『公研』2021年11月号「めいん・すとりいと」
今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』は、「日本資本主義の父」渋沢栄一が主人公である。武蔵国の豊かな商家に生まれた渋沢は、江戸遊学を機に尊王攘夷思想に目覚めるが、やがて一橋慶喜に取り立てられる。まもなく慶喜が将軍になり、幕臣に取り立てられると、彼は徳川昭武(慶喜の異母弟)のヨーロッパ訪問に随行し、近代社会のありようを学ぶ。しかし、明治新政府が成立したため、帰国して大蔵省に勤務するようになる。渋沢は、予算編成をめぐる政府内の対立が原因で、大蔵省を辞任することになるが、その後第一国立銀行をはじめ多くの民間会社の設立に関わり、日本に資本主義を定着させる立役者となっていく……。ごく大ざっぱに言うと、このようなストーリーである。
『青天を衝け』で描かれている渋沢は、なかなか魅力的である。また、渋沢の周囲にいた幕臣たちの志や役割も、うまく描写されていたように思う。江戸幕府が決して無能ではなく、開国以降の困難な時期に現実的外交や近代化政策を推進していたこと、また多くの有能な人材がそれを担い、その一部は明治以降も引き続き日本の近代化を支える役割を果たしたことは、今や常識となっている。ドラマにはその辺りが、巧みに織り込まれいたように感じた。
もっとも、渋沢を魅力的に描こうとするが余り、しばしば一面的な人物描写がなされている点には、注意が必要である。例えば、渋沢の大蔵省勤務時代、政治的に対立する立場であった大久保利通は、明らかに「敵役」として描かれている。大久保が人情味のある、優れた指導者だったという証言は多いのだが、そのような面に目配りがなされていなかったのは、残念であった。
大久保以上に「敵役」として描かれているのが、岩崎弥太郎である。合本主義すなわち多数の株主による会社設立を推進した渋沢に対して、岩崎は社長独裁こそが会社の活力の源泉になると信じていた。そのため三菱の経営は、岩崎家の単独事業として行われ、会社規則にも「会社に関する一切のこと」は「全て社長の特裁を仰ぐべし」と謳われていた。このように企業経営に対する考え方が大きく異なっていたため、両者は反りが合わなかった。
明治13年、この両者が衝突する機会が訪れた。向島の料亭で行われた酒宴で、会社の経営体制に話題が及ぶと、議論が白熱し、怒った渋沢がついに席を立ってしまったのである。渋沢の評伝では、この場面がドラマチックに描かれ、岩崎は近代的経営に理解がない人物であったと断じられることが多い。しかし、これは一面的な評価である。実際には岩崎は、近代的な俸給や会計の制度をいち早く取り入れた革新的な経営者であった。土佐藩の事業と借金を一手に背負ったところから事業を開始したこともあり、渋沢とは立場と考え方を異にしたが、岩崎もまた日本資本主義勃興の立役者の一人と見なされるべきである。
才覚ある経営者による独創的な事業展開を重視する岩崎、広く資本を糾合することによって公益を実現しようとする渋沢。両者の考え方は、どちらかが良い、悪いというものではなく、資本主義の本質に関わる異なる側面を鋭く突いたものであったように思われるが、ドラマは明らかに後者に肩入れする形で描かれている。
大河ドラマによって、歴史的事実が広く一般に知られることは大いに歓迎したいが、ドラマはあくまでドラマであり、事実とは言えないことも数多く描かれている。願わくは、ドラマを現実の歴史を知る一つのきっかけとしたいものである。
京都大学教授