『公研』2022年2月号「めいん・すとりいと」

 コロナ禍で他者との物理的な接触が制限される暮らしが続く。「テレワークが普及したから良いではないか」という意見もある。私自身、テレワークの恩恵を感じることが多い。だが、パソコンの画面越しの会話には、何かが足りない気もする。
23年前、新聞記者として福岡県警の取材を担当していた時のこと、見知らぬ男からタレコミの電話があった。素性を調べると暴力団員だったが、会って話を聞くと、数人の警察官が違法カジノバーの経営者から賄賂を受け取り、捜査情報をカジノ側に漏洩しているという話だった。男が名前を挙げた警察官の一部は後日、警察自身の手で逮捕され有罪となった。結果的に男の話は本当だった。

 とはいえ、タレコミの時点で話の真偽を峻別するのは難しい。男はヤクザ。タレコミの動機は「警察官の一人に様々な便宜を図ってやったのに、裏切られたので復讐したい」ということだった。「警察に話しても揉み消されそうなので、新聞社に話そうと思った」とも言った。
男とは計三度会い、一度は食事しながら身の上話などを聞いた。「警察官の汚職は本当の話だ」と直感した私は取材を開始した。暴力団員であることを思えば作り話の可能性もあったが、私には男の話が真実のように感じられた。

 昨夏、本欄にもしばしば寄稿しておられる前京都大学総長の霊長類学者、山極壽一先生が朝日新聞に書かれたコラムを読み、23年前の取材を懐かしく思い出した。「長年、野生のゴリラと付き合ってわかったことは、心を読むのに言葉は要らないということだ」「必要なのは言葉の持つ意味ではなく、声や体の動きで作られる全体的な感触なのだ」と書かれたコラムを読み、何か腑に落ちるものがあった(朝日新聞2021年8月6日朝刊)。

 人間には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感があり、人はこの順序で物事を知覚し、知覚した情報を言葉にして他者と共有するという。まず人は「視たもの」の情報(大きさ、色、形など)を言葉で共有し、「聴いたこと」「嗅いだこと」……の順で共有度は下がっていく。何かに触れた時、他者も同じように感じたかを確かめることは難しいので、「触ったもの」の情報を言葉で共有するのは最も難しい。

 一方、人間同士の信頼を高める五感の順序は逆で、触覚、味覚、嗅覚といった他者と共有しにくい感覚こそが大事だという。確かに親子や恋人同士は手をつないだり抱擁したりして親密さを深めるし、関係を深めるために食事をともにするのは全ての文化に共通する営みだ。私はヤクザの男と手をつないでも抱き合ってもいないが、一緒に飯を食べ、時に視線を合わせ、タバコの匂いを嗅ぐことで無意識に五感を総動員し、男の声色や微妙な顔の表情などから全体的な感触を得て、「信用できそうだ」と判断していたのだと思う。

 コロナ禍の2年間でオンラインミーティングにも慣れた。情報は共有できるし、意見も交わせる。リモート万歳。

 だが、相手の目を見ればこちらの視線はカメラから逸れ、カメラを見れば相手の目を見ることができず、どうしても視線が合わない。声色は通信環境に左右されるし、部屋の匂いや室温を共有してもいない。そのせいか、かなり親しい相手とも、機微に触れる話をすることに困難を感じることがある。ましてや今、ヤクザが再び警察の汚職話をタレ込んできても、画面越しの面談で真偽を見極める勇気は私にはない。

 五感を総動員しなければ物事を判断できない私は、時代から取り残されているのだろうか。

立命館大学教授

 

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