2022年6月号「issues of the day」

 

 59日投票のフィリピン大統領選挙でフェルディナンド・マルコス・ジュニア元上院議員(通称ボンボン)が史上最多3,100万票余りを獲得して圧勝した。第17代大統領に就任する。長期独裁を続けた故フェルディナンド・マルコス元大統領の長男である。

 アジアの政界では世襲やネポティズム(縁故主義)は珍しくない。にもかかわらずボンボン氏の勝利が耳目を集めたのは、腐敗と人権侵害の象徴とされたマルコス政権を崩壊させた1986年の「ピープルパワー革命」の印象が鮮烈だからだ。徒手空拳で戦車に立ちはだかる人々の姿が世界各国のテレビで生中継され、その後の東欧や韓国、台湾などの民主化に影響を与えた。

 そのマルコス家が選挙に勝ってマラカニアン宮殿に戻ってくるのはなぜか。

 ボンボン氏は1957年、父とイメルダ夫人の間に生まれる。65年に大統領に就任した父は72年に戒厳令を布告して反政府活動を厳しく弾圧した。「ピープルパワー」に追い出されるかたちで米国に亡命した一家だが、元大統領がハワイで病死した後の91年、当時のアキノ政権の反対を押し切り帰国を果たした。

 ボンボン氏は知事や上下院議員を務めてきたものの、政治家として大きな実績があるわけではない。元大統領の「息子」であることが最大のアイデンティティであり、選挙のキャンペーンのウリでもあった。ドゥテルテ大統領はボンボン氏をかつて「海外で学び、きれいな英語を話すが、甘やかされて育った一人息子だ。危機の時にリーダーシップは期待できない」と酷評した。

 そんなボンボン氏の勝因の一つは、ドゥテルテ氏の長女サラ氏とタッグを組んだことだ。サラ氏は長らく大統領選出馬が噂され、情勢調査で首位に立っていたが、副大統領選に回ったため、ドゥテルテ支持層は大統領選でボンボン氏に流れた。

 選挙戦が始まる前からボンボン陣営はSNSを駆使した世論工作に力を入れた。父の時代を「フィリピンの黄金期」「一家は歴史の被害者」とする宣伝を大量に発信する一方、偽情報を織り交ぜて対立候補を徹底的に貶めた。

 史実としては、父の時代に通貨は暴落し、対外債務は膨れ上がった。就任時には「日本に次ぐアジア第二の経済大国」と言われていたが、一家と取り巻きの強欲の末、退任時には「アジアの病人」と揶揄されるようになった。

 ツイッターとフェイスブックはフィリピンの選挙に関する数百のアカウントを期間中に停止した。偽情報拡散対策とされ、停止されたものの多くはマルコス派のものだった。フィリピン人は世界で一番ネットに接する時間が長いとの調査がある。有権者の56%は1980年以降に生まれた「革命」の記憶がない世代であり、ネットの接触時間も長い。

 ボンボン氏は選挙期間中、一度も候補者討論会に出席せず、メディアのインタビューを避け続けた。「ドゥテルテ路線の継承」「団結」という以外にまとまった政策を語ってこなかったため、新政権の姿は曖昧模糊としている。

ドゥテルテ路線は継承

 ドゥテルテ政権が「ビルド・ビルド・ビルド」の掛け声のもとに行ったインフラ整備や外資規制緩和などの経済通商政策は継続される見込みだ。ボンボン氏が滞納している5,000億円余の相続税支払いやイメルダ夫人の刑事裁判は雲散霧消となり、多くの人権侵害が指摘されたドゥテルテ政権の麻薬撲滅戦争の責任追及もなされないだろう。

 日本との関係で言えば、経済や貿易面、地下鉄建設などの政府開発援助による基盤整備に大きな変化はないとみられる。問題は外交・安全保障政策だ。米中対立が激化する近年、フィリピンの地政学的重要性は増している。6カ国が領有権を争う南シナ海に面し、台湾有事も念頭におけば、正に最前線に位置する。

 旧宗主国の米国とは同盟関係にあるが、盤石とは言えない。アキノ前政権は日米の後押しを受けて、南シナ海ほぼ全域の領有権を主張する中国を相手取り、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所に提訴した。同裁判所が20167月、中国の主張に「法的根拠なし」との判断を示した。ところが就任直後のドゥテルテ大統領は勝訴を棚上げして中国に接近した。さらに麻薬戦争に批判的な米国に反発して一時、同盟を支える「訪問アメリカ軍地位協定」の破棄を通告した。米政権がコロナワクチンを供与するなどして、なんとか破棄宣言を撤回させた。

 日本のほとんどの新聞はボンボン氏を「中国寄り」と報じている。確かにドゥテルテ路線の継承を公約とし、ハーグ判決を「もはや役に立たない」などと発言した。在フィリピン中国大使館と頻繁に交流している。

 とはいえ、ボンボン氏は外交・安全保障分野での経験は乏しく、具体的方針を語ってはいない。だれが政権内の主導権を握るのかによって政策の行方は変わってくる。

 バイデン米大統領は一早くボンボン氏に祝福の電話をし、中国の習近平国家主席、岸田総理も続いた。フィリピンをめぐる各国のせめぎあいは始まっており、今後も綱引きは続くだろう。

 アジア政経社会フォーラム共同代表  柴田直治

 

 

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