『公研』2023年11月号「緊急対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。
10月7日、ハマスのイスラエル攻撃により始まった衝突は、
いまだ収束する気配を見せていない。
なぜハマスは大規模攻撃という決断に至ったのか。
報復の連鎖を断ち切ることはできないのだろうか。
東洋英和女学院大学学事顧問 池田明史
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東京大学先端科学技術研究センター客員研究員 阿部俊哉
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東京大学中東地域研究センター特任准教授 鈴木啓之
かつてない人道危機
阿部 10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが、イスラエルへの大規模攻撃を仕掛けたことで始まった戦いは、2週間以上が経った10月25日現在も収束する気配を見せていません。本日は「繰り返されるハマス・イスラエル衝突──報復の連鎖に潜むパレスチナ問題」というテーマについて、長年パレスチナに関わってきた一個人として考えを述べたいと思います。
まず現状の確認ですが、今回の衝突はかつてないレベルに達していて、過去に起きた衝突の規模を完全に超えていることは間違いありません。現時点で、イスラエルの犠牲者が約1400人、人質が220人以上、そしてパレスチナでは5000人以上の方が亡くなり、前例のない規模の深刻な人道危機がすでに起きてしまっている状況です。
ガザ地区北部の住民がイスラエルの退避勧告に従って一斉に南部へ移動することは、現実的に困難です。ガザ地区は非常に人口密度が高く約220万人の市民が住んでいますが、すでに彼らが住んでいたビルや民家の多くは破壊されています。避難先となる南部には彼らを収容できる住環境が整っていません。南部には2005年までイスラエルが入植していた場所がありますが、その入植地の跡地でも住環境は整っていないのです。
すでに多くのインフラが破壊されている中で、特に深刻なのが、電力・食糧・水の不足、そして医療への影響です。医療施設はすでに処理能力を超えていて、薬品も不足しています。さらに住居の問題も深刻です。中東といえば乾燥して温暖なイメージがあるかもしれませんが、ガザは11月後半からは雨期に入り、雨天や、ひどいときには嵐が続くこともあります。また気温も一気に下がります。電気がないと普通の生活を送ることはできません。その一番厳しい季節に軍事侵攻が本格化した場合は、今後ますます深刻化するインフラの破壊や資材不足が影響して、人々の状況はさらに困窮すると思います。これが今のガザ地区の状況です。
鈴木 「過去に起きた衝突の規模を完全に超えている」という言葉に同意します。実際のところ、過去の事例から今後の展開を推測することがますます難しくなっていると感じます。
かつて、2008年から09年、そして14年のガザ侵攻では、犠牲になったイスラエルの民間人は10人に満たない規模でした。ところが今回は、現時点で約1400人の方が亡くなっている。前代未聞の被害です。それに、イスラエル国内では、被害が一気に判明するのではなく徐々に明らかになったという点で、その衝撃はより大きかったのだと思います。最初の速報では犠牲者は40人ほどではないかと報道されていましたが、日を追うごとに徐々に被害が明らかになり、犠牲者の数は増え続け、現時点で約1400人に達してしまったというのがここ数週間の出来事でした。
また、イスラエルからガザ地区に取られた人質の数も現時点で200人から250人といわれていて、これもかつて例にない規模です。2006年にギルアド・シャリートという若いイスラエル兵士が人質に取られたことがありますが、2011年、イスラエルはこの一人の人質を解放するために、イスラエルが拘束していたパレスチナの囚人を1000人規模で釈放しました。今回の場合、同じ規模での交渉はまず不可能なので、イスラエル側としては何を交換条件にすれば人質が解放されるのか、前例からの判断ができない状況です。人質の中には外国籍の人、薬が必要な高齢者、治療が必要な怪我人も含まれるといわれていて、時間が経てば経つほど命に危険が及ぶ方もいます。今までにない事態という意味で、この人質の存在も、今後の見通しを難しくしている要因の一つです。
イスラエルは、2007年ごろからガザ地区に対して完全封鎖を行っていますが、完全封鎖下ではガザ地区から人が侵入してくることは想定しておらず、高度な迎撃システムで迫撃砲やロケット弾といった飛翔物に対してさえ対処していれば、ガザ地区は抑え込めるものだと考えていたはずです。
また、2020年ごろから、アラブ諸国とイスラエルとの間でアブラハム合意をはじめとする関係正常化の動きが出てきましたが、そこにはガザ地区だけでなくパレスチナ問題そのものを取り扱わないという、ある意味問題に蓋をしてきた状況がありました。そのように何年にもわたり触れずにきた問題の蓋が、非常に暴力的なかたちで開いてしまったのが今回起きたことだと考えています。
パレスチナに対するイスラエルの今後の対応について、イスラエルのガラント国防大臣は「ガザ地区に対するイスラエルの責任を果たさないかたちにしたい」と発言しています。この発言の意図はまだ不明なところはありますが、ガザ地区に対して封鎖ではない新たなかたちでの対応がなされる可能性があると推測され、先行きに非常に不安を与えるものだと指摘されています。
私は今まで、ガザ地区に対するイスラエルの包囲・空爆について、2008年から09年、14年の出来事と比較していましたが、今の状況は1982年のベイルート(レバノンの首都)侵攻と、ベイルートに対する包囲戦に近いのではないかと考え始め、将来の見通しを見直さなければと考えているところです。このときイスラエルは、ベイルートとレバノン南部を拠点としていたPLO(パレスチナ解放機構)に対し、地上部隊を含む実力行使に出てベイルートを包囲した上で、PLOの主力部隊を国外に追放しました。その後、イスラエルは南レバノンに、レバノン人から構成される南レバノン軍という傀儡組織を展開させ、緩衝地帯をつくりました。もしかすると、その規模での変化がガザ地区を舞台にして起きるかもしれないと危惧し始めているところです。
いずれにしても、今のイスラエルは、地上侵攻の準備が整っている状態だと言えます。部隊の展開状況、兵器の配備状況に加え、戦時内閣の形成という意思決定の枠組み、さらに国際社会に対しては、ガザ地区北部の住民に対して避難勧告を何度も行っていること。また、レバノンとの国境地帯であるイスラエル北部の住民に対して退去を通告することで、レバノンからの飛翔物による被害を最小限にとどめる準備もすでに整っています。
それにもかかわらず現時点でまだ地上侵攻を行っていないのは、おそらく人質交渉が若干の動きを見せていること、また外国籍の人質がいるために、外国政府、特に欧米諸国からの働きかけがあることで、政策的な判断が滞っているのではないかと考えています。ただ、イスラエルは約1400人の犠牲者に釣り合うだけの成果が得られていない状況の中、国内世論を考えると地上侵攻をやめるという判断は考えにくく、この先もガザ地区に対しての厳しい軍事行動は続くのだろうと見ています。
なぜ攻撃の兆候をつかめなかったのか
池田 私もお二人同様、今回の事態はこれまでの衝突とはスケール感が全く違うと思います。イスラエルはこれまでに何度もハマスからのロケット弾、ミサイル攻撃を受けていて、そのたびに報復をしてきましたが、ハマスの攻撃の数はせいぜい数十発~百発程度でした。イスラエルにとってのハマス対応は、数年に一度草刈りをするような、その程度の認識だったと思います。
では、以前から諜報能力に長けているといわれていたイスラエルが、なぜこのような大規模攻撃の兆候をつかめなかったのか。情報というのは、収集・分析・評価の三つがきちんと実行されることで初めて意味を持ちます。今回のイスラエルは、おそらくハマスの攻撃を示唆するような状況証拠は収集できていたのだとは思いますが、それを正しく分析・評価することができなかった。それはイスラエルが、次に起こり得る大きな衝突は、レバノンのヒズボラやシリアに展開しているイラン系の革命防衛隊などとの間で、北方で起こると考えて、警戒を北に向けていたからです。その分ハマスに対しての注意がおろそかになり、今回のような事態に陥ったということだと思います。
イスラエルにはこれまでに経験したことのない被害が出ていて、国際世論が何と言おうと今ハマスを壊滅・排除するのだという強い言葉遣いで、徹底的にハマスを攻撃する姿勢を見せています。しかし、ハマスというのは組織であると同時にイデオロギーでもあります。イデオロギーを壊滅させることは不可能ですから、ハマスを壊滅させるという言葉の意味は、実質的にはハマスの軍事的なインフラを壊滅させるという意味になります。
鈴木先生と同じく、私も過去に類例を求めようとすれば1982年のレバノン戦争(当時のイスラエル側呼称では「ガリリー平和作戦」)に行き当たるのではないかと思います。動員の規模や投入戦力の大きさは、過去のガザ地区での戦闘の比ではありません。レバノン戦争ではやはり激しい空爆が行われ、ベイルートを包囲した後に突入して、PLOを相手に白兵戦を展開しました。このときには、作戦期間が6月から8月まで丸々3カ月続きました。
イスラエル国防軍は、比較的少数の徴兵からなる常備軍に比して、数倍の兵力を擁する予備役が主力を構成しています。一旦緩急あれば、急速かつ大量に動員されるこれら予備役が戦場に投入されるまでの、いわば時間稼ぎが常備軍の役割です。同時に、男子だと21歳から50歳ないし兵種によっては55歳まで、女子でも21歳から結婚除隊までの間、予備役に編入されているわけですから、彼ら彼女らはイスラエルの生産年齢人口そのものです。これを長期にわたって戦場に張り付けておくことは、イスラエルの経済や社会が機能不全に陥ることを意味します。
したがって、イスラエルの軍事ドクトリン(戦闘教義)の第一は「短期決戦主義」ということになります。大兵力を投入しての初動打撃の局面は、レバノン戦争と同様の3カ月ぐらいが限界ではないかと考えられます。その後は、予備役のかなりの部分が動員解除・復員となって、残りの戦力でガザ地区に残るハマスの抵抗スポットを潰していくという展開になるでしょう。
もっとも、レバノン戦争と類比できるといっても、同じではありません。レバノン戦争当時は、イスラエルにはベイルート内外にキリスト教マロン派民兵(「ファランジスト」)という「友軍」が存在しており、これと共同してPLOを追い詰めたという経緯がありました。今回のガザ地区にはそのようなイスラエルと親和的な勢力はありません。また、PLOは国外からレバノンに入り込んだ武装集団でしたが、ハマスはガザ地区で生まれ育った運動体で、地付きの勢力という強みがあります。彼らを排除するといっても、PLOを退去させたようにはいかないでしょう。レバノン戦争の後は南レバノン軍という傀儡部隊を創出すると同時に、イスラエルは1985年から2000年まで自分たちの軍隊をレバノン南部に展開させて、イスラエル領との間に緩衝帯を構築していました。ガザ地区でそのような方策を採るとは思えません。
さらに、問題を複雑にしているのが人質の存在です。ハマスの軍事的なインフラの中で最も根幹的なものは地下トンネルのネットワークですが、人質もここに引っ張り込まれているだろうと推測されます。しかし、今回の攻撃に使用されたたくさんのロケット弾やミサイルもトンネルに備蓄されていたものなので、ハマスの軍事的なインフラを壊滅させるというのは、基本的にはこのトンネルのネットワークを潰すという意味になります。
そのための作戦はこれから展開されると思いますが、トンネルのような環境で戦をすると、より有利なのは迎撃するハマス側となります。自分たちがつくったネットワークですし、侵入してきたイスラエル兵を個別に狙い撃ちすることができるので、イスラエルがどのような作戦で臨むのかが今の大きな焦点になっていると思います。