TSMCと台湾政府の連携?
清水 もう一つ川上さんにお聞きしたいのですが、TSMCと台湾政府の連携をどう理解すればいいでしょうか。外から見ると台湾=半導体とセットで語られることが多いです。台湾の国際的地位、レジリエンスの一つの重要な要素として半導体産業の存在があります。そうなると台湾政府としては、半導体産業を守り、手の届く範囲でしっかり握っておきたいと考えるはずです。しかし、他国からの「自国に進出して欲しい」という圧力もありますよね。ここ数年の同社の海外進出において、TSMCと台湾政府の考えは一致しているでしょうか?
川上 台湾政府としては、「護国神山」とも言われるTSMCには台湾にとどまり続けて欲しいという考えと、同社の海外進出を介して米国や日本、欧州との連携を深めたいという考えの両方があるでしょうね。TSMCとしても、台湾にとどまるほうが経営効率がよいという事情と、顧客および各国政府からの進出要請にはある程度、応えていく必要があるという事情があるでしょう。ただ、現状は、見た目ほどのジレンマは起きていないと思います。
まず、TSMCは、最先端の半導体の開発製造については、人材とサプライヤーの集積がある台湾で続けていく見込みです。そのため、同社の核心的な資産はおのずと台湾にとどまり続けます。一方、海外進出にも一定の合理性があります。台湾では半導体製造に必要な資源である水、電力、土地、頭脳労働者、現場労働者の五つの不足が深刻になっています。生産能力が一箇所に集中していることにも、大きなリスクがあります。誘致する側から十分な補助金が出ますし、海外に工場ラインを設置することは、TSMCにとって悪いことではありません。
TSMCが投資の主軸を台湾に置きつつ、生産拠点の国際化を進めているという現状は、結果として、政府から見れば台湾の存在価値を国際的に高めることと主要国との連携を深めることの両方に繋がっており、TSMCからしても事業の適度な国際化に繋がっているわけです。
清水 そうすると、半導体の外交的な価値は、今後も高くあり続けるとお考えですか?
川上 半導体はそれ自体市場で取引される商品ですから、需給のバランス次第では欧米や日本の半導体産業への関心が低下するといったこともあるかもしれません。ただ、TSMCが圧倒的なシェアを誇る最先端のロジック半導体はAIや高速コンピューティングといった軍事技術とも直結した戦略性の高い財です。米国が対中規制の焦点としているのもこの部分ですので、ここをがっちりと握っているあいだは当分高い外交的価値を持つでしょう。
清水 蔡英文としては、台湾が独占せずに国際的に開かれた産業にすることで、国際社会への責任を果たすという立場を取っているわけですね。他方で、台湾半導体産業の高い外交的な価値を維持し続けるためにも、電力の安定供給や地震国としての備えが今後の課題になってくると思います。
また、外交的価値というとここ数年間で半導体を通したヨーロッパとの関係も少しずつ強くなっていますよね。台湾にとって新たな繋がりです。ここは今後も広がっていく余地があるのでしょうか?
川上 はい、広がる余地は十分にありますね。
清水 特にここ数年は半導体企業の関係もありますが、ヨーロッパと台湾という関係が高まってきています。少し前は、中国が一帯一路の構想に基づいて、ヨーロッパを取り込もうとする強い結びつきがあったので、台湾は入る余地がありませんでした。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行やウクライナ侵攻が影響して、ここにきてヨーロッパと台湾の関係が新たに構築されつつあります。
ヨーロッパとの繋がりは、東南アジアなどさらに広い繋がりに発展する可能性を秘めています。日米との関係だけで動いていると非常に弱いので、そういう意味でも欧州との関係は台湾にとって大きな意味を持つものとなるでしょう。半導体がそのカギを握るというわけですね。
川上 国際社会の中の台湾というと、どうしても「米−中−台」というフレームで見てしまいますが、欧州との連携というのは台湾に違う可能性を運びこんでくれそうですね。
清水 ここは非常に重要なチャネルになってくると思います。ヨーロッパとアメリカが微妙な関係にあるからこそ、台湾が生き残るために両方のチャネルを維持することは大きな選択肢になります。
2024年総統選挙を展望する
清水 最後に、2024年1月に行われる総統選挙について話をしたいと思います。経済的にも地政学的にも非常に重要な位置にあり、また重要な時期にある台湾にとって、今回の総統選は大きな意味を持ちますよね。
川上 今回の選挙は久しぶりに民進党と国民党の一騎打ちではなく、少なくとも三つ巴の構図の選挙戦になりますね。今のところ、3人の有力候補が名乗りをあげています。まず、民進党の頼清徳氏。現在の副総統です。二人目が国民党の侯友宜氏。台湾最大の人口を擁する新北市の市長です。そして三人目が民衆党の柯文哲氏。元・台北市長です。(注:対談収録後、ホンハイ精密工業の創業者、郭台銘氏が出馬をめざすことを表明した。)
「美麗島民調」の8月の世論調査結果によれば、民進党の頼清徳の支持率が36%とトップです。これを追うように侯友宜と柯文哲が22%という状況です。この流れで推移すれば頼清徳氏が当選する可能性が高いと思いますが、まだ5カ月近くありますから、どうなるか現在ではわかりませんね。
清水 そうですね。何が起こるかわからないのが台湾の選挙です。頼清徳は蔡英文政権の路線を引き継ぐと表明し、彼がこれまでに時折見せていた台湾独立という発言を抑制しています。慎重さを十分にもっているというイメージをつくり、中間層を取り込む努力をしているように見えます。
しかし、頼清徳は今のところ支持率でトップを走っていますが、今後新しい支持を獲得していく要素が見当たりません。何らかの外部要因が働いて追い風になれば話は別ですが、そのあたりがネックとなっています。
川上 2020年の総統選では、19年の香港情勢の急激な悪化という外部ファクターが蔡英文の支持率を顕著に押し上げましたよね。
清水 香港情勢の影響は大きかったですね。今回の国民党候補の侯友宜は本省人で、実務能力もあり支持者からの信頼感、そして人気もありました。ただ、彼は立候補演説のときにほぼ何も語れなかった。あまりにも準備ができていませんでした。外交や軍事に関して、はっきりとした自分の意見を持っていないように見える。この発信力のなさは台湾の選挙で大きなマイナスイメージになります。頼清徳も発信力にそこまで長けていない。そういう点で、第3勢力・民衆党の柯文哲には強みがあります。
川上 彼には独特の発信力がありますね。
清水 ただ柯文哲はこれまで失言も多いですし、民衆党の他の議員の問題もあるので勢いがこのまま続くかはわかりませんね。
まとまりつつある台湾の民意
川上 これまでの台湾総統選挙は、台湾の将来を選ぶ選挙とも、中国との距離の取り方を選ぶ選挙であるとも言われてきました。しかし、今回の三人の総統候補の主張や対中関係をめぐる立ち位置は、従来の一騎打ちの構図のもとでのそれに比べると、実はそこまで大きく異なっていません。これは、長い紆余曲折を経て、特に最近の国際情勢や中国の変化を受けて、台湾の民意の方向性がおのずと一定の幅の中に収斂してきたことの現れであるように思われます。
今世紀以降の歴代政権を振り返ると、陳水扁政権(2000年から08年)は、内政運営に苦しみ、支持者の求心力を高めようと次第に台湾独立寄りの政策を打ち出すようになって、アメリカの不信を招き、最後はスキャンダルで自滅してしまいました。馬英九政権(2008年から16年)は、中国との関係は良好に推移しましたが、政権運営や中国との融和路線が次第に反発を招き、ひまわり学生運動の勃発に直面しました。現在の蔡英文政権のもとでは、米中対立やコロナ禍も相まって、国際社会の台湾への連帯が強まっています。
中国に台湾の主体性を譲り渡すようなことは決してしない。同時に中国を挑発するような言動もしない。民進党はもちろん、国民党であっても、様々な紆余曲折を経て台湾社会の中から浮かび上がってきた最大公約数的なこの路線を否定することはできないと思います。
清水 立ち位置に大きな違いがない中で、国民党は今回の選挙で難しい立場にいるのではないでしょうか。国民党からは、本土派と呼ばれる台湾出身の侯友宜が出馬していて、川上さんがおっしゃるように台湾の主流の民意に近い候補者です。しかし、中国との関係になると微妙かつ慎重な立場を要求され、92年コンセンサスの語り一つとっても、選択の幅が非常に限られている状況にあります。
92年コンセンサスを中国寄りに語れば、中国との関係改善の可能性を示すことができますが、台湾の民意とずれてしまいます。一方で、「中華民国憲法に合致する」というような保険を掛けるような語りでは、国民党の候補者でも中国からは非常に厳しい視線を浴びることになります。こうした要素もあって、国民党は一つにまとまることができないままです。
また、台湾政治の文脈での難しさの一つは、「中国との関係改善をすべきだ」というような発言をしたときに、誰がどの立場でその発言をしたかによって、台湾の人々の受け止め方が変わります。危ないと感じたらすーっと支持者が離れて行ってしまう可能性もあります。実際、蔡英文が中国との関係改善を促すような発言をしても、台湾の人々は中国との距離に関して危機感を持ちません。中国との関係をどう切り開くか、どう表現するか。そしてそれを人々がどう受け止めるか。そのあたりの政治的センスを持っているかが、侯氏にとってポイントとなると思います。そこがうまくいかないと、支持が柯文哲に流れて行ってしまうかもしれません。
川上 柯文哲への支持は現在までのところ、思いがけず伸びていますよね。この人気を来年1月の投票日まで維持するのはかなり難しいように思いますが、有権者のあいだには、頼氏を易々とは当選させたくないという心情もあるようですので、柯氏は健闘することになりそうです。ちなみに柯氏は若い男性からの支持が高い候補者です。この背景は気になるところですね。
清水 彼には2種類の支持があると思うのです。一つは彼のキャラクターの強さや発信力の強さにおもしろさや新しい選択の可能性を感じている層。もう一つは長期政権化する民進党への牽制からくる支持です。川上さんがおっしゃるように、台湾には日本にはない長期政権への不安が存在します。
中国の介入が選挙のカギに
川上 あとは、やはり中国との関係ですね。台湾の世論は中国との関係改善にはおおむね賛成しているわけですし、何より脅威を減じることができるなら、それに越したことはありません。しかし、頼氏が総統になれば、改善への見通しは立たないわけです。
清水 柯文哲現象の背景には、中国との関係を打開できない民進党への懸念があるかもしれません。そもそも、台湾の人々は中国と対立したいとは考えていません。できることなら関係を改善し、安定した状態にしたい。ただ、中華人民共和国への統一を望むわけではないので、統一以外の突破口になるような新しいアイデアを必要としています。しかし、それを民進党が打ち出せるかというと疑問が生じている。そうなると、国民党ではなくてとりあえず柯文哲を支持してみようとの流れが生まれ、柯文哲現象に繋がっているのかもしれません。ただ、実際に柯文哲が総統になったとしても、彼の陣営に政権運営能力があるかは疑問がもたれる点です。
ただ、選挙で中国との関係を争点にすることは、逆効果になることもあります。2022年の地方首長選挙で争点としたことは、民進党敗北の一つの要因でした。もちろん、これは地方の首長選挙で争点とすべきではなかったわけですが、社会の分断を生み出す可能性があり、いずれにしても危機を煽ることは効果的ではなくなっているのかもしれません。
川上 難しいところですよね。中国が選挙にいつ、どのように介入してくるかも大いに気になります。
清水 中国は台湾への介入のために国民党というカードを未だに残しています。ただ、中国が侯氏にいい顔をして国民党に力を持たせるように仕向けたいとしても、侯氏には国民党をまとめて引っ張っていく力がないので、今回の選挙ではそのカードはあまり役に立ちません。
むしろ、政治ではなく経済のカードで圧力をかけようとしています。先日発表された、台湾産マンゴーの輸入停止もその一つです。中国は、経済的な利権による圧力を今後もタイミングを見て小出しにしてくるかもしれません。
川上 選挙については、誰がどういうかたちで勝利をおさめるか、という点に関心が向かいますが、選挙戦のプロセスそのものが、台湾の現在地と、これからの方向性を考えるうえでのまたとない材料となります。総統選挙と同時に行われる立法委員選挙の結果も非常に重要です。台湾の人々が総統選挙と立法委員選挙のそれぞれにどういう思いを込めて票を投じることになるのか、見ていきたいですね。
(終)
しみず うらら:1967年生まれ。筑波大学卒業。同大学院博士課程単位取得退学、博士(国際政治経済学)。国士舘大学21世紀アジア学部教授、東京大学東洋文化研究所特任准教授を経て2019年より現職。著書に『台湾外交の形成──日華断交と中華民国からの転換──』、共著に『現代台湾の政治経済と中台関係』『日台関係史 1945-2020増補版』など。
かわかみ ももこ:1968年生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程修了、博士(経済学)。91年にアジア経済研究所に入所。地域研究センター長を経て2022年より現職。著書に『圧縮された産業発展──台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』、共編著に『中国ファクターの政治社会学:台湾への影響力の浸透』など。