『公研』2022年6月号「めいん・すとりいと」

 

 洋の東西を問わず、卒業式シーズンは華やかさと感傷が同居する。筆者が教鞭を執るサザンメソジスト大学(SMU)でも514日に卒業式が行われた。3年ぶりに全学の式典に加えて、学部ごとの式典もあり、2年前に拝命した政治学部の教務主任として、卒業証書授与の際に各人がカードに書いてきたメッセージを読み上げるという役目を初めて果たした。感謝と喜びに満ち、希望と不安が交錯した思いを一人ひとりが語っていた。コロナ禍に翻弄された学生生活であったが、未知への探究心と易きに付かない勇気を持って、グローバル化と社会の分断が進む世界を生きていってほしいと願う。

 SMUでは全米に先駆けて、20208月に学生の8割に対面授業を提供する形式でキャンパスでの活動を再開し、20218月からは全面対面授業となった。それゆえ、529日付の日本経済新聞電子版で、「(日本の)大学が2022年度から対面での活動を拡充している」という報道を目にしたときは大いに面喰らった。もちろん、ワクチンが開発されていない段階でキャンパスに学生を戻すというのはハイリスクの決断であったが、結果として英断だったと思う。教育の質を確保するために、コロナ対策、設備や備品などのデジタル化で多大の投資が必要になっただけでなく、現場の教員の負担も大変なものだった。「1年待てば状況は変わるだろう」という発想は学生の立場を全くわかっていない。若い人にとっての1年は「重い」のである。米国の大学ではいい意味での「詰め込み教育」を行うのであるが、それに真剣に向き合い、語るに足る学びをしている学生たちにとって、人生で最も吸収力が高い4年間に無駄にできる時間などない。

 筆者は毎年SMUのサマープログラムを関西学院大学で行ってきたが、昨年、一昨年に続いて今年も中止を余儀なくされてしまった。今年は2年続けて夏休みを棒に振った大学3年生にとっては最後の夏になるので、これまでにない数の応募があり、厳正な審査によって選ばれた21人の精鋭を日本に連れていくべく準備万端であった。しかしながら、結局準備に必要な時間を考え、3月初旬に関学での実施を断念“Japan passing”をして留学先を英国オックスフォード大学に切り替えた。米国の大学は、日本への交換留学が一切できないのに、日本からの留学生は変わらず受け入れていることに強い不公平感を持っている。交換留学生は所属大学に授業料を払って受け入れ先の大学で勉強するという仕組みなので、日本に学生を送れず米国側だけが一方的に財政負担をかぶる状態に不満を募らせているのである。

 日本という国は、興味はあるが、どうしても行きたい「憧れの国」というより、行ってみたらファンになる国ということに我々は思いを馳せなければならない。最近になって日本政府は限定的に外国人留学生を受け入れる方針を示したが、“too little, too late”である。昨年1130日から3カ月にわたって全世界からの外国人の新規入国を停止する「鎖国」政策を実施した。自国民を守るという趣旨は果たして功を奏したか。否である。内閣支持率が上がっているという自信から、水際対策が効果的でないとわかってからも、「世論の支持」を盾に岸田政権の反応は鈍かった。首相が55日に英国の金融街シティーで実施した講演で、「日本は今後も世界にオープンだ。ぜひ日本にお越しください。最大限の『おもてなし』をする」と訴えたが、日本政府の度が過ぎる国境閉鎖措置によりこれまでの労苦が水泡に帰した者からすれば「よく言うよ」という思いである。2年以上外国との接触を断たれた日本国民は、日本で学びたいという留学生の入国を拒否することが海外での日本に対する評判を落とし、将来にわたって日本の国益を毀損しているということに気づいているのだろうか。人の交流こそ安全保障と経済成長という国力の礎であることを知ってほしい。コロナ禍の下でも世界はどんどん前に進んでいる。霧が晴れたときの日本の立ち位置は何処に? 内向きになっている場合ではないのである。

サザンメソジスト大学(SMU)准教授

 

 

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