『公研』2020年10月「めいん・すとりいと」

渡辺 努

 世界中で感染が本格化してから半年が経過し、新型コロナウイルスと人間の闘いの様相について随分と知見が蓄積されてきたようにも思う。闘いの一方の主役はウイルスであり、ここは医学系の研究者により、感染のメカニズムや治療薬・ワクチン開発など知見の蓄積が進んでいる。

 闘いのもう一方の主役は人間だ。ここは、社会科学の分野で研究の蓄積が進んでいる。例えば経済学では、様々な国でコロナ感染に関する膨大な数の研究成果が発表されている。論文の著者の国籍が多様なのはコロナ禍の性質を考えれば当然だが、興味深いのは研究者の世代も多様という点だ。大学院に在学中の研究者の卵が自らを売り込むチャンス到来と意気込むのは十分想像できるが、各分野の大御所とされる研究者も、これまで考えたこともない難問に正面から挑戦し、注目すべき成果を挙げている。

 経済学のコロナ研究で多くの研究者の関心を集めるテーマは政府の役割だ。感染拡大を抑えるという役割は自明だが、感染の抑制は経済活動も抑えてしまう。ここをどう考えるかという問題だ。例えば、イタリアなどの欧州諸国や米国で政府がロックダウン(都市封鎖)を行った。警察が街中をパトロールし外出者を取り締まる姿が日本でも報道された。これに対して日本政府や地方自治体の措置は「要請」に過ぎない。感染の初期には、「要請」では不十分で、法的拘束力のある措置を日本もとるべきという意見が少なくなかった。

 しかし政府がコロナ対策の前面に出るべきという感染初期の考え方は見直されつつある。例えば、筆者が共同研究者と行った研究では、日本の緊急事態宣言は外出を8%程度抑制する効果があることがわかった。8%が多いか少ないかは重要な論点だが、筆者たちの評価は、「要請」や「自粛」など法的拘束力のない措置しかとらなかったにもかかわらず効果はそれなりにあったというものだ。緊急事態宣言は「自発的」なロックダウンだったと結論した。

 筆者たちと類似の手法で米国のデータを用いてロックダウン(こちらは本物のロックダウン)の効果を計測したシカゴ大の研究成果がある。それによると、外出抑制効果は約7%である。日本の結果とほぼ同じ数字であるが、シカゴ大の研究者たちは、この数字をもとに、政府の外出禁止の命令は効果がなかったと結論した。

 日米で同じ数字を前にしてその読み方にこれほどの違いがあるのはそのこと自体面白いことだが、シカゴ大の研究者たちとのその後のやり取りを通じて筆者が認識したのは、法的拘束力があってもなくても、政府による介入的な措置には、一般に信じられているほどの神通力はないということだ。日本の文脈で言えば、政府が法的拘束力のある措置をとれるようにするという提案はたぶん的外れだろう。法的拘束力のある措置は人々を一律に縛ってしまう。しかし外出しなければならない事情とその必要性は人それぞれだ。一律に縛るのではなく、個々人が判断できる余地を残しておくほうが、人道的にも経済的にも適切であろう。

 政府の強制措置の限界を示す結果は他の研究でも指摘されている。例えば、スウェーデンとデンマークの経済活動を比較した研究では、政府の規制のなかったスウェーデンと、厳しい規制のかかった隣国デンマークで、GDPの落ち込みにさほどの違いがなかったことが示されている。

 話を日米に戻すと、政府の措置は78%の外出抑制効果しかなかったが、外出そのものは両国で50%超減った。では残りの40数%の外出抑制はどこから来たのか。日米の研究はその点でも同じ結論に達している。それは人々の恐怖心だ。日本でも米国でも人々の外出は、日々発表される感染者数や死亡者数に敏感に反応することがデータから明らかになっている。感染に関する様々な情報に人々が接すると、それが恐怖心を生み、外出抑制につながる。

 必要なのは強制措置ではなく、正しい情報だ。このことに気づけたのはこの半年間の大きな成果ではないか。政府にはコロナ収束の日まで、国民への適切な情報提供をお願いしたい。東京大学大学院経済学研究科長

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