『公研』2022年12月号「めいん・すとりいと」
年の瀬である。今年何よりもショックだったのは、5月1日に中山俊宏氏(慶應義塾大学教授)が急逝されたことであった。偉大な同業者、先輩、友人であった中山氏は、米国政治ひいては日米関係にとってのテキサスの重要性をよく理解されていた。ダラスにもたびたび足を運んでくださり、サザンメソジスト大学(SMU)の政策研究所であるタワーセンターで何度もご登壇いただき、折に触れて「私はタワーセンターのレギュラー」とおっしゃっていた。昨今、社会科学者(特に米国研究者)が政策(特に日米関係)の話をしなくなっているので、米国の国内政治に精通しながら、なおかつ日米関係の政策議論ができる人材というのはもう現れないのではないかと危惧している。これからもダラスや日本で、当意即妙で明快な説明を聞きながら議論するのを楽しみにしていただけに残念でならない。日本の「鎖国」政策で傷ついた日米関係をこれから立て直していかなくてはならないときに、日本外交にとって有為な人を失った。いつか『公研』誌上でも「対話」をしたいとずっと思ってきたが、それも叶わぬ願いとなってしまった。中山氏逝去の報に接したときに、「一期一会」ということばが胸に去来した。「もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人に接せよ」という言は、コロナ禍を経験して「今」を生きることの大事さをいやというほど思い知らされても、なお言うは易く行うは難しである。
2022年は、後世の人たちが歴史を振り返ったときに「ポストコロナ」の始まりの年と位置付けられるのではなかろうか。「コロナ禍の霧が晴れたときの日本の立ち位置は何処に」と案じていたが、今年急激に進んだ円安が象徴しているように、日本はポストコロナの世界で大きく遅れをとってしまった。コロナとの共生をめざしている世界の趨勢には程遠い。コロナ対策は往々にして経済との相性は良くないが、日本はあたかも、経済を痛めつければコロナ対策になるかのような政策決定を行ってきたといえる。
岸田首相は5月にロンドンで「水際措置を6月にはG7(主要7カ国)並みに緩和する」と宣ったが、他のG7諸国が早々に国境規制措置を撤廃したのに対して、日本が現地出発72時間前のPCR検査義務を廃止したのは9月、ビザなし渡航を解禁したのは10月であった。観光シーズンの夏に入国規制を続けることによる「逸失利益」を考えたことがあったのだろうか。加えて、日本政府の度が過ぎる国境閉鎖措置は、結果として日本人に「外国人=危険」という合理性のない警戒心を抱かせ、日本社会に「外国人排斥感情」(xenophobia)を根付かせてしまったのではないかと危惧している。
「日本は『なにかあったらどうすんだ症候群』にかかっている」(元陸上選手の為末大氏の言、9月8日付『日本経済新聞』)。シルバー民主主義の意思決定では、変化を恐れて安定と秩序を求める声が通りやすい。しかし、目下のポストコロナの状況下では、先が見通しにくいので、やってみなければわからないことばかりである。それを「危ない」とか「想定外」と言って避けていては、リスクを取って火中の栗を拾うという判断を誰もしなくなってしまうだろう。
筆者は、毎年関西学院大学で行ってきたSMUのサマープログラムを、昨年、一昨年に続いて今年も断念、英国オックスフォード大学でのプログラムに乗り替えた。「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので、関学でのプログラムに参加予定だった11人の学生たちが、もとからオックスフォードに行く予定だった34人の学生たちに合流し、ともに学び、充実した英国滞在になったのはうれしかった。しかしながら、筆者の胸中は少し複雑である。2年続けてサマープログラムが中止になった3年生にとっては最初で最後の夏であった。日本プログラムを待ち続けていた学生に「通りゃんせ」と言いながら「ご用のない者、通しゃせぬ」と拒んだことによる、日本にとっての逸失利益はいかばかりかと思うのである。オックスフォードでの「一期一会」を大切に思いながら、リスクを正しく認識し、物事の優先順位を考え、状況判断ができる「人財」として活躍してくれることを願わずにはいられない。
サザンメソジスト大学大学(SMU)准教授