『公研』2023年5月号「めいん・すとりいと」
私のSNSとの関わりは古い。インターネット普及前に流行ったパソコン通信も広義のSNSに入ると思うが、修士時代からそのプロバイダーの一つニフティ・サーブの会員になり、オンラインでのチャットを楽しみ、そこで知り合った人々とオフ会で交流を深めたりした。その後インターネットの時代になると、オンラインの交友の場はmixi、さらにFacebookと移り変わった。
さらに2年ほど前、Twitterでの発信もするようになった。もっと広く自分の考えていることをつぶやきたい、と思ったからである。というのも、Facebookは友人たちとの交流の場という性質が強い。もうちょっと、社会に石を投じてみたくなったということだと思う。そして実際にTwitterで政治、経済、社会問題についての発言をしてみると、それらに対する反応はやはり大きいことを実感した。
ただし、良いことばかりではなかった。自分の意見や見解に対して賛否が分かれることは理解できる。しかし明らかに事実と異なることを言いつのり、人の言葉尻をつかみ、しつこく引用リツイートをしたり、コメントしたりといった人が少なくないことには驚いた。ロシア・ウクライナ戦争について明らかにロシア側のプロパガンダに立ってかみついてくる。ビルマ戦線についてのドキュメンタリーについてつぶやいたら「日本は悪くない」「欧米を駆逐しアジアを解放したのだ」と言いつのる。出典も定かではない写真やら資料を載せているようなウェブサイトや著書の一部を貼り付け、迫ってくる。さらにASEANやグローバルサウスの話をすると「貧乏な国が日本にモノをせびっているだけ」といったとんでもない時代錯誤の反応まで来る始末。すなわち私のアカウントは数度にわたってわかりやすく炎上したのである。
不思議とそれほどショックではなく、あらこれが炎上というものなのね、と冷静な自分がいた。そしてしばらく、ほぼすべてのリツイートやコメントに丁寧に事実を示しつつ対応していた。知らない人にもきちんと情報を伝えるのが役目だと思っていたのと、私の発言に対するおかしなコメントを放置しているとそれを私が容認していると取られかねず、それを避けたいという思いがあった。さらにTwitterとは様々な人々の多様な意見に触れる場であり、それは自分への反論も含まれるべきだと考えていたのもある。
しかしそのうち、罵倒、小馬鹿して揶揄、慇懃無礼、といった魑魅魍魎めいた引用リツイートやコメントがどんどん湧いてくるようになった。時間も取られる。もちろん私の発言に理解を示す方、賛同する方、また冷静に異論を述べつつまともに議論をしようという方も多い。そういう方々の発言を見てほっとする一方、さすがに私も疲弊し、返す言葉もかなり乱暴になってきた。さらにいうと、「日本の過去の植民地支配は欧米に比べれば悪くない」、あるいは「同じなのに日本だけが責められるのはおかしい」と叫ぶその心情の裏には、日本社会に沈殿する欧米、特にアメリカに対する根深い反感があることを感じた。これは、今回のロシア・ウクライナ戦争において、欧米側の「欺瞞」や「ダブルスタンダード」を強調し、NATOが加盟国を広げたのを欧米の陰謀だと言いつのりロシア側に立つことにもつながっているという印象も受けた。
ある日、私は方針を変えた。発言のスタイルや内容が見るに堪えないものについては、即ブロックして関係を断つことにしたのである。反論を封じるのかといういちゃもんが例の如くついたがかまうもんですか。私はあなた方の親でも教師でもないのである。そして私のTwitter生活は比較的平和になった。
読者の皆さんの中にはTwitter自体やめればいいのではと考える方もいらっしゃると思うが、私はSNSはやはり広く自分の意見を述べたり、またそれに対する反応を見て様々な意見を知る場として有効だと思う。また同業の友人たちの専門的な内容のツイートやリツイート、また国際的事件についての意見をダイレクトに得られる場としても有益である。私もただ乗りしないで発言や発信をしたいと考えている。
Twitterを含めた、これまでの長いSNS経験から思うこと。それはオンラインでも対面でのお付き合いでもマナーを守って人間関係を築くのが肝要ということである。
神奈川大学教授