『公研』2024年2月号「対話」

 

「資源小国」日本は世界のエネルギー環境の変化に常に影響を受けてきた。
その歴史を振り返ったうえで、エネルギー安全保障のあるべき姿を考える。

 

   ICEF運営委員長                放送大学准教授
    元IEA事務局長                 白鳥潤一郎
      田中伸男                      

 


たなか のぶお:1950年神奈川県生まれ。72年東京大学経済学部卒業後、翌年に通商産業省(現経済産業省)入省。経済産業研究所副所長、経済協力開発機構(OECD)科学技術産業局長などを経て、2007年から11年8月まで日本人初となる国際エネルギー機関(IEA)事務局長を務める。退任後は、日本エネルギー経済研究所特別顧問、笹川平和財団理事長、東京大学公共政策大学院連携研究部教授、日本原子力産業協会理事などを歴任。


しらとり じゅんいちろう:1983年静岡県生まれ。2006年慶應義塾大学法学部卒。13年同大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了。博士(法学)。日本学術振興会特別研究員、北海道大学大学院法学研究科講師、立教大学法学部助教などを経て18年より現職。著書に『「経済大国」日本の外交 エネルギー資源外交の形成1967~1974年』、共編著に『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ──藤井宏昭外交回想録』などがある。


 

規制ではなくイノベーションで気候変動に対応する

白鳥 本日は、「新時代を迎えるエネルギー環境 何が勝者と敗者を分かつのか?」と題して、2007年から11年まで日本人初のIEA(国際エネルギー機関)事務局長を務められた田中さんと日本のエネルギー環境の変化などについて、歴史を振り返りつつ議論したいと思います。

 田中さんは、現在はどのようなお仕事をされているのですか。

田中 今はもっぱらタナカグローバル株式会社という個人で立ち上げた会社で、アドバイス役としていろいろな会社の顧問を務めています。

 公のお仕事としては、ICEF(Innovation for Cool Earth Forum)という経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が立ち上げた組織の運営委員長も務めています。2014年にできたICEFは、昨年10月開催で10周年を迎えましたが、規制ではなくイノベーションで気候変動に対応するという趣旨で、国際的に議論する場を提供しています。例えば、昨年の会議では「核融合テクノロジー」を取り上げました。核融合は次世代の原子力利用で、フランスに建設中の核融合実験炉ITERなど国際的な研究開発プロジェクトも進んでいますが、最近は小型の商用核融合という新しいコンセプトも出てきています。アメリカなどは国を挙げて積極的にこの試みに支援しています。日本でも、経済安全保障担当の高市早苗大臣を中心にして動き始めていますよね。

 そのように、地球環境問題を日本だけで考えるのではなく、国際的にどう取り組んでいくかを議論する場を提供し、それを各国の政策に反映していただくのがICEFの役割です。

白鳥 どのような方が参加されているのですか。

田中 政府の方、学者の方、それから企業やNGOの方など世界80カ国・地域から2000人がいらっしゃって、それぞれの問題意識を提言いただいています。特に地球環境問題を考える上では、これからは女性の活躍が一層重要になるのではないかという議論があります。つまり地球環境に優しい企業は女性にも優しく、また女性が活躍している国には、地球環境に優しい政策があるというように、地球環境問題と女性の活躍には正の相関関係があると見られています。

 その因果関係は、どちらが先なのかは証明されていませんが、ICEFでもパネリストの半分は女性に担ってもらうようにしています。また、地球環境問題で今後影響を受けるのは若い世代なので、パネリストの中に必ず一人は若い専門家を入れるようにしています。

 

エネルギー安全保障の要諦は「多様化」にあり

白鳥 それでは議論に入ります。まず初めに、エネルギー安全保障の定義について考えてみたいと思います。もちろん「エネルギー安全保障」と一言で言っても、経産省が使う「S+3E」を始めいろいろな定義があります。あえてシンプルに言えば、「エネルギーを安価かつ安定的に供給できる状況を確保する」ということになると私は考えています。今も昔も気候変動への対応を含め環境への考慮が大切であることは当然で、それとは別個にエネルギー安全保障を捉える必要があります。ただ、状況によって安価であることが求められる時代があったり、今のように安定が強調されることもある。両者をどのように組み合わせるのかは難しい問題です。IEAの事務局長として実務に携わってこられた田中さんは、この点をどのようにお考えですか。

田中 安価と安定は重要なポイントです。当たり前ですが、エネルギー危機が起きるとエネルギーの値段は上がります。今回のロシアによるウクライナ侵攻の影響で、ロシアからのガスの供給が途絶えたためにガスの値段が上がり、それを補うために石油や石炭を使用すると、今度はそちらの値段も上がりました。もちろん、ガスを原料にしている電気の値段も上がるので、結果すべてのエネルギー価格が上がってしまいました。そうなると安定供給も難しくなるので、価格と安定供給はコインの裏表の関係と言えます。

 エネルギー問題は、どうしても国の安全保障と関わってきます。エネルギーがなくなると国の安定が保てなくなるので、エネルギーをめぐり戦争が起こるというのは歴史的な経緯です。日本も、アメリカから石油供給を止められたために、南方に侵攻せざるを得なかった歴史があります。

 そもそもエネルギー安全保障の一番重要なコンセプトを提言したのは、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルです。戦艦に使用するエネルギーを石炭から石油に転換したことは、彼の最大の功績の一つですが、当時のイギリスには石油がありませんでした。それを他国から輸入する際に、一国に集中するのはリスクが高いため「いろいろな国からいろいろなかたちで輸入することがエネルギー安全保障の要諦である」とチャーチルは提言しました。

 このチャーチルの考えは、今でも生きています。例えば、第一次石油危機後の1974年に設立されたIEAは当時、石油依存からできるだけ脱却するために、省エネを進めました。それと同時に、使用する石油については中東に依存しないよう輸入国の多様化を進め、エネルギー資源そのものも、ガスや石炭、原子力への多様化を進めていきました。

白鳥 チャーチルの提言は100年ほど前の話ですが、エネルギー安全保障の要諦が多様化にあるということは、100年経った今でも変わらないということですね。

田中 まったくその通りだと思います。

 

「資源小国」日本が生きる道

白鳥 日本が石油供給を止められて開戦に至ったという話はエピソード的によく引用されますが、そもそもなぜアメリカが石油を禁輸したのかということと併せて考える必要があると思います。泥沼化する日中戦争という背景がありますし、経済制裁の一種と考えればアメリカはむしろ失敗したとも言えます。それよりも重要なことは、戦前・戦中の日本にとって、石油はあくまで軍需物資だったということです。民需としての石油需要はほぼなく、当時のエネルギー自給率自体は意外と高かったのです。

 しかし1950年代から60年代初頭にかけて、エネルギーの主役が石炭から石油に転換する「エネルギー革命」の結果、日本は「資源小国」になりました。60年に約60%あったエネルギー自給率も70年には約15%まで低下します。その後20%程度まで持ち直したこともありましたが、それでも主要国の中では最低水準です。

 今後、日本で再生可能エネルギーの導入がさらに進んだとしても、少なくとも現在の技術を前提に考えると、状況はそれほど変わらないのではないかと思います。例えば、遠浅の海岸が限られ、連系線の整備も遅れているため、ヨーロッパと同じようには洋上風力を導入できませんし、地熱の利用にも限界があります。もちろんイノベーションによって状況が変わる可能性は常にありますが、残念ながら日本が資源小国から脱却することは難しいのではないか。

田中 戦前、エネルギー需要が小さい時代には木材資源からできる木炭で、エネルギー需要が増えた明治の産業革命以降も、国内で開発した石炭で賄うことができていました。しかし、戦後のエネルギー革命後には海外に依存する石油が本格的に使われるようになり、資源を国内で賄うことができなくなります。自動車に象徴される石油依存文化は経済成長を推し進めるのに一役買いましたが、同時に環境汚染を進行させ、エネルギー源の中東への依存度は高まりました。

 その結果、1973年に第一次石油危機が起こります。当時はアメリカが石油の最大の生産国で、アメリカからの石油輸出はピークを迎えていました。しかし、OPEC(石油輸出国機構)のメンバー国は、自分たちが団結すればエネルギー主導権を自ら握れると判断し、原油の供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを行います。それは当然、中東の安価な石油に依存していたアメリカにも多大なる影響を及ぼしました。アメリカの限界が明らかになったという意味では、歴史の一つの転換点でもありました。

 その後、石油依存から脱却するために、先進国中心に石炭やガスへのエネルギー転換を図ります。石炭には、石油のように供給源が一定地域に集中しておらず、比較的安価というメリットがあります。しかし、二酸化炭素を多く排出するために、使用を制限する動きが加速しました。今、世界は再び新たなエネルギーショックを受けているという状況です。

 一方、ガスは比較的地球環境に優しく、あちこちで産出されることから、世界でガスの取り合いが起こりました。先ほど言ったように、ロシアはパイプラインを使って大量のガスを安価にヨーロッパに供給し、特にドイツはそれによって産業の競争力を大きく高めました。したがって、ロシアからの供給が途絶えた今、ドイツはたいへん厳しい状況に陥っています。このように、エネルギーは戦争の道具にもなり得るのです。

 そのような状況の中、化石燃料を持たない資源小国日本が、エネルギー安全保障を高めるにはどうすればいいのか。左の図は私がよく説明に用いるマトリックスですが、縦軸がガスの輸入依存度、横軸が石油の輸入依存度を示し、2016年から2040年にかけて依存度がどのように変化するかを表しています。

 シェール革命により自国で石油とガスの大量生産が可能となったアメリカは、ガスはすでに輸出国になっていますし、2040年には石油も純輸出国になると見られています。エネルギー安全保障という面では万全の体制です。一方、第1象限に位置している中国やインドは今後まだまだ需要が増えるので、石油もガスも2040年には今より依存度が高まる予想です。

 この中で日本はどこに位置しているかというと、第1象限の一番右上で、石油もガスもほぼ100%輸入に頼っています。韓国も同様です。同じく第1象限に位置するヨーロッパは、風力や太陽光などの自然エネルギーを増やすことによって、化石燃料依存を減らそうとしています。日本も韓国も、エネルギー安全保障を考えるなら、ヨーロッパと同じく化石燃料依存を減らしていかなければなりません。再生可能エネルギーをメインとし、足りない分を原子力で賄うのです。それでも足りない分は引き続き輸入が必要ですが、輸入先を多様化することでリスクを減らすことが重要です。もちろん省エネも必要ですが、それだけでは成り立ちませんよね。これからは、再エネをうまく使っていく必要がありです。

 ただ、日本では太陽光発電の適地が限られます。住宅や工場の屋根にソーラーパネルの設置を義務化することはできるかもしれませんが、森林や畑をつぶしてまでメガソーラーを設置することは、地球環境にもよくないため現実的に不可能です。

白鳥 既存の太陽光は植生と対立しますからね。

田中 適地が限られるという点で太陽光には限界があると思うので、コスト高ではありますが、洋上風力をどこまで増やせるかが重要になってきます。また、併せて原子力の利用に国民的コンセンサスを得られるかどうかも、資源小国日本、韓国が生き残るために必要なことではないかと思います。

 もちろん、自国のエネルギー源に加えて、それを補完する輸入にも引き続き頼ることになります。ただ、2050年までの脱炭素実現が不可避というのであれば、クリーンなエネルギーに限って輸入する必要があると思います。例えば、天然ガスから二酸化炭素を取り出して地下に埋め、残った水素だけを輸入するなどの方法が考えられます。

世界に先駆けてLNGを輸入した日本

田中 実は日本は、約50年前に米アラスカ州から液化天然ガス(LNG)を世界に先駆けて輸入した国です。ガスの液化、また液化したガスの運搬にはかなりのコストがかかりますが、ガス会社や電力会社は、総括原価方式で価格に転嫁することができました。そうすることで初めて、LNGはエネルギー源として日本に普及していきました。

 これから展開しようとしている水素も同様です。今の制度のまま売ろうとすれば、かなりの高価格商品になってしまいます。総括原価方式など、何らかのかたちで電力会社などの利用者が投資を回収できる仕組みをつくらないと、水素のサプライチェーンを構築するのは非常に難しい。ここに、日本政府が進めるGX(Green Transformation)の問題点が見て取れます。今の政府は、水素やCCS(Carbon dioxide Capture and Storage:二酸化炭素回収・貯留技術)の開発など新しいプロジェクトの立ち上げには積極的に投資しているものの、価格差補給金のような実用化のための制度構築には手を付けていません。それができない限り、水素の実用化はかなり難しいと思います。

 

石油危機は消費国にとっては不意打ちだった

白鳥 ここで、一度エネルギーの歴史を振り返ってみたいと思います。先ほども少し話が出ましたが、1973年の第一次石油危機は、OPEC(石油輸出国機構)やOAPEC(アラブ石油輸出機構)などの産油国が石油を「武器」として用い、成功した例だと言われています。ただ、一般に忘れられがちなのですが、産油国は1967年の第三次中東戦争でも同じように石油を武器として使おうとしたことがありました。しかし、当時はアメリカに生産余力があったために、失敗したという歴史があります。

 「30年ルール」に基づく外交記録公開で出た文書を見ると、資源輸入は重大な外交問題であることに、各国政府は割と早い段階で気づき始めていたことがわかります。OECD(経済協力開発機構)の中では、石油危機前にはすでに、IEAに繋がる構想が議論されていました。

 田中さんは1973年に通商産業省(現・経済産業省)に入省されていますよね。

田中 まさに第一次石油危機のタイミングで、経歴をスタートさせました。その当時の先進国にとっては、石油を使っていかに経済構造を高度化していくかということが、産業政策の根幹でした。日本は消費地精製主義といって、海外から原油を輸入し国内で精製する方式を採っていたので、輸入国の多様化が重要だという認識は以前から持っていました。しかし、その対策を十分に練る前に、第一次石油危機が起きてしまったのです。

白鳥 持続可能なかたちで多様化をいかに進めるかという議論は、日本国内でも、第一次石油危機の前からすでにあったのですね。

田中 そして、第一次石油危機の翌年1974年に、当時米国国務長官だったヘンリー・キッシンジャー氏の主導でIEAが設立されました。キッシンジャー氏は、当時のことを次のように言っています。やはり、石油危機は消費国にとってはまったくの不意打ちだったのだ、と。その反省から、消費国に必要な対策とは何かを考えたときに、石油を備蓄して非常時に融通し合う、または市場に放出する機能を持つ組織が必要だという結論を出しました。そして米国と日本とドイツが中心となり、OECDの下部組織としてIEAを立ち上げることになります。IEAをOECDの中につくったのは、石油の消費国は基本的には先進国、つまりOECDの加盟国であったことがその理由です。

 第一次石油危機の前後、日本は他国同様に資源外交を積極化しました。その結果、たしかに石油の中東依存度は低下しましたが、今度は代替先の経済成長が進むにつれて、代替国の輸出余力がなくなっていきました。そして再び中東依存度が高まってしまったというのが、現在日本が置かれている状況です。以上が、70年代後半から現在にかけて起きていることです。

 

自国だけでエネルギーの自立を図るのはムリがある

白鳥 第一次石油危機というと、日本のメディアでは「トイレットペーパー騒動」や、中東諸国との関係、それから石油輸入量の不足という3点に焦点が当たることが多い印象です。ただ、輸入量や中東諸国との関係だけの問題であれば、武器を輸出し中東諸国と良好な関係を築いていたフランスやイギリスといった国では、石油危機は起きていないはずですよね。しかし、現実にはそれらの国でも石油危機は起きています。そう考えると、インパクトが大きかったのは石油の量というより、価格が高騰したことだという見方が妥当でしょう。

田中 おそらく当時、石油はそれなりに国際マーケットができていて、そのマーケットを通じて世界全体に価格が伝播してしまうというような、国際商品になっていたのではないでしょうか。そのため、国内に資源があるアメリカでさえ石油危機の影響を受けてしまった。

 やはり、自国だけでエネルギーの自立を図ろうとするにはムリがあって、国際的な枠組みにより世界全体の需給がきちんとバランスしていないと、エネルギー価格は大きく変動してしまいます。エネルギー価格の変動が国内経済にも非常に大きなダメージを与えるということは、我々が石油危機で初めて知った教訓です。

白鳥 当時のことを調べていて興味深かったのは、石油メジャー(国際石油資本)がかなり大きな役割を果たしていたことです。石油を上流(生産)・中流(輸送)・下流(精製)で分けたとき、上流は資源ナショナリズムに脅かされつつありましたが、中流は石油メジャーがかなりの部分を占めていました。それにより、産油国が結託して特定の国への供給を減らそうとしても、メジャーが間に入ることによって石油危機の影響が世界的に平準化されたのです。

田中 その通りだと思います。だからこそIEAは、政府が中心となって石油の備蓄をし、また民間にも備蓄を義務付けることで在庫を増やし、石油メジャーと協力しながら価格の変動をできるだけ抑えようとしていました。

白鳥 ただ、第一次石油危機の影響で原油価格が一気に高騰した時期に備蓄を始めるのは、非常に難しいことですよね。

田中 そうなんです。

白鳥 それをIEAが中心となって行ったのが、第一次石油危機後の動きです。そして、IEAの仕組みが構築され、機能し始めたかと思われたときに起きたのが、第二次石油危機でした。

 第一次石油危機は、産油国が石油を武器として使用したために引き起こされた危機です。一方、第二次石油危機はそれとは異なり、一大産油国であったイランの政治的混乱が原因でした。イラン産の原油が途絶えたことで、IEA加盟国の消費量の約5%に当たる原油がなくなり、価格がどんどん高騰していきます。イラン革命をめぐる混乱の影響が出始めたのが1978年の末頃ですが、そこから約半年間で石油のスポット価格が3倍近く上がったことが複数資料から確認できます。

田中 私は、1978年に資源エネルギー庁の長官になられた天谷直弘さんのかばん持ちをしていました。ちょうど1979年に開催された東京サミット(第5回先進国首脳会議)で、石油輸入目標が議論された時期でした。石油の輸入を制限することは経済成長の大きな桎梏となるので、通産省内でたいへんな議論になったことをよく覚えています。結果、日本は1985年の石油輸入の上限量として、1日当たり630~690万バレルが目標値に定められました。

 しかし、実際の輸入量はそれを遥かに下回り、通産省の心配は杞憂に終わります。省エネや、他のエネルギー源への転換が進んだことで、石油の必要量が大きく減ったのですね。

 

天谷直弘元資源エネ庁長官の勇気ある発言

白鳥 今では東京サミットの議事録や関連文書が読めるようになっています。当時策定が進んでいた中期経済計画(新経済社会7カ年計画)では1日当たり700万バレルを石油輸入量とされていました。「これでは内閣が潰れる」とまで言われる中で、サミットの議長を務めた大平正芳首相の政治決断というかたちになりました。しかし9月に計画を閣議決定した際には、中期経済計画は700万バレルではなく、サミットでコミットした数字の下限である630万バレルになっています。

 これは、先ほどおっしゃったように省エネやエネルギー源の多様化が進んだこともありますが、価格メカニズムが働いて需要が実際に減っていた要素が大きいと言えます。サミットの場でも、西ドイツのヘルムート・シュミット首相が「価格メカニズムを働かせて、どうにか補助金を使わないでここまでやってきた」と熱弁していた様子が、議事録から見て取れます。

田中 価格メカニズムが働き、高値のものは使わなくなって結果として量が減ったという部分もあったと思います。

 ただ、省エネやエネルギー源の多様化を進めるに当たっては、産業界などとの間で並大抵ではない調整が必要でした。天谷さんと私とで、エネルギー大臣の国際的な会合を、日本が主導して一生懸命やった記憶があります。

白鳥 そこで天谷さんが議長を務められていましたね。

田中 当時はすでにIEAも設立されていましたので、天谷さんは資源エネルギー庁の長官として、石油危機への対応に追われていました。結局、第二次石油危機のときはIEAは石油備蓄の放出を行わなかったのですが、その準備のために、天谷さんと一緒に奔走したことをよく覚えています。第二次石油危機直後、天谷さんと私はちょうどフランスでエネルギー大臣会議に参加していたのですが、日本がイランから石油を大量に買い付けたことに対して、アメリカがかなりお怒りだという話が伝わってきました。これはたいへんなことだと、二人して急遽ワシントンに向かったのですが、その時点ではまだ大問題にはなっていなかったんですね。

 この時に天谷さんが言っていたのが、「ちょうど消防車が街を通りかかったら、そこで火が燃えていた」と。要するに、私たちがワシントンに到着する前はまだ火が点いていなかったのですが、着いてみたら大騒ぎになっていて、どこに行っても「日本はインセンシティブ(鈍感)だ」と批判されたのを覚えています。

 天谷さんは会議後の記者会見で、「たしかに我々は少し買いすぎたところがあり、このようなミステイクは二度としない。ただ何千万といるイラン国民のことを考えると、イランから石油を買い付けることでイラン経済を支えることは重要だ。これを止めてしまうのはいかがなものか」と発言しました。これにはみんな驚きましたね。

白鳥 非常に勇気のある発言ですね。

田中 本当にびっくりしました。実は事前に、あのような発言をして本当に問題ないかどうかを、海外の専門家など多くの方に相談していました。最終的には問題ないという結論を出し、あの記者会見に至ったのです。やはり石油は、あるところを減らせば他が増えるというように、世界中をグルグル回っていくことで価格が安定するものです。

 今もロシアからの石油は、たしかに日本や欧米には回らなくなっていますが、その分中国やインドに回ることによって、中国やインドが中東から買う量が減っています。そのようなメカニズムが働かないと石油の価格は安定しないので、当時の天谷さんの発言も十分理に適ったものだったと思います。

白鳥 21世紀に入ってからですが、中国が紛争地や強権的な政権が支配する地域から石油を買い集めようとすることが問題になりました。それについてあるエネルギーの専門家が「中国はどんどん買えばいいんだ」と言われたことが、非常に印象に残っています。カントリーリスクを警戒する国や企業が手を出さないような危ない石油を中国が買い、それを国内に限って使ってくれるのであれば、他の国にとっては石油全体の価格が下がって得になるということです。

 もちろん人権や民主主義を国際政治でどのように考えるかという問題はあるけれども、第二次石油危機で日本がイランから大量購入したことも同じく、石油の価格を安定させるのに一役買った面があったということですね。経済制裁は、目的と手段の関係をしっかりと考える必要があるというのは今にもつながる話です。

田中 そのように、石油はマーケットが需給を調整するという哲学が、第一次、第二次石油危機を通してできあがってきたのだと思います。

 2008年の北海道洞爺湖サミットで、胡錦濤さんと議論したこんな話を覚えています。胡錦濤さんが、「中国は可能な限り二酸化炭素の排出を減らしていくつもりだが、排出削減目標をつくられたら困る」と言ったので、「日本も以前、石油輸入目標を設定されて困っていた。ただ、逆に省エネや他のエネルギー源への多様化が進んで、結果としては日本にとって悪いことではなかった」と。「中国もそういうショックを利用して、国内の省エネや脱炭素化を進めるチャンスと見るべきなのではないですか?」と言い返したんです。

 そうしたら、「その通り。脱炭素を進めようとしているのは、別に地球環境のためではなくて、中国のエネルギー安全保障のためにやろうと思っているんだ」とおっしゃった。これは素晴らしいなと思いましたね。たしかに排出削減目標は、日本にとっても経済成長の足かせになるように思えますが、経済構造、エネルギー構造を変えていく大きなチャンスと捉えることもできる。

 

石油備蓄はどのような時に放出するのか

白鳥 1970年代に第一次、第二次石油危機があり、80年代前半には先物取引市場も整備され、85年から86年には原価が一気に下がる「逆石油危機」とも言われた状況を迎えます。その後、原油価格の低価格時代は20年ほど続くことになりますが、2000年代初頭には、再び原油価格が上がり始めます。

田中 私がIEAの事務局長に就任したのは2007年ですが、その翌年、2008年には1バレル147ドルという史上最高値をつけました。IEAに対しては、なぜ備蓄を放出しないのかと盛んに意見が寄せられました。ただ、備蓄を放出するのは石油の供給が途絶する恐れがあるときに限られるというのがIEAの方針です。通貨とは違って、石油は一度放出してしまうと備蓄がなくなってしまいます。そのときは、特に供給途絶の恐れはなかったので放出には至りませんでした。では、何が原因で147ドルもの高値をつけたのかというと、改革開放政策で経済成長が進んだ中国による需要増の影響でした。その勢いはすさまじく、IEAが備蓄を放出したところで事態は改善しないような状況でした。

 過去にIEAが備蓄を放出したのは、全部で5回です。1回目は、1991年の湾岸戦争、2回目は2005年の米国ハリケーン・カトリーナ、3回目は2011年のリビア危機、4回目と5回目はロシアのウクライナ侵攻によるもので、いずれも石油の物理的な供給途絶の恐れがありました。

 IEAは当初、石油不足で困っている国に石油をシェアして助けるという目的で設立しました。しかし今は、石油の供給が不足してマーケットの需給ギャップが大きいときに、メンバー国が協力し、マーケットを使いながら価格をどうにか安定させるという目的に変わってきています。

白鳥 80年代の先物市場の整備に始まり、その後20年ぐらいをかけて、石油の価格は市場で決まっていくものであり、市場に対してどう働きかけるかというかたちに、ゲームのルールというか関係者の認識が変わっていったということですね。

 

IEA事務局長就任の経緯と選挙戦の舞台裏

白鳥 田中さんは2007年にIEAの事務局長に就任されました。ここにはどのような経緯があったのですか。

田中 私の経歴は通産省から始まりましたが、海外との通商交渉の仕事をメインに行っていました。ワシントンの大使館に2回、それからパリにあるOECDの科学技術工業局長というポストにも2回就きました。海外での仕事が大好きだったんです。ちょうど私がOECDで勤務しているとき、IEA事務局長のクロード・マンディルさんがお辞めになって、「次の選挙には日本人からも誰か出そう」という話が経産省の中であったようなのです。ある日、経産省から私に電話がかかってきて、「IEA事務局長選挙に立候補しませんか?」と尋ねられました。ただ、私はエネルギーに関しては原子力のことしか専門ではやってこなかったので、「石油の専門家ではありませんが……」という趣旨のことを伝えたら、「君、フランスに居たいんだろう」と言われて(笑)。IEAの本部はフランスにあるんですね。それで立候補することになりました。

 他にも適任はたくさんいたと思います。例えば、初代事務局長の次は、天谷さんという声も上がっていました。ただ私は天谷さんのお付きをしていたので、天谷さんが固辞されたのを傍で見ていました。立候補すれば当選するだろうと言われていたので、「どうして出ないんですか」と聞いたら、「僕は日本食がないところはダメなんだよ」って(笑)。「フランスにも日本食はあるじゃないですか」と言ったら、「フランスの日本食は美味くないから出たくない」と(笑)。

白鳥 国際派の天谷さんが、意外ですね。

田中 あれだけの国際派の人が、日本食が美味しくないという理由で立候補しなかった。彼が出ていたら、私の出番があったかどうかわかりません。

 それからOECDの事務局長には、通産省出身の川口順子さんという声があったんです。ところが、彼女も固辞したんですね。彼女にはアメリカ大使館での勤務や外務大臣としての経験がありますから、立候補すれば当選は確実だろうと見られていました。彼女は固辞した理由を、「家庭を大事にしたいから」とおっしゃったのですね。ただ、子どもからは「お母さん、どうして出ないの」と言われたらしいです(笑)。

 もし彼女がOECDの事務局長になっていたら、OECDとIEAの事務局長がどちらも日本人ということはあり得ないので、私はIEAの事務局長にはなれなかったと思います。天谷さんと川口さんが固辞されたことは、私がIEA事務局長になれた大きな要因の一つでした。

 事務局長選挙は、なかなか大変でしたね。当時は小泉純一郎さんが総理だったので、メンバー国をすべて回って、マニフェストを語りつつ小泉さんとのツーショットを配り歩きましたね。

白鳥 当時はまだ現職のOECD局長時代ですよね?

田中 局長でしたが、事務局長に了解を取って、休暇をもらって各国を回りました。その選挙活動の資金は、日本政府が出してくれました。総理にも大臣にも応援をされて、当時の経産大臣だった二階さんからは、「経産省は選挙が下手だ!お前ら頑張れ!」という激励をもらいました(笑)。

 産業界も、経団連を中心に選挙活動をしてくれました。あるとき経団連の方々が、フランスのジャック・シラク大統領に「田中さんをお願いします」と言ったら、「田中さんのことはよく知っています。私は支持します」と言ってくれたんです。実際にお会いしたことはなかったのですが、事務方が方針を決める前に独断で発言してくれたみたいです。フランスがこちら側に付いてくれたことは非常に大きかったですね。私のライバルにはヨーロッパの人が3人立候補していて、ヨーロッパが分かれていたという理由もあったと思いますが、シラク大統領のその一言は大きかったですね。

 また、IEAの重要な決め事である予算と事務局長選挙は、各国1票ではなく各国の石油消費量に応じた投票数が決められているのです。アメリカが一番多く、上限値である25%の票を持っているのに対し、日本は10%でした。その決められた投票数の中で、過半数を獲得することが当選の条件なので、アメリカの支持がないと勝つことはできません。また、ヨーロッパ勢がまとまってしまっても勝てないので、いかにヨーロッパの一部を崩し、アメリカを取り込むかが勝負のカギでした。もちろん、アジア圏の支持を得る必要もありましたので、韓国にも何度も足を運びましたが、そのおかげか私を最初に支持してくれたのは韓国でした。

 一番の曲者は、アメリカでした。いよいよ決選投票というとき、票を見ると、対抗馬のイギリスより私のほうがリードしていることは明らかなのですが、票が足りなかったのです。そうしたら、ある人がこっそり「アメリカは半分しか持ち票を入れていないんですよ」と教えてくれました。要するに、アメリカは完全に日本を信頼しているわけではなかったので、最後の決定者として票をリザーブしていたんですね。持ち票のうち半分だけ、日本に投票している状態でした。この票を出させるために、官房長官だった塩崎恭久さんからジョン・ルース駐日大使に働きかけてもらったり、安倍晋三総理からブッシュ大統領に親書を出してもらったり、相当熱心な働きかけをしました。そうしてやっと、アメリカから残りの票を出してもらって、勝つことができたというわけです。

 その翌年の北海道洞爺湖サミットで、ブッシュ大統領にお礼を伝えました。そうしたら、「よかったね。だけど君、これからたいへんだね」と。ちょうど石油の値段が140ドルになる直前ぐらいのタイミングだったんですね。「僕はもうすぐ退任するけど、君はこれから一番たいへんな対応をしなきゃいけないのか。本当にご苦労さん」と言われました。

 その後開かれたセッションで、私は手を挙げて発言しようとしたんです。福田康夫総理が議長をされていたのですが、一所懸命メモを読み上げていて、端っこに座っていた私を全然見てくれない。すると、ブッシュ大統領が私のほうをちらっと見て、「田中が手を挙げているぞ」と福田さんに伝えてくれたらしいのです。国際会議の場ではなかなか発言できる機会がないのですが、ブッシュ大統領のおかげで発言することができました。これも、セッションの前に彼と会話していたからですよね。何が幸いするかわからないなと思いました。

 ちなみにそこでは、「地球環境のためには二酸化炭素を地中に埋めるCCSの利用を考えなければいけないが、これは商業的には全然ペイしないので、普及には国の助成が必要となる。脱炭素は皆さんで協力しないとうまくいきませんよ」という趣旨の発言をさせてもらいました。これが私のサミットでの唯一の発言です。

 そのように、IEAの事務局長になると、国際的な会議に参加させてもらえます。その場で起きていることを直接見ることができますし、他国の大統領と話したり、会議の場で発言したりする機会ももらえます。IEA事務局長時代は、本当にたくさんの貴重な経験をさせてもらいました。

 

IEAから日本の電力政策への提言

白鳥 国際機関のトップという立場になられると、出身国とは関係なく、中立的な姿勢を求められると思います。そのあたりでご苦労された点などありましたか。

田中 難しい質問です。当然、日本政府の代表というわけにはいかないので、選挙に勝ってIEAの事務局長になることが決まった段階で、経産省を退官しました。一方、OECDの局長は、経産省からの出向というかたちでも構わないのですけどね。そのように、一度はっきりと日本政府との関係を切るということからスタートし、最大の出資国アメリカをはじめとする各国政府の意見を聞いて回りました。

 IEAの最大のミッションは、石油を備蓄してしかるべきタイミングで放出することですが、それ以外にも、各国のエネルギー政策を評価する国別詳細審査の実施があります。今後どうすれば各国の政策がより効果的になるか、IEAには成功談も失敗談もありますから、その知見を用いて各国にアドバイスをする仕事です。大国はあまりIEAの言うことを聞いてくれない印象ですが、小国は反対に、IEAからの提言を「中立機関の客観的なアドバイスである」というようにフレンドリーな外圧として使ってくれている印象です。彼らからすると、IEAからのアドバイスは権威付けに使えるわけです。IEAの事務局長が訪問すると、すごく歓迎されます。

 日本ともそういう関係を築くことが理想でした。IEAからの提言を好意的に受け止めてもらい、日本からもIEAに対して政策提言をしてもらえるような関係性です。日本はどうしても内向きの国なので、「国際機関に何か言われないように」という消極的な使い方しかできていませんでした。ただ、事務局長が日本人であれば、世界をリードするような積極的な政策も展開しやすくなりますよね。現役時代は、日本にIEAの機能をもっとうまく使ってもらうことに、非常に力を入れて活動していました。

白鳥 IEAは各国の政策を定期的にレビューされていますが、IEAから日本への提言は、必ずしも日本の政策とは一致しませんよね。日本に対してもいろいろな課題を指摘されていたと思います。

田中 IEAは非常に厳しい提言をしますし、政府が嫌がることも言わざるを得ません。自由化前の日本の電力市場は、9電力それぞれが地域独占型の体制を築いていました。IEAはそれに対して「発送電をできるだけ分離して一つのマーケットにするべきだ」と言い続けてきましたが、現状でもまだ不十分ですよね。一所懸命、広域運用しようとはしていますが、電力会社相互の連系が弱いために、非常時に融通できない事態が続いています。東日本大震災で原発が停止したときも、北海道胆振東部地震で全道が停電したときも、系統の連系が弱いために他地域から電気を送ることができませんでした。

白鳥 私は北海道のブラックアウトのとき、ちょうど長期出張で札幌にいて、現地で停電を体験しました。

田中 それはたいへんでしたね。IEAは、私が事務局長になるずっと前から「日本の系統連系が悪い。このままだと再生可能エネルギーの利用拡大もできないし、非常時に大変なことになる」と提言し続けてきました。発送電の分離はそれなりに進んでいますが、まだ十分ではありません。そのため、停電は起きるし、再生可能エネルギーの利用も十分に進まない状況が続いています。

 これは、日本国内だけにとどまる問題ではありません。ヨーロッパは、エネルギー安全保障の観点から、国同士の電力線やガスパイプラインをつなげていますが、今度は水素のパイプラインをつなげようとしています。それに対して、日本はまだ国内に限っても電力システムが統一されていません。自国だけでエネルギー安全保障を考えるのは、これからさらに厳しい時代に入ると思うので、一刻も早い対応が求められます。

白鳥 日本でエネルギー問題が論じられるときに、しばしばヨーロッパの事例が参照されることがありますが、日本とヨーロッパでは前提がまったく違いますよね。やや乱暴な言い方をすると、各国はそれぞれの事情でエネルギー政策を採りつつ、電力についてはヨーロッパという地域の中でバランスさせればいい。

 日本の場合は、日本一国どころか、国内が9電力で事実上仕切られているような体制を前提として考えなければなりません。前提がまったく違うにもかかわらず、ヨーロッパの国のエネルギー政策と比べられてしまうことは、かなり問題だと思います。

 

「アジアスーパーグリッド」構想の是非

田中 日本のエネルギー安全保障におけるもう一つの観点として、日本だけで考えるのではなく、むしろ隣国と一緒にエネルギー政策をやるべきだとする論もあります。日本や韓国、中国、ロシアなどアジア中を結ぶ「アジアスーパーグリッド」をつくろうという発想には、私は積極的に賛成します。ただ、もし日本もロシアからのガスパイプラインを引いていたら、ウクライナ侵攻以降たいへんな事態になったのではないかという意見もあります。しかし、それは量の問題で、依存しすぎなければいい話なのです。

 ドイツは当初、アメリカからの強い反発があり、ロシアからのガス輸入は国内市場の3割にとどめていました。アメリカは、ロシアのガスはリスクが大きすぎるという理由で、ドイツがロシアからガスを買うことにずっと反対していたのですね。ただ、「ノルドストリーム1」というドイツとロシアを結ぶ新しいパイプラインができてからは、ロシアへのガス依存度は急激に高まりました。もし「ノルドストリーム2」が稼働していれば、依存度はさらに高まっていたでしょう。それ以降、ロシアへのガス依存をあまりにも高めてしまったために、ドイツはロシアにNOと言えなくなりました。これは、メルケル元首相の最大のミステイクだったと思います。

 日本のロシアからのLNG輸入量は、ウクライナ侵攻前はLNG全体の9%ほどでした。たとえガスをロシアから輸入していたとしても、その程度の依存度に抑えている分には、ウクライナ侵攻後もそこまで大きな問題にはならなかったと思います。

 今後、東アジアで、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)や欧州原子力共同体(EURATOM)のような組織をつくるとするならば、電力の共同管理をするべきだと私は思います。地政学的に考えると、再生可能エネルギーをうまく使いつつ電力共同管理のための大きなマーケットをつくることが、東アジアが今後進むべき道だと思うのです。そのためには、まず日本国内の電気が綺麗に統合できている必要があります。その上で、新しい共同体構想を提案して、中国とも協働しつつ東アジアのバランスをうまく取っていくこと、これが日本がこれから積極的に果たしていくべき役割だと思います。

白鳥 アジアでもいろいろな枠組みがすでに進んでいますよね。例えば、アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)などはかなり注目すべき動きかと思いますし、中央アジア諸国でもゼロエミッションに向けた議論が出ています。こういった動きはどのように評価されていますか。

田中 たいへん評価しています。石油もガスもほぼ100%輸入に頼っている日本がエネルギーの自立をめざすとすれば、原子力と水素をうまく使っていくしかないのです。水素を使うには、LNGのようなグローバルなサプライチェーンをつくる必要がありますが、それにはアジア諸国の協力が不可欠です。そういう意味でも、AZECというのは素晴らしい取り組みだと思います。

 また、二酸化炭素を地中に埋めるCCSのプロジェクトも進みつつあります。途上国で実現した温室効果ガスの排出削減・吸収への貢献を、自国のNDC(削減目標)に活用する「二国間クレジット制度(JCM)」をうまく使いながら、途上国とWin-Winの関係で脱炭素に向けた協力を進めることが重要になってきます。

 中東に目を向けると、彼らは化石燃料時代にはいわゆる勝ち組でしたが、これからは化石燃料が使えない時代がくるかもしれません。まだ埋蔵されているたくさんの資源を、座礁資産にしないためにはどうすればいいか。今までは、地下にある資源を掘り出して世界中に輸出していましたが、今後は逆に、世界中から二酸化炭素を集めて地下に埋めることがバリューになるはずです。中東には、安価な太陽光発電で起こした電力がたくさんありますから、それを使って地下に埋めることは簡単です。これこそが、これからの中東が生きる道だと思うのです。彼らは「まだそんな時代はこない」と高をくくっていますが、いずれ化石燃料が使えなくなった場合を考えて、中東諸国も生き残れるようなサプライチェーンを今からつくっていく必要があります。そこではCCSや水素・アンモニアの輸送が重要なパートになると思うので、AZECという枠組みをつかって日本が積極的にリードしていくのがいいと思います。

白鳥 CCSに関しても、日本には適地が限られるという問題もあります。

田中 やろうと思えば日本海には結構適地があるみたいですよ。地上でやると地震のリスクがあるので、将来的に海底で開発を進めていくのは賢いやり方だと思います。

 

持続可能な原子力利用の3条件

白鳥 やはり日本のエネルギーの歴史を振り返ったときに押さえておかなければいけないのが、3・11の影響をどう考えるかという点です。それまで約20%だったエネルギー自給率も一時は6%程度まで低下し、再エネ導入がそれなりに進んだ今も約11%に留まっています。

田中 先ほど、日本がエネルギーの自立をめざすには原子力と水素が必要だと言いましたが、これから日本で原子力を使っていくためには、3・11を改めて総括する必要があります。いま日本で発電しているものの中では原子力が一番安いので、原発の再稼働を進めるという政府の方針は理に適っています。原発の運転期間延長の議論も進んでいますが、原子力は、電気を安価に供給するには一番賢いやり方なのです。

 ただ、どうしても国民の頭の中には3・11の福島原発事故の記憶が残っているので、今までと同じやり方で原子力を使うのは難しいと思います。特に、東京電力が持つ世界最大級の柏崎刈羽原発の再稼働に向けては、予断を許さない状況が続くと思います。問題は、原子力発電所の管理者として、東電が果たして国民から信頼されているのかという話になります。原子力規制委員会が調査に入って、法的には柏崎刈羽原発の再稼働ができるという状況になっても、今のままでは国民感情として「賛成です」とはならないと思うんですよ。東電の小早川智明社長にも言っているのですが、例えば東電の社長を女性にするとか、東電本社を柏崎刈羽プラントの中に移転するとか、そのぐらい大きな改革をしないと柏崎刈羽原発の再稼働は難しいと思っています。

 それができないくらいなら、柏崎刈羽原発は他の電力会社に売ってしまったほうがいい。例えば、関西電力を中心とした原子力発電を専門に担う会社をつくって、原子力はBWR(沸騰水型軽水炉)もPWR(加圧水型軽水炉)もすべてその会社が担うようにする。そして、東電は日本唯一の送電会社になればいいと思うのです。原子力はもちろん、風力も太陽光も含め全ての電気を一社が送電することで、再生可能エネルギーの利用ももっと増えると思います。

 一方、これから先原子力を使っていくならば、持続可能なかたちにしなくてはなりません。

 いまキヤノングローバル戦略研究所で、女性ばかりの研究会をつくって議論しています。そこでは、原子力の持続可能な3条件という案を出しました。一つ目は、小型原子炉にすることです。原子力のリスクを完全にゼロにすることはできません。ただ、万が一非常事態が起こっても、EPZ(原子力防災対策重点範囲)がプラント内に収まれば、近隣住民に避難を促すなどの迷惑をかけることはなくなります。また、小型炉の使用は産業の可能性も広げますよね。実際に、アメリカのマイクロソフト社は、データセンターの電力を小型炉で賄うための検討をすでに開始しています。

 二つ目は、高レベル廃棄物をできるだけ小さくすることです。すでに米イリノイ州のアルゴンヌ国立研究所では、統合型高速炉の開発が進んでいます。これを使って福島原発のデブリの放射性を下げることで、完全に放射性が消滅するまで30万年かかる廃棄物を、300年の廃棄物にすることができます。30万年から300年の廃棄物になれば、置いておく場所の選択肢も広がると思われます。

 三つ目は、原発の使用を核兵器の拡散につなげないようにすることです。今ロシアが核兵器の使用をちらつかせる中、もしウクライナが核兵器の保有を諦めていなければ、ロシアは侵攻しなかったのではないかと主張する国も出てきました。核兵器を持ちたい国がすごく増えてきている。

白鳥 核問題の専門家の間では、ウクライナが核兵器を保有し続けるのは技術的にも困難だったという見方が一般的です。ただ、いくつかの国の国民の中で、核保有の声が高まっていることは確かですね。

田中 韓国では、6割以上の人が北朝鮮に対抗するための核保有に賛成しています。もしこれ以上核保有国を増やすと、核兵器は世界中にどんどん拡散してしまいます。そうならないためにも、技術的に核兵器への転用ができないような原子炉を使えばいいと考えています。以上三つが、キヤノングローバル戦略研究所で考えた、持続可能な原子力利用の3条件です。

 また、統合型高速炉の開発には、韓国の関心も非常に高いのです。プルトニウムをリサイクルするメカニズムを乾式再処理というのですが、この技術はアメリカと韓国が共同研究したことがあります。これは福島第一原発のデブリ処理にも使える技術なので、日米韓が核兵器につながらないかたちで共同開発したらいいと思っています。

 それから、米英豪の安全保障枠組みAUKUSが、共同で原子力潜水艦をつくろうとしていますね。韓国も原子力潜水艦が必要だと主張していますし、日本も、米巡航ミサイル「トマホーク」を配備するなら、潜水艦は原子力潜水艦でないと搭載できません。なので、日米韓で北東アジア版のAUKUSをつくって、核兵器につながらないかたちで、原子力潜水艦を共同開発する枠組みも必要だと思っています。

 日本は唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に参加していません。それは、アメリカの「核の傘」に守られている以上は入らないというスタンスですが、私はあえて参加したほうがいいと思っています。参加することで、核兵器を持たない姿勢を明確にし、核兵器保有国にはできるだけ減らすよう訴えていく。

 もちろん、すでにNPT(核兵器不拡散条約)には参加していますが、それ以上に核兵器禁止条約を利用して、日韓で協力して北朝鮮の非核化に協力することもできると思います。例えば、北朝鮮の核兵器に積んである40キロのプルトニウムを買い取って、アメリカの協力も仰ぎ乾式再処理することで、原子力発電所で再利用(プルサーマル)することも案として考えられます。もちろん北朝鮮は反対すると思いますが、そのように外交攻勢をかける意味は大きいと思うのです。

 日本と韓国のエネルギー事情は似ています。日米韓が協力して原子力をうまく活用するビジョンを描くことができれば、エネルギー安全保障、そして地球環境問題に対して最も理想的な答えが出ると思います。ただ、これを日本政府内の誰が主導していくかが問題です。経産省なのか、それとも防衛省や外務省なのか。誰も積極的にはやりたがらないので今この主張をしているのは私だけですが、日本はこれぐらい大風呂敷を広げた議論をして初めて、国民の理解も得られる原子力の未来が見えてくるのだと思います。

 

燃料費への補助金はやめたほうがいい

白鳥 価格メカニズムをどう機能させるかという点で問題を感じていることが二つあります。一つは、再生可能エネルギー導入のためのFIT(制度固定価格買取)制度です。たしかに太陽光の導入はかなり進み、世界でも国土面積当たりの太陽光発電量はトップになりました。しかし、電気料金の国民負担分は多い年には3兆円ほどにも達した一方で、既存のエネルギー価格が上がれば見かけ上FITの負担は減る。価格メカニズムが利かない状況が長く続いてしまったのは問題です。

 もう一つは、本当に最悪のタイミングで始めたと思っているのですが、ロシアのウクライナ侵攻直前から実施している燃料費の補助金です。

田中 あれは本当にやめたほうがいいと思います。脱炭素を進めようというときに化石燃料に補助金を出すのは、どう考えてもおかしい。政治的には必要だったのだと思いますが、IEAも「化石燃料補助金はすぐにやめなさい」と昔から言い続けています。

白鳥 1970年代には二度の石油危機がありましたが、日本は豊かな国で価格が高くても買うことができるし、省エネを実現するだけの技術力もありました。今も様々な選択肢があると思うのですが、やはりエネルギーシフトということで脱炭素に向けて進んでいる中、価格メカニズムをゆがめるようなかたちで電力が販売され、補助金が出されていると、政策的なメッセージが非常に混乱してしまいますよね。

田中 まったくくその通りです。今は、カーボンプライシング(二酸化炭素に価格をつける仕組み)を実施する時代ですよね。化石燃料を使っているものの価格は上がっていくような時代です。そんなときに、化石燃料に対して補助金を出すことは、常道に反します。

 再生可能エネルギーに関しては、FIT制度からFIP(変動する売電価格に対して一定の補助額を上乗せする)制度に移行しつつありますが、おっしゃる通りまだまだ価格は高いのが現状です。それは、やはり日本全国の系統線の連系が弱いからですよね。ヨーロッパのように再生可能エネルギーの価格を無理矢理安くして、優遇して購入する制度をつくらないと、2050年に脱炭素を実現するのは難しい。それは現時点ではっきりわかっているので、いずれ改革せざるを得ない状況に追い込まれるのだと思います。

 それから、もし困っている家庭を救済する目的なら、対象を限定して補助金を出すべきですよね。価格体系をゆがめるような補助金はおかしなシステムですが、それを実施している国が多いことも事実です。政治的な判断として必要とされるのはわかるのですが、IEAからすると価格メカニズムをもっとうまく使ってほしいですね。

 また、これからのエネルギー安全保障を考える上で大きな問題なのが、ドナルド・トランプ氏がもしもアメリカ大統領に戻ってきたら──「もしトラ」とも言われますが──どうするのかという点です。彼は、再生可能エネルギーよりはむしろ化石燃料派です。エネルギー政策だけでなく様々な政策の方向性が大きく変わるだろうと予想されますが、日本も今から対策を考えておかないと、たいへんなことになると思います。

インドと中国のIEA加盟に向けて

白鳥 やはりアメリカはエネルギー消費大国でもあるわけですし、アメリカ、中国、インド、ロシア以外の世界約200カ国がどれだけ二酸化炭素の排出を減らしたとしても、その効果は限られてしまいます。

田中 影響は小さいです。

白鳥 各国の二酸化炭素排出量にはかなり大きな差がありますが、IEA事務局長時代に力を入れられた活動を教えてください。

田中 中国とインドを加盟させようと、何度も足を運んで訴えました。それは、キッシンジャー氏のアドバイスでもあったんです。彼は、IEAが石油の備蓄を通してマーケットを調整していこうとするときに、「最大の石油輸入国である中国やインドが入っていないと需給にインパクトを与えられない」と言いました。それだけでなく、「中国とインドは将来最大の二酸化炭素排出国になるから、IEAが地球環境も考えるなら、中国とインドを加盟させておく必要がある」と言ったのです。まさに今、その通りの状況になりつつあります。

 中国に訪問した際、李克強さんにIEAへの加盟をお願いしたら、「IEAは非常に重要な機関であることはよくわかっている」とおっしゃったんです。もちろん、実際に中国がIEAの政策にどれだけ協力的だったかはわかりませんが、少なくとも、IEAの備蓄放出により石油の価格が安定することは、中国経済にとってもメリットがあることは確かです。IEAに対する中国の評価は高いのですが、彼らにとっての問題は、アメリカ主導の機関であるということです。たとえ中国がメンバー国になったとしても、アメリカの言うことを聞くかどうかはわかりませんよね。また、石油を備蓄することはコスト面でも大きな負担になるので、中国はなかなか納得しませんでした。

 一方、インドは2019年にIEAへの加盟を申請しました。先ほど説明した図で見ても、中国よりインドのほうがエネルギー安全保障のリスクが高いことがわかります。経済成長に伴い、これからもっとエネルギーが必要になる国なので、ぜひ加盟したいということだったと思います。

白鳥 田中さんがIEA事務局長時代のインドの反応はいかがでしたか。

田中 私は、当時の石油大臣のところにお願いをしに行きました。首相レベルまで上げて議論してくれたのですが、最後の最後で「IEAはリッチマンズクラブだ」ということで、コストの問題で断られてしまいました。

 実はIEAの新規メンバー加盟の際には、全員一致が条件なのです。あくまで可能性としてですが、もしインドが先に加盟すると、中国の加盟に対して「NO」と言う可能性もあるわけです。したがって、私は中国とインドを両方一緒に加盟させようと活動していました。インドは加盟申請しましたが、残念ながら中国は、まだアソシエーション国という位置付けです。今後のIEAの活動に期待するところです。

(終)

 

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