『公研』2019年10月号「めいん・すとりいと」

砂原 庸介

 参議院通常選挙が終わり、内閣改造が行われた。小泉進次郎氏が入閣することがメディアで大きく取り上げられていたが、これは逆に言えば他の点で新味に乏しい内閣であるということも意味するのだろう。麻生副総理・菅官房長官・二階幹事長を軸とする年来の指導層には変更がなく、「次」が期待されるような辺りでは横滑り・再入閣など内閣のみならず自民党役員職も含めて担当の入れ替えが行われ、そして入閣待望組を整理した感じとなっている。要するに、中核的な指導層にはほとんど変化がない。

 選挙制度改革以降、本格的な長期政権と呼べるものは小泉政権と安倍政権の二つである。小泉政権でも最後のほうは特に新味を出すというわけでもなく、後継者をもじった「麻垣康三」(麻生太郎・谷垣禎一・福田康夫・安倍晋三)のような洗練とは程遠いような造語がメディアで使用され、内閣改造があればこれらの後継者がどこに配置されるかについてのお喋りが交わされる程度であった。今回も同じような造語があるようだが、このコラムを書いている私も知らないし、人口に膾炙しているとはとても言えないだろう。

 これは別に「末期的症状」のようなものではなく、おそらく議院内閣制における(長期)政権とはそういうものなのだろう。政権の獲得において中核的な役割を果たした人々が、基本的に同じメンバーで政権を維持し続け、周縁部のプレイヤーを入れ替えながら、リーダーのバックアップを探していく。あくまでもバックアップなので、特定の顕名がリーダーとして出てくるわけではないのである。

 そのように10年という単位で政権を考えるとき、政権交代はどうしても同時に「世代交代」としての性格を帯びることになる。それだけ仕事をすれば歳を取るし、どんなに優れた人でも対応力は鈍る。実際、10年前の民主党への政権交代には、新たな世代──小選挙区比例代表並立制が当たり前になった世代──への交代という側面もあったはずだ。それまでの自民党政治を批判して個人の自立を支援しようとする「コンクリートから人へ」といったようなフレーズも、とりわけ若い世代を喚起する力があったように思われる。

 しかし、民主党政権は半ばで瓦解した。後継の安倍政権は、従来の自民党政権の性格を引き継ぎながら、政策的には民主党政権と重なる部分も大きい(竹中治堅編『二つの政権交代』)。民主党自体は必ずしもうまくいかなかったとは言え、時代の変化に即した必要な対応という面も少なくなかったからだ。そのような中で、次の世代は二つの選択の間で葛藤しているように思われる。すなわち、現政権のバックアップから引き継ぐかたちで漸進的に政策の革新を進めるか、異なる政党を基盤として政権を獲得しようとするか。現在のリーダー世代に近ければ前者を志向するだろうが、所詮バックアップに終わるかもしれない。現リーダーから遠くなれば後者という傾向があるだろうが、リスクは大きいし現在の野党を恃みにするのは難しい。野党も世代交代の問題を抱えている。

 現在それなりに支持されている政権が四選もあるか、という政治状況で、政権党の次世代議員にとって身の振り方は難しい。しかし、これは政治の問題だけではないかもしれない。ほどほどうまくやっているように見える。だけど将来は必ずしも明るくない、という状況は我が国を広く覆っているように思われる。そのような中で、社会や共同体における様々な責任を現世代から「どのように継承するか」は次世代が遍く抱えている憂鬱ではないか。神戸大学教授

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