『公研』2020年3月号「issues of the day」

山形浩生 

 2016年EU離脱の国民投票が行われ、僅差で離脱派が勝ってしまったとき、ぼくは拍手をした数少ない人間の一人だと思う(Twitterに証拠が残っている)。多くの人は、「自分の首を絞める愚民どもめ!」と罵倒嘲笑の限りをつくしていたけれど、ぼくはむしろ、当時の言動から見てEUから距離を置くのは正解だと思っていたからだ。

 当時のEUの言動とは、金融危機とその後のユーロ危機をめぐるものだ。ユーロ圏は財政金融の双方の面でずっと愚かしい緊縮のドグマにすがり、融通の完全な欠如を露呈して危機を長引かせ、ギリシャやポルトガルなどの壮絶な失業や生活水準低下を黙殺した。

 イギリスは、EUには入りつつ通貨統合はしないだけの立ち回りのうまさがあり、おかげでEUの自殺的な経済政策の道連れにならずにすんだ。EUからはいい加減ユーロに入れという圧力も増していたようだし、はっきり距離を置くのは優れた選択肢に見えた。

独立主権国とは?

 そもそも、ユーロ危機はEUの何たるか、同じことだが、独立主権国とは何なのか、という問題を改めて浮き彫りにした出来事だったと思う。EU離脱がイギリスでそもそも大きな政治課題になったのは、移民、特にシリア等の難民受け容れだった。難民問題はここでは置いておこう。でもEUがめざしていたのは、お金、モノ、情報に加えて人の移動の完全な自由化だ。それが実現したとき──国とは何なのか? そこに独立主権の国というものは存在するのか?

 EUは、あると言いつつギリシャの反緊縮政権を締め上げて内政干渉しまくった。そしてそのギリシャが数十パーセントの失業にあえぐ中で、ユーロ危機はすでに解決したと述べ、その後は財政主権を奪い、各種規制統合で産業その他の主権も奪い、独立主権国にはそれが失敗したら尻拭いだけはさせてやるという、ものすごいロードマップを発表している。

 イギリスの離脱派が掲げるスローガンの一つは、EUに独立主権を奪われてはいけない、というものだった。残留派は、それを一笑に付すけれど、ぼくが見る限り、必ずしも妄想とは言えない。その一方で、そもそもEU自体が最適通貨圏の要件を満たさず、ユーロによる通貨統一自体に無理がありすぎだったことも、何度も指摘され続けている。基本的には、別々の国としてやっていったほうがよいのでは、ということだ。

 一方で、EU離脱でイギリスは多大な損害を被る、という主張は主流メディアでよく見かける。でも実はEU加盟のメリットは、予想よりはるかに小さかったというのも経済学の教科書にはっきり書かれている。では、離脱の被害もそこそこでは? そもそも近年ではもう貿易自由化は十分進み、これ以上いくら頑張っても追加メリットはたかが知れている。大きな関税は、農産物くらいのものだ。EUがあれだけ苦労して自由化しても、たとえばドイツとイタリアでは嗜好や生活がちがいすぎ、洗濯機をはじめ別々の製品を作らざるを得ないので大した利益はないという。

 そしてそれを無理して進めようとする活動は内政干渉じみてきた。イギリスのEU加盟時に、各国の規制をすりあわせる中で、イギリスはあの朝飯に出てくるまずいソーセージみたいなものを、ソーセージと呼べなくなってしまい、すさまじい反発が生じたというのは有名な笑い話だけれど、でもたぶんこれは決して笑い話ではない。
そうした無意味な干渉はグローバリズムへのナショナリズム的な反発を招き、そこに十分な正当性があるとするダニ・ロドリックのような主張も説得性を持ちつつある。Brexitはその一貫だ。

EUの存在意義

 とは言え、国民投票後のイギリスの迷走ぶりは目を覆いたくなるひどさで、このぼくですらマズいとは思った。離脱派は、あれだけ大見得切ったくせに離脱の戦略や腹案が皆無。ぼくのイギリス情報は大半が英『エコノミスト』誌からきているので、そこから得た印象だと、どうもイギリス国民も呆れていて、国民投票では勢いで離脱を支持したけれど、いまやその後勉強した甲斐もあって後悔しているらしいと思っていたのだけれど……。

 そこへ昨年12月の選挙だ。圧倒的な離脱派支持。結局、状況は何も変わっていなかった。主流マスコミが国民の意見を何もわかっていないという点も含めて……。

 イギリスでもアメリカのトランプ勝利やイギリスの最初の離脱でも、インテリ層の一般国民との乖離は指摘されたが、まったく改善していないらしい。フェイクニュースが悪い、ポピュリズムが悪いと言うのは簡単だけれど、人びとは本当にそこまでバカなのだろうか? そしてそのバカを4年も維持できるものだろうか? ここで述べたように、Brexitは決してまったく理がないわけじゃない。今後数年でイギリスが大不況に陥ったりしなければ、その理ももう少しわかりやすくなる。そうなったら、だんだんEU自体の存在意義も疑問視され……。翻訳家

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