『公研』2017年3月号「issues of the day」

大場 紀章 

 「ペルシャ湾岸からの米軍撤退(Getting Out of the Gulf)」。こうタイトルがつけられた論文が米国の外交評論誌『フォーリン・アフェアーズ』に掲載された。筆頭著者はトランプ政権で要職に就く可能性が噂されている、ジョージ・ワシントン大学のチャールズ・L・グレーザー教授だ。「世界の警察をやめる」と宣言したのは、トランプ大統領よりもオバマ大統領が先だった。しかし、米国人が他国の紛争介入に消極的になり、イラクやシリアの情勢がどれだけ泥沼化しても、世界の石油供給にとって最重要であるペルシャ湾から米軍が撤退すること自体が論争に上がることはほとんどなかった。

中東の安定化に関心がない?

 ホワイトハウスのウェブサイトの“Issues”項目トップは「米国第一主義エネルギー計画」が掲げられている。具体的には、国内における化石資源(シェール資源、石油、ガス、石炭)開発の規制緩和を推進してエネルギー自給率を高め、OPECカルテルや米国と敵対する国々へのエネルギー依存を脱却するとしている。そして、オバマ大統領が推進してきた環境政策について全面的に見直す方針である。トランプ政権は、その人事を見るだけでも、基本的に化石燃料企業が望む方向性にあるのは間違いない。

 そして、その最たる人物が、国務長官に起用されたレックス・ティラーソン、前エクソンモービル最高経営責任者(CEO)である。トランプ政権の外交政策の軸は、ティラーソンの太い人脈がある中東やロシアなどの産油国を意識したものとなると想像される。

 トランプ政権の中東政策は、中東と「ポジティブなエネルギー関係」を結ぶ、過激派組織イスラム国(IS)を壊滅させる、とする一方、対イランの経済制裁解除に懐疑的、エルサレムをイスラエル首都として認めるなど、中東をさらなる混乱に招きかねない言動が目立つ。中東の安定化に本当に関心がないかのように見える。

 実は米国の石油中東依存度はすでに低い。2015年の統計では、ペルシャ湾からの輸入量は全石油消費量の7・7%でしかない(EIA統計)。すでに中東は米国にとって、直接の魅力的な石油供給源ではないのである。

 それでは、米国にとって中東を守る価値とはなんであろうか。冷戦時代は、ソ連をNATOと日本に駐留する米軍で挟み撃ちにする二正面作戦であった。中東と陸続きの欧州諸国にとって、同地域の安定は非常に重要で、だからこそ米国の利益でもあった。日本へのエネルギー供給源を安定的に確保するということも、米国にとっての国益だった。しかし、冷戦が終結した現在、その意味はかなり薄れてしまった。米国が手を引きつつあるなか、中東の混乱から大量の難民が欧州に流出し、EUは分裂の危機に立たされている。日本は中東石油依存という危険な形だけが残ってしまった。

 冒頭で紹介したグレーザー教授等の論文によると、現状では米国は湾岸への軍事コミットメントを維持すべきと留意しつつも、戦略石油備蓄の拡大、自動車燃費の向上、ホルムズ海峡迂回パイプラインの建設、などの対策を行うことで、10年あまりでリスクを最小化でき、軍事的関与を段階的に削減すべきとしている。その対策費は年間100~200億ドルの規模だが、毎年750億ドルと言われる湾岸防衛のための軍事コストに比べれば軽い負担となるという。

NATOの結束にも影響か

 このように、米国は中東への直接の利益と関心を失いつつあるが、一方で世界における中東安定化の重要度は増している。世界の原油供給に占めるOPECの比率は、第1次石油危機直後の1975年は36%で、その後、北海油田の生産拡大で85年に19%まで減少したものの、北海油田は生産ピークを過ぎ、直近では再び35%まで高まっている。近年では中国など新興国向けの輸出が増えており、今後もOPECのシェアはますます高まると考えられている。国際エネルギー機関(IEA)は、「北米のエネルギー供給量が増加しているからといって、中東地域への関与を減らさないでほしい」と米国に対し異例の要請を行っている。

 一方、対ロシアに関しては、トランプ政権はまだはっきりとした路線を打ち出してはいないが、プーチン大統領からの信頼厚いティラーソンを起用したことから考えても、経済制裁解除を含め融和的になる可能性が高い。経済制裁で頓挫してしまった、ロシアにおけるシェールオイル米露共同開発の再開は、プロジェクトを進めてきたエクソンモービルにとっても悲願である。

 このように考えると、トランプ政権が自国中心主義をビジネスライクに取ることで、米国以外の国にとって今後ますます重要なはずの中東石油の安定供給が危ぶまれかねないことになる。また、米国の対露融和路線によって、エネルギーでロシアと友好関係を結びたい国と安全保障上脅威に感じ制裁を維持したい国とで欧州が分裂する。NATOの結束力の疑義も生じるだろう。

 今も昔も、エネルギー資源が地政学を動かす。トランプ大統領誕生による構造変化は、いま始まったばかりだ。エネルギーアナリスト

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事