報復の連鎖を断ち切ることはできるか

阿部 最後に、今回の衝突やパレスチナ問題の今後についてですが、短期的には、イスラエルによる地上侵攻を回避するための自制や国際社会との対話が最後まで続けられることに希望を持ちたいと思います。ただし、本日10月25日からこの鼎談が公表されるまでの間にも、何が起きるかは予断を許しませんし、仮に地上侵攻が始まってそれが長期化した場合には、ガザ地区は想像も付かない深刻な事態に陥ることは明らかです。

 パレスチナの人たちは、今回の事態を「ジェノサイド」や「第二のナクバ」という言葉で表現しています。ナクバというのは「大惨事」を意味するアラビア語で、パレスチナでは、1948年にイスラエルが建国されたときに70万人ものパレスチナ難民が発生したことを指します。「ナクバ」はパレスチナ人にとっては非常に大きな意味を持ちます。今回も、第二のナクバを引き起こすほどの大惨事になることに彼らは危機感を持っていて、その心理的な恐れは非常に大きいと思います。

 一方イスラエルの人たちにとっても、これだけ多くの犠牲者や人質を出した今回の一件は、今後も人々の記憶に残り続けると思います。イスラエル人たちの心理にも大きな恐怖を植え付けたという点でも重大な出来事だと言えます。

 中長期的に考えると、パレスチナ問題解決のために長年取り組んできた2国家解決のための和平交渉は、残念ながら今回の一件でさらに遠のいたと言わざるを得ません。平和的解決のためには、仮に少数であっても和平を望む人がパレスチナとイスラエルの双方にいることが必要ですが、今回の衝突で双方に多くの犠牲者を出してしまったことで、その可能性を遠ざけたと言えます。

 和平交渉には中立的な立場の仲介者が必要ですが、これまでの和平交渉で大きな役割を担ってきたアメリカの中立性は弱まりました。また、国連による紛争調停も機能していません。国連安保理の議論でも意見が一致しない状況が続いています。アメリカがイスラエルの立場を擁護するのはこれまでの慣例で、今回もその通りですが、ウクライナ紛争の影響で常任理事国の意見が対立し、それが今回の件にも波及しています。

池田 「脅威」という概念は、「意図」と「能力」の関数です。ハマスがイデオロギーである限り意図というのはなくならないので、イスラエルは軍事インフラを壊滅させてハマスの能力を剝奪しようとしていますが、これは数万単位でガザ地区に犠牲が出ることを意味します。ただ、意図がなくならない限り今後もハマスは軍事インフラを再建していくと思うので、再建されるたびにイスラエルは攻撃を繰り返すことになる。この報復の連鎖を断ち切るということは、残念ながら現時点では極めて難しいと言わざるを得ません。

 オスロ合意以降、イスラエルとパレスチナ自治政府の間で和平交渉が進められてきましたが、それにNOを突き付けたのがハマスです。ハマスは、イスラエルという国家の存在を認めないことを憲章で掲げています。これをイスラエルが受け入れられるはずもないので、両者の和平には悲観的にならざるを得ないと思います。

鈴木 双方が、相手から受けた被害を理由にして戦っている点で、現状は暴力を断ち切ることのできない絶望的な状況だと思います。ただ、現在戦っている両者が対等でないという点は、公平な立場から考えなければいけません。イスラエルという国家に対して、パレスチナという非国家が対峙している。これが第四次中東戦争以降、アラブ諸国がイスラエルと戦争をしなくなって以降のパレスチナ問題の構図です。10月7日に行われた攻撃に対して非難するのはもちろん重要ですが、パレスチナの社会について、国際的に改めて目を向けていく必要があると思います。

 いま日本の世論では、イスラエルの地上侵攻が行われるかどうかに非常に関心が集まっていますが、たとえ地上侵攻がなかったとしても、それは停戦状態を意味しません。今の状況が続けば、ガザ地区では1日当たり200人から400人の死者が出続けることになります。今現在も人道上の危機が起きているガザ地区のことを考えると、一刻も早く事態が収拾することを願うばかりですが、長年イスラエル政治を研究されてきた池田先生から見て、今後イスラエルはどのような作戦に出ると思われますか?

池田 政治的な戦略は予測できませんが、軍事的には、現時点でイスラエルは36万の予備役を招集しています。もちろん北方や西岸にも警戒が必要ですから、予備役全員ではないにしても、最大で半数程度のかなり大きな兵力をガザ地区に投入することになります。

 ただ、先ほど申し上げたように、予備役を長期間戦場に張り付けることはできません。これまでは最長でも50日程度の作戦でした(2014年のガザ侵攻)。おそらく今回の作戦はそれよりは長くなると思いますが、1年も続くような長期戦にはならないと考えます。そして最初の2、3カ月で、ガザ地区の軍事インフラの要である地下トンネルのネットワークの破壊に兵力を集中させることになるのだと思います。

 

日本や国際社会に求められる対応

阿部 現在直面している大きな問題は、正式な国家が存在しないパレスチナで大規模な人道危機が発生しているということです。鈴木先生もおっしゃったように、今約220万人のガザ地区の市民が人道危機に直面しています。本来は国家が果たすべき、人々を保護する責任を誰が果たすのかという問題が今問われています。それがパレスチナ自治政府なのか、あるいはガザ地区を実効統治する機関なのか、それとも国際社会なのか。この点はきちんと議論していくべきだと思います。

池田 ガザ地区は今、非常に変則的なかたちでハマスの実効支配下にありますが、国際法的に考えればイスラエルの占領地であることに変わりありません。占領支配を行っている国は、占領地の住民に対して一定程度の民生上その他の保護を与えなければならないというのが通常の理解です。そういう意味では、先ほど鈴木先生もおっしゃっていた「ガザ地区に対するイスラエルの責任を果たさないかたちにしたい」といったイスラエルのガラント国防大臣の発言は、国際社会から厳しく問われるべきだと思います。

 ただ、軍事的な局面が一段落して人道復興支援という段階に入った際には、現実的に考えると、国連その他の国際社会が第一に関わっていかざるを得ないと思いますし、そこでは日本も当然応分の負担をすることを求められると思います。

鈴木 日本は1993年のオスロ合意以降、イスラエル・パレスチナ双方と公のかたちで関係を取り持ってきましたが、今回改めて両国との今後の関わり方を考え直さなければなりません。

 日本の歴代首相は、オスロ合意以前にはイスラエルを訪問しておらず、1995年に村山富市首相が訪問したのが初めてです。当時、重要閣僚のイスラエル訪問はほとんど例がありませんでした。しかしその後は、積極的にイスラエル・パレスチナ両社会を訪問し関係を深めていて、特に2010年代に入ってからは、第二次安倍政権下でイスラエルとの経済的な連携を強めました。両社会に、もう第三者ではないかたちで関わり始めている日本は、オスロ合意以降この30年の間で最悪の出来事が起きている現状を、深刻に捉えなければなりません。

 オスロ合意以降の暴力的な衝突としては、2000年代から始まった第二次インティファーダ(アルアクサ・インティファーダ)があります。イスラエルの都市部でパレスチナ人による自爆攻撃(自爆テロ)が頻発し、イスラエルの民間人を含めた犠牲者は1000人に到達。また、イスラエル軍の攻撃により、パレスチナ人の犠牲者はヨルダン川西岸地区、ガザ地区合わせて4000人に上りました。ただし、これは3年から4年かけて起きた出来事です。今回は、この2週間ほどの間に当時の死者数を超えていて、これまでの中東和平の枠組みや日本の対中東和平外交に大きな課題を突き付ける事態となっています。

 今回の日本の立場としては、全当事者に対して自制を求めるということにとどまっていて、姿勢が曖昧だという批判も出ています。ただ、中東地域の日本の在外公館や、駐在・留学をしている日本人の安全を考えると、 他の欧米諸国と同じようにイスラエルの自衛権を支持する姿勢を取った際のリスクも指摘されていて、日本の外交としてはなかなか難しい判断を迫られていると思います。

 中東和平外交において、日本は「関係者との政治対話」「当事者間の信頼醸成」「パレスチナ人への経済的支援」という三原則を掲げていますが、特に「パレスチナ人への経済的支援」という原則について、日本は今後どう考えていくべきか。長らく現地で支援活動をされている阿部先生は、どのようにお考えでしょうか?

阿部 オスロ合意とともに和平交渉が始まった当時は、イスラエルとパレスチナの対話や信頼醸成を進めながら、国際社会がパレスチナの経済開発を支援するという理念がありました。しかし和平交渉が停滞してからは、経済開発を対話や信頼醸成に優先せざるを得ない状況が続いています。

 今回の事態で改めて浮き彫りになったのは、ガザ地区の経済や社会がイスラエルに依存していて、イスラエルとの関係なしには成り立たないということではないでしょうか。ガザ地区は2005年以来、イスラエルから一方的に分離されてきたという現実がありますが、今後現在の衝突が収束した後は、どのようにしてパレスチナ自治区を発展させていくかを真剣に考えなくてはならないと思います。まずは、今直面している人道危機からの脱却に向けた今後の支援のあり方を、日本を含めた国際社会は考える必要があるのではないでしょうか。

(終)

池田明史/東洋英和女学院大学

学事顧問

 

いけだ あきふみ:1955年生まれ。東北大学法学部卒。アジア経済研究所、イスラエル・ヘブライ大学トルーマン記念平和研究所客員研究員、東洋英和女学院大学教授、同学長などを経て、2023年より現職。著書に『中東』(共著)、『イスラエルを知るための62章』(共著)など。

阿部俊哉/

東京大学先端科学技術研究

センター客員研究員

 

あべ としや:1968年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究学科国際政治学専攻修了。国際協力事業団(現・国際協力機構)入構。国連難民高等弁務官事務所上級開発担当官、パレスチナ事務所長などを経て、評価部長。2023年より現職。著書に『パレスチナ─紛争と最終的地位問題の歴史─』がある。

鈴木啓之/東京大学中東地域研究センター特任准教授

 

すずき ひろゆき:1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員PD、同海外特別研究員などを経て、2019年より現職。著書に『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ1967-1993』など。

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