反中国の中央アジア?

 武内 対中国はどうですか。

 東島 2009年につくった新疆とトルクメニスタンを結ぶパイプラインを拡張する話を進めたり、ロシア経由ではなくキルギス・ウズベキスタンからイラン・トルコを経由して中国とヨーロッパをより短時間・近距離での輸送を可能とする鉄道を結ぶ計画を話し合ったり、先日の「中国・中央アジアサミット」でも話が出たように融資を増やしたりと、中央アジア諸国がロシアから距離を取り始めていることを契機に、中央アジア諸国政府と結びつきを強めることで、中国は影響力を高めようとしています。

 ただ、中央アジアの人々のあいだでは中国に対するネガティブな感情が強く、それは複数のサーベイでも裏付けられている傾向です。

 たとえば私が2021年春に行ったサーベイ実験では、「どのような移民を受け入れたいか」という一連の移民のプロファイルを回答者に見せたときに、中国からの移民であるという情報は、ほかの国からの移民であるという情報と比較すると、隣人としての受け入れを忌避する感情がとても強くなる傾向にありました。反対に、ロシア系の移民であるという情報は、ロシアとは昔からのつながりがあるので、そのような傾向は見られません。

 中央アジアには、ビジネスチャンスや労働機会を求めて中国からの企業や、移民、労働者がたくさん来ていますが、現地住民との摩擦も少なからず起きています。サーベイの結果が示唆するのは、移民が漢民族のエスニシティを有するというだけで、現地の人はかなりネガティブな感情を持つ傾向にあるということです。政治エリートレベルではつながりを強めようとしているものの、大衆レベルの感情を考えるとなかなか難しいところもあるのではないでしょうか。

 武内 米国に対する印象はポジティブなのでしょうか。

 東島 実際に米国に対する国民感情に関して私自身がサーベイを継続的に取ったわけではないのであくまでも肌感覚としてですが、中国やロシアに比べると地理的に遠く、昔からつながりのあるロシアに比べたら新参者なので、あまり親近感はないというのが基本的なスタンスだと思います。

 ただ、筑波大学のティムール・ダダバエフ先生と東京大学の園田茂人先生によるアジア・バロメターを使った分析では、最近の中央アジアでは米国や欧州諸国に対する好感度が以前よりも高まっていて、特に若年層を中心にその傾向が顕著なようです(「中央アジアの苦悩:国連決議と国民感情の狭間で」『中央公論』2022年6月号)。たとえば、カザフスタン(2005─2019年)では、ロシアに対してはやや好感度が減少しているものの依然として非常に高く、中国に対してはやや減少しているという傾向が報告されています。私自身の感覚やサーベイの結果とも整合的かなという気がしています。

 武内 最近驚いたのは、ウズベキスタンが今、教育省が提唱する“English Speaking Nation” Initiativeのもとで、全国民に英語が普及するよう英語教育に力を入れていて、「フルブライト英語教育アシスタント(English Teaching Assistant:ETA)プログラム」などで米国からたくさんの英語教師を受け入れているんですよね。コロナ禍でも米国からETAの受け入れを積極的に続けていたんです。

 私が思うに、米軍のアフガニスタンでの苦戦を目の当たりにして、米国人は英語ができる人の話しか聞かないということを米軍の撤退以前から学んでいたのではないでしょうか。
アフガニスタンの場合は、タリバンの全土掌握で大統領の座を追われたアシュラフ・ガニー氏が英語が堪能で、米国に向かって「大丈夫」と言っていた。でも実態は全然大丈夫じゃなかったんですよね。そんなことは地元の部族のリーダーにはわかっていたわけですが、彼らは英語が話せないので米国に進言する術がなかった。実態をわかっている人の声が米国に直接届くようにしないといけないということで、ウズベキスタンは英語教育強化へ舵を切ったのだと思います。

 東島 米国が文化や価値観といったソフト・パワーを使って、中央アジアへの影響力を強めようとしている傾向は以前からあるような気がしていますし、そうした機会を使って中央アジアの国々が国力を高めようとしているところもあると思います。

 たとえば、カザフスタンにある初代大統領の名前がついたナザルバエフ大学は、最近まで日本人の方が長く学長を務めていた高等教育機関ですが、オイルマネーを使って米国で博士号を取った外国人研究者をたくさん雇っていて、すごくインターナショナルな雰囲気です。そこには何人か日本人の研究者も在籍していましたが、給料は高く、大学敷地内のアパートも借りられて家賃はタダ、子どものインターナショナル・スクールの学費も出してもらえるなど、かなり待遇がいいみたいです。キルギスにも中央アジア・アメリカ大学という米国の教養教育の影響を強く受けている大学があって、そこでも授業は英語で行われているそうです。

 

権威主義と「資源の呪い」

 武内 中央アジアの国々は、資源を持つ国、持たない国とバリエーションがありますよね。たとえばカザフスタンは、オイルマネーをインフラに投資してとにかく国を発展させようという方針です。トルクメニスタンも天然ガスが多い。ほかの国にはそんなに天然資源がありませんが、天然資源の賦存量は権威主義体制にどう影響するのでしょうか。

 東島 天然資源があれば国民全員が潤うので、人々はみんな満足していて体制は強いというイメージがあるかもしれませんが、そうともいい切れません。権威主義体制の国では資源の恩恵を受けられるのは独裁者に近い限られた人たちだけで、特に資源価格が下落すると、そこから排除された人たちとの格差はさらに広がります。カザフスタンもトルクメニスタンも程度の差はあれ腐敗がかなり進んでいたので、資源の恩恵がどれくらい広範に人々に行き渡っているかということは、もう少し慎重に分析すべきだと思います。

 武内 さらに言うと、中央アジアは国有企業の存在感が大きいですよね。もともと旧ソ連の国なので全て国有企業という状態から始まったわけですが、それをどう民営化し、経済効率を高めていくかというのは大きな課題だと思います。特に、天然資源があると国有企業改革はますます難しくなりますよね。

 東島 天然資源と経済成長の負の関係、政治経済学でいう「資源の呪い」(resource curse:一見成長と発展を約束するかに見える天然資源が政治・経済・社会にもたらす弊害)は単純に天然資源があるところで必然的に起こるわけではなく、国営で運用されている場合に資源が権力者の道具になってしまうため経済成長に負の影響を与えやすくなるというのが、今では社会科学の共通認識になっています。なかでも中央アジアは、天然資源が国有セクターに支配されているので、「資源の呪い」が起こりやすい典型的事例として挙げられています。ただ、民営化したとしても、ロシアのオリガルヒ(新興財閥)のように、民営化初期の寡占的地位を利用して莫大な富を築く人が出てくるなど、反対に民営化が腐敗の温床になる事例もあります。

 武内 ウクライナも、クリミア半島や東部に豊富な天然ガスを埋蔵しています。また、国有セクターが大きいがゆえの腐敗が問題になっていて、ロシアのウクライナ侵攻前は政府に対する国民の支持も高くありませんでした。プーチン氏は石油や天然ガスを抑えることに対する執着が強く、ウクライナ政府が国民の信頼を得ていないことに鑑みて、今般の悲劇的な戦争が始まってしまったということもできます。

 もう一つ中央アジアの特徴として、全て内陸国であるということが挙げられますよね。ウズベキスタンにいたっては世界に2つしかない「二重内陸国」(内陸国に囲まれた内陸国)です。もう一つはリヒテンシュタインですが、国土のほとんどをスイスに囲まれていて、一部オーストリアと国境を接している小さな国です。一方、ウズベキスタンは、アフガニスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンという5つの国に囲まれている大きな国です。

 一般に内陸国は貿易の面から見ても経済発展に不向きだといわれますが、地理的な条件が国の発展に与える影響についてはどうお考えですか。

 東島 ウズベキスタンは人口が3000万人以上いる大きな国なので人的資本には恵まれていますし、カザフスタンも「資源の呪い」という問題はあるにせよ、やはり天然資源で急速に経済成長したことには変わりありません。ただ、キルギスやタジキスタンは苦戦しています。中央アジアのなかでもかなり差があって、ひとくくりに評価することは難しいと思います。しかし、隣国の経済大国である中国の影響力拡大も経済的つながりの深化という意味ではアドバンテージになると思いますし、トルコのような中東の地域大国との地理的な近接性を利用して経済的・人的なつながりを強化しているところもあるので、内陸国だから不利であるとは一概にはいえないのではないでしょうか。

 

プーチンの情報操作

 武内 ロシアの話も聞きたいのですが、プーチン氏が戦争を始めたのは正しい情報が上がってきていなかったがゆえの判断ミスであるともいえますよね。戦況がこうなるとわかっていたら侵攻していなかったでしょう。経済面で見ると、ロシアの2022年のGDP(国内総生産)は2兆2千億ドルで、テキサス州の2兆4千億ドルよりも少ないんです。米国(25兆5千億ドル)の12分の1にすぎません。

 ロシアも典型的な選挙権威主義の国ですが、ロシアは今どのような状況なのでしょうか。

 東島 プーチン氏が大統領に就任する前のロシア経済はガタガタでした。急進的な経済改革がいろいろな形で人々の暮らしを直撃し、1998年には世界経済を大混乱に陥れたロシア財政危機も起こって、そういう状況のなかでプーチン氏は台頭してきました。

 その後は天然資源価格の上昇があり、プーチン氏はそれに助けられて権力基盤を強化することができ、経済パフォーマンスを正当性のよりどころとします。共産主義の政党支配体制だと共産主義というイデオロギーが、サウジアラビアなどのように君主制だと血縁が正当性を担保するのかもしれませんが、権威主義体制は経済パフォーマンスの高さを正当性のよりどころとせざるを得ない場合が多いのです。

 しかし、2010年代に入ると経済はどんどん減速していきます。体制を維持したいプーチン氏は、経済パフォーマンスが悪くなったと思われないよう情報操作に手を出します。私が知っている研究では、たとえば1990年代の終わりごろから2018年ごろまでのロシア国営ニュースの記事全てを対象に、経済報道に関する量的テキスト分析を行ったものがあります。そこで得られた結論は、「経済が良い」というニュースは全てプーチン氏や与党の手柄にされていて、「経済が悪い」というニュースは全て外国勢力など外生的な影響のせいにされているということです。経済は何が要因で良くなったり悪くなったりしているのか判断しにくいので、プーチン氏はそれを利用して、自分たちはきちんと経済を回しているのだということを情報操作でアピールしているわけです。

 就任当初はプーチン氏自身に人気があったので、情報操作をしなくても選挙に勝てていましたが、だんだんと正当性のよりどころとする経済パフォーマンスが危うくなってきて、情報操作をせざるを得ない状況に追い込まれてきたのだと思います。巧みな情報操作は選挙権威主義体制における独裁者の典型的手法と位置づけられるのかなと思います。

 武内 パラノイアとの関係だとどうでしょうか。プーチン氏はどの程度パラノイアに影響された判断をしているといえるのでしょうか。

 東島 やはりプーチン氏のもとにはあまり情報が上がってきていないのかなという気はしています。だいたい情報がきちんと上がってくる国は、何らかの制度を通じて信憑性ある情報が伝達されるチャネルが整備されている場合が多いのです。ロシアをはじめ旧ソ連の国々には、独裁者を支える「統一ロシア」のような「支配政党」がありますが、こうした大規模与党は軒並み独裁者の道具に過ぎません。

 独裁者がいても周りにそれなりに発言権を持った幹部がいて、統治エリート(ruling elites)が話し合って物事を決めるというような集合的意思決定(collective decision making)の制度化がなされていると、極端な考え方は採用されずに淘汰されていきます。上のそうした意思決定のあり方は、組織を下の党員からの意見や批判も吸収しやすいものにするでしょう。

 ところが旧ソ連圏の与党の場合、党自体はいろいろなところに支部があって、その組織は草の根まで行き渡る形になっていますが、部下は上司に忖度してうまく意見を言えないという構造がトップレベルまで貫徹されることで、強固な組織を持った個人独裁体制のような傾向があると思います。そうなると、逆に党組織自体がなまじしっかりしているがために、一度悪い方向に進むとどんどんエスカレートしてしまう悪循環になる傾向を孕むのではないかなと思います。

 武内 情報の風通しが悪いうえに党の基盤自体はしっかりしているために、党そのものが間違った方向に向かってしまうわけですね。組織的基盤の弱い個人独裁のほうがまだ止める方法はありそうですね。

 ナショナリズムに関してはどう思いますか。ナショナリズムというのは道具であって、経済が減速してよりどころにできなくなった場合にナショナリズムに頼るということもいえます。
プーチン氏も、2010年代になって経済が悪くなってきたときにナショナリズムに頼るようになったとも考えられますが、一方でプーチン氏は本当にナショナリストで、心の底からナショナリズムを信じているという仮説も立てられますよね。

 東島 ちょうど今年6月の日本比較政治学会で発表した、大阪大学の鳥飼将雅先生、東北大学の金子智樹先生、早稲田大学の久保慶一先生との共著論文があって、1997年7月から2022年3月まで、ロシアの主要6誌から300万本ほどの新聞記事を使って量的テキスト分析をしました。そうしたら、やはりプロパガンダの内容と方向性にははっきりとした時系列的変化があるんですよね。

 具体的には、プーチン氏が個人支配を確立するにつれて、報道のウェイトが内政から外交・国際関係に顕著にシフトし、さらに2014年のクリミア併合前後で、「ウクライナ」を「ファシスト」といった言葉と関連づけて報道する記事が一気に増えるんです。「ウクライナ」という言葉に触発されるようにナショナリスト的言説が浮かび上がってくる。

 もしプーチン氏が本当に本質主義的なナショナリストだったら最初から同じことを言っているはずですが、そうした官製メディアを中心とした報道内容の顕著な変化に鑑みると、やはりプーチン氏は原理主義的ナショナリストというわけではなく、状況に応じて機会主義的・構築主義的に戦術としてのナショナリズムに訴えて支持を勝ち取ろうとしているのではないかと思います。

 

権威主義における選挙の役割

 武内 ロシアのウクライナ侵攻以降、中国の台湾侵攻の可能性についてよく聞かれます。そのたびに、「中国とロシア、習近平とプーチン、台湾とウクライナは違う」と答えているのですが、それでも中国とロシアを比較する意味はあると思っています。
体制としては、ロシアは選挙権威主義国で中国は違いますが、ロシアと中国に類似性は感じますか。

 東島 制度を見ている者からすると、中国は国政選挙はありませんが村落レベルの選挙は行われていますよね。そこでは複数候補者選挙を行っていて、権威主義体制のもとで独裁者が信憑性のある情報をいかに集めるかというところに腐心しているという点では、選挙を行うロシアと似ている部分があると思います。共産党一党支配かどうかという違いはありつつも、情報の不確実性とか、末端の腐敗とか、そういった問題に直面している点は同じではないでしょうか。武内先生は中国の村落選挙の分析をしていましたよね。

 武内 やはり「情報」というのはキーワードで、それは独裁者にとっては永遠の課題ではないでしょうか。だからジレンマにも陥るわけですよね。中国とロシアを比較したときに、中国は共産党の一党支配を制度化することによって、ロシアは選挙制度を利用することによって情報の風通しをよくしてきたのだと思います。しかしそれは諸刃の剣でもあり、やりすぎると体制が倒れかねないリスクを負っているというジレンマは中国もロシアも同じです。

 中国の村落選挙に関しては、データがたくさんあるので多くの先行研究があります。ただ、実際に農村に足を運んで調査して実感したのは、やはり国政レベルの選挙とは全然違うということですね。村落レベルでは候補者と投票者が知り合いなわけで、選挙の意義は自ずと異なります。もともと情報が共有されたなかでやるわけですから、選挙による情報の拡散効果はあまりありません。

 それにもかかわらずなぜ村落レベルに選挙を導入したかというと、改革・開放政策が始まった1980年代に農村の自治組織である村民委員会の委員のなり手がいなかったからです。その当時、村のリーダーになるためには共産党員であることが条件でした。でも、党員ではないけどすごく評判のいい人がいるときに、その人にリーダーとしての正当性を与えるには選挙は便利な制度です。そういう人は圧倒的な得票率で当選してしまったりするわけです。

 ですから、2014年に私が出した『Tax Reform in Rural China: Revenue, Resistance, and Authoritarian Rule』(Cambridge University Press)でも書いたのですが、選挙で圧勝した候補者のほうが行政サービスなどが行き届いているという傾向があります。競争的でない選挙のほうが立派なリーダーを選ぶ傾向にあるというのは、選挙における候補者同士の競争が説明責任を担保するという政治学における「選挙の常識」とは異なる現象です。村落選挙は有権者が少なくて票の買収をするコストが低いので、僅差の競争的な選挙になると買収合戦になりやすいのです。競争的な選挙は説明責任ではなく選挙腐敗をもたらす傾向があるわけです。

 東島 カザフスタンでも最近、中央政府が現地の情報を把握してよりよい政策立案を行うという大義名分のもと、村落レベルの複数候補者選挙を導入し始めています。

 おもしろいのが、地方議会から任命された前任村長の任期切れのタイミングで順次競争選挙が導入されていくため、選挙が導入された村とまだ導入されていない村とで居住者の政治意識に差があれば、それが選挙導入の影響であると特定できるわけです。つまり、選挙が人々の政治認識に与える効果を検証することのできる貴重な自然実験的状況をもたらしています。

 この二つのグループを比較することで独裁制下の選挙が人々にどのような効果をもたらすのかという因果関係を明らかにしようと、明治大学の加藤言人先生、ミシガン大学の白糸裕輝先生、アリゾナ大学のポール・シューラー先生とサーベイを取って人々の意見を聞いてみました。結構興味深い差が生まれたのですが、与党有利のかなり腐敗した選挙だったにもかかわらず、「選挙を実施した村のほうが、政治に参加して影響を与えているという有効性感覚をより強く持つようになる」ということがわかりました。ただし、候補者自体を公共政策などの基準できちんと評価しているという傾向は見られませんでした。

 また、「選挙で選ばれた村長がいる村落だと、自分の私財を一部寄付してでも村のコミュニティのために公共心をもって協力しようと思う」という傾向もあることがわかりました。選挙それ自体は腐敗して不正にまみれていて政策効果は期待できないとしても、選挙を実施することでコミュニティの一体感や指導者への正当性をつくり出すような効果が生まれるのかもしれないと思っています。

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