『公研』2022年5月号「めいん・すとりいと」

 

 今月、角川新書から『戦国武将、虚像と実像』を発表させていただいた。

 織田信長や豊臣秀吉や徳川家康といった戦国武将に関しては、だいたいこういう人物だろうというイメージを皆が持っている。秀吉は人たらし、家康は狸親父といったイメージが世間一般に広く流通している。

 だが、そうした人物像は必ずしも固定的なものではなく、時代ごとにイメージは変わっている。我々が抱いている信長像や秀吉像は何百年も前に作られたものではなく、意外と最近、たとえば司馬遼太郎が作ったイメージに左右されている、ということが結構ある。逆に、従来の評価を逆転させた斬新な人物像と思われているものの原型が、実は江戸時代に成立していた、ということもある。戦国武将の人物像には、著名作家の価値観や時代の空気が大きく反映されているのである。

 そこで拙著では、信長像や秀吉像が時代によってどう変遷したかということと、実際はどういう人だったのかということを明らかにした。そうした作業を通じて、時代ごとの歴史観も浮かび上がらせたつもりである。

 詳しくは拙著を読んでいただきたいが、本欄で一例を挙げておこう。2020年11月、歴史小説家の安部龍太郎氏が産経新聞の取材に答え、自身の戦国時代史観を披歴している。「20年以上前、織田信長を書こうとしたとき、従来の戦国時代史観は根本的に違っているのではないか、最大の理由は大航海時代に入っていた世界の中の日本の位置づけ、外交、交易、先端技術といった「外国からの視点」が欠けていることではないか、と気付いたのです」というのだ。

 安部氏は「戦国大名も信長に代表されるように経済や流通を押さえ、最新鋭の武器である鉄砲や弾薬を獲得した者が勢力を拡大してゆく。戦国時代は高度経済成長を謳歌した重商主義の時代でした」と語る。にもかかわらず、歴史学界・歴史教育ではそうした視点が軽視されたと説く。その理由は「鎖国が続いた江戸時代の史観に明治以降もとらわれてしまったから」だろうと推測している。

 ところが、ジャーナリストの徳富蘇峰が大正時代に刊行した『近世日本国民史 織田氏時代』は、ヨーロッパ文明が戦国時代に与えた影響を重視している。すなわち、「西欧の文明は、我が日本を見舞うた。しかしてこの文明は、物質的には鉄砲を、精神的には耶蘇教(著者註:キリスト教)をもたらした。鉄砲と耶蘇教とは足利末期より、徳川初期にかけて、我が帝国に最大感化を与えた二大要素じゃ」というのである。そして蘇峰は、ヨーロッパ文明に多大な関心を示し、海外に目を向けた織田信長の天才性を絶賛している。

 蘇峰は近代日本の富国強兵、海外進出を肯定し、信長をその先達と位置づけた。蘇峰は江戸幕府の鎖国を厳しく批判しており、「鎖国が続いた江戸時代の史観に明治以降もとらわれてしまった」という安部氏の理解は正しくない。「革命児信長」像、信長天才論は戦前から存在するのである。

 以上のように、画期的・斬新に見える人物像も、実は100年前に提示されたものの焼き直しにすぎない、ということがしばしばある。戦国武将の人物像は時代と共に大きく変化するので、かつての評価が忘れ去られてしまうのだ。すると、一世紀前に提出済であることを知らない現代の作家・評論家が、自らの新発見であるかのように語る。直近の通説を批判することで、かえって大昔の説に回帰してしまうわけだ。

 むろん、戦前の説に似ているから間違っている、とは決めつけられない。だが少なくとも、戦国武将の人物像の歴史的変遷を踏まえずに、自説の独創性を誇っても生産的でないことは確かだろう。プーチンをヒトラーになぞらえる言説が流布する現在、意識すべき問題だと思う。

信州大学特任助教

 

 

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