『公研』2024年1月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。※この「対話」は2023年12月に収録しています。

 

自民党派閥のパーティー券裏金化問題が世間を騒がせている。

この問題の背景には何があるのだろうか、派閥の行く末は?

SNS上では政治や宗教に対する過剰なバッシングも見られる中、

日本政治の現状と過去、今後の見通しについて語っていただいた。

 

中央大学法学部教授 中北浩爾

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法政大学法学部政治学科教授 河野有理

 

パーティー券問題に潜む「無責任の体系」

河野 本日は「政治改革で見落とされた論点とは?」というテーマで自民党や日本政治の今後について考えていきたいと思います。早速ですが、今回発覚した自民党のパーティー券裏金化問題について、中北先生はどのように見ていらっしゃいますか。

中北 今回の問題を理解しようとしたとき、私は丸山眞男の「無責任の体系」という議論を想起しました。メディアなどではこの事件を「令和のリクルート事件」と呼ぶ向きがありますが、違和感を禁じ得ません。1988年に発覚したリクルート事件は、情報産業のリクルート社が規制緩和の中で成長していく過程で、さらなる事業拡大を目的に行った贈収賄の事件です。田中角栄の高度経済成長期における土地買い占め問題、金脈問題と同じように、まさに時代の最先端で発生した事件です。

 ただ、今回のパーティー券問題は、贈収賄ではなく政治資金収支報告書への不記載です。不記載による裏金化を安倍派(清和政策研究会)が派閥ぐるみで行っていたことは悪質だし、その額も大きい。昔は様々な組織に裏金が存在しましたが、ここ20年ほどで、その多くが解消されてきました。しかし、今までの報道によると、安倍派は20年以上もの間、古い裏金化のスキームを温存させ、問題視する声もあったのに払拭できずにいたようです。

 これはまさに丸山が「無責任の体系」と呼んだものです。安倍晋三政権の下、総裁派閥としておごり高ぶって裏金化を始めたのではなく、派閥幹部が既成事実を追認し、一般のメンバーは権限がないということで追従した、小さな悪の積み重ねの結果です。官僚主導から政治主導への転換を叫んできた政治家自身が、不記載の慣行を是正するというリーダーシップすら発揮できなかったことが、今回の一番の問題だと思います。それなのに「令和のリクルート事件」と言ってしまうと、問題の本質が見えなくなるのではないでしょうか。処方箋も誤ることになるのではないかと危惧します。

 実は当時、リクルート事件を受けて政治改革が行われました。そこでめざされたのは、政治的リーダーシップの強化であり、その際には丸山の議論もしばしば参照されました。しかし、政治主導のための様々な制度はつくったけれども、それを行使すべき政治家自身は実に情けない状態であることが白日の下にさらされたというのが、今回の事件です。箱はつくったけれども、この間、権勢を振るってきた安倍派がこの始末で、中身は空っぽだったということです。政治改革以降の日本政治の巨大な空白があぶり出されたのだと思います。

河野 今回の事件を、政治的リーダーシップの強化をめざした「平成デモクラシー」の限界、あるいは不徹底として把握されるわけですね。同じことを反対から見ると、「55年体制」の亡霊というか、残滓になるのかもしれません。

 東京大学の境家史郎先生が岸田政権を「ネオ55年体制」と称していますが、「平成デモクラシー」によって滅びたはずの本家「55年体制」の本丸ともいえるのがまさに派閥政治でした。派閥が、票と金を集めるある種の「マシーン」として機能していた。その集金のスキームとしてパーティー券のキックバックがあって……というのは中北先生も『自民党─「一強」の実像』の中で「インセンティブ」という言葉を使ってすでに言及されていますよね。

中北 今回の報道の「キックバック」という言葉ではないですが(笑)。

河野 そのキックバックの仕組みが存在していること自体は、細かいスキームまで知っていたかどうかはともかく、みんな薄々気づいていたことだと。ただ、それが白日の下にさらされたときに、パブリックの批判に耐え得るものではなかったということだと思います。何か新しく起こったという性質のものではなく、平成になって本来はなくなるはずだったものがだらだらと、丸山の言葉を借りれば「ずるずるべったり」と残り続けてきたものが、ついにさらけ出された事件であり、その意味で55年体制の寂しい末路だという感じがしました。

 

政治主導にはチームが不可欠

中北 この間、決して派閥が強くなっているわけではありません。集金力は55年体制下と比べて10分の1ぐらいになっている。その最大の原因が政治改革で、企業・団体献金を受け取れなくなったことの帰結です。資金がなければ、活動が停滞し、派閥は弱体化せざるを得ません。派閥は、木曜日の昼に集まって会合を開きながら弁当を食べるとか、事務所と職員を置いているとか、過去の遺産によって辛うじて存続しているのが実態です。今回の事件で、さらなる弱体化は免れません。

 他方で、現在重要になっているのが、政治主導を担う首相官邸のチームづくりという問題です。政治はあくまでもチームプレイです。第二次安倍政権は異例の長期安定政権になりましたが、それは安倍氏が派閥基盤を持つとともに右派グループを率いていて、強固なチームをつくれたからです。第一次政権の再チャレンジ組の官僚などを活用できたことも大きい。それに対して、後継の菅義偉総理は強力なチームをつくれず、「孤独の宰相」と呼ばれました。超多忙な首相が一人で決断していたら、失敗するのは当然です。現在の岸田文雄総理は、重要な政治判断は前官房副長官の木原誠二氏と二人で決めてきたようです。しかし、木原氏のスキャンダルで機能不全に陥ってしまったのが、このところの混迷の一因です。

 政治主導が制度化されるほど、どのように首相を支えるチームをつくるかが課題になります。そのためには何らかの党内集団を活用する必要があり、そうした意味で昔ほどではないにせよ派閥の役割は小さくないと思います。もちろん、適材適所を妨げているなど、派閥の弊害も決して小さくありません。しかし、派閥が事実上存在せず、緩やかなグループしかない民主党は、政権を担った際に党内をまとめられませんでした。こうした現実を直視せず、世論は派閥否定論に傾きがちです。それで政治がよくなるのか、疑問に感じます。

河野 私は最近、渡邉恒雄の古典的名著『派閥』を久しぶりに読み返しました。彼は基本的には派閥擁護派で、派閥が必要な理由を大きく二つ挙げています。

 一つは財界との関係です。戦前の政党政治には派閥がなかったのですが、なぜなかったかというと、政友会は三井、民政党は三菱というように各政党には財閥がぴったりと張り付いていたからだと言います。財閥が各党の幹事長のところに直接お金を持ってきて、幹事長が陣笠議員(ひら議員)にそれを配るというような状況が長く続きました。財閥からのお金の出所と中継先がはっきりしていたために、派閥の入る余地がなかった。ただ、戦後になると財閥が解体され、複数の様々な献金先からお金を集める必要が出てきたために、派閥が必要になったのだと。そのようにして、派閥不要論を唱える人には、戦前の財閥丸抱え体制のほうがいいのかと啖呵を切ってみせる。

 もう一つは官僚との関係です。渡邉恒雄は大野(大野伴睦)派と関係が深い、つまり党人派なのですね。官僚が財界に顔を利かせて、そうした「顔」を背景とした資金調達能力を資源にして、政党に入ってくるという構造を警戒しているわけです。

 財界や官僚と政治の関係も、当時と比べて大きく変化しましたし、何より政党助成制度によってお金と政党の関係は一応の決着がついたはずでした。しかし、どうもそう単純な話ではなさそうだというのが昨今の状況なのだとすると、今一度、こうした古典的考察に立ち止まるのも案外大事なのではないかと思います。とりわけ、個人献金のような出所のバラバラな小口の資金を吸い上げていくほうが、デモクラティックな制度としては王道なのだという視点は、政治改革の際の議論では見逃されがちだったのではないか。そのツケがいま回ってきているという状況なのだと思います。

 

自民党の歴史は派閥解消論の繰り返し

中北 最近、派閥の解消を謳った1989年の自民党「政治改革大綱」を持ち上げる主張が多々見られます。しかし、それで問題の解決につながるのかは疑問です。派閥の解消があれだけ叫ばれ、政治改革が行われても、派閥はなくなっていません。まずはその現実を直視する必要があります。その上で、派閥の具体的な弊害を除去するために必要な改革を行っていくべきです。派閥の解消は自民党が結党された直後からの党近代化論のスローガンです。それを叫ぶだけだと、元の木阿弥の繰り返しになってしまうでしょう。

 大学のファカルティーでも、小学校のクラスでもいいのですが、集団が有機的に機能するには適正規模があって、40人から50人ぐらいまでだと思います。それ以上になると、全ての人を相互に認識するのが難しくなる。自民党の国会議員は全部で380名近くいますが、派閥は多くが50人ぐらいまでです。安倍派だけは突出して100人規模ですが、私は安倍派の若手が「面倒見のいい二階派がうらやましい」と言っていたのを思い出します。派閥について考える際には、そういう人間の本質的な部分も含めて議論することが必要です。

 私は一昨年、『日本共産党─「革命」を夢見た100年』という本を出版しましたが、共産党は民主集中制を組織原則としていて、派閥(分派)を禁止しています。その結果、党指導部に権力が集中します。党規約の解釈権までが党指導部に握られ、松竹伸幸さんや鈴木元さんといった古参党員の除名が簡単に行われてしまう。共産党は党外には立憲主義を叫んでいますが、党内には立憲主義的な権力制約原理が存在しません。そうなると、党内の風通しは悪くなり、多様性に基づく活力が生まれなくなります。

 政治学者は、政党本位をかざして党執行部への権力集中を是とし、派閥を否定する傾向が強いのですが、それには疑問を感じます。そもそも、自民党のような多数の国会議員を抱える政党に党内グループが存在しないということは不可能です。現在の派閥のままである必要はないのですが、よりましな党内グループとは一体どういったものなのか、という視点が大切ではないでしょうか。

河野 私もそう思います。戦後には、党近代化論とか、党首への権力集中とか、ある種の近代政党のモデルに従って自民党の派閥を批判する風潮が、知識人の中にも継続的にありました。自民党自体も、何か危機に陥ると、その風潮に安易に同調して派閥解消論を唱えて、一度死んだフリをする。そして、ほとぼりが冷めたらまた集団で動き出すということをずっと繰り返しているわけです。やはり党における派閥の意義と危険性を、同時に見ながら議論していくことが不可欠であるのに、今に至るまでそうした議論がほとんどなかったということですよね。

中北 今回の捜査が一段落して具体的な改革案を考える段階に入れば、もう少し冷静な議論ができるようになるのではないかと期待しています。ただ、河野さんがおっしゃったように、自民党の歴史は派閥解消論が叫ばれながら、それが実現できずに終わるということの繰り返しなので、今回も同じサイクルにはまるだけでは不毛です。政治学者も実態をつぶさに見て、バランスのとれた冷静な議論をしなければなりません。1994年以来の政治改革には、それが欠けていたような気がします。

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