『公研』2023年3月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

ロシアのウクライナ侵攻から1年が過ぎた。

戦地では何が起きていたのか? 欧州各国はどのように変化しているのか?

戦火のウクライナを訪れた二人のジャーリストに語っていただいた。

 

 

キーウでロシア軍のミサイルの直撃を受ける

三好 ロシアがウクライナに侵攻してから1年が経ちました。今日は記者として国際報道に携わる立場から、この戦争が起きた背景と世界への影響、欧州の行方、ジャーナリズムのあり方などについて考えていきたいと思います。

 私は比較的安全な西部の都市リヴィウまでしか行っていませんが、国末さんは首都キーウや住民への虐殺があったとされるブチャでも取材されています。戦地に入る戦争報道には記者やカメラマンには必ずリスクが伴います。朝日新聞社は安全やリスクについてどのように考えて、現地に送っているのでしょうか。

国末 自身の体験で申しますと、ロシア軍が首都近郊から撤退して間もない2022年4月にキーウに入りました。当時は現地の状況がなかなか把握できず、準備も手探りでした。私たちは組織ジャーナリズムの一員ですから、本社のコンセンサスを得なくては何もできません。ですから、本社をどう説得するのかが、実は決定的だったと思います。何かあった時の日本社会の反応に対応するためにも、社内のコンセンサスを得るよう苦心しました。

 イラク戦争の際に、現地で人質になった日本人に対して自己責任論が叫ばれましたね。これが、その後の日本メディアの戦争報道を萎縮させた面は否定できません。実際には、あまり目立たない紛争地での取材は日本のメディアもずっと続けましたし、特に問題にもならなかった。私自身も、例えば2020年秋にナゴルノ・カラバフ紛争の現場に行って、至近距離にミサイルが落ちたりしたのですが、「なぜ行ったのか」と批判されることはありませんでした。あまり注目を浴びていなかったからでしょう。

 しかし、今回のウクライナ戦争は冷戦後最大の戦争ですし、日本の読者の関心も高い。だからこそ現地を取材する必要性もあるのですが、トラブルが起きた時に危機管理のあり方を問われる可能性も生じます。これに備えて、様々な場面を想定し、それぞれの可能性の有無と対応策を列挙した取材計画案をつくって提出しました。それで本社のお墨付きをもらって、キーウに入ることになったのです。

三好 事前の準備にはどんなことをしましたか。

国末 最大のネックだったのは、防弾チョッキとヘルメットでした。その頃は、これがないとキーウで取材ができず、特にウクライナ当局が企画するプレスツアーに参加できなかったのです。弊紙ではロシア軍侵攻前の2022年1月後半から数人の記者がキーウなどで取材を続け、私自身も東部ハルキウに近いロシア国境に行ったりしていたのですが、侵攻の2月24日前後に全員が西部のリヴィウや国外に退避しました。その時、防弾チョッキをキーウに置いたままになり、手持ちがゼロだったのです。ヨーロッパでももうすべて売り切れ、最終的に防弾チョッキをロンドンで入手したのは1カ月ほど後でした。

 準備はそのほか、フィクサーと呼ばれる通訳やキーウまでの移動手段の確保、キーウでの宿泊先のメドなどでしょうか。その大部分は3月にリヴィウで進めました。

 3月はキーウの近くまでロシア軍がきていましたので、首都が地上戦に巻き込まれる恐れは十分ありました。これは、組織ジャーナリズムにとって難しい状況です。ロシア軍に捕まって人質になると、イラク戦争の時のような事態になりかねないからです。ところが、3月31日から4月1日にかけて、ロシア軍がキーウからバッと引いちゃいましたよね。ちょうどその時に防弾チョッキなどの手配もできたので、4月5日にキーウに入ったのです。

 三好さんの場合は、フリーで日本から行かれたそうですね。

三好 あるセミナーの招待を受け、ドイツのベルリンに行く機会があったので、その足で昨年5月、ポーランド・クラクフからバスでウクライナに入国しました。欧州をテーマにしているジャーナリストを名乗る以上、ウクライナ取材を避けるわけにはいかない。現場に足を踏み入れねば、という気持ちがありました。厳密にリスク評価をしたわけではなく、リヴィウぐらいだったら大丈夫だろう、といった程度の考えです。

 確かにフリーランスだからこそ、かなり危ないところに行ける、行くべきだという考え方もあるでしょう。私は小心な人間なので、戦地に踏み込んだ取材をしようという考えは、始めからありませんでした。組織に入っていれば、通訳や交通手段もコストを気にせずに現地で手配できますが、基本的にバスや電車を使っての移動だし、取材も英語、独語が使える範囲です。核兵器の使用などがあったらならば、ウクライナ国外にどうやって退避できるだろうか、などとも心配しました。

 退職していましたから会社の制約はないが、退避勧告の出ている場所でもあり、何かあれば日本の外務省、政府に迷惑をかけることになる。自己責任で済まないところが、世の中の常ですよね。

国末 戦場カメラマンの「不肖・宮嶋」こと宮嶋茂樹さんは、3月半ばぐらいにもうキーウに入っていました。現地でお目にかかりましたが、フリーの方はやはり行動が速いですね。それを支える度胸とノウハウも持ち合わせている。私たちは往々にしてその一歩後を追いかけていくのですけど、一方で取材の継続性や包括性という面では、組織ジャーナリズムが担うべき役割もあると思っています。現地からの報告だけではなく、ヨーロッパ全体を見渡す視点からウクライナの出来事を位置づけていくのも、私たちが担うべき仕事でしょう。

 

ミサイル攻撃で大破したアルファヴィートホテル  (2022年12月31日=国末憲人氏撮影)

 

 

三好 私の取材の重点は、むしろポーランドのウクライナ避難民やポーランドやドイツの安全保障関係の専門家へのインタビューなどでした。まあ、ジャーナリストそれぞれが果たす役割があるのでしょう。

 国末さんを含めた朝日新聞社の取材陣は昨年1231日、キーウでミサイルの着弾を経験されています。カメラマンが負傷されていますが、その経験を伺えれば。

国末 キーウで滞在していたホテルがロシア軍のミサイルの直撃を受けました。攻撃の直前に爆発音が響き、同僚は確認しようと外に出たところで、飛んできた建物の破片を足に受けたのです。私も確認しようと窓から外を眺め、カーテンを閉めたところで窓ガラスが割れ、天井が落ちてきました。幸いけがはなかったのですが、ミサイルが落ちた部分は地下壕のある場所で、もしそこに入っていたら助からなかったでしょう。すぐに地元メディアが集まってきて、私たちの姿はニュースで報道され、負傷したカメラマンはその後ウクライナで英雄扱いを受けました。私も、ウクライナの取材先から安否を気遣う連絡をたくさんもらいました。日本からも同様のメッセージをいくつかいただきましたが、一部でやはり自己責任論を持ち出した人もいて残念でした。何か起きた時、加害者でなく被害者の責任を問おうとする人は必ずいますね。今回の戦争で、ロシアの責任でなくウクライナ側のあら探しをする根性と似ているかもしれませんが。

 私はそれまで、「300万人都市のキーウでミサイルに当たる可能性は極めてまれだ」と説明してきましたし、その考えは今も変わりません。極めてまれな機会に遭遇したと思っています。

 

ブチャの惨劇

三好 国末さんはブチャにも行かれています。そのときの状況も聞かせて下さい。

国末 ブチャは森と湖に囲まれたとても美しい町で、ソ連時代は村だったのが、若く裕福なキーウ市民が移り住んできて人口が増え、4万人近い町になりました。割と洒落たところで、東京になぞらえると二子玉川とかの感覚でしょうか。

 ロシア軍がこの街から撤退した後の4月初旬に各国の記者が一斉に入り、遺体が路上にゴロゴロ転がっている様子などが報道されて衝撃を与えました。私もキーウから行こうとしたのですが、途中に何カ所もの検問があり、ウクライナ当局が組織するプレスツアーでなければ行けない状態でした。脇道を迂回して行った人もいるみたいですが、地雷だらけだし、そこまでの冒険はできませんでした。

 探っているうちに、ウクライナ軍が先導する少人数ツアーを組んでくれることになり、私とカメラマンと通訳、フランスのラジオの記者、地元の記者の計5人で、4月8日にブチャに入りました。その時はもう路上に遺体はほとんどありませんでしたが、砲撃で黒こげになったロシア軍の戦車が街路をふさいでいました。その数日後に2日間かけてブチャで聞き取りをして回った時には、教会の庭に仮埋葬していた遺体を発掘して検視する作業にも立ち会いました。ビニール袋に包まれた何十体もの遺体が次々と掘り起こされる光景は衝撃的でした。

 

砲撃で真っ二つになりかけたボロジャンカのマンション(2022年4月10日=国末憲人氏撮影)

 私は、今回の戦争には二つの大きな問題があるだろうと思っています。一つは、侵略戦争であること。もう一つは、ブチャでの住民虐殺に象徴されるように、非人道的な戦争犯罪行為が罷り通ったことです。後者のほうは欧米の世論に強く訴えかけており、ヨーロッパの安全保障観にも影響を与えています。そこが私にとっても、今回の戦争を見る原点になっているように思えます。

 ブチャの何が衝撃的かと言えば、あれが占領下で起きていたことです。市民は、戦闘で死んだわけではないのです。2月27日にロシア軍がブチャにきて、小さな川を挟んだ南側のイルピンにいるウクライナ軍との間で砲撃戦が始まりました。最初は激しい戦闘になりましたが、程なく、1カ月にわたる膠着状態に陥りました。

 撃ち合いによる死者はもちろん出ましたが、犠牲者の圧倒的多数はむしろ、ロシア軍占領下で、ある種の平和の中での虐殺によるものです。つまり、戦争を止めても平和が訪れない状態が、ブチャでは生まれてしまったのです。これまでの紛争では、戦闘を止めることと平和の達成とがほぼ同じ意味でした。だから「反戦平和」というスローガンがしきりに叫ばれたのですが、今回のケースを目の当たりにすると「何か違うな」と考えさせられますよね。今回の戦争は、日本の平和観にも課題を突きつけているのだと思います。

 欧米の安全保障の担当者にとっても、ブチャの虐殺はおそらく衝撃的だったでしょう。例えば、バルト三国のある国防省幹部は「バルト三国は今まで、ロシア侵攻の際にはNATOが救援にくるまでの数週間持ち堪えればいい、との考えを持っていました。しかし、短期間でも占領されてしまうと虐殺の恐れが生じる、とわかった」と言ったそうです。このように安全保障観にも変化が起きています。

三好 カチンの森の虐殺(1940年)が示すようなソ連占領下のポーランドやバルト三国での殺戮、ナチ・ドイツによるユダヤ人殺戮など、歴史的には占領下の虐殺行為の事例はたくさんあります。日本もシベリア抑留で60万人以上が連行されて、6万人近くが死んだ経験をしている。ただこうした出来事は、どこか現代とは無縁という感覚があったかもしれません。ブチャの虐殺は、ともあれ戦闘をやめればよい、停戦をすればよいという「平和主義」の甘さを改めて再認識させた意味はあったのでしょう。

 ブチャの虐殺はロシア軍によるものという確証は、取材を通じて得られましたか。

国末 ブチャの町外れに、ソ連時代の農村の雰囲気を残すイワナフランカという地区があり、そこでも計11人の住民が殺されました。1カ月くらいかけてその地区の一軒一軒を訪ねて回ったのですが、避難しなかった住民がどう身を隠したのか、どう行動したのか、ロシア兵とどんなやりとりをしたのか、誰がいつどのように殺されたのか、かなりの部分が浮き彫りになってきた。その例から見ても、ロシア兵以外の犯行はあり得ない。虐殺を裏付ける監視カメラの映像や衛星写真もありますし、犯行に直接携わった部隊の具体的な兵士の名前までも現在では明らかになっています。

 ただ、それでもブチャ虐殺否定派はいますね。今回ロシアを擁護している人のなかには、「ブチャ虐殺はなかった」との前提で論を組み立てている人もいるようですが、根拠は全然ありません。妄想か陰謀論でしかないですね。

 

破壊された装甲車両が連なるブチャ駅前通り(2022年4月8日=国末憲人氏撮影)

 

三好 対話だけでは権威主義国家の侵略を阻止することはできない。国際政治における軍事力の重要性について再認識されたのが、やはり一番大きな衝撃であり変化でしょう。さらに、ドイツをはじめ欧州の主流は、関与(エンゲージメント)を通じてロシアを自由民主主義の価値、体制に導くことができるという前提でしたが、それが無効であることもはっきりした。

 それに加えてロシアが示した非人道性は、確かに心理的に大きな影響を世界中に与えたと思います。ドイツでもブチャの虐殺が明らかになったことで、ウクライナへの武器供与などに弾みがついた。ドイツの政治家もブチャなどを訪問した後に強いメッセージを出しています。

 資源高やこれまでの平和志向にもかかわらず、ヨーロッパは曲がりなりにも連帯してウクライナ支援、対ロシア制裁を続けているのは、やはりロシアの非人道的な攻撃のあり方が、多くの人たちの怒りを絶えず掻き立てていることがありますね。

 それからおっしゃったようにNATOによる安全保障体制に大きな変化が見られます。2014年のロシアのクリミア併合の後に、NATOは、ポーランド、バルト三国に、例えばリトアニアにはドイツ軍、エストニアはイギリス軍というかたちで、それぞれ1000人規模の軍隊を配備しました。ただこれらの軍は、あくまでも仕掛け線(トリップ・ワイヤー)の役割で、NATOの本格的な増援を待つという発想でした。政治的な意味が大きかった。それが今回のウクライナ侵略を受けて、それでは不十分ということで、前線で軍事的に食い止めなければならないという考え方に変わりました。ロシアに対する備えに根本的な変更が行われようとしています。

国末 ロシア軍はブチャの虐殺以外にも、例えばマリウポリやセヴェロドネツクのように、街全体を破壊してしまう非人道的な行為を起こしています。民間施設やエネルギー関連のインフラを標的とした攻撃も、普通の戦争のルールでは考えにくいことです。

 おそらくロシアは、チェチェンやシリアでも同じことをやっていたのでしょう。ただ、その時よりもずっと強い批難が、今回はロシアに向かっている。舞台がヨーロッパだから関心が強いのはもちろんですが、それ以上にSNSが影響を与えているように思えます。

 ミサイルが落ちる瞬間や、遺体が転がっている様子など、戦争の生の光景が、TelegramなどのSNSを通じてあちこちで拡散しています。居合わせた市民が撮影した映像もガンガン出ている。私たちが1231日にホテルで攻撃を受けた時も、ミサイルが着弾する瞬間の映像が出回っています。スマホや監視カメラが瞬時に戦争の今を伝える時代にいるわけです。多くの人がこうした映像を見て「可哀想じゃないか」「おかしいじゃないか」との感情を抱く。これが、ヨーロッパのウクライナ支援を支える動機付けになっています。

 早稲田大学の古谷修一教授は「世界が戦争を被害者の目で見るようになってきている」と指摘されていましたが、今回の戦争を象徴する大きな現代的な変化だと思います。

 

ブチャのイワナフランカ地区で殺害されたシドレンコ夫妻。遺体は切断され、焼かれていた(遺族提供)

 

 

ロシアのウクライナ侵攻に正当性はあるのか?

三好 ロシアの侵略に正当性が欠如していることも、西側世界のウクライナ支援が揺らがない背景にありますよね。私の知っている限り、あらゆる戦争にはある種の理由はあったと思うんです。ベトナム戦争も共産主義の拡大を防ぐというアメリカの言い分があって、私は根拠がないとは思いません。あるいはソ連のアフガニスタン侵攻にしても、イスラム原理主義の拡大を防ぐというそれなりの理屈はありました。

 プーチン大統領はいろいろな理由を掲げているが、到底理に適うものではない。ロシアとウクライナは一体であるとする独自の歴史観は、国家主権を基礎に置く国際秩序とは相容れません。

 ウクライナ侵略の理由の一つとされる、NATO拡大についても、長い経緯の中でNATO側もロシアを取り込もうと努力をしてきました。ロシア側もエリツィン時代にはそれに応えようという意志があったし、プーチンも政権最初の頃はヨーロッパに入っていく姿勢を示していました。

 プーチンからすれば、そうした姿勢があったのにも関わらず、NATOは自分たちを裏切ってウクライナを取り込もうとしたと思い込んだのかもしれません。けれども、ウクライナのNATO加盟を進める動きが近年具体化したのかと言えば、それもなかった。ロシア系住民の保護の必要性も、侵略を正当化はできないでしょう。

 いくらかでもロシアに同情できる要素があれば、これほどまで西側世界が結束してウクライナを支援することにはならないのではないか。今回の戦争が、おそらくプーチン個人の極めて牽強付会な歴史解釈と個人的な野心に基づく決断であることが、支持を得られない重要なポイントです。

国末 三好さんもご著作の『ウクライナ・ショック 覚醒したヨーロッパの行方』で、プーチンとヒトラーの比較について触れていましたが、かなり似ているところがありますよね。プーチンの中で何か妄想が膨らんでしまっているように見えます。そうした怪しげな理論を吹き込んだり焚き付けたりしている人が周りにいるのだと思います。それに対しておかしいと思っている人も多いはずですが、力で押し切って行ってしまったのが現状なのでしょう。1930年代から40年代にかけてのヒトラーの暴走を止められなかったことと、似ている印象を抱いています。

 グローバルな視点で見ても、今回の侵攻を正当化する理由はありません。プーチンはNATOの拡大を根拠の一つに挙げていますが、精査して見ていくと無理やり拡大したとはとても言えない。旧東欧諸国は、これをロシアの支配から逃れる機会ととらえて、主権国家として自らの意思でNATOに加盟したわけです。ロシアもこれらの加盟を認め、NATOとの「平和のためのパートナーシップ」に参加して、一時期まで協調姿勢をとっていました。「拡大しない」という約束も、NATO側にそういう発言はあったかもしれませんが、公式なものではないし、ましてや文書にはなっていません。

 「NATO拡大云々」は、ロシアとNATOとの間での話ですが、そこには主権国家としてのウクライナの判断が除外されています。そもそもプーチンはウクライナに明確な主権はないという立場ですよね。「ロシアに寄り添うとウクライナは主権を持つことができる」などは言いますが、要するに独立国家とは認めず、ロシアの属国扱いとする妙な理屈です。現在の国際社会では、主権を尊重するのが一つの約束事ですから、それを公然と破る態度は認めがたい。これが、グローバルな視点から見た今回の戦争の位置づけです。

 もっとローカルな「地べた」からの視点で見ても、いきなりミサイルを撃ち込んできたり占領して虐殺したりすることを、地元住民は到底認めるわけがない。NATOとロシアの関係をプーチンがどう思うかなんて、関係がないわけです。ベトナム戦争は共産主義の伸張に対抗することが戦争の名目に掲げられましたが、いかなる理由があっても村を焼き尽くすようなことをしてはならなかった。結局それと一緒だと思うんです。

 私は昨年、ウクライナに6回行って、延べ100人を超える人に会いましたが、「戦うのをやめよう」という人は誰一人いませんでした。田舎で暮らす91歳のおばあちゃんから「兵器をください」と言われたこともあります。語弊を恐れずに言うと、住民がいま求めているのは、おそらく「平和」よりも「正義」だと思います。もちろん平和を望んでいるのですが、「おかしいじゃないか。理不尽だ」という憤りの意識が先立って、それがみんなに共有されている。だから、ウクライナはこれだけやられても戦うし、押し返すわけです。

三好 「地べたから」戦争に巻き込まれている人から見れば、まさにその通りですよね。

 NATOとロシアの関係性からだけで議論をしていると、ウクライナの人たちの考え方が抜け落ちてしまうことになりますよね。それはポーランドやバルト三国についても言えます。彼らは冷戦崩壊後に、ロシア圏から一刻も早く離れて、ヨーロッパの仲間入りをしたいと熱望して、それを実現させました。それでようやく安心したところがあります。おそらくロシアはバルト三国やポーランドには手を出せないでしょう。やはりNATOに入っていることは非常に大きいですよね。

 そもそも、安全保障は国家の根幹を成す政策ですから、他国が「お前たちは緩衝国でいろ」とか「中立国でいるべき」などと言うのは本来おかしい。

国末 安全保障の根幹ですよね。NATOに入ることは、自らが平和でいるチャンスだったわけです 。NATOとロシアが話を付けることで、例えば「ヘルソンやザポリージャはロシアが実効支配してもかまわない」といった具合に勝手に話が進むことはあってはならない。それだと、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンの間で結ばれたモロトフ=リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)と同じになってしまう。

三好 日本の議論でも安全保障の専門家が、ともすれば「欧米がロシアの安全保障の懸念を十分考慮に入れなかったことが侵略の原因」と言ったりしますよね。ただ狭間に挟まれた国の人たちの、真に生存に関わる思いを度外視した議論は、私は受け付けないですね。

国末 その通りですね。ロシアを主語にするとそういう議論が成り立ちそうですけど。以前は強国の間に挟まれた小国が緩衝として機能することを「サンドイッチ国家」と呼んだりしましたが、そういう国も主権を持っている。どのように望んでどう行動するのかは、その国の判断に委ねられるはずです。

 もちろん、その国だけでは決められない国際関係の事情もありますが、ウクライナ側がロシアの顔色をうかがって「少しロシア寄りにやりなさいよ」と忠告される時代ではないでしょう。

 

「アウシュビッツを繰り返さない」

三好 次にロシアのウクライナ侵攻を受けた欧州各国の変化について考えていきたいと思います。主要国の中では、イギリスは一貫してロシアに強硬な姿勢を示していて、そのスタンス揺らぐことはないでしょうが、ドイツやフランスは紛争のエスカレーションを止めなければならないという意識がある。一時期、適当なところで手を打つのではないかとも言われました。国末さんが取材されていたフランスの姿勢についてはいかがですか。

国末 フランスはやや曖昧なところがありますね。今年2月にゼレンスキーがフランスに行ってギャップを埋めた感じはありましたが、それでもイギリスに比べると温度差がある。フランスは元々ロシアとかなり親しいですし、アメリカに対しては懐疑的です。

 イラク戦争のときもシラク、シュレーダー、プーチンで反対の論陣を張りました。そうした際にロシアはフランスの大きなパートナーになっていました。

 今回の場合、マクロンがプーチンと対話のチャンネルをつくろうとしていることは間違いないのですが、だからと言ってウクライナに兵器はきちんと送ってます。若干の違いはあるけれど、 EUやNATOでそんなに足並みの乱れがあるとは思えない。ドイツは、どうでしょうか。

三好 政治も世論も分かれていますが、政府の基本方針は、ロシア制裁・ウクライナ支援の路線が揺らぐことはないと思います。ただ、連立与党はスタンスが分かれています。社会民主党(SPD)のなかには、戦争に巻き込まれたくないと考えるタイプの平和主義者がかなり多いんです。日本的な平和主義と言ってもいいと思います。ショルツ首相は戦争のエスカレーションを警戒して徐々に武器支援を拡大していく政策をとってきましたが、自党SPD内の反戦世論を慮ったことも、重火器の支援について慎重だった理由です。

ワルシャワ中央駅に設置されたウクライナ避難民のための案内所(2022年4月30日=三好範英氏撮影)

 

 一方、やはり与党の「緑の党」は、我々日本人がイメージする平和主義とは違って、正義の実現を重んじる考え方です。緑の党にとって一つの転機になったのが1999年のコソボ紛争でした。ユーゴスラビア空爆にドイツ軍を参加させるかどうかで、党大会は大揉めになりました。ひな壇に座っていた、参加を主張するヨシュカ・フィッシャー外相が、赤い塗料の入ったカラーボールを投げつけられてけがをした出来事もありましたが、最終的には緑の党はNATOの空爆への参加を承認したわけです。

 このときの論理は、「アウシュビッツ(に象徴される集団殺戮)を繰り返さない(No more Auschwitz)」という考え方でした。アウシュビッツのような非人道的なことは二度と許さない、ミロシェヴィッチ政権のやっていたコソボのアルバニア系住民に対する民族浄化を阻止するためには、武力行使もやむを得ないという判断です。「No more War」より優先されるわけです。

 それが緑の党の転機だったとされています。だから今回、緑の党が重火器支援も含めてウクライナ支援の急先鋒であるのは、不自然ではないんですよね。日本から見ると、緑の党は左派で平和主義なのになぜ戦車の供与にこんなに熱心なのだ、と感じるかもしれません。それは日本的な、いわば空想的平和主義のプリズムでしか見ていないからです。

 No more Auschwitzはアメリカのネオコン的な考え方と言っていいかもしれない。自由主義の価値を重視するネオコンも、元々は民主党の左派の人たちでした。緑の党も、正義を実現してこそ真の平和主義、リベラリズムであるという考え方です。

 野党では中道保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は、ウクライナへの武器供与推進ですが、右派の「ドイツのための選択肢(AfD)」と左派の「左翼党」は、親ロシアで武器支援反対。左右の両翼がロシア支持、戦争反対という構図になっている。最近ではAfDが「我々こそが平和の党だ」と言っているくらいだからおもしろいですが、この左右両翼の政党が国政与党になることはあり得ない。

国末 フィッシャーの「アウシュビッツを繰り返さない」という主張は重要です。今回のブチャでの惨劇がジェノサイドなのかどうはまだ議論がありますが、ジェノサイド的な性格の色濃い虐殺と言えるでしょう。ルワンダもアルメニアもホロコーストも、これまでに起きたジェノサイドの多くは、戦争と結び付いています。ただ、戦争の中で起きてはいるが、戦闘とは違う。ここをどう考えるのかは重要です。欧州の人たちは今回ブチャで起きたことを深刻に受け止めていますから、今後の安全保障観に大きな影響が出てくると思います。

三好 こうした悲劇はユーラシア大陸で過去に何度も繰り返されています。それが「大陸の本質」と言ってしまうのは言い過ぎかもしれませんが、権威主義国家の性格を前提にして安全保障は考える必要がありますね。

 

親ロシアの背景

──AfDはなぜ親ロシアなのでしょうか。

三好 AfDは、旧東ドイツ地域で強いんです。東ドイツはソ連の占領下にあったし、その後も大きく言えばソ連の傀儡国家でしたから、ロシアに対しても良い印象を持っていないのだと思いますが、意外とそうでもなかったりします。終戦前後にはソ連の赤軍の蛮行で、百万人近い民間人が殺害され数百万人の女性が強姦された歴史もあります。それがロシアに屈服するような意識を植え付けてしまったのか。ただ、戦後は、相対的に安定した時代があったのかもしれません。東ドイツで育ったメルケル前首相の伝記を読むと、小さい頃に近くにあった「ソ連軍の駐屯地に行ってロシア語を教えてもらった」と書いていたりして、そんなにネガティブな感じではないんです。

 よくある説明は、旧東ドイツの旧西ドイツに対するルサンチマン(恨み)。その反動から反西側、反EU、反米といったスタンスになって、それが親ロシアに転じる。AfD は過度のリベラリズムを嫌悪する人たちの受け皿にもなっていて、多文化主義やLGBTに反感を抱くような層からも支持を集めている。

 プーチンは反リベラリズムの旗手であることを売り物にして、西側諸国の右派ポピュリズム政党に働きかけをしています。資金面や人的な関係だけではなくて、イデオロギーの面でも繋がっています。ヨーロッパ各国にこうした反リベラリズムの傾向を持つ層は一定存在していますから、ロシアはそこに対して働きかけをする構造は明らかにあります。

避難民収容施設に向かうバスを待ち、鉄道駅頭で列をつくるウクライナ避難民たち(2022年4月1日、ウクライナ国境近くのポーランド・プシェミシルで=三好範英氏撮影)

 

国末 フランスの例で言えば、国民戦線──今の国民連合──という政党は1972年に誕生しますが、最初に掲げていたのは「反ソ連」でした。初代党首のジャン=マリー・ルペンは、対ソ強硬派の姿勢をなぞらえて「自分はフランスのレーガンだ」と言っていました。その当時は、移民の話などはまったくしていなかった。それが、80年代以降ペレストロイカの進展でソ連の存在感が弱まってくると、移民問題が社会の関心を集めるようになります。国民戦線はすかさずその問題を取り入れて、移民排斥を主張するのですが、それが大躍進に繋がるんですね。それまではニッチな小政党でしたが、86年の総選挙では一気に35議席を獲得します。

 彼らは、このようにテーマを変えていくんですよ。その後は反EUを打ち出しますが、最近ではそれもほとんど言わなくなりました。ポピュリズムの典型ですが、何か理念があるわけではなくて、要するにその時々で人気を集められるテーマを打ち出すわけです。だから、世間から求められている論点を嗅ぎ分ける能力はしっかりしていると言えるのですが。

 今のロシアは、こうした政党に資金も提供してくれますから、実利的な理由から親ロの立場をとっている面もあるのだと思います。それに、フランスの他の多くの政党はロシアに懐疑的ですから、親ロシアを打ち出すと対立軸をつくりやすい。元々フランスはロシアとの関係が強いところですから、こうした態度に親近感を抱く人も少なくありません。

三好 論点を変えるのは、AfDも同じですね。出発は共通通貨ユーロへの反対を唱える経済学者が中心になって結成された党だったんですが、2015年の欧州難民危機後は反移民、そしてコロナ禍では反マスク着用や反ワクチン、ウクライナ侵略後は反ロシア制裁と重点を変えていくことになります。ただ、テーマやメッセージは変わっているにしても、一言で言えば反エリート、反エスタブリッシュメントとでも言うべき一定の大きな枠組みはある。政治学でミリューと呼ばれる一定の社会層が形成され、そこに訴える政策を掲げているということからも、単なるオポチュニズムとは言えないと思います。

国末 既成政党とは違ったプーチン型の権威主義を掲げた統治政策や政治スタイルに惹かれる層は、どの社会に一定数います。その層を代表する政党は、プーチンの手法をある種のモデルにしている。プーチン与党「統一ロシア」もEUに楔を打ち込む手段として、各国のそうした政党を援助することで、ウィン・ウィンの関係をつくっています。

 

EUに与える影響は?

三好 ハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相などは、プーチンや習近平などの指導者像にシンパシーを持っていると言われていますね。EUに対しても懐疑的です。

国末 オルバーンは明らかに、EUの主流からは外れていますね。ゼレンスキーがEUに来て各国首脳と握手を交わす場面があって、オルバーンも一応は握手しましたけど、みんなが喜んでゼレンスキーを招き入れる時に横でコソコソと忙しい振りをしたりする。各国の首脳とは考え方が違うことを、ポーズで示している。ただ、だからと言って、彼も首脳会議を欠席したりはしません。EUからの脱退なんてことも考えていない。むしろ、「自分こそがヨーロッパの価値を体現しているのだ」と言ったりもしています。

 そう考えると、EUあるいはNATOにはいろいろなギャップがあるのでしょうが、今はロシアという明確な敵ができたことで、それなりにまとまっている感じがします。オルバーンも「戦争をやめろ」とは言いますが、「ロシアは正しい」とは言わない。最低限のところは押さえていて、結束しているのだと思っています。

戦争犠牲者を追悼する「花の壁」(2022年5月1日、リヴィウで=三好範英氏撮影)

 

三好 当面の間は、共通の敵ができたことでヨーロッパは結束する構図になっているのでしょう。ただ長期的に見てどうなっていくのかは見通せないところがあります。情勢が安定化してくると、ヨーロッパが基本的に抱えてきた亀裂が再浮上する可能性もなくはない。

 1月に在ワルシャワの日本外交官に話を聞く機会がありましたが、「ポーランドではEU脱退論が真面目に議論されている」と言っていました。ポーランドも自信を付けていてEUからの資金援助がなくてもやっていける。しかし、EUではいつまでも2流国扱い。そうなると、EUの基本的な価値観の違いみたいなものが不満として噴き出てくるかもしれない。司法制度にせよ、LGBTの問題にしても、EUからいろいろな注文が押し付けられていると感じているわけです。

 ドイツの主流の考え方は、もう国民国家は解体してEU統合に吸収されていくのがいいと考えていますが、東ヨーロッパの国々からすればそれは進歩的過ぎます。彼らは国民国家こそがやはり一番のベースにあると考えていますから、やはり根本的に西ヨーロッパの発想とは相容れないところがある。

 EU加盟国でいることは、NATOと並んで欧州の一員であることの保障だし、安全保障上の意味もあると思うから、離脱の可能性はほとんどないとは思う。ただ、EUのどの国でもインフレを背景に貧富の格差拡大が見られるので、反EU世論が高まった時にブレグジットのようにひょんなことから離脱決定にもなりかねない。欧州は一方方向で統合へと進むのではなく、常に統合と分裂の二つの方向性を持っていることは忘れてはならないと思います。

 

 

国末 確かに今回の戦争が終わった暁には、そうした問題が表面化してくる可能性はあります。ただ、実際にEUから出ていったイギリスが正直困っていて、イギリスではブレグジット(EU離脱)のことは誰も喋りたくない、という雰囲気です。国民を二分する激しい議論が続いたことがトラウマになってしまっているのかもしれません。

 今になって「ブレグジットをやめとけば良かった」との声も多く、ブレグレット(Bregretregret:後悔する)という言葉が出てきているほどです。コロナ禍や戦争もあって、何がなんだかわからなくなって経済の全体的な落ち込みの背景をきちんと分析できていない面もありますが、ブレグジットが経済に相当悪い影響を与えているのは間違いないと思います。

 冷静になって考えると、やっぱりまずかったなと多くの人が思っているのだけれど、それは言いたくない。イギリスの判断は、EU各国である種の教訓として共有されていると思えます。なので、ここ10年程度の期間だと、ポーランドやハンガリーが離脱することは考えにくいのではないか。むしろ、フランスやドイツで反EUの右翼政権ができた時のほうが、EUへの影響は大きいと思います。

三好 フランスはそういう可能性はなくはないですか。

国末 ゼロじゃないですよね。マクロンの次の大統領がどうなるかですね。フランスにその可能性があったのは、国民連合のマリーヌ・ルペンが決選に進んでマクロンと争った2017年の大統領選挙でした。フランスの選挙は必ず2回投票ですが、この時の大統領選の第1回投票では、右派のフィヨン、左翼メランション、中道マクロン、右翼ルペン4人が激しく競り合いました。あと2、3%違っていたら、右翼のルペンと左翼のメランションによる決選に進む可能性もゼロではなかった。その二人が争えばおそらくルペンが勝つと思います。その場合、右翼政権が誕生する。今のところそうはなっていませんが、今後も可能性がゼロではありません。その時は、EUが終わりに向かうことを意味するのかもしれません。

三好 ドイツの場合は議院内閣制なので、そういうことはあり得ないでしょう。大統領選挙のような直接選挙や国民投票で極端な結果が出ることは、起こりにくい制度になっています。

国旗を振ってウクライナへの支援を訴えるウクライナ避難民たち(2022年3月31日、ポーランド・クラクフで=三好範英氏撮影)

 

 

帝国の崩壊過程と国民国家の形成過程

国末 今回の戦争は、ソ連という帝国の崩壊過程で起きた現象と捉えることもできるのではないかと思います。ロシアがウクライナに攻めていった時に、これで世界が変わるのではないかという議論がありました。これまでは国際法や主権の尊重といった曲がりなりにもルールに基づいた国際秩序がありましたが、これからは力そのものがすべてを決める世界になるのではないかと。ロシアだけではなくトルコ、イランなど地域大国もその方向に行きかねないし、特に中国の覇権主義の勢いが付くのではないかといった議論です。

 ところが、蓋を開けてみるとロシアは意外にもヘタレで、そんな世界を変える方向には全然行っていないので、皆がホッとしている状況ではないかと思います。青山学院大学の菊地努名誉教授は今回の戦争について「ベルリンの壁崩壊からずっと続くソ連崩壊の過程の最後のものではないか」と話していました。そのような見方のほうが納得できます。

 プーチンが思い描くソ連時代のイメージと、ロシアの現実の力との間には、大きなギャップがありました。プーチンは「ロシアには3日間で簡単にキーウを落とせる軍事力がある」と過信していましたが、実際は軍もガタガタでした。イランにドローンの供給を頼むほど、どうしようもない状態です。むしろ、ウクライナには押し返されている。この状況こそが、帝国の末期症状を示しているようにも思えます。

 ですから、この戦争はさらなる混乱の入り口となる「時代の転換点」ではないかと考えられます。そうだとすると、今後のロシアがどうなるのかが問題ですが、やはりあまり明るい未来は描けないと思うんですよ。帝国が崩壊するとなると、相当な混乱が起きるでしょう。オスマン帝国が崩壊した時もいろいろな紛争が起きたわけですし。

 中国がこれからどうなるかはわかりません。どんどん力を付けていくと考えることもできる。けれども、少なくとも何十年か前には「中国はそのうち崩壊する」と盛んに言われていましたよね。中国はこれから少子化が進み経済も冷え込んでいくとなると、いろいろな問題が出てきます。それは周辺諸国にも影響を与える可能性があります。中国の強大化も心配ですが、帝国としての中国が衰退していく局面で何が起きてくるのかも真剣に議論したほうがいいと思います。アメリカもどうなるのかよくわかりませんが、トランプなどを見ていると「大丈夫か」と心配にもなります。

三好 帝国の崩壊過程という見方をとるとすると、帝国に対峙されるのが、国民国家。その意味でウクライナは戦争を通じて、国民国家としての形成過程にあると見ることができるのでしょう。ウクライナ出身でハーバード大学教授の歴史学者セルヒ・プロキアがウクライナの歴史の本を書いていますが、そこに、戦争のショック、敗戦の屈辱、領土喪失が、国民の連帯と国家のアイデンティティの形成につながると言って、18世紀後半のポーランド分割と、ナポレオン戦争でのドイツの敗北を挙げています。その屈辱の中から、ポーランド民族主義、ドイツ民族主義が生まれたのですが、ウクライナも今そのプロセスをたどっていると言うのです。なるほどと思わせました。

 他方、そうした過程を卒業したはずのアメリカにしてもヨーロッパにしても、今の民主主義のシステムが健全に機能しているのかどうか、懐疑的になっています。2021年の議会議事堂占拠事件などは「アメリカの民主主義は大丈夫なのか」と大きな懸念を呼び起こす出来事でした。ヨーロッパも200万人が流入する難民危機以来、ポピュリズムの台頭が顕著です。プーチンはそういう状況を見て、欧米は与しやすい、と軽んじた結果、誤った判断を下したのかもしれません。 (終)

 

三好範英・ジャーナリスト
みよし のりひで:1959年東京生まれ。東京大学教養学科卒。82年読売新聞社に入社。バンコク、プノンペン、ベルリン特派員、編集委員などを経て2022年からフリーランスのジャーナリスト。著書に『ウクライナ・ショック 覚醒したヨーロッパの行方』『特派員報告カンボジアPKO』『戦後の「タブー」を清算するドイツ』『メルケルと右傾化するドイツ』『本音化するヨーロッパ』『ドイツリスク「夢見る政治」が引き起こす混乱』(山本七平賞特別賞)など。

 

国末憲人・朝日新聞社 編集委員兼論説委員(ヨーロッパ駐在)
くにすえ のりと:1963年岡山県生まれ。大阪大学卒。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し、朝日新聞に入社。パリ支局員、パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、ヨーロッパ総局長などを経て現職。著書に『テロリストの誕生』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるか?』『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』『ユネスコ「無形文化遺産」』など。

 

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