『公研』2019年3月号「めいん・すとりいと」
三浦 瑠麗
保守と進歩の対立が世界的に新たな局面を迎えようとしています。
冷戦期のように認識が固定化された世界では、人間は人工的に態度を決めることがしばしばです。進歩の側はかつて、ソ連の実態をよく見ることなしにその社会を賞賛しました。保守は反ソ・反共を信条としながら、実際の経済政策においては融通無碍でした。両者の間には確固たる思想的対立軸が存在していたために、政策の中身が変われども対立は揺らがなかったのです。
両者の思想的対立軸とは、世の中の捉え方であり、人類が向かう方向への認識でした。単純化して言えば、保守はナショナリズムをその核とし、進歩はコスモポリタンな世界を描きました。現実にはソ連は世界に共産革命を広めるためではなくて、ナショナリズムを満たすために軍事や産業振興に力を入れたのですが、思想においては現実とずれた「概念」のほうがリアルだったのです。
20世紀の世界ではグローバリゼーションが進み、冷戦後にそれが加速化します。近代という概念の終わりも提示されるようになりました。また、米ソの二極陣営という制約が緩むと、各国は内向きの民族主義やナショナリズムを抱え込むようになります。ちょうどユーゴスラヴィアが解体していき内戦を経験するのと時を同じくして、世界が向かうべき理想というものがだんだん定まらなくなってきたのです。
そうして21世紀に近づくと、保守の側は経済的自由主義を推し進めてきた結果として、グローバリズムとナショナリズムの相克を引き受けざるを得なくなり、次第に経済的自由主義を背面に押し隠し、社会的な価値観における保守主義に訴えるようになります。それに加えて、保守が得手としたのは大衆からあいまいな支持を調達することでした。地球の環境破壊や富の格差など様々な懸案が生じても、とりあえず中庸な政策を採って問題を先送りする。市場とテクノロジーの未来に期待すればそのうち解決するだろう。そんな楽観主義が、保守による政権維持を可能にしてきました。
反対に、進歩の側はときに環境破壊や所得格差の拡大する暗い世界を描く一方で、現実には旧い産業に従事する労働者の既得権から抜け出ることができませんでした。進歩の側が新産業やテクノロジーに関わる明るい未来像を提供したときもありますが、そうした勢力は左派の分裂の中で消耗していきます。そして、一番根源的な左派の分裂が際立つようになります。つまり、エリートによる合理主義的アプローチが、大衆動員型の運動へと道を譲るようになってきたのです。それこそが、最近の先進国で共通に見られる現象なのです。
昨今、AIや仮想通貨などの新技術に強い、保守対進歩の対立に与しないニューカマーの経済人がとかく「システム」という言葉を使いがちなのは、左派の分裂によって計画的な合理主義アプローチが左右対立の枠外に押し出されてしまったからでしょう。彼らは新しい経済圏を作ろうと試みたり、「無能な国家」に邪魔されないようにしながら、人々の生活を底上げし、豊かにする原動力となっていくだろうと思います。
しかし、人口構成的に見てこの層が多数派を占めることはありません。経済的自由主義と社会的な自由主義が合わさる層は米国でも4%しか存在しないからです。大衆動員型の運動によってちゃぶ台返しが行われようとするときに、それを仮におしとどめられる力があるとすれば図体の大きな保守であって、合理主義者ではありません。そのかわり、保守が持ち出す処方箋は旧いものばかりです。21世紀における私たちは、テクノロジーや経済における輝かしい未来を得るとともに、人類史における政治的後退を経験することになるでしょう。国際政治学者