京都における鴨川の存在感

森見 そこは自分で言うのもなんだけど、得なところでした。京都の大学生であることを言い訳にして、大学生の生活をだいぶ古臭く書いたわけです。そうすると、賞味期限がちょっと長くなる。しかも京都は風景、場所が変わらないですよね。最先端の場所を小説に書くと、20年経ったらそこ自体がなくなっているかもしれない。

 京都は通りの名前もそのままだし、鴨川や神社などもみんなそこにあります。発表してから時間が経っても、小説を読んだときに現時点の京都とそこまで変わらずに読める。それは意識していなかったけど、確かにありがたいことです。

中井 だいたい残っていますもんね。

森見 そうなんです。鴨川がなくなったりしたら、たいへんなことです(笑)。

中井 鴨川の存在感は、森見さんの作品によってグッと上がりましたよね。京都に住んでいる人間からすると、「とりあえず鴨川行って飲み直そうか」という感じの無料の三次会会場みたいなところだし、等間隔にカップルが並ぶことが有名になっているようにカップルが語らう場所でもある。そういう鴨川の魅力を他の街の人からもう一度掘り起こされた感じがします。「鴨川デルタ(鴨川と高野川が合流する地点)を案内してほしい」と言われることが増えました。

森見 僕自身は、学部生の頃は北白川の山のうえに住んでいたから、鴨川まではだいぶ遠かったのであまり行く機会はなかったんです。それが大学院に入ったときに鴨川の西側に引っ越してからは身近になりました。『太陽の塔』でデビューした頃ですね。毎日、自転車で鴨川を渡って大学に通っていて、だんだん鴨川が好きになってきた。それで『四畳半神話大系』では鴨川を出したんです。

中井 京都で暮らすときに、鴨川の存在は大きいですよね。東京をはじめ他の都市ではなかなか鴨川に相応する川は見当たりません。京都にしかあり得ないものは神社仏閣などだけではなく、鴨川かもしれないとも思います。都市の繁華なエリアに流れているし、生活との距離も近い。それにタダで飲んでいても誰も文句を言わない(笑)。

 ただ、僕は鴨川の掃除をしている団体の方と話をしたことがありますが、「鴨川の掃除だけでいくらかかっていると思ってますの」と釘を刺されました(笑)。みんながのんびり遊べる空間を維持するために実はたいへんな労力とお金がかかっていて、「そういう努力もちゃんと汲み上げてください」と言われました。そんなふうに身銭を切ってでも鴨川を綺麗に保つのは、京都の人たちの心意気なのでしょう。

 京都がモラトリアムが許される場所なのだとすると、鴨川は象徴的な場所だなとも思います。川は昔から統治権力の及ばない無縁の地とすることが伝統としてあるといいますしね。

 鴨川の流れは変わりませんが、最近の京都の変化について森見さんから見て何か思うところはありますか。

 

カラフルになった錦市場をどう考える?

森見 自分が変わったのかもしれないから、その変化はいまいちよくわからないなと思っているんです。

中井 自分の感じるところや目をつけるところも変わってきますよね。

森見 よく思うけど、いま大学の周りに久しぶりに行ってみたとしても、やはり学生の頃に感じていた奥行きとは違うんですよね。狭い範囲にいたのに、学生の頃はすごく広く感じられていました。それが今はそこまでの広さを感じられない。

 それは自分の妄想力が衰えたからかもしれないし、逆に学生の頃は何も知らないから、いろいろ妄想できたのかもしれない。だから街が変わったのか、自分の感じ方が変わったのかを区別して考えるのは難しいなと思います。

中井 なるほど。

森見 さすがに20年も経っているから、街自体も変わっていますよね。僕らが学生になったばかりの頃は、錦市場はもっと「市場」っていう感じがした。ちなみに、うちの父親は学生の頃にあそこの八百屋でバイトしていたそうです。

中井 確かに錦市場は近所のおばちゃんたちが買い物に来るところでしたよね。

森見 地元の京都の人が買いに来ていて、観光客相手のお店の割合が明らかに少なかった。もっと古い市場の感じ、昭和の感じというかね。

中井 売っているものがもっと茶色っぽかった。

森見 そうそうそう(笑)。そんなにカラフルなものは売っていなかった。年末になったら棒鱈なんかを売っているところで、観光資源という感じではなかった。でも同じように、京都の街全体が綺麗になっていて、何か怪しいものが少なくなってきた気はします。

中井 立ち止まって、これは何だろうと考えるポイントは減っているのかもしれない。

森見 まぁ僕などは部外者なわけなので、街にいつまでも怪しい場所があってほしいと願うのは、勝手な話じゃないですか。住んでいる人たちは、新しくしていきたいと考えているかもしれないし、そこは軽々しく言えることではない。

中井 そうした京都の変化は作品に反映されていると感じますか?

森見 結局、日常が大事なので、何を日常とするかによって変わるのだと思います。今の錦市場を日常と思えるのかと言えば、それはちょっと違うかなと感じています。別にしょっちゅう買い物をしていたわけではないんです。たまにウナギの肝なんかを買って食っていただけで、そんなに錦を活用していたわけではない。けれども、錦市場は自分の日常の外側に京都の人たちの日常の生活があることを実感できる場所でした。それが観光地的なものに置き換えられていった気がします。自分の妄想が湧き出してくる場所ではなくなってきている。

 観光客向けの今の錦と、棒鱈が売られていた昔の錦だったら、いきなり天狗が出てきたときのおもしろさや説得力はまったく違う気がします。観光という非日常のなかに非日常が出てきても、それを支えきれないと思うんです。ただ、錦市場の変化はお客さんがあってのことだから仕方がない。

中井 それはそうですね。商売ですからね。

 

作家の妄想筋は日常が鍛える

森見 だから僕が言える立場ではないんですが、京都のお寺にしても街なみにしても、そこで暮らしている人たちの日常が支えているわけじゃないですか。そこが弱っていくと、京都の魅力も損なわれていく本末転倒なことになりかねないですよね。日常が別のものに少しずつ置き換わってくる怖さや不安はある。

中井 いま京都は人口流出数が全国の市区町村でもワースト1位なんですよね。観光という花にばかり栄養を与え過ぎて、それを支えている根っ子とも言える日常が弱っていると言えるのかもしれません。

森見 自分が小説を書いていても、妄想力が衰退するのは日常感が衰退することと裏腹だと実感するんです。

中井 妄想筋の足腰が弱ってきている。

森見 そうそう。妄想が受けていると思って妄想ばかりしていたら、日常の部分がなくなっていって、妄想そのものが枯れていく。

中井 今の森見さんは、妄想の下支えをする日常感をどうやって満たしているのでしょうか。創作や執筆が日常になってしまわれていると思うのですが……。

森見 だからすごくヤバいです。もう数年そう思っていますが、何もしていないです(笑)。正直だいぶ行き詰まっている。

中井 過去のインタビューを読んでいると、毎回「行き詰まっています」と言っていますよね(笑)。

 作家として独立される前は国立国会図書館に勤務されていましたが、日常は変化されましたか? 「作家の日常」は普通の社会人とはずいぶん違うように思えますが。

森見 最初はすごく不安でした。図書館を辞めるときは怖かったですね。退職する前に小石川に仕事場を借りておいて、図書館を退職した次の日からその仕事場に出勤して執筆していました。だから、空白期間がないんですよ。

中井 休憩しようとは考えなかった?

森見 あいだが空くのは不安でしたね。それにあのときは忙しすぎて、とても休憩できなかった。でも、その後に仕事を抱え過ぎてパンクして、連載をいったんすべて止めることになりました。巨大な非日常がバカンスみたいな感じでボーンときたんです。けれども何もできないバカンスでした。

 確かに小説家という職業は日常感が持ちにくいですよね。他の人との関わりが減ることは、他の人の日常との繋がりが減ることですから、良くないなと思います。

中井 作家は人と会わなくなるんですね。

森見 たくさん会う人もいるでしょうが、僕は奈良に住んでいるし、関西に知り合いがあまりいないんです。図書館勤務時代の同僚や編集者も東京にいますからね。毎月一回、京都の仕事場で大学の先輩と飲むのが一番長く人としゃべるときです。あとはほとんど妻としかしゃべらない。日常感という意味では物足りないかもしれません。

中井 社交というか社会生活が足りていない。

森見 そういう意味では、図書館に勤めていたときのほうが、日常感がありました。ただ、しんどかったからあの頃に戻りたいとは思わないんだけど(笑)。

中井 みんなでレンタルオフィスを借りて、机を並べて毎日出勤して執筆するシステムにしたらいいのではないか、という話をある作家から聞いたこともあります。

森見 なるほどね。だんだん会社みたいになってくる。

中井 9時に来て、小説を書いて5時に帰るみたいな(笑)。

森見 小説は勢いでは書けないから、本当にコツコツやらなければ仕上がらないんです。気が合う人同士だったらいいかもしれない。でも作家ばかりが集まっているのは、日常感としてはまだ物足りないな。一人でやるよりはマシかもしれないけど。

中井 森見さんにとって日常感はそれだけ重要なのですね。

 

団塊世代と団塊ジュニアの関係性

中井 最後に団塊世代と団塊ジュニアの関係性について少し考えてみたいと思います。お伺いしにくいところもありますが、森見さんのご両親は作家として生計を立てることを応援されていましたか?

森見 母親には励まされて、父親からは「そんなものを書いていたって食べていけないぞ」と反対されていましたね。典型的なサラリーマン家庭で、母親が専業主婦という感じだったから。

中井 うちも僕が「大学院に行く」と言ったら、父は困惑して、母は「次男やから好きなことしたらええ」みたいな感じでした。団塊世代と団塊ジュニアの話が食い違うポイントは、家族のあり方や仕事観など、ライフステージをめぐる話ですよね。「男は卒業したら就職するもんや。それで一家の大黒柱になるんや」みたいな昭和的な価値観が、僕たちの育った時代にはまだ色濃く残っていたわけです。

 ところが就職氷河期が到来して、それが難しい社会になった。別に僕たちの意識が変わったからそのような選択をしたというわけではなくて、否応なく就職できなかったり、結婚できなかったりした。それを期待していた親たちの願いを叶えられなかったという経験をしたのが、団塊ジュニアの世代だと言えるかもしれません。

森見 大人に辿り着いたときには、小さい頃にはあった明るい未来のイメージが蒸発して、風景がまったく変わっていて「あれれ?」みたいな感じはありました。

中井 確かにそうですね。一家の大黒柱ではない大人の自分を子どもの頃には想像していなかった。

森見 世代について考えるとよく思うのですが、どうしても自分、両親、祖父母の世代で日本を見てしまうところがあって、他が見えにくいとは感じています。祖父などは戦争で満州に行って負けて帰ってきた世代で、父親は大学闘争があった団塊の世代ですが、日本という国を何となくそのポイントで捉えてしまうところがある。

中井 飛び石的に見てしまうわけですね。

森見 そのあいだにもいろいろな人たちがいるのに、どうしても自分の身内を通して歴史を見てしまう。父の世代の「こうあらねばならぬ」という価値観に「いや、そうじゃない」と思いながらも完全には否定できない。

中井 就職氷河期と言われている世代の上は、新人類やバブル世代ですよね。でも、彼らから何か影響を受けたかと言えば、じつは団塊世代からの影響のほうが大きいかもしれません。やはり、親の影響は大きい。

森見 確かに少し上の世代のことは想像しにくいですね。彼らからバブルのときの断片的な話を聞いたとしても、その人たちがどう感じていたのかを理解するのはなかなか難しい。

中井 小さい頃からの刷り込みがあるから、世代としては離れていても父の世代のほうがよくわかる。

森見 そうですね。小説家はまともな仕事ではないのではないか、といったモヤモヤした気持ちがどこかにある。それは父親が反対していたからで、僕のなかでは未だに決着がつかないところがあります。

 

氷河期世代は団塊世代のいい息子やいい娘たち

中井 二葉亭四迷の時代は、小説家は不良の仕事だとされていましたが、それと似ていますね。

森見 父のなかでは小説というのは、夏目漱石とかトルストイのような大文学みたいな感じになっているんです。今では父も応援してくれていますが、自分のなかでは「父のそのイメージ」が強過ぎて……。

中井 なるほど。現実の父親とはもう和解できているんだけども、イメージとして自分の中に内面化された父親との和解が難しいわけですね。

森見 自分の仕事に対して何か父から言われたときにカチンとくる感じが、もはやその現実の父に腹を立てているのではなくて、その向こう側にいる幻想の父親と闘っている感じ。本来、自分は父のようにならなければならなかったのに、その期待をすべてよけて小説家になったという意識が抜けない。

 うちは、祖父も科学者で、父も工学部を出ていたから、「お前も理系に行け」と言われて育ちました。それで農学部に行って大学院にも進みました。「博士課程まで行くべきだ」と言われていたけど、まあ研究には向いていないと思って、国立国会図書館に就職したんです。そして今度はそれも辞めて、小説家専業になった。だから、父が言っていた方向とは、どんどん真逆へ行ったわけです。小説家として評価されるようになってからも、そのことにまだモヤモヤしている。

中井 我々と次の世代との違いを考えると、ジェンダー観が急速に変わっていることを実感します。下の世代と話しているともうすごくフラットに男女関係を考えていたりします。おそらく我々は、昭和の男女観の薫陶を受けた最後の世代になるかと思います。人生観にしても、一家の大黒柱たるべきといった価値観にまだ影響されている。

 僕自身も比較的リベラルな立場でジェンダーの本を書いている一方で、自分が結婚することになったときに一番何が気になったかと言えば、ずっとフラフラしていた僕よりも妻のほうがきちんと稼いでいた人だったということでした。もっと下の世代であれば、二人合わせて食っていけるならいいじゃん、とすんなり言えているかもしれません。自分にもこんな古風なところがあるのだと気づかされました。

森見 そういうところがありますね。

中井 普段はちゃらんぽらんに生きているつもりなのに、人生の節目になると幻想の父親が立ち上がってくる。

森見 自分はそこから逃げたはずなのに、ひどくこだわっている。

中井 だからそう考えると、氷河期世代は、割と団塊世代のいい息子やいい娘たちだったんじゃないかなと思うんです。親の言うことを割ときちんと聞いてきた。

森見 そうそう。

中井 だからこそ、不本意ながらも親から受け継いでしまった理想を実現することが難しい社会になったことで、我々の世代は息苦しくなっているところがありますね。

森見 僕たちの親世代が育った時代は、もっと社会がぐちゃぐちゃしていたから、いろいろな隙間があった。そこまで「家庭」というものが閉じていなかった。でも我々の世代になると、個々の家庭空間は何かすごくきつくて、親から植え付けられた理想像を振り払うのにかなり労力が要るように思う。

中井 我々の世代は、核家族のなかで囲い込まれるようにして育った人が多いですよね。そういう意味では、親とは違う生き方をしていても実は親の影響を強く受けている。

森見 僕も最初はそういうことをまったく思わなかったけど、結婚して妻の側の育ってきた家庭を知ると、うちとは違うのだなと実感します。そして、その違いが妻に影響を与えたこともよく見えてくる。翻って見ると、自分の家は自分の家でいびつなわけ。当然だと思っていたことが、そうでもないとわかってくる。父親と母親がよかれと思ってやっていても、どうしたってそれは偏りますよね。それは人間なのだから仕方がない。

 おそらくどこの家もそういうことが大きく子どもに影響している。だから、親の世代よりもずっと強く、我々はおそらく父親、母親の理想像を内面化しているのだと思います。

中井 これまで氷河期世代は不遇の世代として自分が生き残るだけで手一杯でした。しかし、そのように古い価値観を内面化したまま新しい時代を生きてきたという意味では、本当は日本社会のあり方が大きく変わるときに生まれた断絶を繋ぎとめる橋渡し役となるべき世代だったのかもしれませんね。それが私たちの最後の宿題かもしれません。

(終)

 

 

森見登美彦/

作家

もりみ とみひこ:1979年奈良県出身。京都大学大学院修士課程修了。在学中の2003年に『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。大学院修了後は国立国会図書館に勤務し、作家業を兼務する。10年から作家として独立。『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞を受賞。『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞。ほかの著書に『四畳半神話大系』『有頂天家族』『美女と竹林』『太陽と乙女』『熱帯』など多数。

中井治郎/

文教大学国際学部国際観光学科専任講師

なかい じろう:1977年大阪府出身。龍谷大学大学院博士課程修了。龍谷大学非常勤講師等を経て、2023年4月より現職。専攻は観光社会学。宗教と観光、伝統の創造とナショナリズム・グローバル化等の研究を踏まえ、京都を中心に観光公害やオーバーツーリズム問題などを通して観光と地域社会の共生、地域文化や文化遺産の観光資源化などを研究。著書に『パンクする京都──オーバーツーリズムと戦う観光都市』『日本のふしぎな夫婦同姓−−社会学者、妻の姓を選ぶ』『観光は滅びない──99・9%減からの復活が京都からはじまる』など。

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