『公研』2019年9月号「対話」
木村 幹・神戸大学大学院国際協力研究科教授×川島 真・東京大学大学院総合文化研究科教授
日韓関係は悪化の一途を辿っている。この背景には何があるのだろうか。東アジアのパワーバランスの変遷から考える。
昔のイメージで韓国を語る人は未だに多い
川島 今日は、日韓関係を中心に東アジア情勢について考えていきます。韓国は世界トップ10に入ろうかという大きな経済力を持つ日本の隣人で、東アジアの重要な存在であることは間違いありません。しかし、韓国と日本との関係は一筋縄ではいかないところがあって、今まさに両国の関係はかつてないほどに悪化している。木村先生は韓国をご専門にされていますが、そもそもなぜ国際政治学のなかで韓国を扱うことに決めたのでしょうか。
木村 僕が大学に入ったのは1986年でしたが、韓国は先進国とはみなされていなくて、NIES(新興工業経済地域)の一つとして位置付けられていました。当時の韓国には、独裁政権であったりクーデターが頻発するなど、政治が混乱しているというマイナスイメージが日本にはありました。年配の人たちのなかには、未だにその意識を引き摺っている方が多いと感じることがあります。その点、我々の世代は海外への意識が根本的に違うところがあります。理由は簡単です。1985年のプラザ合意で円高になった後に学生生活を送っていますから、若い頃から海外に行きやすくなりました。
それまでは1ドル=250円近くしましたから、よほどお金を持っていないと若い頃には海外に行けなかった。けれども我々の世代はバブル景気の恩恵もあって、大学生でもアルバイトをすれば割と簡単に海外に行けるようになった。僕もアルバイトしてお金を貯めて海外に行ったわけです。最初の訪問地がアメリカで、それからバックパッカーとしていろいろな国を回りました。メキシコ、インド、バングラディシュ、エジプト、イスラエル、そしてヨルダンなんかを旅行して回りました。まだ学部生で何も知らない頃でしたから単純に先進国日本と途上国との生活の格差に愕然として、「貧しいというのは、こういうことなんだ」と偉そうに思ったりもしました。当時は、アジアの発展途上国が民主化や経済発展を遂げることはまだ遠い先のことだと誰もが思っていました。僕も現地を見て、これは大変だろうなと感じていました。
ところが、1988年のソウルオリンピックをテレビで観て驚いたんです。韓国は民主化しているし、生活も豊かそうに見えました。人々の姿を見ても、「日本と見た感じはそんなに変わらないじゃん」と。それまで僕が旅して見てきた国々とはあまりに違っていました。ソウルオリンピックの直前までは、韓国は軍事政権下にあって良い印象はまったくなかった。それがいつのまにこんなに変わったのか、どうして変われたのか。その理由を知りたいと思ったのが最初のきっかけです。だから僕は、韓国を最初から成功例として見ているのだと思います。
川島 確かに70年代くらいまでは先進国と言えば、欧米と日本しかなくて、その後、順番にいろいろな国が発展を遂げていきました。アジアでは韓国をはじめとしたNIES諸国が成長して、その後に東南アジア諸国や中国が伸びていった。だから今は、「日本と欧米だけが先進国だ」なんて言ったら失笑されてしまいます。けれども日本には、アジア諸国と日本は違う、という古い思考のままでいる方が多い気がしています。
木村 未だに昔のイメージで韓国を語る人は多いのですが、僕は韓国の「変化」に関心を持ったんですね。当時の政治学の枠組みに当てはめてみても、韓国のケースは他国との比較において興味深いと思いました。別に韓国のことが好きで研究を始めたわけではありません。なので、他の地域研究者とは毛色が変わっていると思います。対象とする国や地域が好きで研究を始める方が多いですからね。もちろん韓国とは長い付き合いになりましたから、いろいろと思い入れはあるんですけどね。川島先生は中国をテーマに選ぶきっかけはありましたか。
川島 80年代の中国の経済発展にも関心がありましたが、やはり1989年の天安門事件ですね。あの衝撃は大きかった。天安門によって、「中国という国は何なんだ!」と否定的に見る人たちが日本では一気に増えました。その直前までは、韓国が成長していったように「これからは中国だ」と期待されていましたが、いきなり「中国はダメだ」という話になった。私はそういう議論に違和感を持ちました。なぜあの運動が起きたのか。なぜ中国共産党が天安門事件をあのように処理したのか。こうした疑問から中国の政治体制に関心を持ったんです。私も別に中国を好きではありませんが、まったく嫌いでもないんです。中国が好きな研究者は今ではほとんどいないでしょうが、「思い入れがある」というのはよくわかりますね。
我々の世代以降は確かに学部生の時から散々海外に出て行って、アジアの成長を目の当たりに体験できるようになりました。ただし我々は、日本の高度経済成長を体験していません。よその国に行ってそれを見てきたという感じですよね。
木村 僕らより上の世代は、高度経済成長期の記憶が鮮明にありますね。僕が学部生だったときのゼミ旅行が韓国でした。僕が「韓国を研究する」と言っていたから、先生が旅行先に選んでくれたわけです。指導教官の木村雅昭先生(専門はインド政治)は1942年生まれですが、ソウルの街を見ては、「昔の大阪みたいだ!」という言葉を連発されていました。これは必ずしもいい意味ではなくて、例えば地下鉄に乗るときにちゃんと一列に並ばないとか、街を歩いていてもやたらと人がぶつかってくるとか、みんな列車内でも凄くしゃべっているとか、そういうところが似ていると言うわけです。先生の様子を見ていて、「日本の高度経済成長もこういう感じだったのかもな」と思ったんです。だったら、「日本が欧米諸国に追いついたように韓国が日本に追いついてくる」という感覚を持ちました。当たり前ですが、韓国も他のアジア諸国もずっと変化せずにいるわけではないですからね。
日韓関係の終わり
川島 変化することを他国にも当てはめて、実感できるかどうか。この違いによって今の東アジアの変化、特に日韓関係の推移の見え方が変わってくるのかもしれません。前置きが長くなりましたが、それでは今の日韓関係について考えていきたいと思います。木村さんは、一連の流れをどのように見ていらっしゃいますか?
木村 長期的に見れば、くるところまできたというのが一番の感想です。ただ、日本側が韓国に対する輸出管理を強化した後は何かしらのタガが外れてしまって、展開が早くなった、とも感じています。それまでは日本にも韓国にも、どこかに「日韓関係は重要だから言葉を選ばなければならない」とか「これ以上はダメだ」という、超えてはならないラインの感覚がありました。でもその感覚は次第に薄れていって、7月以降は一挙に一線を越えてしまった。
川島先生はよくご存知のように、僕は「日韓関係は長期的には必ず悪化する」と言い続けてきました。初めてそう主張したのは、日韓W杯が開かれた2002年6月のことで、以来その立場を変えていませんから、ある意味では、見立て通りに事態は推移したと思っています。ただし、その変化の傾向については、もっとダラダラと互いの重要性が低下して最終的に両国の関係は──表現は適切ではないかもしれませんが──自然死あるいは安楽死するような状態になっていくのだろうと思っていました。比喩的に言えば、日韓関係がゆっくりと悪化していって、ある日気がついたら「日韓関係はもう死んでしまったんだな」というイメージです。ところが今、お互いがお互いを罵倒し合うような盛り上がりを見せている。「日韓関係の終わり」にこういうイベントが残されていたのだと思うと、感慨深いものがあります。
川島 木村さんはよく指摘されていますが、今回の騒動があっても文在寅大統領の支持率にはさほど大きな変化がありませんね。
木村 僕がこの5、6年で繰り返し主張してきたのは、歴史認識や日本との関係が大統領の支持率を動かしたり、大統領選挙の大きなイシューになったりすることは、もはやなくなっているということでした。実際、昨年10月30日に韓国の最高裁判所が徴用工問題について日本企業に賠償金を支払うよう命じた判決が出た時にも、大統領の支持率はピクリとも動かなかった。その後もレーダー照射問題をはじめ日韓間ではたくさんの問題がありましたが、やはり大統領や与党の支持率は見事なまでに動かなかった。でも、日本が韓国に対する輸出管理の強化を発表した後は、多少は支持率が動くようになった。今まで動かなかった数字が動くようになったわけですから、僕にとっては動いたこと自身が大発見でした。「あ、動くんや」という感じですね。もちろん理由は簡単で、このことが彼らが最も懸念する自国の経済状態に影響すると考えたからです。
つまり徴用工問題等、歴史認識問題は韓国の国民にとっても過去の話であって、自らの生活には直接関係がないと受け止められている。だから多くの人は積極的にデモにも行かないし、運動も盛り上がらない。「慰安婦問題で日本が悪いと思いますか?」と問われたら、みんな「当然だ!」と答えますが、それが現政権の評価を左右するほど重要なわけではありません。けれども、輸出管理の問題は生活に直結するから、「わけが違う」ということになります。
とは言え、それが決定的な影響力を持っているかと言えば、それも違います。例えば、日本による輸出管理の強化が発表された後、大統領の支持率は5%程度の範囲で上下しましたが、その数字はひと月もすれば元に戻ってしまっている。ですから、日韓関係の問題は、韓国の国内政治に決定的な影響があるわけではないんです。いま進行中の話では、文在寅の最側近の一人である曺國(チョ・グク)法務部長官候補のスキャンダルのほうが、はるかに国民の関心を集めている。その影響はスキャンダルが本格化すれば、大統領の支持率に決定的な影響を与えるかもしれないほど大きなものになっています。
重要なのは日韓関係がこれだけ注目されて多くの人が様々な意見を述べているにも拘らず、韓国の有力な政治家や財界人のなかに「日本との関係は重要だから冷静になろう」と呼びかける人がほとんどいないことです。その数はゼロではないが、影響力はほとんどありません。韓国にとって日本が重要でなくなるということは、こういうことなのだなと実感しています。日本は、「敵」として韓国を脅かすかもしれないという意味では存在感はあります。だからと言って、「日韓関係は重要だ」とは誰も叫びません。そして、それは日本も似たような状態にあります。お互いがお互いのことを重要ではないとわかっているからこそ、自由気ままに罵り合っている。僕からすれば、それは日韓関係の断末魔の叫びのように思えてならないんですね。
川島 両国にとって重要性は、完全に失われる直前であると。
木村 僕は日韓の関係を老夫婦の関係に喩える事があります。一緒に子育てをして、そのために稼いでいたときは互いが重要だったけど、子どもが巣立ってしまうと次第に会話も減っていく。寝室も分けて別室で別居するようにして静かに暮らしていければいいのですが、お互いにその状況に納得いかずに罵り合いをはじめる。だからと言って相手に譲歩してまで、その関係を修復しようとはお互いに考えていない。そんな破綻寸前の老夫婦のような状態に日韓関係はなってしまっている。
川島 日本の『外交青書』の文章を見ても、韓国に対する表現は変わってきています。この数年を見ると、「重要な隣国」だったのが「未来指向的に発展させていくことが重要だ」になって、「韓国側の否定的動きが相次ぎ、非常に厳しい状況に直面している」になった。嘘でもいいから「重要である」と言うのをやめてきている。
私が疑問に思ったのは、なぜ安楽死ではなくて断末魔になったのかという点です。それは安倍政権が想定していたより日韓関係の重要性の低下が早く進んだので、日本は韓国に何か言いたくなったと見るべきなのか。それとも、安倍政権には韓国にまだ「気づいてほしい」という期待があるからなのか。日本が韓国にひとこと言うことで少し歩み寄ってもらって、いずれ疎遠になるにしても先送りしてほしいからなのか。そこが気になっています。
私は、今回の安倍政権の対韓政策はもしそこに期待があるったのであれば、ちょっと筋悪のケンカをしたと思っています。期待というのは、日韓関係が特に経済面で衰退することがわかっていても現時点で韓国との関係を完全に断絶して向こう側──端的に言えば北朝鮮や中国側──に行ってほしいとは思っていないのではないか、ということです。本当に向こう側にいってほしいのならば、このケンカもあり得るかもしれませんが……。
木村 そうは思っていませんね。
韓国に気づいてほしいという期待がある
川島 こちら側に残ってほしいと思っていながら攻撃してしまうのは、ケンカとしては筋が悪い。やはり日本には韓国に気づいてほしいという期待があるのではないか。
木村 日本政府内の、例えば安倍さんよりもさらに韓国に強硬な姿勢の人たちは、同時に「韓国はいつかは自分たちの側に戻ってくるはずだ」という漠然とした期待を持っているように見えます。また、韓国の保守勢力のさらに右端に属する人々のなかにも日本政府にそういうことを吹き込んでいる人たちがいます。韓国内では影響力を失っていますが、日本語をしゃべれるので日本国内では一定以上の影響力があります。こういう人たちは、どこの国にもいます。日本語ができるので、彼らの声は日本国内では大きく代表されてしまう。それに加えて、日本国内には日韓関係を離れて、「『日本は多くの国にとって重要な存在なはずだ』と信じたい人たち」もいる。そういう人たちの存在が、結果的に日韓関係の断末魔の声を大きくする役割を果たしているのだと思います。
川島 ああ、わかりますね。
木村 自分たちのことを大事だと思ってほしくとも、現実にはそうではありません。だから、「そんなはずがない」という思いのあまり、相手側に強い言葉を突きつけて我に返ってもらおうとする。
川島 それで「やっぱり日本は大事だ」と気がつくことを期待した。
木村 そうです。でも、それは根本的に現実とはズレていますよね。ここは、歳をとった父親と子どもの関係に喩えることもできるのではないか。父親は「うちの子は昔はいい子だった。いつも父親を大事にしてくれた。だから、きっといつかは目を覚まして自分の重要性に気づいてくれるに違いない」と信じている。ところが子どものほうはとうの昔に自立していて、父親のことをあてになんかしていない。それに気づいた年老いた父親がある日突然、夏休みに帰省した子どもに対して、「お前はオレをなんだと思っているんだ!」と突っかかる。でも、子どものほうは忙しいなか、わざわざ帰省しているのにそんなことを言われることに納得がいかない。結局、子どもは怒って自宅に帰り、楽しかったはずの夏休みは台無しになる。言っておきますが、うちの実家の話じゃないですよ(笑)。
話が脱線しましたが、日韓関係において重要なのは日本側に韓国に対する昔のイメージが色濃く残っていることです。日本側は「韓国に影響力がある自分」という昔のイメージから脱却できていない。さらに言えば、「韓国さえも動かせない自分」という現実に向き合いたくない。こういう状況は中国に対しても一時期ありましたが、日本人はすぐに諦めた。中国は大きくなり過ぎましたからね。だけど、同じような諦めを韓国に対しては持てない。
川島 そうなんですよね。やはり韓国に期待があるから攻撃したところがある。日韓が「安楽死する関係だ」と達観していたら諦めるし、そこにエネルギーを注がないと思うんです。その諦められない思いの発露が今回の政策だとしたら、相手に気持ちが伝わっていないという点でコミュニケーション的には問題ですね。
木村 同じようなことは韓国にもあります。韓国で運動をしている人たちは「No Japan!」ではなくて、「No Abe!」と言ったりする。日本全体に「No!」を突きつけているのではなくて、安倍政権に「No!」と言っているだけだと。そこには、今の厄介な日韓関係は安倍政権さえ退陣すれば解決するはずだ、という漠然たる期待があります。
僕はこうした言い方をする韓国の人たちには、「そういう問題じゃないから」と伝えています。日本人全体の韓国への印象が悪くなっているわけですからね。でも、韓国の人たちもそれを信じたくなくて、「わかってくれるはずだ」という思いがある。もう少しきつい言い方をすれば、甘えがどこかにある。
川島 お互い相手が「わかってくれるはずだ」という思い込みがあるけど、実際にはわかってくれるはずもなくて一層ズレが進んでしまいましたね。
日本は韓国をホワイト国待遇から外し、同じように韓国も日本をホワイト国から外しました。さらに韓国は、GSOMIA(軍事情報に関する包括的保全協定)の延長を止めることを宣言しました。それを受けて日本側は、今のところ黙っています。次の制裁の用意はあるのかもしれませんが、9月上旬の現時点では何もしていない。今後この摩擦をエスカレートさせないためには、二つの条件があるように思います。まず、これ以上日本は何もしない。次に、韓国が例の差し押さえた日系企業の資産を現金化して配ったりしない。この二つの条件が揃えば、貿易関係は手続きが面倒になるだけで回復していくでしょうから、この冬以降の関係改善があり得ると理屈では考えられるのですが、この発想は甘過ぎますかね。
木村 そこは、日本政府も僕たち研究者も読み間違えていたところがありますね。つまり、今回の輸出管理措置で、韓国の世論があんなに盛り上がるとは誰も思っていなかった。それは韓国政府も同じでした。僕は韓国政府に近い人たちから自信満々に、「日本製品のボイコットは大きな運動にはならないから大丈夫だ」と聞かされていました。「まぁ、そうだよね」と僕自身も思いましたし、韓国に詳しい日本のメディア関係者も同様の認識でした。しかし、実際には運動は我々の予測をはるかに超えて盛り上がってしまった。かの国のややこしいところは、運動が一定以上に盛り上がって「正しい方向性」ができてしまうと、そちらに向かって一気に動いてしまうことです。朴槿恵弾劾運動についても見られましたが、このあたりが韓国の大衆運動の難しいところです。
デモは数百人くらいの規模だと、参加していても盛り上がらないし楽しくもない。でも、それが一万人を超える規模になると盛り上がってきて、「自分たちはいま社会を変革する運動の最先端に立っている」という充実感も生まれます。つまり、「No Abe!」と訴え続けてそれが一定の規模に達すると、その運動自身が一つのトレンドをつくって社会の方向性を決めてしまう。それがズルズルと盛り上がった挙句に、GSOMIAの破棄まできてしまったのが今の状態です。日本側も何かしらの反応を見せないといけなくなるわけですが、その反応がさらに運動を刺激してしまう。日本としてはちょっとお灸を据えてやるくらいの感覚ではじめた輸出管理措置が、あっと言う間にどうやって抑えていいのかわからないレベルに拡大してしまった。今の状況では、盛り上がってしまった韓国の運動をどうやってトーンダウンさせるかがカギになります。日本側が「こういう解決案を出せばいいんですよ」と韓国側に助け舟を出せればいいのかもしれないけど、政府には政府の公式的な立場があるから、おいそれとは妥協できない。
川島 無理でしょうね。向こうが下げた以上、こっちは上げられなくなってしまった。
北朝鮮と一緒に独立した経済圏をつくる?
木村 いま僕がとても気になっているのは、韓国政府内に「民族経済の自立を実現させる」「多国籍企業に依存しない自立した経済体制をつくりたい」という言説が出ていることです。かつて植民地支配を経験した諸国にはよく見られることですが、韓国にもいつかは他国に影響されない独自の経済圏をつくりたいという欲求がどこかにあります。グローバル化の進む現在ではアナクロニズムに過ぎないわけですが、今の韓国でそういう一昔以上前の議論が公然と現われたことは少し驚きです。「今さらそういう火のつき方をするのか」という感じですね。
川島 サムソンや現代自動車などのグローバル企業を輩出した今の韓国が言い出したわけですからね。
木村 今の韓国社会の中枢を占める世代が学生時代に唱えていた議論に戻ってしまった感じです。経済学的に言えば、70年代から80年代に全盛を極めた従属理論的な考え方の復活です。大昔の韓国の学生運動の残り火に火を点けてしまっている感がある。
川島 日本から脱却して、北朝鮮と一緒に完全に独立した経済圏をつくればいいという議論ですね。
木村 北朝鮮と一緒になって巻き返すというのは、さすがにおとぎ話も過ぎるという感があります。彼らが言わんとしているのは、要は民族の力を集めて外国資本を追放して自立経済をつくり出そう、ということですよね。そして不幸にして、大昔そういう考え方をしていた人たちがたまたま今の政権中枢にいる。彼らからすると、それはもう現実の政治や経済に関わる理屈ではなくて「本来の韓国はかくあるべきだ」というイデオロギーになっている。だから、どんなに経済的にはマイナスの影響があっても「臥薪嘗胆」的に「民族自決のためには多少の血は流れても仕方ない。将来の理想社会の実現のために我々は今は我慢するときなのだ」という話になりかねない状況になっている。このイデオロギーがこれ以上燃え盛ると、彼らは容易には現実に帰ってこれなくなります。
川島 そうすると、かなり厳しい状況になりますね。
木村 要は「盛り上がり過ぎている」わけなので、ここで一番の助け船になるのは、少し皮肉な言い方になりますが、韓国国内の政治的スキャンダルなのかもしれません。国民の関心がそちらに集中すれば、批判の矛先は日本ではなく青瓦台に向かうでしょう。ただ文在寅政権はまだ3年目だし、しばらくは持ち堪えるでしょうから、もう少し時間が必要かもしれない。そういう意味では今の日韓関係のヒートアップは少しタイミングが悪かった感もありますね。
川島 GSOMIAや慰安婦合意それからTHAAD(終末高高度防衛)などは、オバマ政権時代のアメリカが同盟国同士の関係を調整するという発想から出てきたものでしょう。アメリカが世界の警察を単独では担えないものだから同盟国にもっと負担してもらおうという流れがあって、アメリカと同盟国間の相互主義であるとか、日韓豪を含めた同盟国間の横の関係の強化という考え方が出てきた。オバマ政権のそうした動きに対応して、日米の新ガイドラインや安保法制、日豪協力、さらに日韓の慰安婦合意やGSOMIAがあったわけです。朴槿恵政権も最終的にそれを受け入れた。ところが、いま文在寅はその同盟国間の横の連携を切り出しているようにも見える。安保の方面から見れば、時計の針を逆方向に進めようとしているかの印象を受けます。文在寅大統領は、「自由で開かれたインド太平洋」戦略などのアメリカの同盟国間の連携にも関心を示しませんよね。
木村 文在寅とその政権の視野が基本的に朝鮮半島に限定されていることは、押さえておいたほうがいいでしょう。歴史を振り返って見ると、1965年に締結された日韓基本条約は、岸政権が倒れたあとの池田政権にケネディが圧力を掛けたことで実現したものでした。つまり、アメリカという保護者があって初めて成立した関係です。その後も事あるごとにアメリカは、潜在的な対立関係を抱える日韓両国を自らの影響力のもと、共通の目的に向けて協力させるべく努力してきました。
しかし、トランプ政権の成立後、状況は大きく変わります。トランプは同盟関係に大きな意義を見出さず、結果、北東アジアにおける日米韓三カ国の協力関係の維持にもエネルギーを割こうとはしなかったからです。よく知られているように、韓国は中国に対しても北朝鮮に対しても、日本とは大きく異なるスタンスを有しています。でもそれをアメリカが圧力をかけて、日本と協力するように仕向けてきたわけです。それがトランプ政権になってからは、韓国に対するそうした圧力は劇的に減少しました。
そもそもアメリカ自身が北東アジアで何を実現したいのかわからない状態になったのですから、当然と言えば当然の結果です。8月のG7でトランプは「文在寅が信用できないと金正恩が言っている」と発言したりしているわけですが、もうこうなると南北のどちらが同盟国なのかもわからない(笑)。
見方を変えれば、日韓両国がアメリカの統制を外れてお互いに本音をぶつけやすい状況になっているとも言える。ウォール・ストリート・ジャーナルは「安倍首相はトランプの真似をしている」と書きましたが、日本に限らず、どの国でも自分の言いたいことをそのまま相手国にぶつけたいという欲求はどこかにある。アメリカと中国のように好きなカードを切り合って、言いたいことが言えればいいのにと(笑)。でも、中国やアメリカ相手にそういうことはできないから、与し易い国を相手にやってみる。それが日本にとっては韓国であり、韓国にとっては日本であったという側面がなかったと言えば嘘になるのだと思います。
国際社会での言説のあり方も変わってきていますよね。今は本音を言うのが格好よくて、建前を言うのはよろしくないという環境が生まれている。ひとことで言えば、ポピュリズム。イデオロギー的にはトランプとはまったく異なる文在寅ですが、そういう意味ではトランプとの類似性は色濃くあるのだと思います。
川島 今のポピュリズム的な傾向も含めて、そこが国内政治と結びついていますね。
長期の冷戦体制の終焉
川島 長期的なスパンで見たときに、日韓がお互いにとって重要ではなくなっている背景には何があるとお考えですか?
木村 まずはお互いにとっての経済的重要性が下がっていることが重要でしょうね。また、安全保障上の変化も重要です。比喩的に言えば、東アジアにおける「長期の冷戦体制の終焉」とでも言うべき状況があるのだと思います。
川島 その通りですね。私もそう考えています。
木村 ヨーロッパでは旧ソ連圏で体制の転換や崩壊が短期間に進みましたが、東アジアではこの過程はゆっくりと進行しました。かつての日韓の協力関係は、突き詰めれば冷戦下の「反共産主義」的な協力関係でした。皮肉なことですが、今の安倍さんに繋がる人たちが親韓派だったのもそれが原因です。しかし冷戦終結後、彼らはポジションを少しずつ変えていって、逆に韓国に対抗的な姿勢をとるようになりました。日本側においては、それが日韓関係の長期的な変遷の基調の一つになっています。
冷戦終結後は、日韓両国ではリベラルな勢力が台頭してきます。日本では宮沢喜一や村山富一、韓国では民主化運動の英雄であった金大中や金泳三がその代表格ですね。しかし、彼らが中心になって冷戦終焉以後の日韓の新しい関係をつくろうとしたのだけど、それはうまくいかなかった。そして、そのまま日韓友好に協力的な勢力が退潮して現在に至るわけです。
川島 第二次世界大戦が終結して朝鮮戦争が起こり、55年体制の頃に形成された日韓関係を含む東アジアの国際秩序の土台が崩れ始めている感じですね。冷戦後の時代が欧州とは違うリズムでいま東アジアでは動いてきている。
日本と北朝鮮との関係の推移についてはどのように見ていますか。韓国はGSOMIAを更新しないと言っていますし、今の騒動はどのように影響するのでしょうか?
木村 北朝鮮問題については、北朝鮮がある意味での「経済的な自信」をつけたことが日本の役割を失わせた最大の理由なのだと考えています。拉致問題を受けて日本は北朝鮮に経済制裁を課しましたが、その政治的な成果は上がらないまま2010年には日朝貿易はゼロになりました。それからすでに9年。北朝鮮は、日本との経済関係がなくても経済を維持できることを学習しました。そして、この結果を見て韓国の人たちも「そうか日本には北朝鮮に対する影響力はないのだ」と考えることになります。そうなると、北朝鮮にしても韓国にしても「結局は頼りになるのは日本ではなくアメリカだ」という話になる。韓国にしても北朝鮮にしても、中国は色々と面倒くさい存在なので、できれば中国抜きでものごとを回したい。いずれにせよ、こうして南北問題における日本の影響力もなくなることになりました。
文在寅政権の外交政策を見ていると、統一はまだ遠い先の話であるにしても、ともかく彼らが北朝鮮と対話をしたいと思っていて、また関係を安定させたいことがよくわかります。しかも、その目標を実現させるためにできるだけ中国を使わないことも大前提になっている。だから彼らには結局、使えるカードはアメリカしかない。とにかくトランプをうまいこと焚きつけて、米朝間で話をしてもらうと。そして、そこには日本の役割は何もない。
川島 そうですね。出番がない。
木村 今年2月に慶應大学で文正仁大統領補佐官による講演が開かれたのですが、そこで彼はわざわざ「南北問題で日本の役割はない」と言ってのけた。それを言うためになぜわざわざ日本にきたのだという話なのですが、そこにこそ今の韓国政府の本音が現れているのだと思います。2017年に文在寅政権ができた時には、この政権はまだ日本にそれなりの気を遣っていました。大統領選挙時に破棄を公約した慰安婦合意に対して、少なくとも形式的には破棄しないことを早々に決めたのは、その現れの典型的なかたちでした。
背景には、彼らが北朝鮮との対話をめぐって、日本がワシントンで妨害工作をするのを恐れたことがあります。朴槿恵政権当時、慰安婦問題で日本と対立した韓国政府は、ワシントンでの競争に負けて慰安婦合意を呑まされることになりました。だから今度は、ワシントンで北朝鮮との対話をめぐって日本に妨害されては堪らないというわけです。ですから日本には、「南北問題で何もしないでいてくれれば、それで良い」ということになる。
昨年2018年には、シンガポールで初の米朝首脳対談が開かれるなど、事態は韓国の想定以上にうまくいきました。それは言い換えるなら、日本が反対しているにもかかわらず、北朝鮮との対話が進むという経験でもありました。だから韓国政府は、北朝鮮問題でも日本はワシントンで影響力がなくなっている、もはや日本にことさらに配慮する必要がないと考えたわけです。それが昨年からこの夏にかけて一挙に展開した結果として、今の日韓関係があるのだと思います。
川島 文在寅政権は北朝鮮との関係を最重要視していますから、諸外国との関係も北朝鮮との関係性において使える存在、使えない存在と分けているところがありますね。トランプさんは使えるが、安倍総理は邪魔ばかりするから遠くに行ってほしい存在だったのでしょう。今回はむしろ日本のほうから仕掛けたところがあるから、余計に外に行ってほしいと文大統領は感じたのかもしれません。
木村 昨年前半までは、日本と揉めるとややこしいから刺激はしなかったし、したくなかった。だけど米朝関係がうまく行ってしまったので、もう刺激しても大丈夫だと考えた。この点について僕は、韓国政府の日韓関係に関わる「ガバナンスの放棄」という表現を使って説明しています。かつては、日本との関係が悪化すると経済的にも安全保障面でも弊害が多いから、そのエスカレーションを避けるように統制していました。けれども昨年夏、旭日旗問題が表面化したあたりから、韓国政府はこの統制を放棄した。徴用工裁判の判決が出て、日本政府が猛烈に抗議した後も何の解決策も打ち出そうとしなかった。それどころか今年1月には、「裁判所の判決だから仕方ない」と文在寅は言ってのけた。つまり、「放っておいてもいい」ということですよね。
北朝鮮と日本の関係でも、トランプ自身が「自分は金正恩を信頼している」と言っているのだから、北朝鮮との関係構築に関係に消極的な日本の影響力が下がるのは、ある意味で当然とも言える。やはり、アメリカも韓国も朝鮮半島問題をめぐる日本に関わるガバナンスを放棄してしまっている。
川島 米朝が直接接近したことで、日本は北朝鮮問題をめぐる枠組みの蚊帳の外に置かれてしまった感じですね。
木村 韓国の立場も少しずつなくなっていますね。米朝が直接交渉できるようになったので、必要なくなった国は順番に蚊帳の外に追い出されていくかたちになっています。
川島 そうですね。リング外に出ていく感じ。
木村 最後はトランプと金正恩だけが残っていくと。
川島 朝鮮半島問題をめぐって日本がどんどん枠組みの外へと追いやられるなかで、日本を大事だと思ってほしい人々が韓国に攻撃を仕掛けて日本の存在に気づいてもらおうとした、ということなのでしょうか。
木村 流れとしては、最初に韓国が日本の重要性を完全に見失って、言いたい放題になった。それに対して日本も「だったら自分も言わせてもらう」というかたちで輸出管理のカードを切ったら、韓国が本気で怒り始めてメチャクチャになったという展開ですね。
ただし、GSOMIA破棄の件はびっくりしました。アメリカを怒らせていいはずはありませんから、韓国もどこかで計算間違いがあったのだと思います。政権内部の問題なのか、もっと別の理由なのか。そのあたりは現段階ではよくわかりません。
川島 GSOMIAはアメリカを含む全体の話で、日韓だけの問題ではありませんからね。
木村 ひょっとしたらトランプ政権の特殊性が影響しているのかもしれません。韓国の大統領官邸に、ペンタゴン(国防総省)と国務省を怒らせても、「トランプを掴まえておけば大丈夫だ」という発想があるのは事実ですから。
川島 そこはあまりうまくいっていないようですね。
木村 わが国も同じかもしれませんね。「安倍・トランプ関係は磐石だから日米関係は大丈夫だ」と盛んに喧伝したことが一時期あったじゃないですか。あれに近い感じが韓国にもあります。
中国は日韓関係の混迷をどう見ているのか
木村 川島先生にお聞きしたいのですが、中国から見て今の日韓関係の混迷は歓迎すべき状況なのでしょうか。8月の日中韓首脳会談の際には、中国側から「日韓は問題解決のために努力を」という発言が出されたりして、個人的には驚かされました。「日韓関係を中国が心配する時代がきたんだ」という感じです。
川島 いま米中間では関税を始めとしていろいろな問題が起きています。中国にとっては米中対立へ対応が第一ですから、長期的にはアメリカの同盟国同士のケンカは歓迎なのですが、短期的には日韓には揉めごとを起こさずに静かにしていてほしい。中国は、アメリカのさまざまな制裁の影響がアジア・太平洋地域に及んでくることを嫌がっています。RCEP(東アジア地域包括的経済連携)や日中韓FTAを含めて、中国は早くこれらのアジアでの貿易秩序の話を進めたいのですが、日韓がケンカすると進まなくなってしまう。短期的には日中韓でしっかりタッグを組んで貿易上の課題をアジアの空間で固めて、アメリカの影響を排除したいわけです。
木村 中国からすると、日韓は意外と面倒臭い存在である、と。
川島 中国から見て、日本も韓国も貿易相手として重要ですし、東アジアの経済連携推進には日韓の合意が必要です。ですから日韓がケンカをするとRCEPを始め、ASEAN+3(東南アジア諸国連合+日中韓)の様々な取り決めやEAS(東アジアサミット)関連もまとまりませんから、それが嫌なんですよ。APECはアメリカも含みますが、それ以外ではアメリカ抜きで話を進めたいわけです。
木村 ASEAN+3にしてもEASにしても、中国としてはこの枠組みを自らの勢力拡張のために使っていきたいと思っているわけですね。アメリカは排除して、日本も含めたかたちでこの地域の貿易政策をまとめたい、と。
川島 もちろんそうです。日中韓のFTA(自由貿易協定)も含めてやっていきたいのに、日韓が対立すると滞ってしまう。
木村 巷間では、「日韓が揉めると文在寅政権が中国にすり寄っていくから中国は喜ぶ」という考えをする人もいますね。僕はそれほど単純だとは思っていないのですが。
川島 アメリカの同盟国同士が揉めることは、中国にとっては甘い蜜でしょうね。でもそれは長期的な視点であって、主に安全保障分野でのことです。日韓が揉めて韓国とアメリカとの同盟関係が崩れてGSOMIAもなくなり、もしかしたらTHAADでの協力も揺らぐ事態になると、軍事安全保障面では中国にとってはラッキーですよね。
けれども、それは米中間の短期的な経済貿易問題から見れば、直接的には結びつきません。米中対立との関係性で言えば、今は経済が冷え上がっていますから、ある程度は日韓に仲よくしてもらい、東アジアの経済連携を進めておきたいのでしょう。もちろん、何十年単位という長期的なレンジで見れば、朝鮮半島が次第に中国に有利にまとまってもらう方向が望ましい。それこそ、在韓米軍に消えてもらったほうが中国からすればいいわけです。そうした意味では、文在寅政権の政策の下で統一が進むことは悪い話ではない。
木村 中国から韓国の今の進歩派はどのように見えているんでしょうか。
川島 面倒くさいのだと思います。韓国の進歩派は、中国をも飛ばして平壌と話をしようとします。朴槿恵の時代は、保守の人たちのほうが北京を頼ってくれましたからね。そうすると中国としては南北両方に関与できますから、それが望ましいんです。南北に「勝手に」やられてしまって、北朝鮮が中国をまったく頼らない状況になると出番がなくなって、中国は一番困る。六者協議というのは、中国が「平和と安定への貢献者」として振る舞える格好の舞台ですので。無論、北もよくわかっていてアメリカとの関係性をつけて米中首脳会談の段取りをつけたうえで、北京に寄っていって自分を高く売り込みました。中国としては北に離れられても困るので、仕方がないからそれにつき合うことになる。
木村 朴槿恵は慰安婦合意にしても、政治的には結局は日米韓の枠組みのほうを重視しましたよね。
川島 朴槿恵は中国からの尊重というものを見誤ったかもしれないですね。2015年の9月3日の抗日戦争勝利記念日の式典で習近平、プーチン、朴槿恵の三人が一緒に壇上に上がりました。中国としては中露両大国と韓国を並列にして最高のサービスをしたわけです。もちろん、歴史認識問題で立場を共有したいということもあったでしょう。ただし、そうした中国の姿勢について、朴大統領は勘違いしたのかもしれません。中国には北朝鮮を抑え込む力があって核実験もやらせず、また韓国が中国から本当に重視されていると思ってしまったのだとしたら、それは勘違いです。中国は最後のところでは「韓国のために」何かをすることはないと思われます。ですから、中国が韓国のために北朝鮮に何かするとはあまり考えられません。
木村 今までこの地域をコーディネートしてきたアメリカがその役割を放棄している状況については、中国は歓迎しているのでしょうか?
川島 中国からすれば、アメリカが複数に見えているはずです。つまり、関税にこだわるトランプタイプのアメリカがいて、それとは別に官僚層やシンクタンカーなどの一群の集団が粛々と法律、制度をつくっています。彼らが最新鋭のF35ではなくて、F16であるにしても台湾に武器を売るし、インド太平洋方面での協力関係を強化して中国包囲網を形成しようとしている。トランプさんについては、コーディネーターであることに関心がないように見えます。しかし、「他のアメリカ」はそのコーディネートを強化しているようにも見える。この二つが同時にきているわけです。国民に響いているのは、株価や為替などに直結する関税のほうでしょう。
木村 それはそうですね。
川島 ただし、中国からは、当初はトランプが物をはっきり言ってくれるので分析しやすいし、関税については米中で交渉していますからディールする余地があると思われていたようです。けれども、粛々と進む安全保障上の動きについては制度化しているから止められず、むしろこちらを嫌がっていました。
文在寅政権は朝鮮半島以外に関心がない
木村 安全保障の枠組みをトランプがコントロールしないことも嫌でしょうね。
川島 トランプがそれをコントロールできるとは見ていないと思います。でもトランプの関心と安全保障のグループの動きが時々一致しますよね。これが中国から見ると、よくわからないのだと思います。今では、「米中関係が悪化したのはトランプの存在が悪い」と言いながらも、トランプが辞めてもこの状態は継続すると思われています。ただ、少なくとも関税問題はトランプと話し合いをしながらディールできるかもしれないと思っている。なので、米中首脳会談に賭けている。次は11月のAPECですね。
中国は「自由で開かれたインド太平洋」のことを明らかに自分への包囲網であって、一帯一路との対立軸だと思っています。日本は「違う」と言いますが、中国からすればアメリカの対中対立姿勢のほうが大きく見える。もちろん中国からすれば、軍事・安全保障面で拡大していくことは既定方針で、それが止まることはないでしょう。
ですから、アメリカとぶつかり合うことになるのは、ある意味で当然の帰結です。ただし、軍事力はアメリカが圧倒的に上なので、そこはアメリカに対しては強気には出切れない。ドル決済の問題と軍事力については、中国はアメリカにまったく敵わないので苦しんでいます。
韓国は、「自由で開かれたインド太平洋」にも、東南アジアに対する関与にもまったく関心がないように見えます。ここは興味深いですね。
木村 文在寅政権は、基本的に朝鮮半島の外のことにあまり関心がありません。例えば東南アジア諸国に対しては「新南方政策」を打ち出したのですが、自国の経済的進出が謳われる程度で、地域秩序に関与しようという発想からは程遠い。文在寅政権は中国に対して肯定的にも否定的にも何もしていませんし、中国もそれにフラストレーションを感じているようにも見えない。
川島 目下、中国から文在寅に少なくとも表面的には接近したりはしていないようですね。まぁ中国からすれば別にいいんですよ、放置していても。日韓関係が悪化し、ここにきて米韓関係にも問題が発生しているのですから、中国から見て悪い方向には進んでいません。
木村 すぐに文在寅政権が親中化せずとも、韓国全体が10年、20年のスパンでアメリカと距離が離れていけば、相対的に中国に近づいていくことになると考えているということですか。
川島 長期的にはそうなるでしょうね。韓国が日本だけでなくてアメリカとも距離ができて、最終的に北とくっつくのであれば、中国はその統一体には当然、関心があるでしょう。無論、南北双方を掴まえておきたいが、今の南北関係を見れば北が優位に見えますから平壌を掴まえていれば大丈夫です。それができていれば、文在寅を掴まえる最も有効な手段の一つになる。
木村 平壌は掴まえられていると中国は考えているんですか?
川島 ムリでしょうね。完全に捕捉することなど不可能です。だけど、中朝関係は以前よりはいいわけですよ。金正恩政権が成立して中朝関係は厳しい状況にありましたが、アメリカと直接対話するところで北京に金正恩がきてくれた。あれで一応メンツが立ちました。それ以後は頻繁に首脳会談を行っていて、今年は国交樹立70周年を迎え、関係強化の雰囲気をつくっています。
──韓国は多国籍企業も多く、一時期はグローバリゼーションの申し子という印象もありました。なぜ急に内向きになったのでしょうか。
木村 確かにサムソンや現代はグローバル化して、韓国の経済発展に大きく貢献しました。だからと言って、韓国人がハッピーになったかと言えばそうではない。事実、今の韓国には社会への不満の空気が強く漂っています。「世界はともかく、まずは自分の足元に目を向けるべきではないか」といった雰囲気が生まれて、一挙に内向きになっている。
あえて喩えれば、この状況は日本のバブル崩壊以後の空気感に似ているのかもしれません。かつての日本は、アメリカとも伍して「将来の世界」を語る気概のようなものがありましたが、今では自らの将来像は「アメリカと一緒」にしか語れない。その意味では「アメリカ抜きのTPP」は日本にとっては大きなチャンスでもあったわけですが、日本はこの機会も結局はうまく使えなかった。韓国はその日本をさらに小さくした状況になっています。同じアジア地域に属するASEAN諸国への大統領の外交の目的が「とりあえず10カ国すべてを訪問する」という程度では、「志が低すぎる」と言わざるを得ないところがある。韓国はG20のひとつですからね。
背景にある一つの原因は、やはり中国の存在や経済規模が大きくなり過ぎたことがあるのだろうと思います。グローバル化で韓国は、世界各地にマーケットを広げて多角化したつもりでしたが、気がついたら圧倒的な中国市場依存になってしまった。
川島 GDPの構造上、中国との貿易に依存したから中国からの圧力が怖くなる。
木村 それは東アジア全体の問題ですね。本来グローバル化はその定義上、遠くの地域との交流が急速に拡大することを意味しています。必然的に、近隣諸国との関係はそのなかで相対化されることになる。けれども北東アジアでは不幸にして、グローバル化のスピードより速い速度で中国が経済成長しました。だから、グローバル化にかかわらず近隣に中国の影響力が拡大するという歪みが生じてしまっている。
川島 東アジアはお互いに領土や歴史認識などの政治の問題を抱えていますが、経済だけは中国との関係を緊密化させ、また諸国間の相互依存が強まっている。特に韓国は中国との関係が強い。
木村 ソウルは直線距離にして北京から約1000キロの距離に位置しています。心理的にも中国の存在は大きいですし、事実としてそのGDPの4%ぐらいは中国市場に依存している。だから韓国にとっては、わざわざ遠くの国との交流を増やすことよりも、中国との交流を増やすことのほうが合理的な選択になってしまっている。誰がどう考えても、ブラジルでビジネスを拡大するより中国で新たに工場をつくるほうが手っ取り早いですからね。不幸にして東南アジア諸国と密接なパイプをつくることにも失敗しているので、韓国には中国に代わってASEAN諸国を使うというオプションがあるわけでもない。そういう意味では、グローバル化本来の影響力を、中国という名の巨大なブラックホールが捻じ曲げたような状況になっています。同じような状況は、南アジアのインドについても言えますね。急成長する人口大国の存在により、そこだけ磁場が歪んでしまっているわけです。
川島 中国という磁場に引きずり込まれていく。
木村 だからこそ、韓国からすると巨大な磁場を持つ中国は重要だけど、日本はそうではないと見えてしまう。
川島 でも、中国から見るとそれは違っていますよね。「グローバルサプライチェーンを含めて日本は重要だ」と中国は口先だけでも言っています。
韓国には勝利の記憶がない
木村 韓国は自らが経済的に問題を抱えていますから、目の前のことで精一杯なのだと思います。逆説的になりますが、だからこそ彼らは、突如として現実離れした遠い未来の理想を語ることもある。例えば、8月15日の「光復節」の演説で、文在寅は北朝鮮との統一について切り出しました。今の韓国にとって北朝鮮との統合は、数少ない夢が語れるきれいなストーリーだからなのでしょう。
川島 統一というのは、どのぐらい現実的なのですか?
木村 「2045年の統一を」と言ったのは、今から26年も先の話だから気軽に語れるというニュアンスなのだと思います。考えてもみてください。仮に「2020年の統一」という話だったら、あの貧しい北朝鮮の人たちが、来年に一挙に職を求めてソウルに押しかけることになります。失業率の悪化に苦しむ今の韓国の人たちにとって、それは悪夢以外の何ものでもない。
川島 それはムリですよね。2045年は、日本から独立して100年という象徴的な数字なのでしょうね。
木村 遠い2045年のことだからこそ夢が語れる。その頃にはひょっとしたら日本より大きな国力を持っていて、日本の影響力を克服できるかもしれない。だからこそ文在寅は、光復節の演説で「民族の力を集めて日本を克服する」と言ったわけです。ちなみに、韓国の大統領が重要な演説で日本との関係について多くを割いたのは久しぶりのことです。演説の締めはオバマの定番のフレーズ「イエス、ウイ・キャン」の韓国語版で締めていましたが、「日本はすでに克服したと思っていたんじゃないの?」という驚きがありました。
川島 今回また克服を提起したので驚きました。むしろ、「まだ克服していないのか!」という感じですね。
木村 これだけ経済成長を果たしても、韓国人はまだ自国に十分な自信が持てないのかなという気持ちにもなりますよね。韓国にとって、日本はいつも手軽な目標なんです。アメリカや中国は克服できないが、日本なら克服できるかもしれない。だから、韓国にとって将来の夢を語る格好のターゲットになっている。
同じことは日本についても言えるかもしれませんね。なぜなら、夢が語りにくくなっているのは日本も同じだからです。だからこそ、手軽なターゲットとしての韓国は取り上げられやすくなる。日本にとっては「勝てる相手」としての扱いです。アメリカや中国には勝てないが、韓国には勝てる、と。お互いに負けられない相手になっているわけです。そういう意味では、米中とのスケールの差がついて、第二線の争いになっている。
川島 「ナショナリズムで旧宗主国の日本を克服する」「国民経済をつくる」──これらは脱植民地化の典型的なキーワードですよね。21世紀の今の時期に韓国が突然これを言い出すのも面白い話です。今度は北朝鮮と一緒になって、脱植民地化をもう一回やり直すんですかね。
木村 時計の針を逆に進めるかのような動きは、やはり気になりますね。仮に日韓基本条約の見直しを求めるような動きが進めば、その影響は他国にも波及するかもしれません。日本をめぐる脱植民地化や敗戦処理は冷戦下の「反共体制」維持との関係で進んだ経緯がありますから、他国が「我が国をめぐる問題も未解決だ」と言い出しても不思議ではない。
少し話が飛びますが、こうした脱植民地化の観点から言うなら、結局、韓国は近代史において「誰にも勝ったことがない」ことが重要になるのでしょう。唯一、勝ったかもしれないのは、冷戦下における北朝鮮との体制競争なのかもしれません。彼らとしては、本当は自分たちの力で独立を果たし、また自分たちの力で近代化して経済成長を成し遂げたかった。今の経済力や国際的な位置は十分に素晴らしいものなのだけど、それを自らの力で獲得したという実感がない。だから、どんなに民主化を果たし経済成長を成し遂げてもどこかしら満足した思いを持つことができないでいる。
川島 勝利の記憶がないわけですね。
木村 もっと言えば、「どこで負けた」のかすらも定かではない。なぜなら、韓国は日本と戦って植民地になったわけではないですからね。この「勝敗の記憶」について、中国人は韓国人とはまったく違ったものを持っています。日本人と中国人の間の差は、日本人にとって太平洋戦争は、「アメリカに負けた」戦争ではあっても「中国に戦争で負けた」という意識は薄い。けれども、中国人には「日本に勝った」という明確な意識がありますから、日本へのコンプレックスは薄い。これに対して韓国人は、かつて日本に支配され、その後独立を勝ち取ったが、どこかで日本に負けてまた勝ったという明瞭な意識があるわけではない。悪いのは日本をはじめとする周辺諸国だと考えているが、だからどうすればよかったのかと言えば、そこに答えがあるわけではありません。
川島 違う観点で見ると、1965年の日韓基本条約は独裁政権が結んだものだという考え方もあります。その後に民主化をしたのだからもう一回やり直すべきだ、という議論ですね。1980年代以降の歴史認識問題の背景の一つがそれでした。現在では、移行期正義のことが言われていますが、将来的には北朝鮮と一緒になって──その姿が連邦なのか統一なのかわかりませんが──もう一度日本と戦後処理の話をしようとすることが懸念されます。このようにして、何度もそのテーマで日本と向き合うことになりかねない。
私は、台湾ともやがてはまったく違う局面になっていくのではないかと懸念しています。韓国が先にきたのだと考えると、この先日本はさらなるややこしい話を抱え込む可能性があります。台湾に対しても、安心してはいられないのかもしれません。(終)