『公研』2017年6月号 「issues of the day」

白戸 圭一

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊の最後の隊員約40人が5月27日に帰国し、2011年11月から続いていた自衛隊派遣が終了した。南スーダンは13年以降、内戦状態に陥ったが、自衛隊は1人の犠牲者を出すこともなく、自衛隊による武力行使で誰かが殺害されることもなかった。

 延べ3900人に及んだ派遣隊員の無事の帰還は喜ぶべきことだが、1992年施行の国際平和協力法に基づいて自衛隊を国連PKOに派遣するようになって以降、今回の南スーダンへの派遣ほど、日本の国際協力の限界と問題点が浮き彫りになった任務はなかった。

PKO参加5原則

 日本の「PKO参加5原則」の一つである「紛争当事者間の停戦合意の成立」が崩れている現実を認めてしまうと、自衛隊を撤収せざるを得なくなる。だが、世界各国から南スーダンPKOに派遣されている部隊の目の前で、日本の自衛隊だけが尻尾を巻いて逃げ帰ることは現実にはできない。だから政府は、戦闘がどれほど激化しようと、内戦の存在自体を認めず、「戦闘」を「衝突」と言い換え、現地の部隊が「戦闘」の様子を記述していた日報の改竄や隠蔽の疑いまで浮上した。

 こうした「詭弁」や「虚偽」の根源を突き詰めると、世界標準を無視した日本の自衛隊派遣・運用基準の問題に行き当たる。

 国連PKOの起源は、1948年の国連パレスチナ休戦監視機構という小規模な軍事監視団である。その後、56年の第二次中東戦争(スエズ動乱)の際に、国連緊急軍(UNEF)という一定規模のPKO部隊が編成され、停戦監視のための軍事パトロールが実施された。

 92年の国際平和協力法成立時点で日本政府が想定した国連PKOとは、このような停戦合意した紛争当事者を監視する「伝統的なPKO」であった。「伝統的なPKO」では、そもそも国連が「紛争当事者の停戦合意」「紛争当事者の受け入れ同意」「中立性」などを基本原則としており、日本政府は「参加5原則」で、国連の基本原則を踏襲したのだ。

 ところが、90年代初頭から、各地の紛争の形態は劇的に変化し、「伝統的なPKO」では対応できない事例が激増した。その一つが、アフリカのルワンダで、政府と反政府勢力が戦ったルワンダ内戦(1990─94年)だった。94年4月、停戦監視のためにルワンダに駐留していたPKOの目の前で、政権主導の大量虐殺が始まったのである。だが、「中立」の原則に固執した国連は紛争当事者になることを恐れ、武力行使を躊躇しているうちに、結果的に約3カ月で推定80100万人の市民が虐殺された。

 コンゴ民主共和国やシエラレオネなどの内戦で、紛争当事者が非国家主体(武装勢力)となったことも、「伝統的なPKO」の限界を浮き彫りにした。離合集散を繰り返す武装勢力が相手では、「PKO受け入れの同意」を取り付けることは事実上不可能だ。

 「同意」にこだわり続ければ部隊を投入できず、虐殺をとめることはできない。このように紛争当事者が「国家(政府)」であることを前提に構築された「伝統的なPKO」は、非国家主体(武装組織やテロ集団)が中心的アクターとなる新しい武力紛争を前にして、急激に無力化していったのである。

世界の現実からかけ離れている

 国連はこうした紛争形態の変化を受け、90年代後半から10年近くかけて、新たなPKOの在り方について検討を重ねてきた。その詳細を記す紙幅はないが、現在のPKOは、国連PKO局が2008年1月に作成した包括的政策文書「国連平和維持活動 原則と指針」(通称・キャップストーン・ドクトリン)に基づいて運用されている。

 このキャップストーン・ドクトリンでは、「紛争当事者の受け入れ同意」や「PKOの公平性」を基本原則としたうえで、必ずしも全ての紛争当事者の同意が必要なわけではないことや、中立に固執するあまりPKOが止まってはならないことなどが強調され、かつての「伝統的なPKO」とは大きく異なる「戦うPKO」を打ち出している。

 完璧なPKOなど存在するはずもなく、国連も多くの過ちを犯しながら、新しい紛争に対応しようと試行錯誤を繰り返してきた。そうした中で、日本の国連PKOへの関わり方は、自衛隊員の練度や規律の面では世界最高水準にあるものの、制度設計の点では、いまや世界の現実からはかけ離れており、「ガラパゴスPKO」とでも呼ぶほかない。

 つまり、こういうことだろう。日本は南スーダンの現実とも国連の基準ともかけ離れた4半世紀前の「原則」に基づいて自衛隊を派遣した。そして案の定、昔の「原則」が通用しない現実に遭遇したが、「原則」を見直す余裕はないので、詭弁や偽りで綻びを繕い、急場を凌ぎ、犠牲者が出る前に何とか自衛隊を戻した──。「積極的平和主義」を掲げる国のPKO政策がこれでよいのだろうか。立命館大学教授

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