改めて、「55年体制」とは?

河野 中北先生は「社会党的なるもの」の可能性を追求されてきたと同時に、政治改革の季節にはある種、悪の象徴のように扱われることも多かった「55年体制」(1955年─93年)の可能性に着目する議論を、割と早い段階からされてきました。『自民党政治の変容』などを拝読すると、そうした先生の複眼性がよくわかる気がします。これは「ネオ55年体制」かといわれる今、改めて再読する価値があるのではないでしょうか。

 ただ、都立大の政治学者・佐藤信さんも指摘していることですが、改めて55年体制とは何だったのかと考えると、定義が難しいところもありますよね。

 学生に説明するときには、自民党と社会党からなる「一か二分の一大政党制」であり、55年体制の終わりとは自民党一党支配の終わりであるという説明をするんです。ただ、やはり鋭い学生もいて、「55年体制の始めと終わりで定義が違うじゃないか」と言われることがあるんですよ。「始めは一か二分の一大政党制だけど、終わりは一党支配じゃないか」と。これは確かにその通りなんです。

 ですから、「ネオ55年体制」という言葉が使われた場合にも、それが具体的に何を意味しているのかを意識しながら使っていくのが大事なのではないかと考えています。自民党一党優位体制という側面に焦点を当てているのか、それとも野党間の競争という側面に焦点を当てているのかで、その意味するところはかなり違ってくるのではないかという気がします。

中北 55年体制について、私は自民党の一党優位という点で成立から終焉まで特徴づけるのが適切だと考えています。

 いま言及していただいた『自民党政治の変容』は、政党政治を支える知的なヘゲモニー(覇権)構造に関心を寄せて書きました。戦後まもなくは左派勢力が知的ヘゲモニーを握っていて、欧米モデルの近代化が日本には必要であるという考えが、保守も含めて浸透していました。近代化という物差しから言えば、保守政党よりも社会主義政党のほうが先を進んでいるという認識が共有されていて、自民党もそれに従って議論を組み立てざるを得なかった。保守合同によって成立した自民党は、議席の上では社会党に対して圧倒的な優位を確保していましたが、知的ヘゲモニーまでは持っていませんでした。

 しかし、1970年代半ば以降、元左翼の保守系知識人の間から日本型多元主義という考えが広がりを見せます。経済大国としての自負心を背景に、近代化論では後進的とみなされてきた日本の集団主義を称揚する主張で、80年代には保守の側が知的ヘゲモニーを獲得します。その文脈で、自民党の派閥も肯定されました。55年体制はその名の通り1955年に始まりますが、自民党の本当に強固な支配は80年代に存在したといえます。

 その後、1990年代になると、日本型多元主義は新自由主義のような市場モデルに取って代わられます。しかし、それは安定的なものではなく、小泉政権後には急速に転換が進みます。民主党政権を経て、2012年に自民党が政権に復帰しますが、自民党自体の支持基盤の厚さ、公明党との協力、野党の分裂という状況を背景に「一強」であり続けているとはいえ、80年代のような知的ヘゲモニーまでは確保できていません。

河野 教科書ではしばしば「戦後の55年体制で自民党の一党優位支配が続いた」と説明を1行で済ませてしまいますが、55年体制と一言で言っても、また自民党にその視野を限ってみても、やはりその内実はかなり複雑だったということですね。

 確かに、結果的には38年間自民党の一党支配が続いたわけですが、それを自民党があらかじめわかっていたわけではありません。自民党の自己認識、将来予測が必ずしも明るいものではなかった点は、中北先生もご著書で強調されていました。

 また実際に、70年代になるといわゆる「与野党伯仲」時代が到来し、認識の上だけでなく、現実的にも自民党の政権運営は相当苦しい時期が続くわけです。そしてこの時期に、例えば松下圭一のような政治学者はしばしば「55年体制の終わり」に言及しています。要するに多党化ですね。確かに「一か二分の一大政党制」の終わりというのは、その通りだという側面があるのです。つまり、自民党と社会党が主役で演じられる「55年体制」は終わったわけです。ただ、社会党が凋落した分を他の野党が吸収し、全体としては自民党と野党ブロックという形での「55年体制」はその後も続いていきます。

 最近になって「ネオ55年体制」という言葉が使われることが増えましたが、その際には自民党一党支配の持続という側面が強調されているような気がします。確かに今は政権交代の可能性は低いとは思いますが、議席だけで見ると、野党を合わせれば与党の数に迫る規模になっています。この状況は、むしろ70年代後半の体制と似ているところがあるのではないか。今改めて、当時の状況を思い出してみる価値があるのではないかと思っています。

中北 そこに共産党を含むか含まないかという問題はありますが。

河野 また野党連合政権のような構想が出てくるのではないでしょうか。

中北 そういう意味でも、70年代と似たような状況と言えますね。

河野 70年代は低成長時代でもありますよね。エネルギー危機もあって、割と全体的に将来像が暗い時代です。そういう状況下で、政治もあまり決まらないというか、権力核がどこにあるかよくわからないという意味でも、70年代と近い状況が生まれつつあるのかなと。

中北 70年代に社会党と民社党が分かれていたのと同じく、現在、立憲民主党と国民民主党が分裂しています。しかも、最大の争点は共産党と組むのか否か。そうした中で、どのように非自民連立政権をつくるのかという点では、70年代に近いと思います。ただ、その間、衆議院の中選挙区制を小選挙区比例代表並立制に変える政治改革が実施されましたし、政権の枠組みも自民党単独ではなく自公連立です。たとえ同じメロディーでも、違った聞こえ方をするかもしれないですよね。

 70年代も無党派層が増加した時期ではありましたが、現在、その厚みは全く違う水準になっています。それゆえ、野党連合政権の樹立という筋書き以上に、無党派層をポピュリスト的に動員する戦略が有効になっていて、アウトサイダーが一気に風を吹かせて政権をとりにいく可能性のほうが高いのかもしれません。

河野 そうですね。表面的には当時の状況と似ていたとしても、政党政治をめぐる「ゲームのルール」は根本的に変わってしまっています。

 

優秀なリーダーをいかに育てるか

河野 さらには、それぞれの政党内部の活力もかつてとは全然違っていて、例えば自民党であれば、その活力を担保していた派閥の権力も明らかに当時ほどはないという点もありますね。もちろん、活力というのはお金の話も含めてです。現在はキックバックが問題になっているわけですが、70年代のほうが額についてもやり方についても、今とは桁違いだったのではないでしょうか。

中北 当時は派閥が莫大な資金を集めていて、自民党の国会議員の忠誠心は党よりも派閥のほうに向いていました。派閥は、まさに江戸時代の藩みたいなものです。その派閥同士が戦国時代さながらに戦っていましたから、いざ改革となったときのエネルギーはすごかった。今の自民党にそこまでの活力があるかというと、疑問です。

 しかし、それでも現状では野党よりは自民党のほうがまだエネルギーを持っている気がします。先の臨時国会の会期末も、立憲民主党は内閣不信任決議案を出すかどうかで迷っていました。

河野 あそこで迷うこと自体がね。

中北 情けないですよね。岸田首相に衆議院を解散されたら検察の捜査が止まって不利になるのではないかとか、小さな計算をするのです。現在の野党は大きな政治的構図を描くことができていません。2009年に民主党が政権をとったのも、小沢一郎さんという自民党の派閥政治の中心で戦ってきたパワーのある人が主導権を握っていたことが大きい。今の状況で野党が政権交代を成し遂げられるかというと、楽観視できません。

河野 野党の若い世代でパワーのある人がいるのかどうかも、ちょっとわからないですよね。

中北 そう考えると、やはり権力闘争のメカニズムがどこかにあって修羅場をくぐる経験がないと、政治家は育たない。そういうことは政治学者ではなく、政治評論家が言うべきことだと批判されそうだけど(笑)。

河野 でもそれは政治学としてもやはり大事な話ではないでしょうか。派閥のリーダーが総理総裁になった場合、派閥は政策集団というか、ある種のブレーンになる人材をプールする機能を持ち得るでしょうし、また当然心理的な本拠地としての機能も持つでしょう。これがリーダーを支える側面とすれば、派閥には優秀なリーダーを選抜し、つくり上げる機能もあると思うのです。派閥は言うなれば予選の場であって、そこを勝ち上がったリーダーが総裁選に挑み、首相になっていく。派閥のそういう機能が今までの自民党のダイナミズムを支えていた部分が確実にあったと思いますが、今の派閥からは全くそういう感じがしません。だから我々政治学者も、ついつい昔の派閥はこんなもんじゃなかったと言いたくなる。さらに今回の事件で派閥解消論という方向に舵を切っていくとすると、これからの自民党のリーダーはどうやってつくっていくのかという問題が出てきますよね。

中北 派閥には問題が多々あったけれども、それなりに果たしていた機能があったということも同時に認めないといけないですよね。

 派閥に代わってリーダーをどう育成していくかという問題ですが、いくつか可能性はあると思うのです。例えば、地方議会には今でも切磋琢磨しながらのし上がっていく構図があるので、地方議員出身者をもっと登用していくとか。地方の首長は、その地域を自らの責任で運営してきた経験があるので、国政の場でも有望です。アメリカの大統領もそうですよね。

河野 アメリカ大統領選の候補者は、州知事経験者も多いですよね。確かに日本でも近年、地方知事の国政への影響力も高まっていますし、逆に国会議員が地方の知事に転出する事例も割と見られますよね。地方自治と国政の互換性が高まりつつあるのかもしれません。

中北 単にリーダーシップを発揮するだけでなく、創造的なリーダーシップを発揮できる人をどう育成するかが課題ですよね。しかし、こればかりは、教育やキャリアパスの枠組みをつくれば必ず育つかというと、そうではありません。最近の自民党で言うと、様々な批判がありましたが、やはり安倍晋三氏は優れたリーダーだったと思います。小泉純一郎氏もそうですが、ある種の理念を持ちつつ、それを現実の中でどう実現していくかを粘り強く追求する、そういう政治家らしいリーダーでした。ただ、自民党が常にそのようなリーダーを生み出せるかというと、そうではありません。

河野 これは御厨貴先生も強調していたことですが、小泉さんも安倍さんも、後継者を育てる気が全くなかったのではないかと思います。かつての吉田茂も、佐藤栄作も、これと見込んだ政治家を何人か競わせて、それに勝った人を次の総理にするというような感覚が、ある時期までの自民党の総理には確かにあった気がするのですが。

中北 そうかもしれないですね。安倍派の5人衆(高木毅氏、松野博一氏、西村康稔氏、世耕弘成氏、萩生田光一氏)の多くとお会いしたことがありますが、ひとかどの人物ばかりです。ただ、集団指導体制に落ち着き、戦い抜くという雰囲気ではないですよね。少なくとも存命中の安倍氏を乗り越えるパワーはなかった。例えば田中角栄は、佐藤栄作の派閥を乗っ取って権力をつかんだわけでしょう。

 政治学者には制度などの仕組みを重視するバイアスがあります。しかし、いかに性能の良い車でも、レースで勝つにはドライバーの力量も大切です。優秀なリーダーをどう育てるかは、自民党にとっても、日本政治にとっても、今後の大きな課題です。「政治とカネ」の問題は重要ですが、そればかりに囚われていてはならないと思います。

 

日本ではポピュリスティックな熱狂を生み出す争点が弱い

──今後、日本でアルゼンチンのようなポピュリスト政権が台頭する可能性はどのように見ていますか。

中北 アルゼンチンは唯一、先進国が発展途上国に転落した例とされてきました。最近、日本のアルゼンチン化がよく話題に上りますね。

河野 何か具体的なコミュニティに根付いていない個が前景化していることで、抽象的な熱狂というか、ポピュリズム的熱狂が生み出されることは、可能性としては考えられると思います。でも不思議なことに、ここ20年ぐらいの日本政治を見る限りポピュリストは台頭してきていません。何か妙にポピュリズム耐性があるというか。

中北 その要因の一つには、争点構造があるでしょう。日本では、移民の問題などポピュリストが動員できる争点が相対的に弱いということが大きいと思います。また、ヨーロッパでは反EUがポピュリストのスローガンですが、日本にはEUに当たる存在がありません。ガスは溜まっているものの、なかなか火が点かない状況なのではないでしょうか。火を点けようとしている人はいますけどね。

河野 確かに、移民や人権問題など、アイデンティティに関わる論点が日本ではそこまで強くないのでしょうね。ジェンダー問題に関しても、もちろん局地的な盛り上がりはありますが、ポピュリスティックな熱狂を生み出すほどのトリガーにはなり得ないように思います。

中北 おっしゃるように、LGBTの差別解消やジェンダー平等の問題は、基本的には多くの人が賛成しているけれども、関心のウェイトが相対的に低いのです。何を争点にして選挙で投票したのかを問う世論調査でも、ジェンダー問題はかなり下位にあります。

 世論の関心がもう少し高い争点で火を点けることができれば、また違った展開になるのでしょうが、現在のところ有権者の関心が高い経済や外交・安全保障などの争点は、自民党がおおむね優位を占めていて、それを乗り越える政党がないという状況が続いているのだと思います。

(終)

中北浩爾/中央大学法学部教授

なかきた こうじ:1968年三重県生まれ、大分県育ち。91年東京大学法学部卒業。95年同大大学院法学政治学研究科博士課程中途退学。博士(法学)。立教大学教授、一橋大学教授などを経て、2023年より現職。著書に『一九五五年体制の成立』『現代日本の政党デモクラシー』『自民党政治の変容』『自民党─「一強」の実像』『自公政権とは何か─「連立」にみる強さの正体』『日本共産党─「革命」を夢見た100年』など。

河野有理/法政大学法学部政治学科教授

こうの ゆうり:1979年東京都生まれ。2003年東京大学法学部卒業。08年同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。首都大学東京教授、東京都立大学教授などを経て、21年より現職。著書に『明六雑誌の政治思想─阪谷素と「道理」の挑戦』『田口卯吉の夢』『偽史の政治学─新日本政治思想史』、編著に『近代日本政治思想史─荻生徂徠から網野善彦まで』、共著に『スナック研究序説─日本の夜の公共圏』など。

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