『公研』2023年8月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

独裁者はどのようにして国民の不満を知り、それを解消させているのだろうか。

権威主義体制の仕組みを知ることは、

存在感を増す中国やロシアについて理解するヒントとなるのではないか。

 

    東京大学准教授 東島 雅昌       ×  サザンメソジスト大学准教授 武内 宏樹

 

独裁者が陥る選挙のジレンマ

 武内 今日は、このたび『民主主義を装う権威主義:世界化する選挙独裁とその論理』(千倉書房、2023年)という刺激的な本を出された東島先生にお話を伺いたいという趣旨で参りました。権威主義体制について理解することは、これからの中国、ロシアについて考えるうえで重要になると思っています。

 まず、東島先生がなぜ中央アジアを研究対象としたのか教えていただけますか。

 東島 もともと旧共産圏の民主化に興味があって、修士論文を書くときに24、5カ国を含むデータを統計分析して回帰直線を引いたんですね。そうしたらカザフスタンとキルギスが回帰直線上に位置していたので、これらの国々で何が起こっているんだろうという気持ちで決めたんです。

 なので、中央アジアに文化的関心があってとか、旅行したときに印象に残ってとか、そういう入り方をしていないんですよね。私より年上の、ソ連が解体する前後の一連の出来事をきっかけに当該地域に興味を持った方々とはきっかけが全然違うので、そういった意味では少し負い目を感じました(笑)。今だったら、ウクライナ侵攻は若手研究者にすごく影響を与えると思います。もちろん研究を進めていくうちに、地域への興味も湧きました。
 

 武内 この本はもともと『The Dictator’s Dilemma at the Ballot Box: Electoral Manipulation, Economic Maneuvering, and Political Order in Autocracies』(University of Michigan Press, 2022)というタイトルで英語で出版されました。日本語版は、単に英語版を翻訳しただけでなく日本の読者に合わせて再構成されているようで、このような良書が日本人にも読みやすい形で出されたことは非常に意義深いと思います。

 権威主義体制(独裁体制)の「選挙」に焦点を当てて論じていますが、比較民主主義論と違って比較権威主義論では選挙の研究ってあまり体系的になされていないんですよね。権威主義を研究する人にとってこれから必読の本となっていくと思います。本の紹介をお願いできますか。
 

 東島 このプロジェクトを始めてから結構時間がかかったのですが、結果的に英語と日本語で一冊の本にまとめることができて、とてもうれしく思っています。

 権威主義体制の制度分析はここ20年ぐらいで発展してきたテーマだと思うのですが、私が独裁制の選挙研究を始めたのには大きく二つ動機があります。

 一つは、「権威主義体制で選挙を行うと独裁者が得をする」という理論があるにもかかわらず、選挙によって独裁者が放逐される事例もあり、既存の理論ではそれを整合的に説明できないのではないかという理論的な関心があったこと。

 もう一つは、中央アジアのカザフスタンとキルギスを比較していると、ソ連の解体後同じタイミングで独立したとてもよく似た国であったにもかかわらず、その後選挙を通じて体制を強化させたカザフスタンと、まさに選挙によって政治が不安定になったキルギスというように分岐していったのはなぜなのかという現実の政治をめぐるパズルが念頭にあったことです。同じように選挙を行っているのに、選挙が独裁者に利したカザフスタンと、そうでなかったキルギスというように分かれたのはなぜなのか、その謎を解明したいと思ったことから始まったんです。

 カザフスタンとキルギスの事例比較から発想を得て、権威主義の選挙にはベネフィットとコストがあると考え、本のなかではその狭間でジレンマに陥る独裁者がどのように選挙をデザインするのかということを理論化し、多国間分析と比較事例研究を用いて実証しています。

 もう少し詳しく言うと、ある程度競争性を担保して不正もなるべく減らした相対的にフェアな選挙で大勝すると、独裁者は自分たちが強いんだということを見せつけることができます。投票結果により下から情報を吸い上げることもできるし、選挙の過程で野党の分裂を促すこともできる。これが選挙のベネフィットです。

 反対に選挙のコストとは、競争的な選挙では大勝しにくいので、たとえ勝ったとしてもギリギリの勝利だと体制の弱さをさらけ出すこととなり、体制の弱体化につながってしまうということです。ましてや負けてしまうと元も子もありません。選挙を優位に進めたい独裁者が「選挙不正」に走るのはよくあることですが、選挙不正をやりすぎてしまうと人々の不満を惹起しますし、その不満が高まると体制を脅かす抗議運動が起こる可能性もあります。

 そこで、私が着目したのは「経済分配」の効率性というもので、経済分配をしたら人々は物質的な利益を享受できるので自発的に独裁者に投票するようになるだろうというのが基本的なアイディアです。そうなると、独裁者は選挙不正に過剰に頼らなくても圧勝できるようになるため、選挙のベネフィットを最大限享受することができる。

 もう少し具体的に言うと、豊かな天然資源で得られた財政資源を草の根までうまく行き渡らせる組織があって、経済分配がうまく機能すれば、ある意味逆説的ですが、独裁者は選挙を「自由化」するという戦略を取るのではないかということです。

 独裁者は、自らの体制への支持率を見極めて、選挙不正と経済分配の度合いを決めていきます。それは、独裁者が彼我の動員能力に関する十全な情報を手にして合理的に選挙を設計できるとうまくいきますが、必ずしも正しい情報を常に把握しているとは限りません。その「情報の不確実性」により、独裁者は適切な選挙設計をすることが難しいことも多いわけで、その結果選挙不正と経済分配のさじ加減を誤って体制の崩壊を招いてしまうことがあるのです。そのような選挙における独裁者のジレンマを「選挙不正」と「経済分配」という二つの観点から整合的に説明しようとしたのが、この本の趣旨です。
 

 武内 比較権威主義論という観点から見ると、この本は議論しなくてはならないトピックが網羅されていて、独裁者にとっていわばハンドブックになるような本ではないでしょうか。ニューヨーク大学のブルース・ブエノ・デ・メスキータ先生とアラステア・スミス先生が『The Dictator’s Handbook: Why Bad Behavior Is Almost Always Good Politics』(Public Affairs, 2012)というタイトルの本を出していますが、私の「比較権威主義論」のクラスでこの本を必読文献にしたら、「あんたは独裁者になりたいのか」とルームメイトに言われたと言ってきた学生がいました(笑)。

 

「情報の不確実性」と「パラノイア」

 武内 先ほど「情報の不確実性」の話がありましたが、権威主義体制における「情報の不確実性」はどのように独裁者の計算を狂わせるのでしょうか。

 東島 やはり民主主義でも、選挙結果を予測することはすごく難しいわけですよね。少し前までは、ネイト・シルバーという応用統計学者が米国の選挙結果をかなり正確に予測していましたけれど、ドナルド・トランプ氏が出てきてから選挙予測がずれたりしています。米国のように世論調査が一番進んでいる民主主義の国でも予測が難しいわけなので、権威主義の選挙となると予測はもっと難しいと思います。「選挙のジレンマ」に直面している独裁者が、信頼に足る情報源が少ないなかで、その場の感覚や限られた情報で選挙不正と経済分配のバランスを取りながら選挙戦略を決めることになるわけで、権威主義の選挙は我々が思っているよりも不確実性が高いといえるのではないでしょうか。

 逆に言うと、そうした不確実性があるからこそ、国際的な支援が権威主義体制を不安定にする攪乱要因として意味を持ってくることもあるのかなと思います。ただ、外から選挙監視をすることで、選挙が透明になりすぎて独裁者の弱さがさらされ、統治エリートが分裂、政治秩序が混乱してしまうという事態もあり得ます。そうなると内戦になることもあるわけで、国際支援が意図していた民主化とは反対に、政治秩序が壊れる方向に向かっていってしまうかもしれない。国際支援も慎重にやらなければいけないと思います。

 どちらにせよ、「情報の不確実性」があるからこそ、国際支援のような外生的な圧力が意味を持ってくるのかなという気がしています。

 武内 今、外生的な要因について話していただきましたが、内からの要因というのはどうでしょうか。

 たとえば、側近は独裁者に忖度して耳障りのいいことばかり伝えるので、なかなか正確な情報が上がってこない。独裁者というのは孤独なものですよね。だから独裁者はパラノイア(偏執病・妄想症)になりやすい。パラノイアになると危機意識が過敏になって、ますます「情報の不確実性」に対して脆弱になってしまいます。本来なら経済分配で政権に取り込めそうな人たちも反乱を起こすのではないかと不安になり、ほかの反乱分子と一緒くたに抑圧してしまう。結果として潜在的な反乱分子を団結させてしまい、抑圧に対する人々の不満も高まって体制が崩壊するということもあり得ますよね。

 パラノイアに起因した過度な抑圧が権威主義政権を一層不安定にしてしまうというのは、スタンフォード大学のリサ・ブレイズ先生が『State of Repression: Iraq under Saddam Hussein』(Princeton University Press, 2018)のなかで指摘しているように、イラクのサダム・フセイン政権など往々にして起こることです。

 権威主義の選挙におけるパラノイアと独裁者の関係はどういうふうに見ていますか。

 東島 武内先生がサザンメソジスト大学(SMU)のサヴニ・デサイさんと共著で書いている論文のなかでパラノイアの話が出てきて、まさに独裁者の判断ミスの話とつながるなと思っていました。選挙が権威主義体制の安定を生み出す均衡は2種類あると思っています。
一つが、選挙の局面で圧倒的な抑圧や不正を用いることで、「我々はこんなに悪いことを組織的にできるんだ」ということを見せつけて体制が強固であると上から誇示する「恐怖の均衡」。メキシコ自治工科大学(ITAM)のアルベルト・シンプサー先生の『Why Governments and Parties Manipulate Elections: Theory, Practice, and Implications』(Cambridge University Press, 2013)のなかで描く独裁選挙の姿が、これにあたります。

 そしてもう一つが、私が本のなかで描いたような、経済分配などによって人々の自発的支持を組織的に集めて、上から強制的にではなく、体制が下から自ずと幅広く支えられるように、操作や抑圧の少ない選挙を通じて体制の強靭性を広く周知することで生まれる均衡です。
独裁者にとっては、選挙で「恐怖の均衡」をつくり出すことができれば万々歳ですが、そのためにはやはり草の根まで行き渡るようなしっかりとした組織的基盤が必要です。しかし、パラノイアに陥っている独裁者というのは、過剰な不安から、組織的基盤がないにもかかわらず場当たり的な抑圧や不正に手を染めてしまい、それがかえって人々の不満を惹起することにつながって体制が崩壊してしまう。選挙を設計する際の独裁者のこうした心理的あるいは認識上の問題も重要なトピックの一つだと思うのですが、政治学では取り上げにくいテーマですよね。

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