音楽番組で椅子がない

──それもなかなか苦しいですね。

SAM そうですね。当時は、ダンサーがレギュラーメンバーとしているグループはなかったので、それ故の苦い思い出もあります。例えば、音楽番組に出てもダンサーチーム用の椅子が用意されていなくて、自分たちで「すいません、椅子がないんですけど」とか言わなくちゃいけなかった。当初はどういうグループか周りのスタッフさんもよくわかっていませんし、自分たちにも戸惑いがありました。

 ただ、ダンスグループとしてのプライドはいつも強く持っていました。それ故に、音楽番組のディレクターさんからは煙たがられていたんじゃないでしょうか(笑)。ある番組では自分たちが踊っている時に煙をバーッと出す演出がされたのですが、そうすると踊りがまったく見えませんよね。「COをなしにしてください」とスタッフさんに言いに行くのですが、「演出としてどうしてもやりたいから」となかなか引いてくれなかったりしてぶつかっていました。当時は、ダンスを撮ることに番組も慣れていなかったので、そういう面でもだいぶ苦労しました。

──当時の芸能の世界では、ダンスシーンが発展していなかったのですね。

SAM ダンスって結局、アンダーグラウンドな世界です。一方で、テレビやコンサートはメジャーシーンです。当時のテレビの世界って、それこそ70年代80年代のアイドルたちを撮ってきた人たちがつくっていました。そういう人にとっては、歌っている人をいかに良くみせるかが基本なんですよね。ダンスが制作側にとって身近なものではなかったんです。

──今では多くの人にダンスが身近なものとなっています。

SAM 最初に世の中に認められたなと感じたのがファーストコンサートです。ツアーの初日に、僕らが登場して踊ると「SAMー!」とか「CHIHARUー!」って歓声が聞こえてきました。そこで初めて、あぁ、みんなわかってくれているんだなと。声援を聞いて俄然やる気が出ました。この気持ちになるまでが長かったですね。

 

 

小室プロデュースからセルフプロデュースへ

──98年には小室さんのプロデュースを終えて、セルフプロデュースというTRFの第二章が始まりました。これ以降はSAMさんが踊りたい音楽で踊れたのでしょうか?

SAM 小室さんのプロデュースを離れた時もそれはそれで大変で、セルフプロデュースとは言いつつ、エイベックスの人たちは色々言ってくるわけですよ。アーティストにはA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)という方向性を決めるような人が必ず付くのですが、A&Rと意見が合わなくて。ジャケット写真一つとってもしっくりきませんでしたが、だからと言って自分たちも勉強不足で具体的なアイディアがあるわけではない。戦えない悔しさが強くありました。

 曲に関しても小室プロデュースを離れてから全てが納得できる曲というわけではなかったです。当時のエイベックスはコンポーザーを10人ぐらいまとめたコンポーザーチームを持っていました。TRFもそのチームから曲をもらっていて、自分たちの意志ではなくコンポーザーチームから来る曲を新曲としてやらないといけなかった。正直、なかなか自分たちが納得のいく曲とは出会えませんでした。

 ただ、小室プロデュースを離れて第1弾の『Unite! The Night!』(98年)は、僕たちのやりたいことを反映できた曲でした。当時、芝浦の芸能人が多く住むマンションに僕は住んでいたのですが、そのマンションの2階に住んでいたm.c.A・T(富樫明生)というミュージシャンに、僕から「曲を書いて欲しい」と依頼しました。彼は僕と同い年で仲がよく、どういう曲を書いて欲しいかちゃんとこっちの意見を反映できました。

──確かに『Unite! The Night!』は、それ以前の曲と比べるとテンポがゆっくりですね。

SAM そんなにテンポは速くないですよね、あの曲。あの時、富樫君にはTLCの曲を渡したので、ヒップホップのエッセンスが入っています。『Unite! The Night!』はしっかり踊れてグルーヴできる曲になりました。

──30年間、一つのグループで活動をされてきて、メンバー同士衝突することはありませんでしたか?

SAM 最初はよくありました。それこそ90年代はよくぶつかっていましたね。役割分担がちゃんとできていなくて。例えば、DJ KOOとボーカルのYU-KIが演出でこういうことをしたいと言ってきても、ダンサーの自分たちから見ると「ちょっとな……」と思うものがあったりしました。しかも、常に5人できちんと話し合いをして答えを出そうとしていたのですが、なんせみんな我が強いのでそりゃまとまらないですよね。

 そのうちに、サウンドチームとダンサーチームで役割分担が確立されてきて、じゃあ音はKOOちゃんとYU-KIに任せるから、演出とか振り付けはダンサーチームで、という分担に落ち着きました。それができるようになったのが2000年代ごろで、色々なことがスムーズにいきましたし、お互いがお互いをよりリスペクトするようになりました。

──20周年のコンサートDVDを観させていただいたのですが、メンバー同士の尊重し合う関係性がステージからも感じられました。

SAM もう関係性ができ上がっていましたから。20周年のころは何の苦労もなく活動できていました。

 

ダンスが持つ本能的な衝動

──人類はずっとダンスとともに歩んできたと思います。どの文化にもどの時代にもあります。人間には踊りたい欲求が本能としてあるのでしょうか?

SAM あると思います。ダンスと音楽は自然に生まれてきたものです。誰かが何となく木をカンカン叩いている時にリズムが生まれて、それに合わせて身体が動いてしまうというものがあるので、本能的な衝動が根本にはあると思います。ただ、そこに知性や感情が邪魔をして、かっこ悪いから踊りたくないという気持ちが出てきてしまう。だけど、本当はみんな踊れたらいいなっていう想いを持っているのではないでしょうか。

──SAMさんは踊っている時に、何を考えていますか?

SAM ステージで踊っている時はとにかく無になりたい。音楽の中に入ることだけを考えています。僕はソロで踊ることが多いのですが、毎回アドリブなんです。最後はステップで入ってここでフロアの技をやろうかなとか、何となく組み立ててはいますが、それ以外は何も考えていなくて全部出たとこ勝負です。だから調子が悪い時はめちゃくちゃかっこ悪いですよ(笑)。ただ、はまった時は頭で考えていないからこそのすごさがあります。特にブレイクダンスなんかの1on1のダンスバトルに出ている連中は、その偶発的な表現を楽しんでいますね。

──本能に突き動かされて身体が動いてしまうのでしょうか?

SAM いかに音楽に入り込めたやつが勝ちかという世界ですね。

──最近では高齢者向けや、幅広い世代向けのダンス、「ダレデモダンス」という活動もされています。表現のダンスから実用的なダンスにも目を向けるようになったのは、心境の変化があったのでしょうか?

SAM それまではエクササイズ系は避けてきたのですが、50歳近くになるにつれて、一般の人が誰でも楽しめるようなダンスができないかなと思うようになりました。その時期がTRFの結成20周年で、スタッフからTRFの曲を使ったエクササイズを考えませんかとちょうど声がかかったので、「そういうのを待っていました。是非やりましょう!」となったのです。これがきっかけでできたのが、「EZ DO DANCERCIZE」です。CHIHARUとETSUは大反対でしたが、僕はめちゃくちゃやりたくて。フィットネスに詳しい先生と一緒にフリをつくりました。

──累計販売350万枚の大ヒットになりました。

SAM すごく手ごたえがありましたね。世の中はこういうものを求めているんだと。

 

 

高齢化が進む世の中とダンスで向き合う

──それがダレデモダンスに繋がったのですね。

SAM そうですね。僕のいとこで古川俊治という、医者も弁護士も参議院議員もやっている人がいて、その彼から「将来、高齢の国会議員でもできるようなダンスをつくってくれ」とずっと前から言われていたんです。それが頭に残っていて、次は高齢者も楽しめるダンスプログラムをやろうと思って考案したものがダレデモダンスです。

──SAMさん自身の身体の老いに向き合おうと思ってできたわけではないのですね。

SAM 自分の体とはまったく関係ないです。だから、いざ高齢者向けのダンスをつくるとなっても何から始めたらいいのか全然わからなかった。そんな中、僕のダンスの生徒に救急ドクターをやっている方がいたのでその人に相談して試作品をつくりました。そしてまた別の医者のいとこの患者さん向けに週一回のワークショップを開催したりしました。参加していただいた方と会話を重ねて手探りでできたのがダレデモダンスです。

 患者さんも最初は、何を自分たちはやらされるんだろうかと不安そうな表情でした。だけど、やっていくうちにダンスってこんなに楽しいものなんだねという声が聞こえるようになりました。ダレデモダンスを始めて1年経ったころに、30年間透析を続けていたおじいちゃんが、「ダンスを始めるまでは100メートル歩くだけで息が切れていたけど、今は10キロメートルも歩けるようになったよ」と言ってくれたんですよ。そういうお話を聞いて手ごたえをすごく感じましたし、もっとダレデモダンスを広げたいという原動力になっています。自分の身体のためというより、そんな人たちを元気にしたいという思いがモチベーションです。今後もダレデモダンスを使って、高齢化が進む世の中をダンスで少しでもよくしていければと考えています。

──ありがとうございました。

聞き手:本誌 薮 桃加

 

SAM/ダンサー、ダンスクリエイター

サム:1962年埼玉県生まれ。1993年、TRFのメンバーとしてメジャーデビュー。コンサートのステージ構成・演出をはじめ、多数のアーティストの振付、プロデュースを行い、ダンスクリエイターとしても活躍中。さらに、2016年には一般社団法人ダレデモダンスを設立、代表理事に就任。著書に『いつまでも動ける。年をとることを科学するジェロントロジー』など。

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