『公研』2020年5月号「めいん・すとりいと」

奈良岡聰智

 昨年、放送大学のテキストとして『日本政治外交史』という著作を刊行した。同書では、限られた紙幅内で、共著者(五百旗頭薫氏)と整合的な記述を行うため、時代区分を明確にした。すなわち、明治維新以降の近現代日本150年の歴史を、戦前・戦後に大別した上で、それぞれを形成期・展開期に二分するという構成にしたのである。戦前・戦後ともに形成期は「右肩上がり」で、人口や経済規模が拡大し、活気に満ちた時代であった。

 何がそれを可能にしたのかを考えると、いずれの時期にも深刻な災害が比較的少なかったことに気付かされる。戦前の形成期(ほぼ明治時代と重なる)には、江戸時代後期に日本が経験したような大地震(1855年安政江戸地震)、火山の噴火(1783年浅間山噴火)が発生していない。

 コレラなど感染症の流行はあったものの、幕末ほどの規模ではなく、公衆衛生の発達によって封じ込められていった。戦後の形成期(ほぼ昭和戦後期と重なる)も、台風による水害(1959年伊勢湾台風など)が目立つとは言え、大地震や噴火がなかったという点では幸運であった。感染症対策は、抗生物質の開発によって飛躍的に進み、「国民病」結核も克服された。このように戦前日本の近代化、戦後日本の高度成長は、大規模災害が少ないという幸運と、的確な感染症対策によって支えられていた面がある。

 これに対して、戦前の展開期(ほぼ大正・昭和戦前期と重なる)の半ばには、関東大震災(1923年)が起こっている。この震災は昭和恐慌の一因となり、やがて日本を大陸進出に駆り立てていった。負のインパクトはまことに大きかったと言わねばならない。

 戦後の展開期(昭和末期から現在まで)はバブル崩壊以降の低成長期が大半を占めるが、大規模自然災害が相次いだ時期でもある。阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)は日本社会に大きな爪痕を残し、台風による水害も大規模化している。これらは、今後日本が安定と繁栄を維持していく上で、大きな不安要素となっている。感染症に関しては、近年新しいウイルス感染症の発生が相次いだ。幸い日本では、SARS(重症急性呼吸器症候群)、新型インフルエンザの被害は大きくなかったが、今般の新型コロナウイルスの影響は免れなかった。ワクチンや特効薬が開発されるまで、このウイルスとの戦いは続くだろう。

 日本の新型コロナウイルスへの感染者数や死者は、欧米諸国に比べれば少ないが、文化的・自然的条件がより近い韓国や台湾に比べれば、対策がうまく進んでいるとは言い難い。むしろ、政治判断の遅れ、政治家による説明不足、行政の停滞が目につく。果たして安倍政権の対応の何が問題なのであろうか。自由と民主主義を守りながら効果的対策を進めるため、すでに有識者やメディアからさまざまな批判がなされている。政府はそれを受けて対応を続けていくだろうが、それが適切だったかどうか、どのような意味を持ったかは、いずれ歴史によって判断される。そのために重要なのは、徹底して記録を残し、将来客観的検証ができるようにすることである。

 政府もその意識は持っており、今般の事態を「行政文書の管理に関するガイドライン」に規定されている「歴史的緊急事態」に指定し、関連する会議の議事録などの作成を義務づけた。このことは評価したいが、この決定がなされた3月10日以前の初期対応についても記録を収集・保存する必要がある。また、同ガイドラインの対象とされていない国会、政党や政治家個人においても、今般の対応を積極的に記録し、将来公開することが望ましい。未曾有の事態に日本がどのように対処したのか、それを知る手がかりを将来に残すため、関係者の努力を期待したい。 京都大学教授

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