台湾有事をめぐる日本と台湾の大きなギャップ

 川上 台湾の現在地を考える上で外せないのが中国との関係です。ここ数年、日本では中国による台湾への軍事力行使の可能性、いわゆる台湾有事についての議論が盛んに行われています。

 ただ、台湾にとって中国の軍事的脅威というのは今に始まったものではありません。1950年代には二度の台湾海峡危機が起きました。1979年に中国がいわゆる平和統一政策に転じた後も、90年代半ばの李登輝の訪米、初の直接総統選挙の際には、第三次台湾海峡危機とも呼ばれる緊張した局面がありました。さらに2016年の蔡英文政権の成立後、中国はじわじわと台湾に対する軍事的威嚇のレベルを上げています。清水さんは現在の状況をどう見ていますか。

 清水 長い時間軸で見てみると、一口に中国の脅威といっても時代によって変化を遂げてきましたよね。習近平が数年前から台湾の統一を現実的に語るようになったことは、紛れもない大きな変化です。台湾の統一は、先延ばしにするような目標ではなく必ずやり遂げたい目標だと。そして、香港の一国二制度が崩れ中国化が進み、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発したことによって、中国による台湾への軍事侵攻がより現実的なものとして語られるようになったという流れがあります。

 そうした中で、日本における台湾有事論は、昨年8月のペロシ米下院議長の訪台直後に中国軍が台湾を取り囲むように大規模な軍事演習を行ったことによって、一気にヒートアップしました。台湾有事がマスコミなどでも現実感を持って取り上げられるようになったのです。

 川上 今回、「日経テレコン」のデータベースを使って、全国紙(五大紙)を対象に、「台湾有事」をキーワードに記事検索をしてみました。台湾有事関連の記事は、2020年には36件だったのが、21年には482件、22年には1370件と急激に増えているのです。

 清水 日本での台湾有事をめぐる報道を見て感じたのが、台湾内の雰囲気とのギャップです。昨年、中国による大規模軍事演習が行われた時期は、ちょうど新型コロナ感染状況で制限されていた海外渡航が再開され、私の勤める大学でも学生が台湾に留学する時期でした。その留学準備をする中で、多くの学生の保護者や教員から「本当にいま台湾に行って大丈夫なのか」と聞かれたのを覚えています。中国からミサイルが飛んできて、学生が台湾から帰れなくなるのではないかという緊迫感があったのだと思います。

 ところが、同じ時期の台湾では、日本のような騒ぎにはなっていなかった。人々は普通に生活をおくっていました。ウクライナ侵攻が起きたときも、日本では「次は台湾か」といった議論が出ましたが、台湾では現状を冷静に受け止めていました。中国が侵攻してくる可能性を考えた人の割合は一時期少し高まりましたが、すぐに落ち着きましたね。また、中国が台湾への軍事力行使に踏み切った場合でもアメリカは介入しないのではないか、という不信感も一気に高まりましたが、それも現在はだいぶ落ち着いています。

 川上 いわゆる疑米論と呼ばれる論調も、最近はあまり耳にしませんね。

 清水 もちろん、台湾がまったく動じなかったわけではありません。一時は台湾政府も、「今回、中国はどこまでやるのか」という緊迫した状況に置かれたと思います。しかし、中国がすぐに台湾統一のための軍事行動に移るとは考えていなかった。それは一般の人々も同様です。ここが台湾有事に対する日本との大きなギャップだと感じています。

 実際、日本が脅威を感じるずっと前から、台湾は中国と長い間軍事的な対立関係にあったわけです。さらに、中国による偽情報の流布やマスコミの買収など、軍事に限らず中国の脅威は台湾社会に当たり前のように存在していました。台湾からすると今に始まったことではないんですよ、という感じです。そういう意味で、日本は準備ができていなかったとも言えます。

 

攻めるためではなく、守るための準備を

 川上 台湾の反応を見ていると、緊張感と平常心のバランスが重要だということがよくわかります。台湾有事のリスクに対しては、緊張感を持って備えを進めることが結果として有事を未然に防ぐわけですから、日本でも、切迫感を持って台湾有事について考えることは重要です。

 ただ、台湾への渡航を危険視したり、企業が長期的な投資を躊躇したりするようになってしまったら、それこそ中国の思うつぼです。それは台湾を守ることには繋がりません。

 清水 確かに落ち着いた緊迫感というのは日本に必要なところですね。日本が平常心を捨てて煽るようなことをしても中国の動きをエスカレートさせますし、有事は起きないと準備を怠っても中国の動きをエスカレートさせてしまいます。

 川上 『公研』2023年3月号の「めいん・すとりいと」でも書いたのですが、私は「台湾有事なんて起きないよ」と楽観的なことを言う人に対しても、台湾有事がすぐにでも起きそうなことを言う人に対しても、「それは違う」とお答えします。重要なのは、議論のタイムスパンと時間軸を意識することだろうと思うのです。「すぐには起きない」ことと「長期にわたって起きない」ことを混同せず、どういう前提で、どのくらいの期間について台湾有事について議論するのかをまず確認する。台湾有事は天災とは異なり、周辺諸国を含む関係者がどう行動するかによって押さえ込めるはずのものですから。

 清水 日本は、安全保障などの軍事的な文脈も含めて台湾有事を語りますが、この語り方を変えるべきだとも感じています。アメリカ、韓国、日本の連携を強化する方向に進んでいますが、それは同時に、アジアのそれぞれの国が自衛力を高める動きとなります。台湾でも米国からの武器売却が進み自衛力を高めていますが、これらは守るための動きです。しかし、先日台湾を訪問した麻生太郎氏は、台湾を守るための連携を語る文脈で、「戦う覚悟」という表現をしました。この発言は連帯を強調する以上に攻撃的なイメージをつくっているかもしれません。それは攻める戦いではなく、守る戦いです。ここを再認識する必要があります。

 守り抜くために日本は何をするべきか、という発想の中で、戦う覚悟発言がどのような意味を持つのか。それが抑止力としての効果を狙ったものだったとしても、攻撃的なイメージは結局のところ台湾を助けることに繋がりません。いかにして守る、守り抜くのかということを軸に、日台関係をめぐる発言では、慎重に言葉も選び、連携を取るべきだと思います。

 蔡英文政権は、ペロシ氏の訪台など様々な困難があってもなんとか台湾を守り抜きました。中国に攻撃の火口を切らせる口実を与えない、という強い姿勢がありました。そこを日本はしっかりと評価をするべきですね。

 川上 ご指摘のように、蔡英文は8年を通じて、台湾を徹底して守り抜くという慎重な姿勢に終始しましたね。この点は、同じ民進党政権でも、結果的にアメリカからトラブルメーカーと目されてしまった陳水扁政権(2000年から08年)とは大きく異なるものでした。

 

中国に進出した台湾企業が「人質」となるリスク

 清水 台湾有事論は、中国の台湾に対する軍事力行使の可能性を論じるものですが、中国は同時に経済チャネルを通じた台湾への圧力行使もしてきました。川上さんは現在の中国と台湾の経済関係をどう見ていますか。

 川上 中国と台湾のあいだには、軍事的緊張と同時に過去30年以上にわたる緊密な経済関係の歴史がありますが、この数年、経済関係も局面が大きく変わってきています。少し歴史的に振り返ってみたいと思います。

 台湾では、1990年代から2000年代初頭にかけて、中小企業、ついで大企業が大挙して中国に進出していきました。言語の壁がないこともあって、台湾企業は地方政府や党の関係者とのあいだに強いコネクションを築き、地元経済の発展に対して強いインセンティブを持つ地方官僚たちとのWin─Winの関係を築いて、種々の優遇策や庇護をうまく引き出し、初期の事業拡大に成功しました。

 しかし、中国に進出した台湾企業は次第に中国による台湾社会への影響力行使の手持ちカードとして利用されるようになっていきます。これを象徴する出来事が、2005年に起きた大手化学メーカー・奇美実業の創設者、許文龍氏の事件でした。許氏はいわゆる台湾独立派の大物で、漫画家の小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』に登場するなど、日本でも一時期よく知られた方でした。

 その許氏が、胡錦濤政権下で反国家分裂法案が制定された2005年に、突如として「一つの中国」に同調し、反国家分裂に賛同する書簡を新聞に出したのです。この事件の詳しいいきさつは明らかになっていません。しかし、奇美実業は、中国で大規模な投資をしていました。状況からして、許文龍氏が会社の事業を「人質」にとられ、意に沿わない声明を出さざるを得ない状況に追いこまれたことは明らかでした。この事件は、中国に進出した台湾企業が中国による台湾への影響力行使の手段にされてしまうことをはっきり示した点で、台湾社会に大きな衝撃を与えました。

 清水 あの事件は、中国に進出することのリスクを初めて可視化しましたね。

 川上 2012年の総統選挙戦の際には、中国で大規模事業を展開している台湾企業が次々と92年コンセンサスへの支持を表明し、馬英九総統の再選を支援しました。これも台湾では、中国政府からの何らかの働きかけがあったと受け止められています。

 清水 ちなみにこの92年コンセンサスというのは、1992年に、中国と台湾のあいだで「一つの中国」をめぐって形成されたとコンセンサスされ、中国と台湾の国民党政権の対話の前提とされてきたものです。国民党は、92年の中台事務レベル協議で「一つの中国」については「それぞれが口頭でその中身を述べる」というコンセンサスが形成されたとしています。92年コンセンサスという表現は2000年になってから提起され、使われ始めました。2008年に馬英九政権が成立すると、これを足がかりとして中国との関係改善を進めたので、実際の政治の中でこの言葉が機能を持つようになったわけです。一方、蔡英文政権は92年コンセンサスを認めない立場です。

 川上 92年コンセンサスは、馬英九政権期には実に便利なマジックワードであるかに見えましたよね。

 ただ、今から振り返ると、中国の影響力行使の頂点は2012年の馬英九再選の頃だったように思います。この少し前から、台湾では、親中派の台湾人企業家によるマスメディアの買収などが起き、NGOや知識人が、経済チャネルを通じた中国の政治的影響力の浸透に対して警鐘を鳴らすようになっていました。

 そして2014年には、両岸サービス貿易協定の締結に反対する学生たちが立法院の議場を占拠するひまわり学生運動が起き、台湾社会の対中経済交流をめぐる空気は一変しました。こうした流れの延長線上で、16年には民進党への政権交代が起きました。こうしてみると、経済を通じた中国の政治的影響力の行使に対して、台湾社会の側も着実に防御力を高めてきたのです。

 

中国一辺倒から抜け出した台湾経済

 清水 台湾の対中経済依存度に変化はありますか。

 川上 台湾経済の中国依存は依然として高いのですが、趨勢としてはすでにピークアウトしています。企業の対中投資は、金額の面でも対外投資に占める比率の面でも、2010年代初頭をピークとして低下してきました。中国の投資環境の変化に加えて、近年では米中対立とコロナ禍の影響もあります。中国の既存工場の操業は維持しつつ、新規の投資については台湾で行う、という企業が多いですね。東南アジアや南アジアといった第三国への投資も増える可能性があります。輸出についても、中国向け(香港向けを含む)の比率はいまだに高いのですが、2020年の44%をピークに低下傾向にあります。

 このように、かつての中国一辺倒であった台湾経済の構造も着実に変化しています。2000年代には、日本企業が技術を、台湾企業が中国でのコネクションを持ち寄って、一緒に中国に進出する日台ビジネスアライアンス論が流行しました。当時、日本企業は台湾企業に中国での水先案内人としての役割を期待していたわけです。しかし、そういった動きもほぼ過去のものとなりました。

 清水 少し前の時代の台湾のビジネスパーソンは、台湾にこだわらずどこででも生きて行こうとする移民的な精神や、いざとなったらアメリカや日本でも生きていくから大丈夫といった発想が強くありました。

 しかし、最近はそういう移民志向は薄くなってきています。昔と比べて台湾の人々が帰属意識を強く持ち始めたことにも起因すると思います。

 1970年代初めに台湾が国連からの退出によって国際社会での地位を失ったとき、また70年代末にアメリカとの国交が断絶したとき、何かあるたびに台湾の人々は海外に逃げてしまうのではという不安を政府は抱えていました。実際に慌てて逃げた人、その後また戻ってきた人もいました。

 また、1990年の民主化が始まったばかりの頃、実際のところ李登輝は台湾はまだ独立できる状態ではないと考えていました。独立よりもまずは台湾の人々の意識を固めることが先だと考えたのです。

 しかし、民主化が進むにつれ台湾は自分たちの故郷、中華民国は自分たちの国だという意識が徐々に強まってきました。外省人(第二次世界大戦後に台湾に移った人々とその子孫)も含めて様々な人を包摂したまとまりをつくりあげるという長い長い30年間を過ごしたのです。

 それらを経て、わざわざ宣言はしないけど独立的な存在を維持するという現在の確固とした言説に辿りついたのです。ようやく「台湾を自分たちで守る」と言える人が増えてきました。

 川上 おっしゃる通りですね。民主化の実現に加えて、経済面での優れた達成も台湾の人々の自信と誇りの源になっていると思います。1990年代後半から2000年代にかけては、企業の対中進出が急速に進み、経済空洞化への不安が高まりましたが、2010年代以降は、台湾のハイテク企業が世界からスポットライトを浴びるようになり、台湾企業の優れた技術力、ビジネスモデル構想力、豊富な経営資源や優れた人材などが注目を集めるようになりました。

 

台湾の強みを詰め込んだ企業、TSMC

 川上 その代表格がTSMCです。同社は2010年代半ばに、最先端ロジック半導体の開発競争で世界のフロントランナーに躍り出ました。その最先端の微細加工技術は他社の追随を許さず、今や、戦略物資となった半導体のサプライチェーンのチョークポイントを握る存在です。同社の躍進は、台湾の国際的な価値を大きく高めることにもなりました。

 TSMCは台湾の中でも飛び抜けた超優良企業ですが、同時にこの会社には台湾企業の強さの様々な側面が詰まっています。例えば、顧客サポート体制の充実ぶり、新たなプロセス技術を開発して量産能力を立ち上げる圧倒的なスピード感、そして、エンジニアの実力の高さと豊富さ。こうした台湾の強みと不断の企業努力の上に、同社の圧倒的な強さがあります。

 清水 まさにTSMCは一朝一夕ではならずですね。その躍進は、創業者であるモリス・チャン氏の手腕によるところが大きいのでしょうか。

 川上 1987年の設立時に、モリス・チャン氏の主導のもとで、ウェファーの受託製造を行う、ファウンドリに特化するという戦略を採ったこと、これがロジック半導体産業の世界的な潮流とみごとにマッチしたこと。これは大きかったですね。TSMCはファウンドリ事業に専念することで、パソコン、スマホ、クラウド、AIといった新たなイノベーションが登場するたびに生まれる膨大な半導体需要を次々と取り込むことに成功しました。同社が創業したときには、誰もこんなことになるとは想像していなかったはずです。まさしく台湾の奇跡ですね。

 TSMCに限った話ではありませんが、台湾企業の特徴の一つに、積極果敢な投資姿勢があげられます。パソコンの受託製造企業などでも、市場が急成長していたときには、顧客からのオーダーを確保するより先に大胆な投資をして、その生産能力を武器にオーダーを獲得する、ということをやっていました。時は金なりの精神で、「今が勝負だ」となったら、はためには博打のように見える投資も実行していくのです。胆力があるなあ、と思います。

 清水 博打のような投資をやってのける、というところ、台湾らしいように感じます。ところでTSMCといえば米中対立の焦点の一つですね。TSMCとしては中国よりアメリカ陣営とのビジネスを望んでいるのでしょうか?

 川上 はい、アメリカか中国かという選択を迫られたら、TSMCが選ぶのはアメリカです。この会社はアメリカとの深い結びつきの中から成長してきたのです。

 モリス・チャン氏もそうですが、初期の同社の成長を牽引したのは、アメリカのハイテク産業で活躍した経験をもつ人材でした。また、同社は現在、500社以上の顧客と取引をしていますが、売上高の面でも技術ドライバーとしても重要なのは、AppleやNVIDIA、AMDといったアメリカ企業です。顧客の顔ぶれは時代とともに入れ替わってきましたが、一貫して、イノベーションを駆動するアメリカ企業と二人三脚で成長してきたわけです。また、半導体の製造技術はアメリカががっちり握っていて、基幹製造設備の面でもアメリカに依存しています。

 ただ、台湾半導体企業のすべてがアメリカだけを向いているというわけでもありません。中国の市場としてのポテンシャルは大きいです。一口に半導体企業といっても各社それぞれの事情は異なります。

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