『公研』2022年4月号「めいん・すとりいと」
コロナ禍が本格化した2020年4月からは、Zoomに代表されるウェブ会議システムが社会の至るところに導入された。初めは恐る恐るという感じであった大学でも、教授会をはじめとした各種の会議がオンライン化され、授業も動画だけではなくリアルタイム・オンラインで実施されることは珍しくない。
オンラインで他者とやり取りができることは、移動の時間の大きな節約をもたらす。例えば筆者であれば、会議や授業のために大学に行く必要はなくなり、2時間の会議のために神戸から東京に往復6時間かけて出張することがなくなった結果、その時間を他の作業に充てることが可能になる。結局はその時間の多くが他の会議に使われることになるわけだが、個人的にもこの2年間に行ってきた会議を移動時間込みでやりなさい、と言われていても無理だったように思う。会議の生産性なるものがあれば、相当程度向上していたということだろう。
とは言え、大学のほうは2022年4月から原則的に対面授業に戻る。オンデマンドやリアルタイム・オンラインで行うメディア授業科目を卒業単位とするのは60単位まで、という文部科学省による告示があり、この2年間は特例的にメディア授業でもその上限に算入されなかったが、2022年度以降は特例がなくなって再び上限が問題になることが大きい。さらに、授業が原則的に対面で行われるならば、〈どうせ大学にいるのだから〉会議だって対面で、という意向を目撃することも多い。
コロナ禍において改めて明確になったことの一つは、人を物理的に集めるというのが権力的なふるまいであるということだろう。大学に関して言えば、感染状況が収まっているとは言えない中で実施された大学入試が典型だ。バラバラに散らばる人たちを1カ所に集めて監視して何かをさせる──しかも試験の場合その費用は参加者もちで──というのは、運営者から見れば非常に経済的な方法であり、参加者に対して権力を行使できるからこそ実現するものに他ならない。
それでも対面で行う試験に代わる方法が十分に開発されていない試験のように、やむを得ないということが認められるならば、そのような権力行使に一定の正統性が付与されやすい。他方で、「オンライン会議でもよいのに」対面での会議を実施するという場合には、主催者側の方に説明責任が求められるようになるだろう。なぜ対面でないといけないのか、対面参加にどのようなメリットがあり得るのか、と。黙示的なものとして、そういう説明を飛ばして対面を求めることもあり得るが、参加者が移動時間などのコストを強く意識するのは避けられない。
オンラインの利用で会議や打ち合わせに参加する側がハッピーなだけかというとそうでもない。費用のかかる対面打ち合わせを回避するハードルは低くなるかもしれないが、反対にオンラインでの会議については、参加者の方が会議に参加しない説明を求められることになる。仮に気が進まなくても、すきま時間でどこまでも「調整」されてしまうことからは逃れ難い。
コロナ禍を経たことで、対面で人と会うときの「ある程度欠席を許容する」「行けたら行く」といった曖昧さを残すスタイルを維持することが難しくなると思われる。それは一方で、業務の効率的・生産的な遂行を可能にする利点は大きい。そこで曖昧だからこそ生み出される偶然の出会いや創発をどう組み込むか。意識的に考えていく必要があるのではないか。
神戸大学教授