『公研』2021年10月号「めいん・すとりいと」
大戸屋で人気の「チキンかあさん煮定食」は東京では890円だ。しかしニューヨークの大戸屋で同じ定食を頼むと24ドルだ。完全に同じ料理かどうかは試したことがないのでわからないが、HPの画像を見る限りほぼ同じだ。日本が安いのは大戸屋だけではない。ディズニーランドも、東京が8200円に対して、フロリダは1万5千円、パリも上海も1万円超だ。
今年3月に出版されベストセラーになっている「安いニッポン」は、こんな現象が消費のあらゆる場面で起きていることを教えてくれる。SNSでも話題だ。
日本はなぜ安いのか。直接のきっかけは2012年末から2015年にかけての円安だ。第二次安倍政権が掲げたアベノミクスで金融緩和が始まり、円は1ドル78円から123円へと大幅に安くなった。
しかし、円安分が国内の価格に転嫁されていれば日本が安いとはならなかったはずだ。実際、アベノミクスがめざしたのはデフレ脱却、つまり物価を上げることだった。緩和で円安というのは最終的な目標ではなく、途中の結果に過ぎないと考えられていた。
確かに国内価格への転嫁は起きた。だが、それは非常に限定的だった。また、円安分をいったん転嫁した企業で客離れが起き、やむを得ず元の価格に戻すという事例も少なくなかった。
国内価格への転嫁が進まなかったのはなぜなのか。例えば、大戸屋のような外食に注目すると、米国の外食価格は、70年以降、年平均3─4%で一貫して上昇している。日本も90年頃までは同じペースで上昇していたが、バブル崩壊とともに伸びが鈍化し、95年以降の四半世紀はほぼ伸び率ゼロだ。
つまり、アベノミクスの始まるはるか前から、価格の硬直化が進行していたのだ。「安いニッポン」の真因はこれだ。アベノミクスで金融緩和を大規模にやって、円安は起きたが価格は反応しないという結果を見て初めて、日本の価格が硬直化している現実に注目が集まったわけだ。
ところで、「安いニッポン」はもう少し気取った言い方をすると、内外価格差だ。内外価格差といえば、90年頃にも社会問題になった。ただし、あの時は今とは逆で、国内価格が海外に比べて高すぎるという内外価格差だった。
あのときの内外価格差を説明する理屈は「価格差別」だった。同じ企業が同じ商品を売る。だがマーケットが違うので対象となる消費者が違う。あのときは、日本の消費者が米国の消費者に比べ価格に対する感度が鈍かった。例えば、輸入物のウイスキーは少々高くてもよく売れた。それどころか、法人の贈答需要もあって、むしろ高いほうがよく売れたという話も聞く。消費者が価格に拘らない日本で価格が高くなったのは当然だ。
いまはその逆が起きている。日本の消費者の価格に対する感度が高すぎるのだ。私の研究室で行ったアンケート調査で、「スーパーでいつも買う商品が値上がりしているのを見たときどうするか」と尋ねると、日本の消費者はその店で買うのをやめて元の価格で売っている別な店を探す。一方、米国や英国などの消費者は値上がりもやむなしと受け止め、高くなった商品を買う。消費者の感度が高すぎる。だから価格を上げられない。これが90年代半ばから続く価格硬直化の背景だ。
価格が硬直化すると、企業はコスト増を価格に転嫁できなくなる。賃上げをすればそれはコスト増になるがその分も転嫁できない。だから、企業は賃上げを躊躇する。このようにして、価格も賃金も四半世紀にわたって1ミリも動きなしという状況が生まれた。
企業に聞けば、賃上げできないのはそれを価格に転嫁できないからだと言う。消費者に聞けば、値上げを嫌がるのはもらえる賃金の先行きが見えないからだと言う。どちらも正論だ。価格と賃金のどちらから手を着けるにせよ、双方を同時に正常化させる、新しい発想の施策が必要だ。
東京大学教授