『公研』2022年6月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

エネルギーをめぐる情勢が激しく揺れ動いている。

資源に乏しい日本はエネルギー戦略をどのように描いてきたのか。

戦前から振り返って考える。

 

顕在化する世界的なエネルギー危機

 岩瀬 エネルギー情勢が大きく揺れ動いています。2年前の20204月には新型コロナウイルスの蔓延によって需要が急激に落ち込み、先物市場NYMEXにおいて原油価格が史上初めてマイナス価格(1バレルあたりマイナス37.63ドル:WTI)を記録しました。しかし、コロナ禍からの脱却の兆しが見え始めたことから需要が一気に高まり、昨年の秋にはヨーロッパでエネルギー危機に陥ります。さらに今年2月にはロシアがウクライナへ侵攻したことで、エネルギーをめぐる情勢はさらに混迷の度合いを増すことになりました。

 日本では、電力の供給量不足で322日には経済産業省が電力の需給逼迫警報が発令する異例の事態になっています。同時に気候変動問題への対応も要求されています。英国のメジャー国際石油資本BPBritish Petroleum)の前CEOボブ・ダドリーは、現在のエネルギー業界が求められているのは「more energy, less carbonの同時解決だ」と指摘していましたが、私はこれは人類が直面している課題だと考えています。

 このように、今エネルギーをめぐり解決すべき課題が山積しています。本日は日本のエネルギー政策を100年以上前から遡って辿ることで、今後の戦略のヒントになるような議論ができればと考えています。その前にまずは、今のウクライナ危機を踏まえた足元の動きについて確認していきます。十市さんは現状をどう見ていますか?

 十市 今の状況を見ていて真っ先に思い出したのは、1973年に始まった石油危機でした。この年は私が日本エネルギー経済研究所に入った年でもあります。当時1バレル3ドル前後だった原油価格は134ドルになり、1978年のイラン革命後の第二次オイルショック時には37ドルまで高騰しました。現在のドルで換算すると100ドルを超える水準です。私は今回のウクライナ危機と70年代のオイルショックは、二つの点で似ていると感じています。一つはエネルギー価格の暴騰で世界経済が大インフレになり、国民生活や社会全体に大きな影響を及ぼしていること。もう一つは、エネルギー資源が「政治的な武器」として使われていることです。第一次オイルショックの時は、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が第四次中東戦争で親イスラエルの欧米諸国に対して、石油の禁輸や大幅な輸出削減措置をとり、日本でもパニックが起きました。

十市 勉氏

 今回のケースでは、ロシア産の石油や天然ガスに大きく依存しているEU諸国で供給不安が高まっています。昨年からすでにヨーロッパでは天然ガスや卸電力価格などの高騰で「エネルギー危機」の様相を呈していましたが、今回のウクライナ危機で石油、天然ガスの供給不安がさらに高まり、すでに原油価格は100ドルを大幅に超えています。

 会議の先行きを見通すことは難しいのですが、危機が長期化するとロシアからの石油、天然ガスの供給が減っていくのは確実です。逆に買い手であるEUは、「脱ロシア化」を明確にしていて、8月からは石炭の輸入を減らし始め、原油および石油製品は年内に約9割を削減することで合意しました。天然ガスは代替源を見つけるのが難しいため、削減措置をとっていません。いずれにせよ、世界を巻き込むようなエネルギー危機がこれから顕在化する恐れがあります。

スーパーサイクルに入ったのか?

 岩瀬 今の高騰が今後も続くかどうかは、大きなポイントになりますね。2021年の1月くらいからウォールストリートの投資銀行筋は、「スーパーサイクル」説を唱えています。スーパーサイクルとは、需要が急激に増えたために構造的に供給量が足りなくなる状況を指します。普通、景気は循環しますが、このサイクルに入ると長期的に価格が上昇し続けることになる。歴史を振り返ると、最初に起こったのが1910年代から20年代の産業化・都市化したアメリカ。2番目が第二次世界大戦後のヨーロッパと日本の復興期。3番目がオイルショック時。4番目が2000年代に入った頃から10年間くらい産業化・都市化した中国です。 

岩瀬 昇氏

 僕は少なくとも石油については、今がこのスーパーサイクルに入っているとは見ていません。昨年5月に『ファイナンシャル・タイムズ』も社説で「今起こっているインフレがスーパーサイクルならば、これまでとはまったく異なったもので、おそらくグリーン化がもたらしているものだろう」と書いています。「グリーンフレーション」という言葉が生まれる素地がある、というわけです。

 石油について言えば、OPECプラスの協調減産は今年の9月ぐらいまでにゼロになる見通しがあり、アメリカによるイランへの制裁は解かれていない状況が続いています。ですから、石油は構造的に供給が足りない状況ではなく、人為的なかたちで供給が細っているわけです。こうした制約をすべて外すことができれば、供給量にはまだ余力があります。もちろん、それを外せるか外せないかという政治的な問題はまた別にあるわけですが……

 今の原油価格には、いわゆるリスク・プレミアムが30ドルぐらい乗っているというのが市場の評価です。昨年12月の段階で70ドル程度だったのが今は110ドルぐらいになっていますから、上昇分をウクライナ危機によるプレミアムと見ることができる。十市さんがおっしゃるようにウクライナ危機は長期化する可能性がありますから、今の100ドル水準はしばらく続くのだと思います。ただ70年代のオイルショック後に景気が後退して、代替エネルギーの移行や省エネ化が一気に進んだような大転換が起きているとは僕は考えていません。今の事態が第三次オイルショックに繋がっていくとは判断していないんです。

十市 70年代と比較した際の一番大きな違いは、当時は売り手である産油国が値段を決めていてマーケットがなかったことですよね。それが1983年にニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)にWTI原油先物が上場されて、それ以降は市場で値段が決まるようになりました。ここが根本的に違う。市場価格は、現在のように先行きに不透明感があるとリスク・プレミアムが乗ることになります。2007年のリーマンショックの直前にも140ドルを超えましたが、逆にリーマンショック後には30ドル台まで急落しました。

 マーケットが機能するようになったことで、投資家の存在感がどんどん大きくなっています。特に気候変動対策として脱炭素が打ち出された2015年のパリ協定(COP21)以降、化石燃料を悪と見なすのが世界の風潮になりました。ヨーロッパでは化石燃料に投資する企業には資金を貸さないという流れができて、それが日本にも波及してきています。この影響もあって、石油メジャーは石油や天然ガスの新規の開発投資を止めたり、大幅に削減しています。結果的には、中東やロシアのような専制主義的な国々が供給の主導権を握れる構造になってきていて、それは今後も続くのだと思います。

 スーパーサイクルに入ったかどうかという議論は、投機的な要素が背景にはありますよね。マネーサイドが「スーパーサイクルに入った」と言えば価格は上昇しますから、そこで売り抜ければ必ず儲かるというビジネスモデルができ上がっている。そうした状況下での話なのだろうと思っています。構造的に見れば、中国やインドを中心としたアジアのすさまじい高度成長が今後も続けば、需要が急増して価格を押し上げます。ただし、コロナ禍の影響もあって燃料需要を急に押し上げるような状況ではない。そういう意味では、スーパーサイクルとは言えないのだと私も思います。

 今は戦争が絡んでいますから、先行きがはっきりしない限りは危機的な様相が続くことになる。今後ロシアからの石油、天然ガスの供給がかなり減ってくることは確実ですから、年内から来年の冬にかけてかなりの影響が出そうです。特に天然ガスは、各国による奪い合いになる恐れがあって、今からとても心配しています。

岩瀬 原油や天然ガスの価格上昇がインフレに繋がると、景気は悪くなります。景気が悪いにも関わらず物価上昇が続くスタグフレーションになるかどうかも心配されるところです。インフレを考慮した実質価格で見ると、100ドルというのは「いつか来た道」です。ですから100ドル水準ならば、僕はそうはならないのではないかと見ています。名目価格でも2000年以降、何度か100ドルを超えていた時期がありましたが、その時に世界の景気が目に見えて悪化したのかと言えば、そんなことはありませんでした。なので、100ドルは世界経済がなんとか回っていける水準ではないか。もちろん150ドルになると、また次元の違う話になってくるでしょうが

十市 長期にわたると100ドルは高すぎるので、私は持続可能な水準ではないと思いますね。中国は買えるにしても、インドやASEAN諸国、ましてやアフリカの国々は高すぎて買えなくなる。

LNGの争奪戦が始まる?

 岩瀬 新興国は確かにヒーヒー言ってしまうことになりますね。ただ量的には石油需要は先進国が圧倒的に大きいので、全体の需要の減退にはつながらないのではないかと見ています。いずれにせよ戦争が終わらなければ、危機的な様相が続くことは間違いない。十市さんはロシアのウクライナへの侵略戦争はどういったかたちで終わるとお考えでしょうか?

 十市 難しいですね。西側諸国を中心にウクライナを支援している状況を見ると、当初プーチン大統領が予想していたような短期決戦で決着するとは考えにくい。現在は逆に押し込まれている地域もあります。そうなると、シナリオとしてはプーチン政権がウクライナの東部や南部を一応は押さえたまま生き延びる。その状態がどのくらい続くのかはわかりません。そうなると、ロシアへの強い経済制裁は続くことになる。

 あるいはプーチンへの批判が国内からも出てきて、政権がもたないという状況もあり得るのかもしれません。この場合のロシアは、かなりの混乱が起きることになりますよね。プーチンが倒れたとしても、西側が望むような民主的な政権がすぐに誕生することは期待できませんから、やはり長く混乱が続くのではないか。

 岩瀬 僕はとにかくプーチンが倒れないと終わらないと思うんです。倒れ方はいろいろあるのでしょうが、いずれにしても元に戻ることはまずないし、すぐには安定しないでしょう。原油や天然ガスの生産量も減少するでしょうが、それでも売る相手、買うところはいますよね。今回のウクライナ侵攻に対する国連の非難決議への反応にしても様々です。G7を中心としたグループは明確にロシアを非難しています。ロシアに100%くっついている国には存在感のある国はありませんが、どっちつかずの横目で見ている国のなかには大きな国があります。中国やインド、あるいは中東の産油国などは正面からはロシアを非難しない態度をとっている。

 EUはまだ正式にはロシア産の石油を禁輸にしていない状況ですが、評判が毀損されることを気にしている西側の石油会社や大手トレーダーも取引を減らしています。ロシアの石油は大幅に割り引かないと売れなくなっていますが、インドなどは堂々と「安いから買います」という態度です。中国、インドといった大口のバイヤーはある程度のボリュームをとっていくことになると思います。

 今、EUは石油の次に天然ガスの禁輸を視野に入れて動いています。この流れは変わらないでしょうが、ここには十市さんがご指摘されたように難しい問題がありますよね。EU向けを中心として輸出量が減ることになると、ロシアは今の輸出量の半分ぐらいの影響を受けます。石油で言えば、日量300万から350万バレルぐらいの規模です。輸出方法がパイプラインかLNGでしかないガスのほうが対応は困難です。EUのロシア産パイプラインガスの輸入量は年間1,550億立米(石油換算で250BD)ほどです。EUにとっての問題は、それだけの量を他の国から代替手当することは可能なのかということですよね。

 ドイツは、早速カタールと天然ガスの交渉に乗り出しましたが、20年以上の長期契約を求められたこともあって決裂したようです。ドイツは脱炭素政策を掲げていますから、20年もの長い期間、天然ガスを購入し続けることにはコミットできないわけです。強い経済と脱炭素政策との折り合いをどのように付けるのか。ここはとても難しい問題ですよね。EUですら、ロシアからの天然ガス供給をすぐには止められないわけです。

 5月初旬にフォン・デア・ライエン欧州委員長は、第六次制裁案の一環としてロシア産の石油禁輸の基本方針を発表しましたが、その時も「ウクライナを支援するためにも、我々の経済は強靭でなければならない」と言っていました。ここは日本の場合も同じです。日本がロシアで投資しているサハリン12やアークティック2──来年から始まる予定でしたが今はスローダウンしています──などについては、引き続き関与し続けなければなりません。日本経済が強靭でなければ、いかなるかたちであっても国際協力はできない状態になってしまいます。大前提としてこのことを各国に認めさせる外交努力は、引き続きやっていくことが大事です。

 十市 まったくその通りですね。しかし、LNG情勢はとても気になります。シェルが出している最新レポートによれば、LNG輸入国の上位5カ国は中国、日本、韓国、インド、台湾でアジア諸国が全体の約70%を占めています。先ほどドイツがカタールと天然ガスの交渉をしたことを紹介されましたが、今後ヨーロッパが今7割を占めているアジア向けの市場に買いに入ってくることになる。すでにアメリカ産のLNGがヨーロッパにかなり流れていますよね。夏は凌げるでしょうが、今冬が冷え込むようであればLNGが取り合いになる可能性があります。

 それから、ロシアのLNG供給量が減る可能性もあります。旧ソ連が崩壊した直後、ロシアの原油生産量はかなり減りましたが、似た状況が起きる恐れが十分にある。ロシアで行われているLNGの新規プロジェクトについても遅れが指摘されています。サハリン2は約1,200万トン、ヤマルLNGプロジェクトは約1,800万トンの生産規模ですが、サハリン2からはシェルが撤退を表明しました。ヤマルにはフランスのトタルエナジーズが深く関与しています。トタルは新規の投資は行わないと言っていますが、現在進めているプロジェクトをどうするのかには言及していません。すぐに撤退はしないのかもしれませんが、戦況が一段と悪化すれば継続が厳しくなるでしょう。また、日本企業も参加しているアークティック2については、来年から生産が始まる予定でしたが対ロシア経済制裁の影響で今はストップしています。

 さらに心配なのは、関与している外国の企業が去っていくとロシアは自分たちだけではLNG事業の継続に支障をきたすかもしれないことです。極寒の地域での油・ガス田の生産や液化設備が故障したりメンテナンスが必要になっても、十分に対処できない恐れがあるからです。そうなると、既存のLNGプロジェクトですら問題が出てくる可能性があります。

 ですから、ウクライナ危機の展開によっては今後23年はLNGをめぐる争奪戦が起きるかもしれないと心配しています。日本としては、そうした事態に備えるためにもやはり原子力の再稼働を進める必要があると思います。再稼働によってLNGのスポット調達量も減るし、高いものを買わなくて済みます。ですから原子力の再稼働は、結果的にヨーロッパの支援にもつながります。

戦前の日本にはエネルギー政策がなかった

 十市 足元の状況を確認していくだけでも話題は尽きませんが、本題である日本のエネルギー政策の歴史に入りたいと思います。第二次世界大戦でもアメリカは敵国に対する経済制裁の最も有効な手段として、石油の禁輸を使いました。日本軍が南部仏印(現在のベトナム)に侵攻したのを受けて、19418月に米国、イギリス、オランダがとった対日石油の全面禁輸が大きな引き金になって、太平洋戦争に突入していったという議論もあります。

 逆に今回のロシアは資源大国ですから、「オレたちの石油や天然ガスがなければEUは立ち行かなくなるだろう」と高を括っていたところがあります。けれども、EUはロシア産の資源輸入を段階的に禁止することで、ロシアへの政治的な圧力を強めています。戦争においてエネルギー資源が重要な戦略物資になることは、今回のケースでも確認されました。岩瀬さんは、戦前の日本のエネルギー政策に関するご著書もありますね。概略をお聞かせください。

 岩瀬 明治以降の日本のエネルギー政策──当時は「燃料政策」と呼んでいました──の変遷を辿った『日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか』を執筆した際、勉強を進めていて気が付いたことが多々ありますが、結論は戦前の日本にはエネルギー政策が、特に石油に関してはまったくなかったということです。これはある意味では当然なんです。なぜなら戦前、最も重要だったエネルギーは石炭だったからです。石炭は国産で約9割を賄えていましたし、進出した満州での石炭生産も実現しましたから、エネルギー政策の重要性を強く意識する必要性はあまり感じられなかったわけです。

 しかし海軍だけは建軍当初から、燃料問題が大事であることに気が付いていました。燃料がなければ船は動きませんからね。石油開発、いわゆる上流部門については明治以来一貫して管理する法律はおざなりのものしかなかった。石炭や鉄鉱石などいろいろな金属を束ねている鉱山法の一部として存在したに過ぎません。日本国内には、石油はわずかな生産量しかありませんから、産油国の石油法などと見比べると比べ物にならないものです。

 精製販売、いわゆる下流部門を管理する法律については、満州事変(1931年)を経て国家が軍事統制を強めるようになってから国会等々でも議論されるようになり、1934年に初めて石油業法が成立します。戦時体制を強めていく過程において海軍が国策レベルに引き上げることに成功したのです。6カ月分の石油備蓄義務や、精製・輸入業を許可制にする、北樺太や国内の石油開発振興や代用燃料工業の振興などが謳われています。

 石油は国民から見ても重要だという意識がありませんでした。1937年時点での日本のエネルギーの消費量は、今の約1割程度しかありませんでした。そのうち石油は10%程度を占めているに過ぎません。石炭が圧倒的に多くて、それから水力、薪、炭が多いんです。このような状況でしたので、石油は管理していない状況が続きました。

 十市 海軍を除けば、国民の意識に上がるような存在ではなかった。

 岩瀬 余談ですが、海軍兵学校にも燃料関連のエンジニアを育てる部門がありますが、一番偉い人でも中将にしかなっていません。必ずしも主流とは言えない位置付けでした。満州事変の頃から陸軍も遅ればせながら燃料政策の重要性に気が付いていきます。陸軍のほうが力はありますから、海軍が主導した動きに乗っかるかたちで商工省の外局として燃料局をつくることになります。

 けれども、この時点でも真の国策としての燃料政策とは言えなかった。軍主体の燃料政策推進母体としての燃料局だったからです。海軍は海軍のことしか考えていないし、陸軍は後からやってきて政策を主導しようとしますが、陸軍には人材がいません。海軍は機関学校出身者を大学の地質学科に派遣するなど人材育成をしていました。だが、政治力に勝る陸軍のほうが燃料局の中の部課長ポジションを多く押さえていました。

 陸軍は1939年にソ連軍とノモンハンで衝突し、惨敗した時に石油の重要性を痛感することになります。けれども、そこから石油を確保するための体制をつくろうとしても圧倒的に遅いですよね。その後はアメリカに石油の禁輸をくらって、開戦を決意せざるを得ないところまで追い込まれます。一方で、帝国燃料興業という戦後の石油公団のような組織をつくって国内や満州にある石炭を液化する人造石油製造を試みますが、それもあまりうまくいきません。結局、既存油田を求めて南進政策をとりインドネシアに攻め込んでいくわけです。

石炭から石油への転換と第一次世界大戦

 十市 なぜ日本は石油の重要性に気が付くのに遅れたのでしょうか?

 岩瀬  戦争が根本的に変わったと言われる第一次世界大戦での経験の差が大きいのだと思います。第一次大戦で初めて飛行機が戦争で活躍するようになりました。最初は偵察機として導入されましたが、最後は爆撃にまで使われるようになった。飛行機を飛ばすには、石油が必要です。石炭では飛べません。

 また英国の海軍大臣だったチャーチルは、大戦直前には艦隊の燃料を石炭から石油に変えています。石油は石炭より熱効率が高いですから、速力が上がるし航行距離も稼ぐことができる。燃料補給用の船員を減らし、戦闘要員をたくさん乗せられます。さらにチャーチルは、陸軍が中断した戦車の研究を海軍の予算も使わせて実用化させています。塹壕戦になった際の膠着状態を突き破ることに効果を発揮しました。それから、ドイツ軍に攻め込まれたフランス軍は、このまま行くとパリが陥落するかもしれないという瀬戸際でパリのタクシー会社に協力を要請します。タクシーで兵隊を前線に送り込みました。つまり、石油を燃料にした自動車が重要な働きをしたわけです。ここでもやはり石油がポイントになっています。欧米諸国は、この大戦を通じて、陸海空すべての戦線において石油の大事さを肌身で感じることになりましたが、日本は同じ経験をしていないんですね。

 第一次世界大戦では、連合国側に付いた日本は青島のドイツ租借地を攻撃したり海軍が地中海に潜水艦を派遣したりするなどの協力をしていますが、その程度であって実際の戦闘にはほとんど参加していない。かたちだけの参加に留まりました。このことが、日本が石油の重要性を認識できなかった理由の一つだろうと思います。その点ノモンハンで衝突したソ連は、第一次世界大戦での戦い方を知っていますから、その経験を踏まえた準備を整えていました。飛行機や戦車の数は、日本よりもずっと充実していました。陸軍もノモンハンでの敗北でようやく石油の重要性を知ることになったのだと思います。

 十市 やはり技術革新の影響が大きいですよね。石炭による蒸気機関から石油の内燃機関に切り替わったのが20世紀の初めですが、そこで世界が変わりました。その時代は基本的にはまだ続いていますが、これからはやはり脱炭素化を推進するために電気あるいは水素といった新しいエネルギーのキャリアに変えていこうという大きな流れのなかにあります。問題は、そのプロセスにはものすごく時間がかかるということです。いま現に起きていることはエネルギーの移行期の問題ですが、国によってエネルギー事情はまったく違いますから、ここはものすごく難しい。どう乗り切るか各国が頭を悩ませているところですが、やはり技術革新がポイントになるのでしょう。50年、100年先の日本のエネルギーのあり方を考えるうえでも、技術の使い手が柔軟に意識を変えていくことが必要になります。

 岩瀬 僕が一つ気になっているのは、日本は戦後になっても石油開発については戦前と同じ発想のままだったのではないかと思えることです。戦後、石油開発公団が発足しますが、定款を見ると実は先ほどお話しした帝国燃料興業と建て付けがまったく一緒なんです。両方とも関係業界に情報提供し、指導、監督することが主な目的になっていて、役割として一番大きいのは金融支援です。つまり、自分たちは事業主体にはならないという点で両者は共通しています。石油開発公団が帝国燃料興業を下敷きにして創設されたのか、関連する資料にあたりましたが明確な繋がりは見つかりませんでした。

 この組織目的が、日本の海外における石油開発がうまく行かなかった最大の要因だったのではないかと僕は考えています。1990年代後半にロンドンにいた頃に、キプロスで石油関連のセミナーに参加したことがありました。そこには石油開発公団の中東事務所の方もきていました。日本人参加者だけで夕食を摂っていたとき、その方が誰に言うでもなく、「フランスのトタルと石油公団は同時期に同じような目的をもって国の機関として設立された。それから何十年か経ったが、オレたちは解散させられる運命にあり、かたやトタルはスーパーメジャーの一角として世界隆々たる地位を築いている。この差は何だったのだろう」と呟いていたことを記憶しています。

 実はこの頃すでに石油公団は解体されることが決まっていました。通商産業大臣を務めた堀内光雄さんが、『文藝春秋』199811月号に「通産省の恥部 石油公団を告発する」というタイトルで、石油公団のムダな投資を告発する文章を書いた直後のことでした。僕は当時、石油開発には携わっていなかったのでその呟きに応えることはできませんでしたが、今なら「トタルと石油公団の差は、事業主体かどうかの違いにある」と応えますね。事業主体であれば、そこに送り込まれる経営者に対する評価・判断は厳しくなります。ダメならば変えられることになります。

 つまり、トタルは事業を何としても成功させるという覚悟があったのに対して、石油公団は中途半端なところがあった。石油公団にいた人たちの座談会録などに目を通すと「和製メジャーをめざすべきだ」といった議論はあったようですが、結局は行動が伴わなかった。どうも日本の場合は、事業主体になる国家機関をつくることが難しい印象を持っています。

 十市 第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊した後に、イギリス、アメリカ、フランスなどは1900年代初頭に見つかった中東の石油をめぐって、各国の政府と石油企業が一体となって資源の獲得競争にしのぎを削りました。1930年頃までには、現在のイラン、イラク、クウェート、サウジアラビアなどの石油利権の支配構造がほぼ出来上がったと言えます。また米国と並ぶ石油産業の発祥の地であるロシアでは、第二次世界大戦中までバクーやウラル=ボルガの油田開発が国策として進められてきました。20世紀は「石油の世紀」と言われていますが、まさに石油産業は国家戦略の一環として発展してきたわけです。

 そんな中で、日本国内には石油資源もごくわずかですから、石油開発を担う人材は十分ではなかった。それに何と言っても敗戦国ですからね。戦争に負けた日本が石油をある程度自由に輸入できるようになるのは1950年以降です。占領軍によってありとあらゆる規制が課されていましたから、遅れてスタートすることになりました。海外でオペレーションするような経験もありません。戦前にはサハリンやインドネシアでの実績はありましたが、戦争に負けてみんな逃げてきたわけです。ですから石油は、20世紀の世界を支配したアングロサクソン、それからフランス、ロシアに牛耳られている構造が今に至るまでずっと続います。

 日本は高度成長が始まった1950年代に、石炭から石油に転換していきます。中東から安い石油がどんどん入ってきたことで、石炭は駆逐されることになりました。日本の石油産業は、輸入原油を精製して石油製品を供給することで発展しました。けれども、残念ながら石油開発の上流事業には、食い込むことができなかった。やはり、十分な軍事力を背景にした強い国家意思と外交力がなければ、なかなか権益を確保できない。そこは欧米諸国と決定的に違いますよね。

日本はオイルショック前から原子力の導入が始まっていた

 岩瀬 戦後の日本経済の発展は、中東で大油田を見つけたメジャーが販売先を求めていた事情もあり、安定的かつ安価に大量の石油を輸入できたことによって支えられてきました。成長を謳歌してきたわけですが、70年代に入るとオイルショックになって大騒ぎすることになりました。この過程で日本は、原子力発電をいち早く導入してきました。このあたりの歴史についてお聞かせください。

 十市 第二次世界大戦が終わると、米ソによる冷戦の時代が始まりました。1950年からは中国も介入した朝鮮戦争が3年続きますが、日本経済自体は朝鮮特需によって復興を成し遂げ、その後ものすごい勢いで高度経済成長が続くわけです。原子力発電が普及する大きな契機になったのは、1953年にアイゼンハワー米大統領が国連で行った演説「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」でした。大戦終結後は米ソ対立の中で核兵器の開発競争が激化していきますが、原子力の利用について軍事と平和利用を分けて考えるべきだという考え方が打ち出されたわけです。

 もちろん、この境目を明確に分けることは難しい側面がありますが、原子力の平和利用ついては米国もソ連も共に協力していこうという大きな流れが生まれました。この時点で米国では、GEやウェスティングハウスなどのメーカーが原子力発電の技術をほぼ確立していました。56年には国連のIAEA(国際原子力機関)憲章が採択されて、翌年に正式に発足しています。

 私も調べて少し驚いたのですが、日本はこうした原子力の平和利用をめぐる世界の動きをかなり早い時期から察知していました。1955年に自由党と日本民主党が合同して自由民主党を結成する前から、中曽根康弘さんがまだ若い頃に原子力基本法をつくるのに奔走しているんです。翌年の56年に原子力委員会が発足しています。ですから、政治のほうが今後は原子力発電が大事になるという世界の新しい潮流をよく理解していて、日本国内でも原子力の平和利用にむけて動き始めていたわけです。

 朝鮮特需の後も年率10%を超える高度成長が10数年続きました。10%成長が続くと経済規模は7年で約2倍になりますから、50年代後半から60年代にかけて電力需要がものすごい勢いで増えていきました。それに対応すべく石炭火力発電所や水力発電所を次々と建設していきます。関西電力の黒部川第四発電所(通称、黒四ダム)が稼働したのも1963年のことでした。

 いわゆる九電力体制(後に沖縄電力も入れて十電力体制)がスタートしたのが1951年です。それまでは国策会社の日本発送電と民間の九配電会社に分かれていましたが、再編後は各地域の電力会社が発送配電一貫のかたちで電気事業を担うことになりました。各電力の経営者は早い時期から、需要の急増で電力が足りなくなることを懸念していました。水力から石油火力に主力が移っていき、石油の依存がすごく高まりました。後にオイルショックが起きたことで、石油に依存することの脆弱性が痛感されるようになります。

 注目すべきは、日本ではオイルショック以前からすでに原子力発電の導入が始まっていたことです。1970年には大阪万博が開かれましたが、「大阪万博に原子力で火を点そう」ということで66年には関西電力の美浜原子力第1号機の建設が始まります。今は廃炉になりましたが、電力会社として初めて商業運転を開始したのは70年に運開した美浜原子力1号機です。そして、翌年の71年には福島第1原子力発電所が運開しています。

 そういうなかで、73年にオイルショックが起きるわけです。当時は発電量の約70%が石油火力で、残りが石炭と水力でしたから、これを契機に脱石油が進展します。発電源は原子力、LNG、それから石炭も含めて分散しないとダメだということで、電力業界が一体となって脱石油を進めます。産業界にとっても、エネルギー多消費産業が牽引する高度成長ですから、安価なエネルギーの安定供給は国際競争力を維持するためにも絶対に不可欠でした。そういうことで、電力業界が中心になり産業界全体が原子力発電を推進して国もそれをバックアップしたわけです。私が大学生の頃は、工学部の優秀な学生は原子力工学科をめざしたものでした。当時は、電力需要がどんどん増えていくなか原子力発電に対する期待がものすごく高かったわけです。

 それから1969年には東京電力と東京ガスが、根岸にある共同基地にアラスカから日本で初めてLNGを輸入しました。大気汚染をはじめとした環境汚染に対応する意味でもいち早くクリーンなLNGに着目したわけです。そういう意味では、当時の電力業界はそれだけの余裕と先見の明があったのかもしれません。

世界中で原子力への見方が変わりつつある

 岩瀬 戦後の日本で原子力やLNGが導入される過程では、力を持っていた電力業界が国の発展のためにやるべきことの先手を打っていたわけですね。もちろん、原子力導入については他の産業界や政界の協力がなければ難しい。

 十市 電力業界とそれを支えてきた重電メーカーの存在が大きいですよね。例えば関西電力は、三菱重工と一緒に加圧水型原子炉(PWR)を確立しました。沸騰水型原子炉(BWR)は東京電力と東芝、日立製作所といったメーカーがアメリカから技術を導入して、国産化を押し進めました。この体制が日本の原子力産業の基盤をつくってきたわけです。

 このようにして日本の原子力発電は発展していきましたが、ご承知のように2011年の東日本大震災では福島第1原子力発電所で大きな事故が起きてしまった。原子力に対する国民の不安が増して、世論は完全に逆風になってしまいました。そして、当時の民主党政権は脱原子力に大きく舵を切りました。震災直前の2010年の発電構成をみると、原子力29%、LNG29%、石炭25%、その他は石油、水力、そして新エネでした。

 その意味では2度のオイルショックから約30年の2010年までの間に、発電部門における脱石油は完璧にうまくいったと言えます。けれども福島の事故でそれが暗転して、原子力に対する国民の不安が高まることになり、未だに払拭できずにいるわけです。

 しかし、ここにきて原子力に対する見方は世界的にかなり変わってきています。背景にあるのは、脱炭素と今回のウクライナ危機ですね。ヨーロッパは再生可能エネルギーの普及に熱心に取り組んでいますが、やはりそれだけでは電力の安定供給を維持することは難しいことを理解しつつあるのではないかと思います。いわゆるグリーン投資を促進するためのEUタクソノミー(「持続可能な経済活動」の体系化)に条件付きではありますが、原子力と天然ガスを含む案をEU委員会が決めました。

 これは今回のロシアのウクライナ侵攻が起きる前の11日にすでに発表されています。ドイツはまだ反対しているようですが、今回のウクライナ危機でその流れはさらに加速することは間違いありません。すでにフランスやイギリスは新規の原子力発電所の建設計画を発表しています。ベルギーやスイスは、40年で閉鎖することを決めていた原子炉を、安全対策を講じた上でさらに10年程度延長して使うことを決めています。

思想なき電力自由化

 岩瀬 3. 11を契機に進められた電力自由化についても、少し触れておこうと思います。電力自由化にも長所、短所があるわけですが、いずれもきちんと国民に説明されてこなかった印象を持っています。なので、僕はよく「思想なき自由化」と言っているんです。長所は競争を導入することにより経営効率を高めることに役立つ点だろうと思います。短所は停電が起こる可能性が増えることです。自由化するのであれば、「停電が増えることを受け入れてください」ときちんと伝え、国民の覚悟、了解を取り付けなければならないはずです。その啓蒙活動をやらずに自由化はできないだろうと思うんです。地域独占による弊害もあったから変えようとしたのだと思いますが、電力会社は停電を起こさないことを最優先に考えて経営していました。だから長期的な経営判断に基づいて、必要な火力発電所の建設などを進めていったわけです。

 けれども、自由化によって停電が起きても、誰が責任をとるのかよく見えなくなりました。一億総無責任体制になってしまっているわけです。今年3月に東日本で起きた電力の需給逼迫は、自由化の短所が端的に現れたのではないかと思います。

 十市 電力自由化について話を始めるとキリがないので、単純化してお話しします(笑)。自由化が有効なのは、供給力に十分な余力がある時です。つまり、競争によって供給コストが下がる場合なんです。しかし、自由化による競争が激しくなると、先行きの価格が見通せなくなるため、新規の投資を控えるようになります。原子力などはまさにそうですが、大規模な発電設備をつくろうとすれば、巨額の初期投資が必要になります。将来の需要も不透明だとすれば、できるだけ新規の投資を抑えます。当然10年も経つと、低稼働の老朽化した火力発電設備が廃棄されて供給力が落ちてきます。そういう中で需要があまり減らなければ、需給がきつくなるのは当たり前なんです。

 電力自由化が最初に始まったのはイギリスです。1980年代に北海で油・ガス田の開発が進み、安いガス火力が次々と建設され、発電設備に余力が生まれました。石炭や当時の原子力などよりもガスのほうが安かったので、自由化をどんどん進めたわけです。日本も周回遅れで90年代に国主導で自由化を進めようとしましたが、電力業界は全面自由化には強く反対しました。コストダウンは良いけれども、将来的に供給力の不足が起きることを恐れたわけです。電力業界と経産省のバトルはずっと続きましたが、結果的には福島第1原発の事故で東京電力は事実上の国家管理になり、その隙を縫って一挙に民主党政権下において全面自由化が進められました。経産省内でも意見は分かれていましたが、本格的な自由化が加速したわけです。

 それから11年が経ちますが、やはり歪みが目立ちますよね。太陽光や風力を除くと新しい発電設備があまり建設されていません。石炭火力は安いので、駆け込みでいくつかはできましたが、脱炭素化の進展で多くの計画は潰れることになった。太陽光は、補助金がいっぱい付いたこともあって、もうなりふり構わずにいろいろなところに設置されています。いま中国系の電力会社が大阪の咲洲で、また中国資本が岩国の自衛隊基地の近くでメガソーラーをつくっていることが問題になっています。基地が監視される恐れがありますから、安全保障の観点からも懸念されています。やはり供給責任が曖昧な行き過ぎた自由化は非常に問題で、しっかりと再検証すべき時期だと思いますね。

 岩瀬 次世代型の原子力発電の開発は進んでいるのでしょうか?

 十市 当初想像していたよりも早いスピードで進みつつあります。アメリカのバイデン政権は、脱炭素に熱心なこともあって次世代型の原子力発電に期待を寄せています。すでに原子力への依存度が高いイリノイ州やニューヨーク州など自由化が進む東部諸州では、早期の閉鎖を計画していた原子力発電に対して、安定したゼロ排出電源であることから州政府が経済的な支援制度の導入を行っています。また40年稼働した原子炉を60年に延長できるわけですが、昨年末の時点で稼働中の原発93基のうち85基は一回目のライセンス更新を済ませています。さらに二回目のライセンス更新で80年運転をめざす動きも活発化していて、すでに6基が認可済みで9基が審査中とのことです。

 それから、5年以上前から注目を集めていた次世代型小型モジュール炉(SMRSmall Modular Reactor)は軽水炉より安全性の優れた原子炉で、その実用化がいよいよ視野に入ってきました。特に先行している米ニュースケール社は、一基あたり7.7kWと小さいのですが、6基連結することで46.2kW規模になる新しいコンセプトの原発計画を発表しています。同社は2025年後半には建設と運転の一括許認可(COL)を得て、2029年に初号機の稼働をめざすとしています。このSMRを国内だけではなくて海外輸出も計画するなど、アメリカでは今でも起業家精神が非常に旺盛です。

 いま世界を見渡すと、中国とロシアが原子力大国になっています。中国は現時点で50基の原子炉が稼働していますが、これはフランスに次いで第3位です。2025年にはフランスを抜くと見られています。今アメリカは約90基ありますが、古い原子炉が閉鎖されていくので2030年代には中国が世界一の原子力大国になるんですよ。それからロシアは、ロスアトムという原子力企業が独自のロシア型加圧水型原子炉(VVER)をつくって輸出しています。ベラルーシを含めた旧ソ連圏やイラン、最近では中国、ハンガリー、インド、トルコ、バングラデシュ、エジプトなどで多くが稼働済みか建設中です。注目されるのは、これらの多くの国が現在のウクライナ危機で、ロシア寄りの姿勢を見せていることです。ロシアは、電力不足に直面している多くの途上国に資金と技術の両方を提供していますが、今後は資金面では厳しくなるでしょう。これからは中国が、「一帯一路」を足がかりにして、世界中に原子力発電の輸出ビジネスを本格化させそうです。

 日本は再稼働もままならない状況が続いているため、原子力のサプライチェーンがどんどん毀損しています。安全性に優れた新型炉の開発を含めて、アメリカやイギリス企業と連携をして技術力、産業力の強化を図っていかなければ、電力の安定供給とカーボンニュートラルの実現がさらに難しくなります。そのためには中曽根元首相がやられたように、国策として原子力の重要性を再認識して、政治家が先頭に立って必要な条件整備を進めて欲しいと思います。原子力には難しい問題がいろいろありますが、政治家が逃げていたら絶対に進展しません。そういう意味では、研究開発も含めて産官学が一体になって取り組む体制を早急につくっていく必要があります。

エネルギー政策こそが経済安全保障の根幹

 岩瀬 原子力を担う人材も減っていますね。

十市 原子力の分野を学ぼうという若い人がどんどん減っていますよね。この状況が続くと、今ある原子力発電所の廃炉をする人材もいなくなってしまう恐れもあります。これは半分冗談で半分本気ですが、そうなると使用済み核燃料の処理・処分や廃炉を中国に頼むことになるかもしれません。福島事故が起きた直後に中国は、日本の原子力技術者を大量にヘッドハンティングしました。電力会社やメーカーから有能な人材が中国に流れました。そうした人たちの知見を利用して、中国は急ピッチで原子力開発を進めたわけです。この5月に経済安全保障促進法が成立しましたが、原子力を含めて電力インフラの安全保障の問題も視野に入れることが重要です。

岩瀬 経済安全保障促進法は、エネルギーの項目はありますが、見てみるとスカスカで実質的には何にもないですよね。エネルギー安保は政治の世界では票にならないと思っているのかあまり重視していない印象があります。

 十市 票にならないから国民に向けて説明する政治家が少ないのは、現実としてありますよね。しかし一応は、経済安全保障のスタートラインができましたから、これをきっかけにしてエネルギー安全保障の問題が本格的に考えられることを期待したいですね。

 日本の場合はやはり自然災害、特に大地震対策を考えなければならないという特殊な事情がありますよね。東日本大震災の後に首都圏では輪番停電がありました。あの時には多くの火力発電所が停まりましたが、柏崎刈羽原子力発電所が稼働していたために大規模停電は起きなかったんです。いま日本の火力発電所は東京湾、伊勢湾、大阪湾の工業地帯に密集しています。ここに今後30年以内の発生確率が70%程度と推定されている首都直下地震や東海・東南海・南海巨大地震が起きて火力発電が停止することになれば、日本はたいへんな電力危機に直面します。

 そう考えると日本海側にある発電所は、国家の根幹である電力の安定供給を支えるうえでものすごく大事な役割を果たすことになります。日本海側には原子力発電所がたくさんあるんですよね。北は泊から始まって、柏崎刈羽、志賀、敦賀、高浜・大飯・美浜、島根、それから玄海です。日本海側も地震は起きますが、いわゆる断層型で海溝型の巨大地震ではありません。耐震・津波対策をきちんとやっていますから十分に耐えることができます。このような大地震が起きても、電力供給への打撃をできるだけ小さくする上でも、原子力の役割に目を向ける必要があると感じています。

 岩瀬 僕は、「日本は持たざる国」なんだという事実を国民の一人ひとりが認識するような啓蒙活動をやらないといけないと考えています。再生可能エネルギーについても、日本は風光明媚、気候温暖な狭い国ですから適地が限られています。だからこそ、屋根の上に太陽光パネルを設置しようという発想が出てくるのでしょう。期待を集めている洋上風力にしても、日本の近海はすぐにドンと深くなるので北海などで大々的に行われている着床式で建てられるところは限界がある。コストが大幅に高い浮体式でやらなければならない。この点は、海底に大陸棚が広がっている地域とはまったく違います。日本は、化石燃料はもちろんですが、再生可能エネルギーについても「持たざる国」なんです。

 戦後、日本経済を復興させてきた諸先輩はそれを踏まえてやってきたわけですから、今後も厳しいその現実を認識した上でエネルギー政策を立てていかなければなりません。そうすると、今のエネルギー基本計画が掲げている「S3E」という看板を変更してエナジーセキュリティを最優先に打ち出したかたちでのエネルギー政策をつくり、国民にもそれを啓蒙していくことをやるべきではないか。ぜひこの機会にエネルギー基本計画のあり方についても、根本から考え直していただきたいなと思います。

(終)

 

十市 勉・日本エネルギー経済研究所客員研究員
といち つとむ:1945年大阪府生まれ。73年東京大学大学院地球物理コース博士課程修了(理学博士)。日本エネルギー経済研究所に入所後、MITエネルギー研究所客員研究員、エネ研総合研究部長、専務理事、首席研究員、顧問などを歴任。著書に『シェール革命と日本のエネルギー』『21世紀のエネルギー地政学』『エネルギーと国の役割』『超エネルギー地政学 アメリカ・ロシア・中東編』など。
岩瀬 昇・エネルギーアナリスト
いわせ のぼる:1948年埼玉県生まれ。エネルギーアナリスト。71年東京大学法学部卒業後、三井物産に入社。入社以来、香港、台北、2度のロンドン、ニューヨーク、テヘラン、バンコクでの延べ21年間にわたる海外勤務を含め、一貫してエネルギー関連業務に従事。2002年三井石油開発に出向、常務執行役員、顧問などを歴任。退職後は、新興国・エネルギー関連の勉強会「金曜懇話会」の代表世話人として活動を続けている。著書に『日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか』『石油の「埋蔵量」は誰がきめるのか?』など。
おすすめの記事