陰謀論を「武器化」してきた保守勢力
烏谷 近年、陰謀論に関わる話題でもっとも注目されてきたのが「Qアノン」だと思います。Qアノンは2017年10月、アメリカの匿名画像掲示板4chanにQと名乗る人物が陰謀論を投稿することで始まりました。Qは自分をアメリカの最高機密情報に触れる権利を有する人物とし、掲示板でエリート層の犯罪を告発していきます。「悪魔崇拝者で小児性愛者であるエリート層の人々に対して、トランプ大統領が秘密裏に戦っている」という物語がQの主なテーマです。これを聞いただけでも、まったく根拠のない陰謀論だと多くの人が気づきそうなものですが、Qアノンの陰謀論を信じる人はアメリカに少なからずいます。信頼できる数字があるわけではないのですが、Qアノンの問題に詳しいジャーナリストによれば、数百万人くらいはいるのではないかと言われています。
Qアノンは、ネットの中のブームでは終わりませんでした。Q信者たちは、Qの予言を信じて過激な示威行動に出て警察沙汰になったり、子どもを誘拐したり、幾つかの殺人事件も引き起こしています。中には親が子どもを殺害するような事件もありました。そして、とうとう2021年1月6日には連邦議会議事堂襲撃事件がおきました。
前嶋 民主主義が崩壊しかけた日ですね。
烏谷 陰謀論がここまで政治のメインストリームに影響を及ぼすのかと、大きな衝撃を受けました。
他方で、最近は右派に留まらず、左派による陰謀論が見られる出来事がありましたね。今年7月13日、演説中のトランプが射撃をされる暗殺未遂事件が起こりました。そのとき話題になったのが、射撃直後のトランプをとらえた「奇跡の1枚」です。この写真は、雲一つない青空にはためく星条旗を背景に、耳たぶから血を流しながらも拳を突き上げるトランプと、トランプを支えるSPがいるという構図でした。私はこの写真を最初に見た時、あまりにも劇的で出来過ぎた写真なので、「合成なのでは」という考えが頭をよぎりました。ただよく調べて見ると、ピュリツァー賞の受賞歴がある凄腕のカメラマン、エヴァン・ヴッチ氏が撮った、本当の写真だとわかりました。
ところが、それでは納得いかない人も中にはいたようです。#staged(仕組まれた)というハッシュタグと共に、トランプ陣営による自作自演の仕組まれた暗殺事件だったという陰謀論が、左派の間で拡散されたのです。要するにトランプが同情票を集めるために、わざわざイベントを開催し、わざと射撃されたのだと。この左派から発生した陰謀論は「ブルーアノン」と呼ばれ一時期話題になりました。
もちろん、陰謀論はイデオロギーに関係なく存在するものなので、左派から生まれたとしても何ら不思議ではありません。ただ「ブルーアノン」にはQアノンのような集団としての実体がないのです。陰謀論が一時的な話題として左派の間に広まっているに過ぎません。Qアノンのように、Qのロゴが入ったTシャツをみんなで着てトランプの集会で盛り上がったり、関連書籍がベストセラーになったり、ソーシャルメディアで無数のQアノンのグループやコミュニティが生まれるような巨大なムーブメントにまでは発展していません。
この「ブルーアノン」について調べながら改めて強く感じたのは、保守派の側がこれまで陰謀論をいかに武器化して活用してきたかという点です。保守系メディアと陰謀論の結び付きの強さは、リベラルの側と比べて相当際立っていると感じました。
保守派が構築した強靭な陰謀論のインフラ
前嶋 おっしゃる通りですね。保守派による陰謀論の武器化は、1988年の大統領選からすでに見られていて、ある意味でトランプの時代でQアノンとしてようやく花開いたと言えるでしょう。
保守派の過去を見ると、主に二つの分野で陰謀論の武器化が見られました。一つがメディアです。長年にわたりメディア業界はリベラルが強い傾向にあると言われてきたのですが、そこに対抗するために保守派は陰謀論を展開します。その一つが、1969年に誕生したメディア監視団体であるAccuracy in Media(AIM)です。「正確なメディア」という意味の何とも怪しげな団体ですが、この団体は「ベトナム戦争の敗北は左に偏ったメディアが原因だ」と主張しています。まさに陰謀論ですね。陰謀論を使ってリベラルが強いメディア業界という構図をひっくり返そうとしたのです。このような動きが60年代から始まり、発展を遂げ、今の保守系メディアと陰謀論の強固な結びつきに繋がっているのだと思います。
二つ目が法曹界です。左派はメディアだけでなく長きに渡り法曹界でも強かった。リベラルに対抗するため、1982年にイェール大学、ハーバード大学、シカゴ大学のロースクールの学生によって、フェデラリスト・ソサエティ(Federalist Society)という法曹団体が設立されます。この団体はアメリカのロースクールにおけるリベラルなイデオロギーに異を唱えることを目的に掲げ、現在は200以上のロースクールに支部を持つなど影響力を拡大してきました。
この団体の影響は、大統領が任命権を持つ最高裁判事にまで及びます。現在の最高裁判事は9人中6人が保守派判事ですが、6人全員がフェデラリスト・ソサエティによって選出された人物です。トランプは大統領時代に3人の最高裁判事を指名しましたが、その3人全員がフェデラリスト・ソサエティの作成したリストから選ばれています。
このように、「リベラルは不当に世の中をコントロールしている」という陰謀論を利用し、じりじりとアメリカ社会で保守派は力を付けていきます。このように保守派は強い「陰謀論のインフラ」を昔から構築してきました。他方で、左派にはそれがないのでブルーアノンも一過性のものとして消えていくのでしょう。
メディアはリベラルに偏っている?
烏谷 ベトナム戦争に関するご指摘、大変興味深いですね。「ベトナム戦争は、リベラルなメディアが本来負けていない戦争をまるで敗北した戦争のように報道し、不名誉な撤退を促した」という言い方もよく目にします。そして、そのリベラルの罪を問う人たちもいます。アメリカでは、ベトナム戦争のトラウマが人々の政治意識に未だに影響を及ぼしているようなところがあるのでしょうか。
前嶋 肌感覚ですが、10年ほど前まではそのような論調が強く残っていました。ベトナム戦争へのアメリカの軍事介入は民主党のケネディが始めて、ジョンソンが状況を悪化させた失敗だと。そして、その失敗を共和党のニクソンが「名誉ある撤退」によってカバーしたと言われています。さらにレーガン政権下でソ連が解体されたことで、共和党を賞賛する声が高まります。共和党がまともな大統領を輩出したから、ベトナム戦争でも民主党の失敗を補うことができたというストーリーは、共和党支持者によって好んで語られてきたのです。
そして、ここで大事な点が、烏谷先生もおっしゃるように、ベトナム戦争失敗の要因は民主党だけでなくメディアにもあると追及されたことです。メディアがアメリカの足をひっぱった。だから、レガシーメディアはダメなのだという論調が強まります。現在も執拗に行われるトランプによるメディア批判と同じ構図が、すでにできあがっていたのです。
烏谷 いわゆる保守派が「リベラルバイアス」を非難する構図ですね。アメリカの主流メディアがリベラルに偏っているから保守派が正していこうという問題意識が、保守側に根強く残っているのですね。
前嶋 リベラルバイアスという言葉が出てきたのは、1980年代です。政治的分極化が進むにつれて、アメリカの報道におけるバイアスが議論されるようになります。
リベラルバイアスという言葉は、コミュニケーション学を専門とするS・ロバート・リクター教授によって広がった言葉です。実は、私は彼から指導を受けたことがあるのですが、いつも学生と喧嘩しているような風変わりな教授でした(笑)。彼は保守系シンクタンクと関係のある人だったのですが、The Media Elite: America’s New Powerbrokers(1986)で、いかにメディアがリベラルに偏っているのかを提唱しました。彼が全国ネットワークのジャーナリストに聞き取り調査をしたところ、自分を「リベラルだ」とするジャーナリストは7割近くいたそうです。この本が大きな話題を呼び、徐々にリベラルバイアスという言葉が定着していきます。
烏谷 リベラルバイアスと言いますが、そもそもバイアスは測定可能なものなのか、気になるところですね。
前嶋 そうなんですよね。メディアがリベラルに偏っていると言っても、目の前で苦しんでいる人がいたのなら、その人たちの物語を書くのがジャーナリストの使命ですよね。それを「リベラルに偏っている」と表現するのはいかがなものかと思います。この疑問をリクター教授に直接聞いてみたのですが、納得のいく答えは返ってきませんでした。
政治ショーの功罪
烏谷 リベラルバイアスの問題が議論されていく中で、対抗するように台頭してきたのが保守系メディアです。1996年設立のFOXニュースや、2005年設立の極右ニュースサイトのブライトバート・ニュース・ネットワークなど、現在まで長年にわたり保守政治を支えてきました。
前嶋 保守系メディアの形成において、大きな役割を果たしてきたのがラッシュ・リンボーという人物です。彼は保守系の政治トークラジオ番組を1989年にスタートさせ、92年の民主党ビル・クリントンと共和党父ブッシュの大統領選挙をきっかけに、名を馳せます。それ以前は保守派のニーズに合った政治情報番組が存在していなかったので、リンボーの番組は保守派の不満のはけ口となり、人気を博しました。父ブッシュに対して「お前ではダメだ、生ぬるい」「ヒラリー・クリントンはフェミナチだ」というなど、過激な言動によって保守派の不満を代弁していきます。「共産主義者がアメリカをとんでもない国にしている」など、とんでもないことを放送しています。客観性は皆無で、報道ではなく政治ショーです。こんなものがアメリカの南部や中西部で支持を集めてしまった。保守派という新しい視聴者層は開拓すべき絶好の金脈となっていくのです。
そしてこのリンボーの番組をモデルにつくられたのが、FOXニュースです。CATVや衛星放送で提供されているFOXニュースは、現在の保守派最大の情報源といってよいでしょう。リンボーのテレビ版を意識し、「オバマは社会主義者だ」などといった主張も「ニュース」として提供されていきます。メディアの分極化において、FOXニュースの功罪は非常に大きい。
また、保守とメディアの関係をふり返った時に、ポイントとなるのが1987年のフェアネス・ドクトリンの廃止です。フェアネス・ドクトリンは放送(地上波)の公平性を担保するために49年に導入されもので、公共にとって重要な問題を報道する時に、ある見解を報じるのならもう一方の立場も報じなくてはならないという制度です。それが、言論の自由に反するとしてレーガン政権下で廃止され、偏った報道に歯止めが利かなくなってしまいます。