『公研』2023年9月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

複雑な歴史を歩んできた台湾。日本から見える「親日台湾」という姿は一面的でしかない。
国際社会の注目が高まる今、台湾をどう捉えればよいのだろうか。

 

 

川上氏×清水氏

 

アジア経済研究所 地域研究センター上席主任調査研究員 川上桃子

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麗澤大学外国語学部教授 清水麗

 

 

30年前には注目されていなかった台湾

 川上 本日は「台湾の現在地」というテーマで清水さんとお話していきたいと思います。近年、日本でも台湾有事や半導体サプライチェーンへの関心が高まり、台湾の政治や経済、歴史への関心も高まっています。清水さんも私も1990年代から台湾を研究してきましたが、台湾がこれほど注目を集めるようになるとは思いもよりませんでしたね。

 清水 そうですね。ここまで人々の関心を呼ぶようになるとは思ってもいませんでした。現在、私は日台関係史や台湾の外交史を研究していますが、はじめから台湾を研究していたわけではありません。スタートは戦後の中華民国の対日政策の研究でした。中華民国は第二次世界大戦、国共内戦を経て、台湾とその周辺諸島を統治するかたちで存続することとなりましたが、私が研究を志した当時はその台湾にある中華民国の外交をテーマに研究している人がほとんどいなかった。そこで、自分で探ってみようという流れで台湾研究をスタートしました。90年代までの台湾はそのくらい注目されていませんでした。

 川上 私も台湾研究を志してアジア経済研究所に入ったというわけではありません。私が大学を卒業した1990年代の初めは、開発援助論や経済発展論が花盛りの時期で、私自身、アジアの貧困問題の研究を志してアジ研の扉をたたきました。

 最初の配属先で台湾の担当に割り振られたことが、台湾研究の道に入ったきっかけです。そのとき、「台湾という研究対象は20年後、30年後にも今と同じ姿で国際社会の中に存在し続けているのだろうか」と不安に思った覚えがあります。かたや台湾に行ってみると、台湾ナショナリズムが一気に噴出していた時期でもあり、日本語世代の方々の「中華民国」に対する強烈な拒否感に接して驚きました。

 清水 近年の台湾では、「中華民国台湾」が自分たちの国・政府だ、という意識が定着してきましたね。政府と社会との距離感や信頼感という点では、いわゆる本省人(日本の植民地統治期の台湾住民とその子孫)の人たちにとって中華民国は、自分たちの国家や政府であるという感覚とは異なる、距離のある存在でした。90年代に李登輝政権のもとで民主化が進み、「中華民国在台湾」、すなわち「台湾にある中華民国」という考え方で、中華民国の台湾社会への軟着陸が進められましたが、2000年代後半の陳水扁政権の頃まで、中華民国か台湾かという独立論争が盛んに語られました。

 そして、2016年に発足した蔡英文政権のもとで「中華民国台湾」という言い方が定着しました。中華民国は自分たちのものだという意識を持つ人が非常に増えてきました。特に若い人にとっては当たり前になっています。

 川上 中華民国と台湾社会の長い葛藤の歴史に、蔡英文政権のもとでついにピリオドが打たれたような感じがありますね。

 清水 私たちが台湾研究を始めた30年前は、台湾がどこに行きつくのかまったく見えない時期でした。ある意味では、現在も台湾の行方ははっきりしていません。そこで、台湾への関心が高まる今だからこそ、一度立ち止まって台湾の現在地について議論できればと思います。

 

外交カードとしての親日台湾

 川上 台湾の現在地を考える上で最初に議論したいのが、日台関係です。日本社会の台湾への関心は常に親日・台湾というイメージと強く結びついてきました。『日台関係史』(東京大学出版会)の共著者でもある清水さんは、これをどう見ていますか。

 清水 ここは改めて確認しておきたい点ですね。そもそも、台湾=親日と安易に受け止めることは、台湾を正確に捉えていないように感じます。というのも、日本に対して親近感を持っている人が台湾に多いことは事実ですが、台湾の政府が戦略的に取ってきた親日という外交カードと、人々が感じている親近感は分けて考える必要があると思うのです。

 川上 日本台湾交流協会による「台湾における対日世論調査」やPew Research Centerが行った世界各国の台湾への好感度調査からは、日本と台湾が互いに対して強い親近感、好感を持っていることがわかります。

 ただ、こうした状況を、台湾は親日的だという言説と直接結びつけることに対しては「ちょっと待った」と言いたくなりますよね。台湾は親日的という表現は常に反日国の名指しとセットで用いられてきたわけですし。

 清水 よく日本で聞く「親日台湾」の語りは、植民統治時代に日本が主要インフラを築き、それが礎となって台湾が発展したという言説と強く結びついています。こうした台湾側の植民統治時代への評価によって、日本は台湾に対して非常に強い親しみを持つようになりました。しかし、この言説は1990年代に再構成されたものでもあるのです。

 1950年代から60年代の日本における関心や言説は、中華民国と日本という国家間の関係に主に注がれていて、台湾社会と日本の関係は陰に隠れていました。当時は日本側にも台湾で生まれ育った方やビジネスで台湾の方々と繋がりを持っている人が多くいましたが、そうした社会どうしの繋がりはあまり語られてきませんでした。なので、台湾の元日本兵への補償など日台間の様々な問題も、置き去りにされてきた部分があった。

 そして、90年代に入り台湾の民主化が進むと、李登輝が日本というカードを使い始めます。台湾が半世紀にわたって日本の統治下にあったという日台の歴史関係を強調し、植民統治時代を再構成して語ることで、中華民国ばかりでなく台湾社会に対する日本の関心を掘り起こすという意図があったのです。その方法の一つとして、植民統治時代は悪いことばかりではなく台湾の利益になることもあったという物語が多く語られるようになったのです。

 また、ちょうど90年代というのは、日本も終戦から50年が経ち、戦後に区切りをつけるという意味で、戦争の見直し論が出てきた時期でもあります。そうした日本国内での流れと、李登輝の言説に代表される台湾と日本の物語が結びつくことで、日本植民統治時代の経済的な遺産というポジティブな言説が広がりました。それが日本の台湾への関心を呼び、親日台湾というイメージがつくられてきたのです。

 ですので、政治上の親日カードと人々が持つ親近感を同一視すると、台湾を読み違えてしまう危険性があります。日本は「台湾は親日だから日本が嫌がることはしない」と思っている節があると思うのです。植民地支配の歴史や尖閣諸島の主権問題に関しても、台湾は日本が嫌がることは言わないと政治家は考えている。これはどちらかというと日本の甘えだと思います。

 一方で、台湾は日本の考えを十分に理解した上で戦略的に親日台湾という外交カードを使っています。李登輝以降の台湾は、親日であることを戦略的に発信してきたのです。

 

戦後、ビジネスパートナーとしての日台関係

 川上 1990年代の台湾で、日本の植民地統治の遺産を再評価し、肯定的に捉える言説が登場した、というご指摘は、この時期の私自身の台湾での経験とも重なります。私は90年代後半に台湾で靴やアパレル、機械や電子部品などをつくる中小企業をまわって経営者へのインタビューをしたことがあるのですが、皆さん、日本人が話を聞きに来たということで、植民地時代のインフラ整備や社会制度の近代化がどれほど戦後の台湾の高度経済成長の基礎になったか、という話を滔々とされるのです。

 こうした話はほぼ常に、「お世話になった○○商事の伊藤さん」「技術の手ほどきをしてくれた××機械の田中さん」などの思い出話とセットで語られます。

 1970年代以降の台湾の輸出主導型工業化の過程で、日本の企業やビジネスマンは取引先や合弁パートナーとして大きな役割を果たしました。台湾の中小企業経営者の多くは、日本の商社やメーカーの人々と苦楽をともにした経験があり、成功した方ほど、日本企業への感謝の念を抱いていたのだと思います。そして、台湾の民主化と経済発展の成果が実感できるようになった90年代に、数十年にわたって積み重ねられてきた戦後の日本企業との協業の歴史と、植民地期に日本が残した経済的遺産の話をセットとして連続的に語るナラティブが確立したのではないかと思います。

 ただ、そうした側面とは別に、台湾における日本植民地期の語りには、第二次世界大戦後の台湾社会の苦難の歴史が強く刻みこまれています。植民地期を生きた人々にとっての日本時代の意味やその多様な経験については、洪郁如さんの『誰の日本時代:ジェンダー・階層・帝国の台湾史』(法政大学出版局)が鮮やかに論じていますね。

 台湾の本省人は、戦後は一転して、国民党政権から日本語の使用を禁じられ、中国ナショナリズムを押し付けられることになりました。植民地時代に青春を過ごし、自らの血肉となる知識を日本語で吸収した世代の人々にとって、日本統治時代をまるごと否定されることは強い苦痛でもあった。「日本時代は悪くなかった」という言説は、国民党の強権統治への抵抗や、中国ナショナリズムに対する当てこすりの言説としての機能も果たしてきたわけです。

 こうした台湾の日本語人たちが歩んできた歴史的な文脈も、日本人が「親日台湾」言説に接するときに踏まえておくべき点ですね。

 清水 その通りです。一方で、日本人が流暢に日本語を話す台湾の方の話を多く聞き、それに基づいて台湾の研究を行ってきたことの問題点も、指摘されてきました。日本統治期を経験した人の中で日本語が流暢に話せる方は、実際にはごくわずかしかいません。しかし、その方々の話を基に多くの研究が行われてきたので、台湾研究は台湾の日本語人の語りに基づいて展開しすぎてきました。

 実際のところ植民地時代には学校にすら通えず、苦労された方がたくさんいました。日本語レベルの差も大きかった。植民地時代、そして戦後の経験は人それぞれバラバラなのに、もっぱら日本語人の話に偏ってしまったので、台湾の人々の経験を一面的にしか捉えていない。この点は私自身の研究の問題点としても感じています。

 川上 日本の台湾観が日本語世代の方々の語りに強く影響されてきたこととその問題点は、洪郁如さんも先に挙げた本の中で指摘されていますね。

 

「かわいい弟分」から「学ぶべきお手本」に変化

 川上 いっぽう、21世紀に入り、世代交代が進む中で、日本と台湾の関係も大きく変わってきました。2011年の東日本大震災の際には、台湾から巨額の義援金が寄せられ、日本社会の台湾に対する認識や感情が大きく変わるこきっかけとなりました。さらに蔡英文政権成立以後、とりわけコロナ禍を機に、台湾は、日本が学ぶべき先進的な社会として注目されるようになっています。

 清水 台湾への風向きは、コロナ禍を経て劇的に変化したと感じます。東日本大震災での経験によって、特に東北の一般の方々が台湾との親近感を肌身で感じるようになりましたし、その関係はまだ続いています。しかし、以前の台湾をめぐるメディアでの取り上げ方は、野球を語るときなどがまさにそうですが、植民地時代から日本の背中を追ってきた台湾という、弟分のように位置づける語り方でした。

 それが、コロナ禍をきっかけにITと政治の新たな結びつきを象徴する存在としてオードリー・タン(唐鳳)への注目が高まり、デジタル化の面で台湾は進んでいる、台湾に学ぼうという認識が一気に広まったのを感じます。日本の地方議員がオンラインでオードリー・タンにDXについて一生懸命聞いたりしていましたからね。イメージがガラッと変わったのを感じました。

 ただ、台湾社会全体としては、まだまだデジタル化が全面的に進んでいるというわけでもありません。オードリー・タンや優秀なシビックハッカーが協働して短時間でアプリを開発・改良して社会に実装した点が素晴らしい、というのが実際のところではないでしょうか。

 川上 日本社会の台湾への視線が、「自分たちを慕ってくれるかわいい弟分」や「癒やしとグルメの島」といったものから「学ぶべきお手本」へと変わったことは、日本のアジアとの関係のありかたを更新する新しい動きですし、台湾研究者としても嬉しいことです。確かに、台湾のジェンダー平等や性的マイノリティの権利への取り組みから日本が学ぶことは多いです。ただ、今度は逆に「台湾はきわめて進歩的なリベラル社会だ」「台湾はすごい」というイメージが一気に広がっているようで、正直、戸惑いも感じています。

 清水 一つのイメージで単純に台湾を理解してしまう点では、以前と変わっていないですね。

 川上 台湾はなぜ日本でこれほど賞賛されるようになったのでしょう。そこには中国の社会統制の強化や拡張主義への反発、台湾をとりまく国際情勢の変化といった地政学的な力学が働いているでしょう。中国や韓国とは違って、台湾ならば安心して賞賛できる、という空気もあると感じます。

 加えて、私は、日本人のあいだに、台湾に対する一種の心情的負債があるようにも思うのです。日本は台湾を半世紀にわたって植民地支配しました。1972年の断交以降、日本は台湾の人々の孤立や苦労と正面から向き合ってこなかった。それなのに、台湾の人々は、日本に対してこれほどの親近感と寛容さを示し続けてきてくれた。どうやってこれにお返しをすればいいのか、どう報いればいいのか。

 いわゆるリベラルであれ保守派であれ、台湾と付き合いのある人は、そんな申し訳なさを感じてきたのではないでしょうか。今の日本では台湾の先進的な社会変革の動きに強いスポットライトがあてられる背景にはそんな心情傾向があると感じます。たしかに私自身、「台湾、スゴイ」と大きな声で言いたくなるのです。

 清水 そこでは負の部分が抜け落ちてしまっている。

 川上 当然のことながら、台湾の社会には深い政治的対立がありますし、政府への不満も未解決の問題もたくさんあります。そういった部分にもしっかりアンテナを張っておかないと、台湾のゆくえは理解できません。台湾に日本に欠けているものを仮託したくなるのですが、そこに台湾を「自分を慕ってくれる出来のいい弟・妹」と見なす視点がまぎれこんでいないか、一歩引く必要があると思っています。その上で、いかに多面的な台湾像を提示できるか。台湾研究者として気をつけたいところです。

 清水 私は外交関係の断絶や国連から退出した台湾の外交史など、負の歴史ばかり見てきたので、いいところに注目する視点が少し欠けているかもしれないです(笑)。

 川上さんのお話を聞いて感じたのが、台湾の方は相手によって語りを変えているという点です。先ほど出てきた日本に対する植民地時代の李登輝の語りがあり、それを聞いて日本は台湾のイメージをつくり上げていく。他方で、李登輝はアメリカにはアメリカに向けた語りをしますし、ヨーロッパにはヨーロッパに向けた語りをするわけです。国や人、語る相手によって変えているのです。台湾の方は日本の製品が好きだと言いますが、フランスの製品も香港の製品も好きと言います。好きなものはたくさんあるけれども、相手を見ながら発言できる。

 ですから、台湾の政治家へのインタビューや発言内容は要注意で、誰に向かって何を発信しているのかを十分に考慮しながら情報を取っていくことが重要になります。そんな中で踊らされながら研究するというのが台湾研究のおもしろいところでもあるのですが(笑)。

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