が緩い部分があるんです。例えばデータの活用にしても、フィンテックやシェアドエコノミーのような実験的な取り組みにしても、あまり規制に縛られずに進めることができる。日本だったら、安全上の理由やいろいろな制限で時間がかかってしまうことでもすぐにできる。テンセントやアリババのように、アメリカに対抗するような規模のプラットフォーム企業も出てきています。

 日本に比べたときに、英語ができてアメリカやイギリスに留学した経験のある人たちの存在感も大きいですね。

大庭 「アングロチャイニーズ」と呼ばれる人たちの存在ですね。

中尾 白石隆先生がその点を強調されていました。東南アジアにもそういう人がいっぱいいますが、彼らはアメリカやヨーロッパにただ勉強しに行くだけではなくて、留学先でベンチャーを起こしたりして、そこに定着してやっている人たちがたくさんいる。中国本土を含めて、中国系の人々の企業や技術のネットワークが広がってきています。大学も日本の大学より企業的に行動している部分があるし、国の支援も厚い。アメリカの大学やビジネススクールとの技術的な協力、提携も進んでいますね。

 こうしたことが相まって、中国の経済は新しい局面を迎えています。低い賃金の比較的良質な労働者を基に外国から技術を入れ、日本よりは質の低い製品をつくる「世界の工場」という見方を続けていたら見誤ります。

大庭 経済面に限りますが、今の中国を理解するには三つの側面から捉えるのがいいと思っています。まず一つは、おっしゃられるように中国の発展は自由で開かれた市場経済に依拠していたという点です。中国からマルチラテラリズム(多国間主義)を重視している言説が発せられるのも、まったく嘘というわけではなくて、彼らがそれに乗っかることで発展してきたという認識はあると思います。彼らが本当に自分たちの国内市場を外にオープンにしているのかどうかは、また別問題ですが……

 二点目が国家資本主義的な動きです。一帯一路は北京の指令に従って計画的に行われているというより、様々な企業が海外へそのビジネスをどんどん広げているという動きなのだと思います。けれども、そうした中国企業に中国輸出入銀行のお金が相当入っていることも事実です。一時期、一帯一路とAIIBは連動しているかのように見られていた向きもありましたが、この二つは切り離して考えるべきです。今のAIIBが国際金融機関としてそれなりに慎重な融資をしていることは、認識しておく必要があると思います。

 しかしながら、一帯一路が東南アジア、南アジア、中央アジア、ヨーロッパ、そして東アフリカに至る広大な地域で、中国の国営企業も含めた企業が中国輸出入銀行などのお金も流入させながら、経済的な影響力を拡大させる場になっていることは事実です。こうした国家資本主義とでも総括できる点のみをとらえて、「中国はルール違反である。リベラル経済秩序に反している」という批判をすることは容易です。

 けれども私は、実は三つ目のポイントが長期的に考えるともっと重要ではないかと考えています。それは今の中尾さんのお話にもありましたが、中国の技術革新です。例えば深圳における経済特区ではAIにしても認証システムにしても、いろいろな最先端技術が開発されていて、若いベンチャーたちが自由に会社を立ち上げて経済活動を行なっています。今では「シリコンバレーに行くのもいいけど、深圳に行ったらものすごい勉強になる」とまで言われるようになっています。もともとは日本や欧米の借り物だったにしても、それを発展させていて、特にデジタル技術の分野ではトップランナーになっています。こうした技術革新は別に国家の関与がどうということではなくて、市場の要求に従ってベンチャーたちが発展させていった側面があります。将来的にはこうした技術革新がさらに進み、デジタル覇権を若いベンチャーたちが牽引することが実現すると、我々日本は太刀打ちできずにどんどん置いていかれることになるのではないか。

 日本や欧米諸国が中国を警戒するのであれば、国家資本主義的な経済のあり方よりも、むしろこの技術革新こそが脅威ではないかと思うんです。他方で、一昔前に流行ったような中国経済が急速に減速することで大混乱が起きるというハードランディングシナリオは、ちょっと考えにくいと思います。

中尾 AIIBが慎重な融資を行っているというのはその通りです。AIIBには欧州諸国やオーストラリア、カナダのほかに、ブラジルやロシア、中東やアフリカの国まで加えて80数カ国の加盟国が入っていますから、国際機関として責任のある行動をとらなければ中国の名誉にも関わってきます。それから一帯一路との関係性ですが、金総裁も「自分たちは一帯一路の機関ではない」と明言しています。そのポジショニングは非常に賢明だと私は思います。

 一帯一路に関しては、貸付の量がものすごく多いものだから、債務の持続性という問題を各国に生んでいます。世界各地に中国の影響下のインフラをつくるという地政学的な問題もさることながら、経済合理性という観点からも最近とみに批判が集まっています。

「チャイナ・テイクス・オール」?

大庭 象徴的なのがスリランカのハンバントタ港の例ですね。中国の援助によって建設されましたが、返済が滞ったために港湾の運営権が中国の国営企業に譲渡されることになりました。

中尾 ADBは創設当初から、そのプロジェクトに経済的な合理性があるかどうか、貸しても返せるような投資になっているのかを厳しく審査しています。銀行ですから、経済性のない政治的なプロジェクトは避ける必要があります。OECD(経済協力開発機構)の枠組みでは輸出信用や、援助借款についても詳細な規制があります。借入国の負担に配慮しつつ不公正な競争を避けるのが目的ですが、中国はOECDには入っていません。どのような条件でどのような融資を行っているのかの情報開示も遅れています。

 中国は、「自分たちはまだ途上国だ。貧しい農村を見てほしい」と言っています。確かに貧しい地域に貧しい人はいっぱいいます。ただし、平均所得で見ても中国はすでに高所得国の分類に近づいてきています。貧しい人もいるが、大金持ちも目立ってきています。私は中国の当局者に言っているのですが、外から見た時には、中国はもう単なる途上国じゃない。極めて強力な産業国家であり、非常に大きな資金があって、他国にも援助をできるような経済大国です。技術も高度化しつつある。

 中国は2050年にはアメリカに並ぶような強国になると言っていますが、すでになっているんじゃないかと思っている人も国外には多いわけです。アマゾンのようなプラットフォーム企業が圧倒的に勝っていることを「ウィナーズ・テイク・オール」と言ったりしますが、そのうち「チャイナ・テイクス・オール」になるのではないかと人々が心配し始めています。知的所有権の保護や国内市場の開放、産業への補助金などで、公平な競争を阻害しているという批判もあります。

 中国自身は自由貿易体制を守り、地域協力を推進して国際的な役割を果たそうとしていると言います。経済の開放や改革を続ける努力もしていると。そして、アヘン戦争以降の屈辱の歴史から偉大な中国を取り戻すという目標には何の問題もないと主張し、実際そのように考えていると思います。内外のパーセプションのギャップが非常に大きくなっていることが、最近の各国との摩擦の背景にあります。私はすでに国際的に大きな存在感を確保しているのだから、さらに成長して強大な国になること以上に、国内の貧富の差を戸籍制度や税制、社会保障の改革を通じて減らしていくことこそ最優先の課題だと言っています。実際、中国自身がそのようなことも言ってはいるのですが。

大庭 それでも未だに発展途上国であるかのような言い方をしていますね。

中尾 私が気になっているのは、そもそもイノベーションと国家による強い関与は両立し得るのだろうかという問題です。中国は2015年5月に発表した『中国製造2025』において、10の重点強化産業を明示しています。次世代IT産業、航空・宇宙設備産業、バイオ医療などを国家主導で支援すると言っています。党の経済活動や学問への指導も強めています。改革開放以降の発展は、市場機能の活用、自由な経済活動に支えられていたところがありましたから、国家の関与が再び強まることはかえって効率性や成長を損なってしまうのではないかという懸念がある。もちろん、国際的な貿易投資のルールから見て問題はないのかという懸念もあります。

大庭 突き詰めれば、イノベーションと国家資本主義は両立可能なのかということですね。ここはとても大きなポイントになるのだと思います。国家が関与することで、さらなるイノベーションが生まれるのであれば、中国はますます強大化して本当に「チャイナ・テイクス・オール」の時代が来るのかもしれません。イノベーションの側がある種の変化を今の中国の体制にもたらすようなことになれば、そのほうがむしろ怖いという印象を私は持っています。中国が圧倒的な力を持ってしまう可能性がある。

 ですから、「中国を舐めてはいけない」と私は言いたいですね。日本社会の一部にはいまだに「中国は技術的には劣っている」ということを強調して安心しようとする傾向があります。私は高速鉄道に乗って嘉興から昆明まで行きましたが、速いし乗り心地も快適でした。乗るときにパスポートの提示を求められたことは不快でしたし、トンネルが多くて車窓からの風景を楽しむことがあまりできなかったという意味では不満でしたが。数年前、上海北京間での大惨事はありましたが、中国の鉄道分野での技術や経験の集積は相当進んでいると感じます。同じことはあらゆる分野に言えるでしょうから、中国が技術力で力をつけていることは、もう所与のものとして対応すべきだと思いますね。

中尾 つい最近、北京大学の起業家を育てるラボを訪ね、そこを巣立った若手経営者5人に会う機会がありました。私の質問に応えて、アドバイザーの指導教官は、「起こしたベンチャーがある程度成功したタイミングで、その会社は高く売って、新たな事業を開拓したほうがよい」という意見でした。実際に、今は国際的に金余りになっているので、大手企業が将来競争力を持ちそうなベンチャーをすぐに買ってしまう傾向があるわけです。

 ところがその5人の若手経営者は、「せっかく自分たちが開発した新しい技術で会社をつくったのだから、自分の会社を伸ばしていきたい」と言っていました。だから、こうした若き起業家の行動や発想は他の国と変わらないんです。私は、「創業時のパナソニックやホンダ、ソニーも同じだっただろう」と言いました。中国経済には国家資本主義という側面もありますが、このような起業家もいて、将来を読み通すことが簡単ではありません。

トランプ大統領の出現が東南アジアに与える影響

大庭 アメリカはいまトランプ政権のもとで、表面上はこれまでとは毛色の違った政策を展開しています。特に市場経済への関与については露骨にそれが現れています。アメリカは、「今までアメリカは自由貿易システムのなかで明らかに他国から食い物にされ、損をしてきた。こうした『不公正』は排し、『公正』な取引を進めるべき」という主張を押し付けています。こうした主張は、1980年代の日米貿易摩擦やその後の日米構造協議の時の構図と同じです。当時の構図を2010年代になって押し付けてくること自体、非常に問題だという気がしています。

 トランプ大統領の出現はアジア、特に東南アジアにはどのような影響を与え得るのでしょうか? 民主主義という側面に限って見ていきたいと思います。先ほどASEANはジグザクの道のりを経ながら、民主化や人権保護を重視するほうへ向かってきたという話をしました。けれどもトランプ政権は、自由や民主主義の価値観を高く掲げる態度を見せていません。もともと東南アジア地域は権威主義的な体制の国家も多いわけですから、今のアメリカのそうしたスタンスは、この地域の民主主義を後退させる大きな力になるのではないか? そこに中国からの働きかけがあれば、一層それに拍車をかけることになるのではないかといった懸念が語られることが増えてきました。

 しかし、私にはそう簡単に東南アジアから民主主義が後退していくとは思えません。どうしても日本のなかではアメリカと中国の話ばかりになりがちで、両国の働きかけでアジアがどうとでも動くと考えがちなところがあります。もちろん、両大国はこの地域に大きな影響を与えています。けれども実際の変化は、むしろ各国の国内事情によって引き起こされているのです。今アジアの一部の国で民主主義が後退しているとすれば、それはトランプ政権の成立や中国の超大国化というよりも、国内的な事情や政治的な文脈による影響のほうが大きいのだと思います。

 民主主義から一番かけ離れている東南アジアの国は、おそらくブルネイだと私は思っています。ブルネイはスルタン制の国で1984年に議会が解散されて以来、選挙もありません。資源があり人口が少ないためにその制度が維持されていますが、かなり特殊な国です。それでもボルキア国王は、アメリカからそれなりに遇されています。それに対してカンボジアは、制度的には選挙を行い、民主主義の手続きをそれなりに踏んできました。しかし、フン・セン首相は一度もワシントンに呼ばれていません。カンボジアからすれば、それはかなり不満なわけです。

 この話に象徴されるように、アメリカはアジア諸国にキメ細かく目配りしていたわけではありません。アメリカ側にはアジア諸国に対して明らかに先入観があって、その思い込みで対応していたところがあります。今までもすべてのアジアの国に対して、同じように民主主義や自由の価値を掲げていたわけではないんです。オバマ政権がアジア太平洋「リバランス」政策を掲げてくれたのは良かったのですが、あれに対して高い評価がされていたのかと言えば、そうでもありませんでした。ですから、東南アジア地域においてはアメリカの政権の性格に関わらず、民主化の進展については一進一退があるのだと思います。

 東南アジアにおける国内の文脈で私が今とても気になっているのは、宗教に依拠したアイデンティティ・ポリティクスが前面に出てきつつあることです。特にイスラム教の存在が際立っています。イスラム系のマイノリティであるロヒンギャ迫害の問題は、ミャンマーで多数派を占める仏教徒の普通の人々の抜き難いロヒンギャ=ムスリムへの差別が大きな要因になっています。逆にムスリムが多数派を占めるインドネシアでは、来年4月に行われる大統領選挙に向けて、現職のウィドド大統領は副大統領候補にイスラムの宗教政党のトップであるマアルフ・アミン氏を選びました。それまではモハマッド・ユスフ・カラ氏という自分のビジネスの世界での仲間を副大統領にしていましたが、それを宗教色の強い人物に替えようとしている。

中尾 元インドネシア大学の女性の経済学教授で、世銀のナンバー2も務めたことがあるスリ・ムリヤニ財務大臣が副大統領候補になるかもしれない、とも言われていましたね。

大庭 ムスリムを副大統領候補に持ってくるのは、票になるからこそです。選挙で勝つためには、どうしても多数派工作が必要になります。そのときにイスラムを掲げることが、安全でもっとも確実に票を集めることができるという回路がある。インドネシアはイスラム国家のなかでは、世俗的にやっていくことを意識的に進めてきました。ところが、ここに来てイスラムの影響が顕著になっています。

 それから、やはりこの地域の民主化のゆくえについては、中国の存在が大きな影響力を持っています。中国は、援助する相手国が民主的ではなかったり、人権意識が低かったりしても構わない。さらに、前述したように「民主化なしで経済発展が可能」というモデルを中国が事実上提示していることの影響もあるでしょう。また、中国について、独裁国家が外国に独自に自国の方針を飲ませるべく圧力をかける「シャープ・パワー」を駆使しているという見方が一部でなされていることも承知しています。私はそれらを軽視しませんが、しかし、それで中国にすべてを持っていかれると考えるのも早計だと思います。

 東南アジアの国々は、今こういう時期にあっても自分たちの主権についてはものすごくこだわりがあるんです。一帯一路によって中国のいろいろな投資を受け入れることの危険性は、東南アジア諸国もよくわかっています。中国に依存しすぎることは、自分たちの主権や国家の基本が脅かされるという認識はきちんとあるんですね。スリランカの例は教訓として活かされています。

 だから、カネの問題のみで中国の側だけにいかに引きずられないようにするか。これは東南アジアのどこの国でも非常に大きな問題になってきています。ここに我々が今打てる手がそんなにあるわけではないのですが、だからと言って、東南アジア諸国が簡単に中国のみに吸い寄せられるとは思えません。

 フィリピンですら、一時期ドゥテルテ大統領が南シナ海問題についてすべて棚上げして中国にすり寄るような言い方をしましたが、国内の世論調査を見ると中国に対する信頼感はものすごく薄いんです。他方で、アメリカに対する信頼度はやはり高い。ドゥテルテ大統領も今は、「南シナ海問題について棚上げすると言った覚えはない」とかなり強い言い方をしています。

 
いま東南アジア諸国は、どちらか一方のみについて旗幟鮮明にするような外交は、どこの国もできないんです。日本だってできないと思います。

中尾 そのとおりだと思います。どこかの一つの国に与して国の主権や独立を損なうことを是とするような国は、アジア全域を見てもどこにもありません。

大庭 トランプ政権が誕生したことで真剣に議論され始めたのが、アメリカがこの地域への関与を弱めて、次第に後退していくのではないかということです。

中尾 仮にアジアから退いていくとなると、アジアの安定には非常に大きな悪影響がありますね。

大庭 とても困ることになりますが、もしかしたら退くかもしれないという可能性は考えておく必要があります。私は、仮に退くにしてもそれは相当先のことだと思います。けれども中国の存在感は確実に増していきますから、いつかはアメリカに代わって覇権を握る世の中がやってくるかもしれません。そうなるとバランスが変わりますから、コストが増大してアメリカがこの地域に関与し続けることが割に合わないと判断される可能性もあります。

 今の時点では、自分の領域から遠く離れた地域にまで自国の軍事基地を展開している国はアメリカだけです。中国もいろいろなところに展開したいという思惑はあるのでしょうが、現在は、昨年8月に中国海軍がアフリカのジブチに初めて明確な他国の領域内に軍事基地を開設したくらいで、アメリカと比較するとまだまだ限定的です。

 アメリカはそうした関与を続けることによって、自分たちにとって望ましい国際秩序を維持してきたわけです。それが戦後の流れだったと思うんです。

中尾 確かにアメリカは、時に兵隊の血を流すような犠牲を払ってまでも、自由主義や市場経済を基本とする国際秩序を維持するためにコミットメントを続けてきました。もちろん理想だけを追っていたわけではないし、間違いもあったと思います。しかし、全体としては国際秩序の安定にプラスでした。それがこれからもまだ残るのかどうか。

大庭 私は残ると考えています。なぜなら、関与せずして自分たちにとって望ましい秩序を維持することは不可能だからです。

中尾 コストを払ってでも維持すべき国際秩序というのはどういうものでしょうか。どのような秩序がアメリカにとって望ましいと思われますか? 冷戦期には割と明確だったと思うんですが、今はそれを定義することがより難しくなっていますよね。

大庭 その答えは、今のところやはりリベラル秩序と言うしかないと思うんです。それが彼らの一応の国是でもある。実態はともかく、国是でもある自由と民主主義、そしてすべての国がフリー・アンド・オープンな市場に依拠することではないでしょうか。

 けれども、今までのアメリカだって自分たちにとって都合の良い国に対しては、たとえ民主的ではないにしてもその部分には目を瞑るところがありました。韓国は冷戦時代にはひどい開発独裁をやっていましたが、アメリカは実質的にそれを支持して見て見ぬフリをするということをやっていました。

中尾 中南米や中東、アフリカに対する態度も同じようなところがありましたね。

大庭 ですから、アメリカにはいろいろな逸脱はあるんです。けれども自由、民主主義、自由主義経済を望ましい秩序として一応は掲げ続けて、他の地域へのコミットメントを維持してきました。今後もこうした関与をアメリカが維持するのかどうかは、やはりそこで中国がどのような出方をするのかに掛かってくるのだと思います。それがアメリカのコストを決めることになる。

 国際政治学の「覇権安定論」という考え方にも出て来る話ですが、いわゆる大帝国が崩壊するときは、たいてい容量が大きくなりすぎています。帝国を支えるコストが高くなり過ぎると、維持することはできなくなる。その時に大きな変動が起こります。ただ、私がとくに強調したいのは、それがすぐにでも起きるわけではないということです。一回構築されてしまったものの力は強いと私は思うんです。けれども、遠い将来そうした大変動が起きる可能性は捨て切れないと考えています。

「国家」という政治共同体の役割は大きい

中尾 アメリカにおけるトランプ政権誕生の背景として、ポピュリズムということが言われることがあります。欧州でもそのような動きが強まっています。そしてその背景に、技術進歩とグローバリゼーションによって中間層が傷ついたことがあると言われています。グローバリゼーションが進展する中で、国民国家、主権国家の役割について、どのように考えられますか?

大庭 国際関係のパワーバランスによっては、アメリカが掲げてきた秩序を維持するコストが高くなる可能性があるという話をしました。自由、民主主義、人権の保護それから健全な市場経済を前提にするような秩序が維持されることをプラスに思う国民国家が多く存在しているということが、その維持コストを低くすると思うんですね。

 現実的に多くを動かせる政治共同体の単位は、やはり国家です。民主主義国家であれば、その変化を担うのは国民ですよね。結局はそこに帰すると思うんです。我々はアメリカの大統領が誰になるかということに非常に大きな影響を受けていますが、大統領を選出する権利があるのはアメリカ国民だけです。今はまだそういう世界にいるんです。よって、今のところ実効性のある政治共同体の一番大きい単位は、いまだに国家ということになります。その枠組みは強固に残っています。ですから、それぞれの国民国家がヘルシーな方向に向かうことが、結果的に世界全体がよくなっていくことに貢献するとも言えます。

中尾 私もまったく同感です。共同体としては、家族と国は最も重要です。われわれは隣の家と一緒の家族にできるかと言えば、それはできないんです。国にしても同じで、すべてを他国とシェアすることはできません。これは京都大学の中西寛先生や慶応大学の細谷雄一先生のご著書に啓発されてのことですが、国民国家の基本に立ちつつ、自国民の長期的な利益のためにも、どうやって国際的な協調を維持、強化していくのかが問われていると思います。

 同時に、主権国家を支える広範な階層の国民を大事にする姿勢、再分配や社会政策をもっと重視する政策が求められているのではないでしょうか。これはアメリカや欧州、日本についても、アジアの新興国についてもあてはまる考え方だと思います。

 冷戦終結以後に、これからは民主主義と市場経済が世界を覆い、その意味で歴史は終わるという議論がありました。実際、経済面、政治面で、グローバリゼーションが進みました。2001年の中国のWTO加盟と国際的なサプライチェーンの深化・拡大も大きな変化です。しかし、技術革新とグローバリゼーションの進展が、国家の中での格差、分断をもたらしつつあります。

 EU(欧州連合)が拡大していったのを見て、主権国家よりは地域共同体が大きな役割を果たし、一方では国未満の単位である地方がより市民に近い民主的な枠組みとして重要になるという考えが生まれた時期もありました。ユーロ地域は通貨と金融政策は一つになり、財政にも一定のルールがはめられました。しかし、税金、社会保障、預金保険が一元化されたわけではありませんから、金融危機時の国境を越えた支援は限られていて、そこからいろいろな矛盾が吹き出すことになりました。イギリスのEU脱退の動きが象徴するように、各国で移民をどうマネージしながら受け入れていくのかということも問題になっています。

 主権国家は、民主主義の下では選挙民であり、納税者でもある国民の支持がなければ機能しません。EUの政策を決めている人たちは選挙で選ばれておらず、EUは主権国家ではありません。EU本部にいるエリートたちが民主主義とグローバリゼーションを唱えながら主権国家の力を相対化し、結局は各国の普通の国民から離れた非民主的な形で多くの重要な決定を行っているのではないか、という不満が強くなってきているわけです。

 アメリカでもグローバリゼーションで利益を得ているエリートと、むしろ生活が苦しくなって注目もされていないと感じている普通の国民の間に乖離が広がっています。こうした乖離は、アメリカが国際的にこれまでのような役割を果たすことにネガティブに働いていると思います。トランプ政権は、原因というより結果という面があります。

大庭 そう考えると、税金というのはやはり大きいですね。多国籍企業がグローバルに活動している現在においては、だからこそタックスヘイブンは問題が多いという話にもなりますね。グローバル化が進んで世界を股に掛けて活動している人たちが、それでも母国に税金を払うことにどれだけの意義を見出すのか。

 先ほどアングロチャイニーズの話が出ましたが、日本でも一部の層は日本の大学には行かずに欧米の学校に進学するケースも増えてきたようですね。そこで国境を越えたおつき合いをして、活躍する。こうしたグローバル人材──私はあまり好きな言葉ではないのですが──が日本のために働いてくれる保証はどこにもありませんよね。皮肉なことですが

今のリベラルは本来あるべき姿から乖離している

中尾 重要なポイントです。各国の国際競争力の観点からも、人材も企業も国家の枠組みを超えて活躍することが求められています。それが前提になっている時代とも言えますが、それは国にとっては社会保障や公共財の提供に必要な税収の確保を難しくするという問題を生みます。グローバルに活躍の場を広げ、自由に移動する人たちが増えると、一言で言えば税金が集まらなくなり、貧富の差はますます拡大します。

大庭 そうなんですね。教育の段階からグローバルエリートばかりが集うコミュニティができるとなると──それはそれで興味深い世界ではありますが──国民の分断が起こるのかもしれません。日本はまだそうした存在は少ないと思いますが、今後はそうしたグローバルエリートが増えてくるのではないでしょうか。それでも分断を起こさずに政治共同体としての国民国家を維持することが、少なくともしばらくは求められる。なぜそれを維持しなければいけないのかということを、いかに説得的に論じるか。実はこのことが問われている気もします。

 日本全体が底上げされて、それなりにみんなが満足する社会を実現させるには、自分たちばかりが極端に差別されているとか、経済的に困窮していて損をしていると感じている層を放置しないことが求められます。だから健全な国家を育むにあたって、リベラルのあり方はとても重要になのだと思います。けれども、今のリベラルは本来あるべき姿からだいぶ乖離してきているように思えるんですね。アメリカやヨーロッパでもこれだけ反リベラリズムが台頭しているのはなぜなのか。ポピュリズムの台頭を嘆くだけではなくて、この問題にはきちんと向き合う必要があると私は考えています。

 今のリベラルは、いわゆるマイノリティの利益を擁護するという立場ばかりが強調されているように思うんです。LGBT、少数民族、女性の社会進出などいわゆるマイノリティの権利保障を訴えることがリベラルという印象になっています。それが大事であることはまちがいありません。けれども、そうした立場の人たちの利益を代弁すること=リベラリズムになってしまうと、もともとの役割があまり顧みられなくなってしまう。つまり、格差の是正や福祉政策を幅広く求めることで社会全体の底上げをするような、本来のリベラルが果してきたことです。

 いつの間にかそうではなくなって、リベラルも保守もエリートばかりになってしまいました。いま世界中でリベラルに対する反発意識が高まっているのは、そうした現状への反動ではないかという見方を私はしています。

中尾 賛成です。アメリカは、国全体としてはこれまでグローバリゼーションによって大きな利益を得てきました。けれども、トランプ大統領の支持層はグローバリゼーションによって自分たちの仕事が奪われ、所得があがっていないと考えている人たちです。彼らは、社会での位置づけに誇りを持ちにくくなっています。トランプ自身はむしろお金持ちのエリート層出身だし、その政策も労働者層に資するかどうかは大いに疑問です。しかし、正しい政策で普通の人々の生活や役割を支え、政治に対する信頼を取り戻さなければ、誰が政権に就こうとアメリカが国際的に適切なリーダーシップをとることは難しくなります。

 私は日本の魅力や強さは、グローバル化が良い意味でも悪い意味でも大きく進んでいないことではないかと思っています。このことは、日本がグローバリゼーションで利益を最大化してこられなかった原因でもありますから善し悪しがありますが、ひょっとしたら日本固有の良さでもある気がしています。

 世界各国を回ってきた感想として、日本は歴史上他国から侵略されたこともなく、無謀としか言いようのなかった太平洋戦争を例外として、戦乱にまみれたことも少なかった稀有な国です。人々の間に基本的な信頼関係があり、とても穏やかで住みやすい国だと思います。だから、どんなグローバル人材でも、最後は信州で山菜でも採りながら暮らしたいという人がけっこう多い(笑)。こうした日本の「ほっこり」としたところは、外国人にとっても大きな魅力です。このほか、仕事にこだわる職人気質、信用を重んじる商人道、明治以降の近代化の蓄積、長い知や文化の伝統も日本のよさです。戦後一貫して平和主義を貫き、アジアの発展を誠実に支えてきたということとあわせ、アジア諸国からも逆に評価が高まっている面があるのではないでしょうか。何とか日本の経済的活力にもつなげていきたいものです。

大庭 よくわかりますね。私も海外出張が多いのですが、どこへ行っても長くいると「早く日本に帰りたい」と思います。けれども、日本があまり貧しくなってしまうと「帰りたい」とも思わなくなるでしょうし、何より「ほっこり」している場合ではなくなってしまいます。ですから、日本が豊かな国で居続けるための努力は、やはり必要なのだと思います。(終)

※肩書き等は掲載時のものです。

中尾 武彦・アジア開発銀行総裁
なかお たけひこ:1956年生まれ。東京大学経済学部卒、大蔵省(財務省)入省。カリフォルニア大学バークレー校経営大学院修了。国際通貨基金審議役、国際局国際機構課長、主計局主計官(外務・経産・経協担当)、在米国大使館公使、国際局長、財務官などを経て、2013年より現職。公務のかたわら東京大学で客員教授を務め、著書に『アメリカの経済政策』がある。
大庭 三枝・東京理科大学工学部教授
おおば みえ:1968年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業、東京大学総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は国際関係論、アジアの国際政治。東京大学大学院総合文化研究科助手、東京理科大学工学部准教授などを経て、2014年より現職。10年1月より13年1月まで内閣府原子力委員会委員を務める。著書に『アジア太平洋地域形成への道程』『重層的地域としてのアジア』、編著に『東アジアのかたち』がある。

 

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