『公研』2021年8月号「めいん・すとりいと」

 大学の講義は所属する専任教員によるものばかりではない。いわゆる非常勤の教員によって支えられている講義が相当数存在する。大学生はそうした事情を知らない。講義名と内容(あとは単位の取りやすさ)で選択するのが通常なのだから、担当講師なんて気にしていない。ましてや、実は他所の大学から出講している講師が混じっているなんて、夢にも思っていない。

 とはいえ、他所からやってくる人間も普通は通える場所からやってくる。電車や車で、1時間ぐらいでやってくる。私だって、それが普通だと思う。

 ところが、ちょっとした事情で、私はこの数年、本務地の京大霊長類研究所からはずいぶん離れた神奈川県日吉の大学で出講している。週末に時間をやりくりして遥々首都圏まで出かけて話すのは、正直骨が折れる。講義初回に、私の暮らしぶりを学生に紹介すると驚かれる。さらにややこしいことに、霊長類研究所は京都ではなくて愛知県に所在していて、おまけに、私の住処は岐阜県である。学生は、まさか毎週、京大の愛知県にある施設の教員が、岐阜県から首都圏にやってくる(もはや私も表現するのが難しい)と思っておらず、唖然とする者もいる。しかし越境生活はさておいて、京大の教員の講義を聞けること自体とても驚かれる。そして、得した気になるそうだ。遠い分だけ得した気持ちになるのだろうか。

 こんな特殊事情もあって、2020年の3月に世界中が移動をやめてしまったときは、この講義をどうしたらよいだろうかと大変気を揉んだ。首都圏往復は難しいと、私ははなから思っていたが、実際どうなるかヤキモキしていた。私のような越境講師は、他には絶対いないだろうから、「気をつけて講義にお越しください」のような依頼に怯えていた。実際は完全オンラインになり、正直ほっとした。ZOOMで授業などしたことがなかったが、私は楽観的で、例年と同じ時間・予定で、生配信で話そうと考えた。しかし、初回の授業で500人集まるはずが一人も集まらず(設定ミスだった)、事前録画して配信することにした。岐阜の片田舎で講義して都会の大学に配信するのは、学生には時空間を飛び越えて不思議な光景だったと思う。自宅前が広い田畑なので近所の爺さんの草刈機の爆音が流れたり、カメラの前を猫が通過したり、背後で文鳥が歌い出したり、小学校の長閑な下校放送が流れたりした。録画し直すのが面倒で、こうした闖入も全部講義にして流した。しかし、異界の情景が時折出没することのほうが、講義の内容よりもずっと評判が良かった。

 受講生が多過ぎるという理由で、今年も完全オンラインで講義した。今年は生配信し、その録画を後日公開した。問題は何一つ起きなかった。質問も活発で面白いものが増えた。レポート課題も、対面時代より出来が良くなった。講師がどこにいようが、学生と教員、大学がやる気なら、どんな講義も実現可能なのだろう。複数大学で同時に講義もできるだろう。対面に戻っても、私は教室でZOOMを立ち上げ同時・後日配信すると思う。

 学生から質問がきた。「ライブで参加した方がいいのでしょうか?」──。私は「録画配信で流せない雑談がたくさんあるので生配信が楽しいと思います」と返した。学生から即レスが来る。「普段は録画を4倍速で視聴していますが、次回はライブで参加したいと思います!」──。やれやれ。来年は4倍遅く編集して配信してやろう。すっかり新しい普通に慣れてしまった。 霊長類学者

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