『公研』2019年9月「めいん・すとりいと」
三浦 瑠麗
アメリカの帝国からの撤退はどのようにして起こるのか。それが2006年ごろからの私の主要な関心事でした。2006年と言えば、イラク戦争の戦況悪化が益々明らかになり、中間選挙で共和党が敗北して世界に関与する意思を失った年。ブッシュ政権はダメージ・コントロールに集中し、つづく金融危機の中、指導力を失います。続くオバマ政権は価値観をめぐる変革においては画期をなす一方で、外交安保政策においては小康状態を保ち、8年間にわたって米国の覇権を維持しました。
しかし、アメリカ・ファーストを掲げて選挙戦を戦ったトランプ大統領の登場により、方針は大きく転換します。2016年当時、私はアメリカが「意気揚々と撤退する」懸念について指摘しました。自らが落ち目になり、余力を失ったから撤退するのだという感慨も持たずに、本土の利益や内政問題を最大限重視した結果として、意気揚々と撤退してしまうのではないか、と。現に、マティス国防長官はトランプ大統領の同盟国軽視の姿勢に警鐘を鳴らして辞任しました。トランプ大統領は日本との同盟破棄すら示唆する始末です。もはや同盟国の多くは自ら身を助くしかないところに追い込まれています。
他方で、トランプ政権の外交政策には同盟国軽視だけでは表せない特徴が存在します。それは、中国に正面から経済覇権をめぐる戦いをしかけたということです。トランプ政権の対中政策には矛盾が含まれます。そこには、中国を敵視し経済にダメージを与えようとする冷戦派の立場から、改革を迫り責任ある大国へと導こうとする立場、そして大統領のように貿易赤字を削減しようとする立場までが同居しています。政権初期に重要な役割を担ったイデオローグのバノン氏は退場しており、一貫性のある思想が政権の対中政策を牽引しているわけではありません。仮に、米国経済の活性化や先端技術覇権争いに特化していれば、米中間にはグランドバーゲンが成り立ったでしょう。しかし、そこに冷戦派の思惑が入り込んだことによって、中国経済にダメージを与えるという目的が前面に出てしまいました。
中国を正面から挑発する以上は、明確な戦略と周到な準備が必要です。トランプ政権の対中政策には一貫性や覚悟のなさが窺えます。そして、最大の誤算は、同盟国に対する戦端を開くと同時に対中貿易戦争をしかける二正面作戦を準備もなしに戦ってしまったこと。アメリカが中国を凌駕しうる最大の要素は、世界中に張り巡らされた同盟国ネットワークであり、それら先進国市場の購買力をまとめられる力です。しかし、きちんとした準備もなしに二正面作戦を挑んだ結果、華為技術の圧迫に際してはドイツやブラジル等の重要な国々がついてきませんでした。かつてのアメリカであれば許さなかっただろう離反や反抗を同盟国に許してしまっているのです。結局のところ、トランプ政権下で米国傘下の陣営は狭まっています。今後も米中覇権競争が続くとして、最後までアメリカについていくのは日本とアングロサクソン諸国ということになるでしょう。縮小された帝国の数少ない側近という立場は、表面上は「特別な関係」として心地よいかもしれませんが、同盟国に向かう圧力が分散されず日本に集中するということでもあります。
最後に、トランプ政権は、「中国の態度を変えた」政権として後世認識されることになるでしょう。中国は今や、アメリカがどのようなことを中国になしうるのかを的確に理解したからです。今後の世界は、中国が自前の経済圏を構築し、相互依存から脱却しようとする行動によって定義づけられることでしょう。ブッシュ(子)政権が帝国の衰退を一世代早めたのだとすれば、トランプ政権は中国の本格的反攻を一世代早めたのです。そのことは2020年の大統領選で誰が勝とうが変わらない、歴史的インパクトを残したと思うのです。国際政治学者