ミリオンセラー『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』

──ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは74年の『スモーキン・ブギ』がヒットして、翌年の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』がミリオンセラーとなり一躍スターとなります。テレビやラジオあるいは街中で自分の音楽が流れてくるのはどういう気分ですか?

宇崎 横浜に住んでいるときに、パチンコ屋で『スモーキン・ブギ』が流れてきたのを聞いたときは「やったね」と思いました。すぐにメンバーに「おいおい、パチンコ屋で流れているんだよ」って電話しました。それから驚いたのは、銀座の三越で30分間のレコード即売ライブをやったときですね。三越の裏口から自分たちで楽器を搬入していたら、人がたくさん並んでいたんですよ。それを見ても自分たちのお客さんだとは思っていないわけ。「他にもアイドルかなんかが来ているのかな」とか言いながらセッティングをしていました。楽屋に下がって、いざライブの時間になってステージに上がったら、「わーっ」と人が押し寄せてくる。髪や袖を引っ張られたりして。自分たちの人気だと思っていないから、「うるせえな、バカ野郎!」とか言って払いのけたりしてね。

 『スモーキン・ブギ』をやったんですよ。そしたら、観客が「うあぁ!!」ってすごく盛り上がっている。その反応を目の当たりにしても「何だろう? あいつらおかしいのかな」なんて言っていました。ライブが終わった後にその場でレコードを売ってサイン会をやったら、誰も帰らないで何百枚もサインを書き続けることになった。生まれて初めてたくさんのサインを書いたんだけど、そのときに初めて「俺たちは売れている」ということに気付いたんですね。僕はそのときにはもう28歳になっていましたから、やっと売れたという気持ちでしたね。

──ダウン・タウン・ブギウギ・バンドはツナギにリーゼント、サングラスのスタイルで一世を風靡しますが、ロックが不良の音楽と受け止められていた時代背景を考えると、かなり挑発的なスタイルですよね。

宇崎 ロックバンドが世間ではほとんど認められていない時代だったし、テレビやラジオにも出させてもらえるポジションにいなかったですから、異色な連中が出てきたと思われていたことは間違いないと思います。それにテレビに呼ばれたときなどは、意図的に突っ張っていたんですよ。

 僕はアイドルの女の子を連れていたマネージャー時代は、本当に周囲にペコペコしていたんです。新人ばかりだったからね。テレビ局に行けば、ディレクターにきちんと挨拶して名前を覚えてもらうように徹底して教育していたんです。

 けれども、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドとしてテレビから出演依頼があったときは、メンバーたちには「向こうが出てほしいと呼んだのだから、ペコペコしなくていいからね」と言っていました。突っ張っているバンドのイメージを打ち出したほうが目立つし、周囲に強く印象付けることができる。だからテレビ局の廊下で、村田英雄さんや三波春夫さんのようなベテラン歌手と会っても「こちらからは挨拶しなくていいからな」とも言っていました。

 ディレクターの指示にしても、すべてを受け入れるようなことはしなかった。当時のテレビ番組には振付師がいたりして、オープニングでは大御所から新人まで同じような振り付けやポーズを取ることが求められたんです。俺らは、それも突っ張ねて生放送の本番ではポケットに手を突っ込んでいたりしていたんです。それで干されることもあったけど、それでも仕事はどんどん来たから、それでいいやと思っていました。

──突っ張ったイメージは戦略的なものだったのですね。

宇崎 世間は僕らのことを不良の集団だと思っていましたから、ライブをやると前列のほうは暴走族ばかりが押し寄せたんです。それがまた不良バンドのイメージを定着させることに繋がっていったみたいなんです。

──バンドは楽器の練習をしなければステージに立てないわけですから、今では不良というよりむしろ生真面目な印象になってきたと感じています。

宇崎 今のミュージシャンはものすごく練習しているし、一音も間違えない。「こういう音を出して」と言ったらそういう音を出す。パンクバンドなんかは、まだ昔の名残を留めているかもしれないけど、J−POPと呼ばれているような人たちは、ものすごく鍛錬していると思いますよ。それにみんな真面目だよね。世間もロックを音楽のジャンルの一つとして完全に受け入れるようになった。それはそれでこちらとしては、やりにくさを感じるようになっていったところはありましたね。

 

山口百恵からの依頼

──阿木燿子さんとのコンビで数々の名曲を世に送り出してきましたが、なかでも山口百恵さんに提供した一連のヒット曲は日本の芸能史に燦然と輝いています。何度も聞かれた質問だとは思うのですが、山口百恵さんのほうから宇崎さんに曲を書いてほしいというリクエストがあったという伝説は本当なのでしょうか?

宇崎 記者から「百恵さんがオーダーしたそうですね」と聞かされたことはあったけど、当時は知りませんでした。ソニーレコードのディレクターから依頼があったのが百恵さんとの最初の出会いだったんだけど、本人に会ってもそんなことは聞けないじゃない。けれども彼女が結婚して30年経ってから再会したときに「どうだったんですか?」と聞いたら、「その通りです」と。このときに初めて知ったんですけどね。

──ご自身のビジョンやスタイルが確立されていたのですね。アイドルというとつくられたものというイメージがありました。

宇崎 百恵さんはね、あの忙しさのなかで本当によく勉強していたと思います。ごく短い期間でしたが、一緒にラジオ番組をやっていたことがありました。素の百恵さんを見ていると、空いている時間はいつも本を読んでいたりするんですよね。世間話をしていたら、「さだまさしさんの『関白宣言』はおもしろい曲ですよね」と言っていたことがありました。そうしたら、突然さだまさしが『秋桜』を書いて大ヒットした。あの曲も百恵さんが希望したのだと僕は思っています。

 昨年亡くなった小田信吾さんという人がマネージャーだったんだけど、百恵さんの意見に素直に耳を傾ける方でした。彼女に要望があれば、よしわかった、声を掛けてみよう、といった関係ができあがっていたのだと思います。当時のアイドルとしてはとてもめずらしいことですよ。そういうマネージャーもいませんでしたし。

──百恵さんは結婚を契機にきっぱりと芸能界を引退されました。あれだけ売れていてよくすんなり辞めることができたなと不思議にも思います。

宇崎 百恵さんはまずは小田さんに打ち明けたのだと思います。百恵さんは、小田さんなら自分が言い出したら絶対にストップしない、ブレーキをかけないと信頼していたのでしょう。あのときは、小田さんと堀威夫さん(ホリプロ創業者)以外は、彼女の意思を知らない状況だったんじゃないですかね。

──若い頃のご著作を拝読しましたが、ヒット曲をどんどん世に送り出していた頃も金銭的にはそんなに儲かっていなかったとありました。

宇崎 僕はまだ30代になったばかりの頃だったから、音楽業界ではまだまだ駆け出しでした。簡単に言えば、印税にしても入ってくる額は取り分が少なかった。やはりベテランのほうが多いわけです。確かに当時は、もっとお金持ちになるはずだったとは思っていました。でも百恵さんに提供した楽曲は、今日に至るまで何度もコマーシャルに使われて、カラオケでも歌い継がれてきましたから、十分に稼ぐことができましたよ。

 

ステージ上の心境

──表現者としての宇崎さんについてお伺いしていきます。ステージに上がることを怖いと思ったことはないんですか。

宇崎 毎回怖いです。ライブが始まる前は5分間袖に立ってオープニングを待っているんだけど、そのときが一番ドキドキしていて、いつも「大丈夫だろうか」って自問している。でも、根が図々しいのか、ステージに一歩でも上がったらそういう不安は全部飛んじゃう。

 今ステージ上で心掛けているのは、正確に歌うことなんです。よく演歌なんかの場合は、心を込めて歌うという言われ方をしますよね。歌詞の感情に合わせて、強く歌ったり弱く歌ったり泣くように歌ったりする。自分も今までずっとそれをやってきたのだと思う。けれども、最近ではそういう自分の感情はすべて排除するようにしているんです。もう自分の気持ちを歌のなかには入れない。それよりも、正確に歌うことを心掛けている。受け止める人がその歌をどんな気持ちで聴いてくれるのかは、もう受け手の自由なんだと思うようになりました。プロデューサーは、「こう聴いてください」といった歌い方は「押し付けがましくてお客さんが引いてしまう」と指摘していましたが、その通りだなと思うようになった。だから、きちんと歌うことを心掛けている。

──ステージに立っているときは、素ではない?

宇崎 あれはなんだろうな。ステージに立った瞬間に素の木村修史(本名)ではなくて、やっぱり宇崎竜童になっているみたいですね。ただ、ステージ上の振る舞いは無意識に出てくるわけではなくて、例えば、間奏でギターを弾いているときには、次にやりたいと思っている振りなんかが思い付いて、それを身体に移していくように振る舞ったりしている。あれは何かもう習慣みたいになっている。

 レコーディングのときのほうがずっと意識的に歌っていますね。必ずミキサールームにはディレクターとプロデューサーの阿木燿子がいて聴いているし、見ているわけです。「もっとこうやって」といった指示があって、それに従って歌っている感じです。だから、あまり感情を伴った歌い方をすると「やり過ぎだ」とバッテンを出される。だから、レコーディングで歌うときもサラッとやることを意識していましたね。

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